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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章幕間11 LWSS分室

――帝国暦三二一年・冬終わり ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――


■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 昼前。


 クリスが第一執務室へ顔を出した時、レオンはちょうど一枚の申請書を見ていた。


 机の上には、いつも通り書類が積まれている。


 ただ、その一枚だけは、レオンの手元で止まっていた。


「クリス」


「何だ」


「お前、暇か」


「暇じゃない」


「時間はあるか」


「言い方を変えるな」


 クリスは嫌な顔をした。


 レオンがそういう聞き方をする時は、だいたい面倒な仕事である。


 そして、今回もそうだった。


「少し手伝ってくれ」


「何をだ」


「部屋使用申請の確認だ」


「部屋?」


「ああ」


 レオンは、手元の申請書を軽く持ち上げた。


「LWSSから、また部屋使用の申請が来ている」


 クリスの表情が、わずかに動いた。


 LWSS。


 その名前には覚えがある。


 かなりある。


 ただし、レオンには言わない方がいい覚え方だった。


「……また、か」


「知っているのか」


「名前だけはな」


 クリスはごまかした。


 嘘ではない。


 名前は知っている。


 中身もだいたい知っている。


 だが、詳しく話すと面倒なことになる。


「今まで、二部屋貸していた」


「二部屋も貸してたのか」


「俺も今、改めて確認してそう思った」


 レオンは眉間に皺を寄せる。


「それで、今度はもう一部屋借りたいらしい」


「三部屋目か」


「そうだ」


「団体としては、なかなか育ってるな」


「育っているのか?」


「たぶん」


 クリスは目を逸らした。


 育っている。


 想像以上に。


 ただし、良い方向かどうかは分からない。


「問題は、俺がこの団体の実態を詳しく知らないことだ」


「だろうな」


「どういう団体で、どういう目的で部屋を使うのか。申請書の説明が薄い」


「薄い?」


「活動補助、資料保管、連絡調整と書いてある」


「それっぽいな」


「それっぽいだけだ」


 レオンは申請書を机に置いた。


「だから、見てきてくれ」


「俺が?」


「お前が」


「何で俺が?」


「お前は色々なところに顔を出しているだろう」


「便利に使うな」


「手伝ってくれ」


 レオンは、真面目な顔だった。


 真面目に、詳しいところまでは知らない顔だった。


 クリスは、それを見て少しだけ悩んだ。


 ここで正直に言うべきか。


 LWSSは、実質的にリリア親衛隊関係の活動拠点である。


 部屋が増えているのは、親衛隊員が増えすぎているからである。


 会報や姿絵や徽章や町の活動や、よく分からない運用が絡んでいる。


 そう言えば、レオンは確実に頭を抱える。


 そして、その処理が自分にも回ってくる。


 クリスは、すぐに判断した。


 黙っておこう。


「まあ、見に行くだけならいい」


「助かる」


「ただ、俺一人で行くのか?」


「いや」


 レオンは、近くの書記官へ声をかけた。


「マリニーファを呼んでくれ」


「承知しました」


 しばらくして、マリニーファがレオンの執務机まできた。


 彼女はレオンを見ると、すぐに姿勢を正した。


「レオン様、お呼びでしょうか」


「ああ。クリスと一緒に、部屋使用申請の確認へ行ってほしい」


 マリニーファは、そこでクリスを見た。


 表情が少しだけ変わる。


「この人とですか」


「そうだ」


「私、この人は嫌いなんですよね」


「おい」


 クリスがすぐに反応した。


 マリニーファは、悪びれない。


 レオンは真面目な顔で頷いた。


「仕事とは、そういうものだ」


「そういうものですか」


「嫌なこと、苦手なこと、面倒なことを毎日我慢する。それが仕事だ」


「なるほど」


「俺も、いつも我慢している」


「レオン様も」


「ああ」


 レオンは深く頷いた。


「クリスと行くのは、確かに辛いかもしれない」


「おい」


「だが、我慢しろ」


「おい、レオン」


 クリスの声が少し大きくなった。


 レオンは聞こえないふりをした。


