第2章51話 仕事を減らすための仕事
――帝国暦三二二年・春初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府――
■総騎士団副長府庁舎・副長室
これ以上、この話を続けるのはまずい。
すでにレオンには、妙に具体的だと怪しまれている。
これ以上聞けば、何を知りたいのかまで気づかれかねない。
クリスは、それ以上聞くのをやめた。
「それで」
クリスは強引に話を戻した。
「お前が副長府を取り仕切ってるんだろ」
「ああ」
「だったら、お前自身の仕事が楽になる役職か仕組みを作ればいいんじゃねぇのか」
レオンの手が止まった。
「役職か仕組み?」
「ああ。お前にとって仕事が楽になるやつだよ」
「お前が全部見なくても済むようにする役職とか、仕事の流れを変える仕組みとか」
「俺にとって仕事が楽になるもの」
「そうだ」
レオンは少し考えた。
そして、ゆっくりと言った。
「イリスに怒られるかもしれない」
「まずそこかよ」
「重要だ」
「いや、重要かもしれないけどな」
クリスは呆れたように椅子へもたれた。
「イリスの目ばかり気にしてると、お前の方が先に倒れちまうぞ」
「倒れるつもりはない」
「倒れる奴は、だいたいそう言う」
「そうなのか」
「そうだよ」
レオンは少しだけ眉を寄せた。
「だが、勝手に役職を増やせば、また仕事が増える」
「それは分かる」
「人を置けば、管理が増える」
「それも分かる」
「仕組みを作れば、運用確認が増える」
「そこまで分かってるなら、今のお前がどうして終わってるのかも分かるだろ」
「分からない」
「分かれ」
クリスは片手で顔を覆った。
「お前は、何を増やしても最後に自分で確認しようとするんだよ」
「必要だからだ」
「その必要を減らす話をしてるんだ」
「難しいな」
「簡単だったら、お前はもう帰れてるだろ」
「それはそうだ」
レオンは書類を置いた。
ようやく、きちんとクリスを見る。
「何か案はあるのか」
「俺に聞くのか」
「お前が言い出した」
「まあ、そうだけどよ」
クリスは少し考えた。
雑に言うつもりだった。
だが、目の前のレオンが思ったより本気で聞いているので、少しだけ真面目に考え直した。
「まず、兼任を減らせ」
「兼任」
「お前、第十大隊長も兼ねてるだろ」
「ああ」
「そこに代理を置け」
「中隊長の一人でもいい」
「大隊長代理として、日常の確認を任せればいいだろ」
「……」
「お前が全部見る必要はない」
「大きい判断だけ、お前のところへ上げさせればいい」
「それは、いい考えだ」
「だろ」
「だが」
「だが?」
レオンは黙った。
少しだけ視線を落とす。
「エリシアに言った」
「何を」
「それまでは、自分が預かると」
クリスは、そこで「ああ」と小さく言った。
先ほどの話を聞いた後では、レオンが何を気にしているのか分かった。
「それは、代理を置くなって意味じゃないだろ」
「そうかもしれない」
「そうだろ」
「だが、自分が預かると言った以上、簡単に他へ渡すのは違う気がする」
「真面目だな」
「騎士として、必要なことだ」
「そういうところだぞ」
「何がだ」
「仕事が減らない理由」
レオンは黙った。
クリスも、それ以上は押さなかった。
今のレオンに約束を破れと言っても、絶対に聞かない。
それは、よく分かった。
「じゃあ、別案だ」
「何だ」
「就業時間を変えろ」
「就業時間?」
「ああ。お前が大変なのは、部下たちも働いてるからだろ」
「部下が働くのはいいことではないのか」
「普通はな。でも、お前の場合は違う」
クリスは机の上の書類を指した。
「部下が働く」
「書類が進む」
「確認が上がる」
「報告が来る」
「判断を求められる」
「最後に、お前のところへ積まれる」
「……そうだな」
「だったら、部下の就業時間を削れ」
「部下を休ませるのか」
「そうだ。残業も一切させるな」
「一切か」
「一切だ」
「部下が残業すれば、その分だけ仕事が進む」
「仕事が進めば、お前のところへ上がってくる」
「お前が帰れなくなる」
「理屈は分かる」
「だろ」
「だが、それでは仕事が滞る」
「多少は滞らせろ」
「滞らせていい仕事ばかりではない」
「だから全部お前が抱えてるんだろ」
「……」
「黙るな。図星だろ」
「図星ではない」
「図星の黙り方だったぞ」
レオンは少しだけ視線を外した。
クリスはそれを見て、またため息をつく。
「じゃあ、移動を減らせ」
「移動?」
「ああ。お前、第一執務室、第二執務室、第三執務室、副長室って動いてるだろ」
「動いている」
「十五分休憩があっても、移動だけで消えるんじゃねぇのか」
「消えることはある」
「駄目だろ」
「駄目だな」
「だったら、書類をお前のところへ持ってこさせろ」
レオンは少し目を細めた。
「俺のところへ」
「そうだ」
「お前があちこち動くんじゃなくて、必要な書類を副長室へ集める」
「お前はここで確認する」
「移動が減る」
「それはいいな」
「だろ」
「だが」
「また、だがか」
「その場合、リリアと会いづらくなる」
「リリア?」
「ああ。リリアは第一執務室付きだ」
「そうだな」
「俺が第一執務室へ行かなければ、会う機会が減る」
「お前、この前までリリアの顔も書類の後ろに隠れるとか言ってただろ」
