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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章53話 副長府の七不思議

――帝国暦三二二年・春初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――


■総騎士団副長府庁舎・廊下


「今日の確認は、ここまででいい」


 夕方。


 クリス・ラングレーは、手にしていた書類を閉じた。


 隣には、副官のマルクと書記官のノーラがいる。


「では、このまま戻りますか」


 ノーラが尋ねた。


「ああ。……いや、少し寄っていく」


「第一執務室にですか?」


 マルクが首を傾げる。


「特に用事はなかったと思いますが」


「用事はない」


「では、なぜ」


「少し顔を出しておかないと、寂しがるやつがいる」


 ノーラとマルクが黙った。


「……副長閣下ですか」


「他にいるか」


「いえ」


「いませんが」


 二人とも微妙な顔をしていたが、クリスは気にせず第一執務室へ向かった。


■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 第一執務室では、いつものように書類をめくる音がしていた。


 奥の机では、レオンハルト・ヴァイスが書類に向かっている。


「生きてるか」


「死んではいない」


 顔も上げずに返ってきた。


「ならいい」


「それだけ確認しに来たのか」


「それだけだ」


「暇なら手伝っていけ」


「断る」


 いつものやり取りだった。


 ノーラとマルクが少しだけ表情を緩める。


 その時、室内の一角から声が聞こえた。


「……あの話、七不思議に入ったんですね」


「建築中の区画の白い影ですよね」


「一つ目なんですって」


 メリーと周囲の書記官たちが話していた。


 近くにはリリアとマリニーファもいる。


 少し離れた机では、ライが仕事をしていた。


 クリスの足が止まる。


「……まだその話をしてるのか」


 メリーが顔を上げた。


「あら、クリスさん。もう、あの時の騒ぎだけの話ではありませんよ」


「どういう意味だ」


「副長府の七不思議になったそうです」


「七不思議?」


「はい。建築中の区画に現れた白い影が、一つ目です」


「この前のあれが、もう七不思議になったのか」


 あの区画は、騒ぎのあと立ち入りが制限されている。


 新しい目撃談が増えたわけではない。


 前回の騒ぎそのものが、いつの間にか怪談として広まったらしい。


「早すぎるだろ」


 そこで、ライが顔を上げた。


「一つ目は本物です」


「お前はまだそれを言ってるのか」


「僕たちは見ましたから」


「白い何かを見たことは認める。幽霊だったかは別だ」


「でも、正体は分かっていませんよね」


「……それはそうだが」


 周囲の空気が少し重くなった。


 リリアが不安そうに尋ねる。


「まだ、何だったのか分かっていないのですか?」


「ああ。だから、あの区画には近づくな」


「はい」


 リリアは素直に頷いた。


 マリニーファも頷く。


 ライは誰より強く頷いていた。


「それで」


 クリスはメリーを見る。


「七不思議ってことは、他にもあるのか」


「はい」


「この庁舎、まだできて三か月も経ってないだろ」


「はい」


「もう七つあるのか」


「あるそうです」


「早すぎるだろ」


 いつの間にか、ノーラが近くまで来ていた。


「お前、聞きたいのか」


「庁舎内で広まっている話の把握です」


「それっぽい理由をつけるな」


「私も確認しておきたいです」


 マルクまで言った。


「副官として、不安要素の把握は必要ですので」


「お前もか」


 その横で、ライだけが嫌そうな顔をしている。


「僕は聞きたくありません」


「お前、一つ目の話には自分から入ってきただろ」


「本物だと訂正しただけです。残り六つを聞きたいとは言ってません」


「面倒だな、お前」


「クリスさんに言われたくありません」


 メリーが指を一本立てた。


「では、一つ目は今の白い幽霊です」


「それはもういい」


「二つ目。使われていない奥の部屋から、夜になると声が聞こえるそうです」


「声?」


「低い話し声や、誰かが叫ぶような声です」


 周囲から小さく息を呑む音がした。


 リリアも肩をすくめる。


 ライの顔が露骨に強張った。


 しばらくして。


 すっとクリスの横へ寄る。


 その腕につかまろうとした。


 ぴしっ。


「痛っ!」


 クリスが即座に手を叩き落とした。


「何するんですか!」


「こっちの台詞だ」


「怖いんですよ!」


「だからって俺につかまるな」


「なぜですか」


「お前にその資格はない。あと気持ち悪い」


「ひどい!」


 ライが目に見えて落ち込んだ。


 クリスは無視して女性陣を見る。


「まあ、お前らは怖かったらつかまっていいぞ」


 しん、とした。


 リリアも。


 マリニーファも。


 メリーも。


 ノーラまで。


 全員が非難するような目でクリスを見た。


「……何だ、その目は」


「女性なら誰でもいいというパターンですね」


 ライがぼそりと言った。


「誰のせいだ」