 マリニーファは、少しだけ考える。


「では、ちゃんと仕事をしてきたら」


「何だ」


「今度、お買い物に付き合ってくれませんか。レオン様」


「買い物?」


「はい」


 レオンは一瞬だけ迷った。


 だが、ここで断ると行かなさそうな顔だった。


「……考えておく」


「ありがとうございます」


「まだ行くとは言っていない」


「考えてくださるだけで十分です」


 マリニーファは、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。


 クリスは横で嫌な顔をしている。


「俺は何のために傷つけられたんだ」


「仕事のためだ」


「便利な言葉だな」


 レオンは申請書をクリスへ渡した。


「確認してきてくれ。どういう団体で、何のために使うのか。それだけ分かればいい」


「分かった」


「マリニーファも、確認を頼む」


「はい、レオン様」


「仕事中です」


 イリスが離れた席から静かに言った。


 マリニーファは少しだけ姿勢を正す。


「はい、副長」


 レオンは少し複雑な顔をした。


 クリスは、それを見て小さく笑った。


「お前も大変だな」


「お前ほどではない」


「何で俺が下なんだ」


「行ってこい」


 クリスとマリニーファは、申請書を持って第一執務室を出た。


■総騎士団副長府庁舎・廊下


 廊下へ出ると、マリニーファはすぐに言った。


「クリス様」


「何だ」


「あまり近づかないでください」


「いきなりだな」


「一メートル以内には入らないでください」


「厳しいな」


「仕事なので一緒に行きますが、一定の距離は必要です」


「俺は病原菌か何かか」


「近いと不快です」


「最後まで言うな」


 クリスは、すでに疲れていた。


 まだ部屋を出たばかりである。


 マリニーファは申請書を見ながら歩く。


「LWSSとは、何ですか」


「お前も知っているだろう」


「知っているんですか、私が」


「朝、並んでるだろう」


「朝?」


「リリアが登庁する時、両側にずらっと並んでる連中だ」


 マリニーファは、少し考えた。


 そして、納得した顔になる。


「ああ。親衛隊のことですか」


「そうだ」


「では、なぜレオン様は知らないんですか」


「知らないわけじゃない。詳しく知ろうとしてないんだ」


「なぜですか」


「面倒なことになるから、誰もはっきり教えてないんだ」


「それは良いのですか?」


「良くはないかもしれない」


「では、なぜ教えないんですか」


「面倒だからだ」


「最低ですね」


「俺だけのせいじゃない」


 クリスは苦い顔で答えた。


 マリニーファはさらに聞く。


「リリアは知っているんですか?」


「それは分からない」


「分からない?」


「リリアは、親衛隊が自分のために何かしていることは知っている。ただ、どこまで分かっているかは分からん」


「つまり、誰も全体を把握していないと」


「そう言うな」


「そう見えます」


「たぶん合ってる」


 クリスは、もう否定するのをやめた。


 やがて二人は、LWSSの部屋がある区画へ近づいた。


 廊下の雰囲気が、少し変わる。


 人の出入りが多い。


 書類を持つ者。


 箱を運ぶ者。


 壁に貼られた予定表を確認する者。


 そして、妙に真剣な顔で小冊子を抱えている者。


 マリニーファは、少しだけ目を細めた。


「男性が多いですね」


「まあな」


「仕事をしているようには見えます」


「それはしてるんだよな」


 クリスは頷いた。


「そこがややこしい」


「ややこしい?」


「ろくでもないこともしてるが、仕事らしいこともしている」


「中途半端ですね」


「そうだな」


 妙に正確だった。


■総騎士団副長府庁舎・LWSS室前


 扉の前には、見覚えのある親衛隊員が立っていた。


 クリスを見ると、すぐに姿勢を正す。


「クリス様」


「様はいらん」


「ご用件でしょうか」


「部屋使用申請の件だ。レオンに見てこいと言われた」


 親衛隊員の表情が、少しだけ引き締まった。


「少々お待ちください」


 すぐに中へ入る。


 ほどなくして、エゼルとマフガランが出てきた。


 エゼルは落ち着いた顔で頭を下げる。


「クリス様。お越しいただきありがとうございます」


「だから様はいらん」


 マフガランも一礼する。


「申請の件でしょうか」


「ああ」


 クリスは申請書を軽く振った。


「三部屋目を借りたいらしいな」


「はい」