「だから、余計に会う必要がある」
「そこは急に兄になるんだな」
「兄だ」
「知ってるよ」
クリスはそれを見て、またため息をついた。
「結局、お前は何をやっても最後に自分で抱えるんだよ」
「必要だからだ」
「だから、その必要を減らせって言ってるんだろ」
レオンは黙った。
「お前が何でも自分で責任を持ってやろうとするのは、悪いことじゃない」
「そうだろう」
「でもな、もう少し他人を信用しろ」
レオンが顔を上げた。
「信用?」
「ああ」
「お前が何でも自分で確認して、何でも自分で最後までやろうとするのは、立派なのかもしれない」
「だが、悪く言えば、他の奴に任せられないってことだろ」
レオンは黙った。
「仕事を任せても、責任までそいつに押しつける必要はない」
「他の奴に仕事を任せる。でも、何かあった時の責任はお前が持つ」
「責任は俺が持つ?」
「ああ」
クリスは机の上の書類を指した。
「責任を持つことと、全部自分でやることは違うだろ」
「任せられるところは任せる」
「その上で、最後の責任はお前が持つ」
「上に立つ奴なら、そっちの方が大事なんじゃないかと俺は思うけどな」
レオンは、すぐには答えなかった。
仕事を任せる。
責任は、自分が持つ。
自分が引き受けた以上、自分でやる。
これまでは、それが当然だと思っていた。
「そうすれば、お前だって今ほど大変じゃないだろ」
レオンはしばらく考えた。
「……少し考えてみる」
「そうしろ」
レオンは反論しなかった。
反論できなかった。
クリスの案は、どれも間違ってはいない。
兼任を減らす。
代理を置く。
部下の就業時間を削る。
残業を禁止する。
移動を減らす。
書類を集約する。
第一執務室へ仕事を寄せる。
補佐官の代わりを任命する。
どれも、理屈としては正しい。
だが、どれもすぐには決められなかった。
約束がある。
人員の配置がある。
リリアのこともある。
イリスのこともある。
エリシアから預かった仕事もある。
そして何より、仕事を減らすための仕組みを作るには、また仕事が必要になる。
「クリス」
「何だ」
「お前の案は、どれも一理ある」
「珍しく素直だな」
「だが、どれも問題がある」
「まあ、あるだろうな」
「すぐには決められない」
「それも分かる」
「だが」
レオンは、机の上の書類を見た。
見ないようにしても、視界に入る。
逃げても、増える。
片付けても、戻ってくる。
このまま同じやり方を続けていれば、いつか限界が来る。
それは、さすがに分かっていた。
「何かしら、新しい役職か仕組みを作らなければならないのかもしれない」
クリスは少しだけ目を細めた。
「ようやくそこまで来たか」
「まだ決めてはいない」
「知ってる」
「決めるには確認が必要だ」
「仕事を増やすなよ」
「増えるかもしれない」
「駄目だろ」
「だが、必要なら」
「そういうところだぞ」
レオンは黙った。
しばらくして、口を開いた。
「クリス」
「何だ」
「……すまなかった」
「は?」
クリスが目を見開いた。
「お前、今なんて言った?」
「すまなかったと言った」
「お前が俺に?」
「ああ」
レオンは真顔だった。
「今まで、お前はただ仕事をだらだらやって、隙があればサボって、部下に仕事を押しつけているだけだと思っていた」
「お前、それ謝ってるのか?」
「謝っている」
「ふざけた奴で、馬鹿げたことばかりしているとも思っていた」
「今それ言う必要あるか?」
「だが、部下に仕事を任せても、何かあった時は自分で責任を持つつもりだったんだな」
「……まあな」
「そこは、俺が誤解していた」
レオンはクリスを見る。
「すまなかった」
クリスはしばらく黙った。
「……お前が俺に謝る日が来るとは思わなかった」
「失礼だな」
「いや、だってお前だぞ」
「俺でも間違えたと思えば謝る」
「そういうところだけは本当に真面目だな」
クリスは呆れたように笑った。
そして立ち上がる。
「まあ、考えろ」
「ああ」
「ただし、考えるだけで倒れるな」
「善処する」
「善処じゃ足りねぇんだよな」
クリスは扉の方へ歩きながら、振り返った。
「それと」
「何だ」
「イリスに怒られるかどうかより、お前が倒れるかどうかを先に考えろ」
「難しい」
「そこを難しくするな」
「努力する」
「努力でも足りねぇんだよな」
クリスは呆れたように笑い、部屋を出ていった。
副長室に、静けさが戻る。
机の上には、相変わらず書類があった。
仕事は減っていない。
問題も解決していない。
ただ、選択肢は少しだけ増えた。
代理を置く。
就業時間を削る。
残業を禁止する。
移動を減らす。
書類の流れを変える。
それとも、別の役職を作る。
どれも簡単ではない。
どれも、新しい仕事を生む。
だが、何もしなければ、自分が先に潰れる。
レオンはしばらく黙っていた。
そして、手元の書類を一枚取る。
いつものように確認しようとして、そこで止まった。
今は、この書類を見る前に考えるべきことがある。
自分の仕事を減らすための、仕事。
それが必要なのかもしれない。
レオンは小さく息を吐いた。
「……仕事を減らすための仕事か」
声に出してみると、ひどく矛盾していた。
だが、今の副長府では、それが一番現実的なのかもしれなかった。