「僕は怖かっただけです」


「話を戻しますね」


 メリーが淡々と続ける。


「三つ目。まだ屋上として使える場所がないのに、夜になると上の方から大きな声が聞こえるそうです」


「上から?」


「はい」


 リリアとマリニーファが顔を見合わせた。


 ライは無言で首を横に振っている。


「四つ目は、夜中の食堂です。閉まっているはずなのに、食器の音がするそうです」


「鼠じゃないのか」


「皿を扱っているような音だとか」


「誰かいるんじゃないのか」


「閉まっています」


「……そうか」


「五つ目は、夜中のシャワー室です」


「まだあるのか」


「誰も使っていない時間に水音がして、時々、深いため息が聞こえるそうです」


「それはダメです」


 ライが即答した。


「六つ目。深夜の廊下を、書類束を抱えた黒い影が歩いているそうです」


「書類束?」


 マルクが反応した。


「妙に具体的ですね」


「ですね」


 ノーラも頷く。


 クリスは黙った。


 深夜。


 廊下。


 書類束。


 ちらりと奥を見る。


 レオンは、何も聞こえていないような顔で書類を処理していた。


「そして七つ目は、第一執務室の書類です」


「また書類か」


「夜には残っていた未処理の書類が、朝になると減っていることがあるそうです」


「減る?」


「はい。なくなった書類は、なぜか処理済みの棚に入っています」


 周囲の反応が少し変わった。


「それは……助かっているのでは?」


「でも、誰も処理していないはずなんですよ」


「じゃあ怖いですね」


 マリニーファが小さく言った。


 リリアは奥の机へ目を向ける。


「副長の書類なのですか?」


「そう聞いています」


 クリスもレオンを見る。


 深夜に書類束を抱えて歩く黒い影。


 朝には処理済みになっている書類。


 六つ目と七つ目。


 この二つは、まずレオンだ。


 夜まで仕事をして、書類を抱えて廊下を移動する。


 そのまま仕事を続けている。


 それを誰かが遠目に見て、黒い影だと思ったのだろう。


 そこまで考えて、クリスは少し眉を寄せた。


 食堂。


 シャワー室。


 上から聞こえる声。


 あれも、絶対に違うとは言い切れない。


 白い幽霊は別として。


 ……お前、もしかして副長府の七不思議の半分くらいに関わってないか。


 もちろん、口には出さなかった。


 真相を話せば、今度は周囲が夜のレオンを気にし始める。


 ただでさえ逃げ場のない男だ。


 これ以上、見張られる理由を増やす必要はない。


 その時、ノーラがふと首を傾げた。


「でも、少し不思議ですね」


「何がだ」


「今のところ、ここにいる皆さんは七不思議にほとんど遭遇していませんよね」


「そういえば」


 クリスは室内を見回した。


「お前ら、今までどれかに会ったことあるのか?」


 リリアは少し考えてから、首を横に振った。


「ありません」


「私もありません」


 マリニーファも答える。


 メリーも同じだった。


「僕も――」


「お前は会ってるだろ」


 クリスがすぐに突っ込んだ。


 ライが不満そうに振り向く。


「あれは、クリスさんが強引に連れていったからでしょう」


「俺のせいかよ」


「僕は最初から行きたくありませんでした」


「それは知ってる」


「ですから、僕が自分から夜に出歩いた結果ではありません」


 きっぱりと言い切った。


 クリスは呆れた顔をしたが、そこで気づいた。


「……というか、お前ら普段、暗くなる前には帰ってるだろ」


「はい」


 リリアが頷く。


 ノーラも少し考える。


「七不思議は、ほとんど夜に起きていますね」


「そうですね」


 メリーが答えた。


 少しの沈黙。


 マリニーファが口を開く。


「では、今までと同じようにしていればいいのでは?」


「……そうですね」


 リリアの表情が明るくなった。


「今まで会っていないのですから、これからも早く帰れば会わずに済みます」


「それが一番ですね」


 あっさり決まった。


 七不思議の正体を突き止めるでもない。


 夜の庁舎を調べるでもない。


 今まで通り、仕事が終わったら早く帰る。


 それだけだった。


 その横で、ライだけが妙に満足そうに頷いている。


「つまり、今までの僕の行動は正しかったということですね」


「お前は怖いから早く帰ってただけだろ」


「結果として正しかったです」


「威張るな」


 ライは少し胸を張った。


 クリスは呆れながら、第一執務室の奥を見る。


 レオンは相変わらず、一人で書類に向かっていた。


 こんな部下ばかりなら、そりゃ残業も増える。


 だが、七不思議を怖がって、こいつらが今まで以上に残業を避けるようになれば、夜になってから上がってくる確認や報告も減る。


 結果として、レオンの仕事も少しは減るだろう。


 そこだけは救いか。


「……まあ、今まで通り早く帰れ」


「はい」


 妙に元気のいい返事が返ってきた。


 副長府の七不思議。


 全部の正体までは分からない。


 だが、少なくとも職員たちは、今まで通り暗くなる前に帰ればいいらしい。


 それで残業まで減るのなら、悪い話ではなかった。

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