「レオンが言っていた。どういう団体で、どういう目的で部屋を使うのか説明しろと」


 エゼルとマフガランは顔を見合わせた。


 少し困った顔だった。


「どう書くべきか、悩んでおりました」


「正直に書けばいいだろ」


 クリスが言う。


 エゼルは真面目に頷いた。


「正直に、ですか」


「ああ。町の方で色々やってるんだろう。街路清掃とか、危険箇所確認とか、通学路見守りとか」


「はい」


「なら、そういう活動の準備室と書けばいい」


「なるほど」


「嘘ではありませんね」


 マフガランが静かに言った。


「実際、町での活動準備も行っています」


「そうだろ」


 クリスは腕を組んだ。


「それで、本当は何に使うんだ」


 エゼルとマフガランが、また顔を見合わせる。


 今度は、少しだけ言いにくそうだった。


「親衛隊員が増えすぎまして」


「やっぱりか」


「今の部屋だけでは、入りきらなくなっています」


「それで三部屋目か」


「はい」


 マフガランが続ける。


「また、一部は倉庫代わりにも使いたいと考えています」


「倉庫?」


「会報関係の資料、活動記録、備品、町活動用の道具などです」


「会報関係を一番先に言うな」


「重要ですので」


「そうかよ」


 クリスはため息をついた。


「今は一階と二階だったか」


「はい」


「だから、三階にも欲しいと」


「はい」


「お前ら、全階に置く気かよ」


 エゼルは少し考えた。


「必要であれば」


「否定しろ」


「現状では、三階までです」


「現状では、って言うな」


 クリスは額を押さえた。


 マリニーファは、そのやり取りを横で見ていた。


「思ったより、組織的ですね」


「そうなんだよ」


「男性ばかりですが、働いている点は好感が持てます」


「お前、俺を見る目と違うな」


「当然です」


「当然なのか」


「はい」


 マリニーファは、部屋の中を少し覗いた。


 そこには、確かに働いている者たちがいた。


 町活動の予定表を確認している者。


 危険箇所の報告書をまとめている者。


 書類を分類している者。


 箱を整理している者。


 真面目である。


 それだけなら、何の問題もない。


 だが、その横で、別の光景もあった。


 一人は、姫様会報を二冊抱えていた。


 一冊は読む用。


 もう一冊は保存用。


 そういうことらしい。


 別の者は、壁に掛けられたリリアの姿絵の前で静かに手を合わせていた。


 さらに別の者は、紙に書かれたリリアの言葉を小声で暗唱している。


「本日も、無理はしないでくださいね……本日も、無理はしないでくださいね……」


 マリニーファは、少し黙った。


「……働いてはいますね」


「だろ」


「ただ、ろくでもないこともしていますね」


「だろ」


 クリスは、すっかり疲れた顔になった。


「そして、さっきお前は、こいつらには好感が持てると言った」


「働いている部分には、です」


「俺はこいつらより下なのか」


「比べる対象が悪いのでは?」


「どっちの意味だ」


「両方です」


「ひどいな、お前」


 エゼルが、少しだけ咳払いした。


「それで、申請書の文言ですが」


「ああ」


「慈善事業および町活動の準備室、という形でよろしいでしょうか」


「いいんじゃないか」


「ボランティア活動の連絡調整室、という表記も考えています」


「それも嘘ではないな」


「はい。嘘ではありません」


「ただ、本音は親衛隊員が入りきらないからだろ」


「それも事実です」


「書くなよ」


「承知しています」


 クリスは、念のために言った。


「リリアの名前を前面に出すな」


「はい」


「姫様会報の保管室とも書くな」


「はい」


「親衛隊拡張室とも書くな」


「それは少し考えておりました」


「考えるな」


 マフガランは真面目に頷いた。


「では、慈善事業・町活動準備室を主軸にします」


「そうしろ」


「ありがとうございます」


 エゼルは丁寧に頭を下げた。


 クリスは、もう帰る姿勢になった。


「用件は終わりだな」


「はい」


「なら帰るぞ」


 マリニーファは即答した。


「はい。早く帰りたいです」


「そんなに嫌だったか」


「あなたと一緒にいる時間は、長く感じます」


「最後までひどいな」


「仕事なので我慢しました」


「レオンの言葉を便利に使うな」


「使えるものは使います」


 クリスは反論する気をなくした。


■総騎士団副長府庁舎・廊下


 帰り道、マリニーファは少しだけ考え込んでいた。


 クリスはそれに気づく。


「どうした?」


「不思議な組織ですね」


「今さらだな」


「真面目に町の活動をしているように見えます」


「実際してる」


「それなのに、会報を二冊抱えて、姿絵に祈って、リリアの言葉を暗記していました」


「そこは忘れろ」


「無理です」


「そうか」


「それで、部屋を増やすんですね」


「増やすらしい」


「不思議です」


「俺もそう思う」


 二人はしばらく無言で歩いた。


 そして、第一執務室の前まで来る。


 マリニーファは扉の前で、きっぱり言った。


「私は、ちゃんと仕事をしました」


「そうだな」


「レオン様に、お買い物の件を覚えていただかないと」


「お前、それが目的だったな」


「大事です」


「部屋申請よりか?」


「私にとっては」


「正直だな」


 クリスは扉を開けた。


■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 レオンは、まだ書類に囲まれていた。


 クリスとマリニーファが戻ると、顔を上げる。


「どうだった」


「申請は出させていい」


 クリスが答えた。


「用途は」


「町活動、慈善事業、ボランティア活動の準備室。そういう名目なら嘘ではない」


「嘘ではない、か」


 レオンは少し目を細めた。


「引っかかる言い方だな」


「深く聞くな」


「なぜだ」


「聞くと面倒だからだ」


 レオンは、少しだけ黙った。


 そして、申請書を見た。


「どういう団体だった」


「働いてはいる」


「働いては」


「町の活動もしている。資料整理もしている。連絡調整もしている」


「なら問題はないのか」


「問題がないとは言っていない」


「おい」


 クリスは視線を逸らした。


「ただ、今すぐ止めるようなものでもない」


「そうか」


 マリニーファも頷いた。


「男性ばかりでしたが、働いている部分は好感が持てました」


「そうか」


「ただ、少し変でした」


「どのくらいだ」


「クリス様よりは働いていました」


「おい」


 クリスが反応する。


 レオンは、その言葉でだいたい察した。


 面倒な組織である。


 ただ、働いてはいる。


 町にも出ている。


 申請上の名目も、完全な嘘ではない。


 関わりすぎると危険。


 そういうものだ。


 レオンは、ひとまず申請書を置いた。


「正式な書き直しを出させろ。用途は、慈善事業および町活動の準備室。資料保管と連絡調整も含む」


「それでいいと思う」


 クリスが言った。


 マリニーファも頷く。


「はい」


「では、その形で処理する」


 レオンは印を取った。


 押す前に、申請団体名を見る。


 LWSS。


 何の略なのか。


 なぜその名前なのか。


 それを、レオンは聞きたかった。


 どうしても聞きたかった。


 だが、聞けば面倒なことになる気がした。


 非常に面倒になりそうな気が……。


 だから、聞かなかった。


「……許可する」


 レオンは印を押した。


 その瞬間、LWSSの三つ目の部屋使用が、正式に認められた。


 クリスはそれを見て、少しだけ遠い目をした。


「これでまた増えるな」


「何がだ」


「知らない方がいい」


「お前、最近そればかりだな」


「本当に知らない方がいいことが増えてるんだよ」


 レオンは顔をしかめた。


 マリニーファは、そっと手を上げる。


「副長」


「何だ」


「仕事はしてきました」


「ああ」


「お買い物の件は」


「考えておくと言った」


「はい。覚えていてください」


「……覚えておく」


 マリニーファは満足そうに頷いた。


 クリスは呟く。


「俺は何も得てないんだが」


「仕事とは、そういうものだ」


 レオンが言った。


 クリスは、心底嫌そうな顔をした。


「その言葉、今日一日で嫌いになりそうだ」


 レオンは何も言わず、次の書類を取った。


 机の上には、まだ山ほど仕事が残っている。


 その中に、LWSSの申請書も加わった。


 慈善事業。


 町活動。


 資料保管。


 連絡調整。


 どれも嘘ではない。


 だが、たぶん全部でもない。


 レオンは、深く考えないことにした。


 副長府には、知らない方が楽なこともある。


 そう思わなければ、やっていられなかった。

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