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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章50話 騎士とは

――帝国暦三二二年・春初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府――


■総騎士団副長府庁舎・副長室


 クリス・ラングレーは、副長室の扉を開けて、しばらく黙った。


 室内には、書類があった。


 机の上にもある。


 脇机にもある。


 棚にもある。


 そして、その書類の前にレオンハルト・ヴァイスが座っていた。


 背筋は伸びている。


 服装も乱れてはいない。


 だが、顔色はよくなかった。


 目元には疲れがあり、明らかに睡眠が足りていない。


 仕事はしている。


 ただし、人間としてはかなり削れている。


「……お前」


 クリスは扉の前で言った。


「また仮眠室か?」


「違う」


 レオンは書類から顔を上げずに答えた。


「仮眠室から来た」


「同じだろ」


「違う」


「どこがだよ」


「今は副長室にいる」


「そういう意味じゃねぇ」


 クリスは部屋に入り、扉を閉めた。


 近くの椅子に腰を下ろす。


「なあ、レオン」


「何だ」


「前も言ったが、その働き方、そろそろ本当にまずいぞ」


「知っている」


「知ってるなら何とかしろ」


「何とかしようとしている」


「してるように見えねぇんだよ」


 レオンは書類を一枚めくった。


「仕事はしている」


「仕事をしろって言ってるんじゃねぇ。仕事を減らせって言ってるんだ」


「減らしたい」


「なら減らせ」


「減らせるものなら減らしている」


「そこから話が進まねぇな」


 クリスは深く息を吐いた。


 しばらくレオンの顔を見る。


 エリシアから預かった仕事。


 第十大隊長としての仕事。


 副長としての仕事。


 レオンは、どれも簡単には他人へ渡そうとしない。


 手伝わせることはあっても、最後は自分で確認しようとする。


「前から聞きたかったんだが」


「何だ」


「お前は、何でそこまで無理するんだ」


 レオンが、ようやく書類から顔を上げた。


「どういう意味だ」


「エリシアに頼まれた仕事もそうだ」


「代理を置くなり、ほかの奴に任せるなりすればいいだろ」


「手伝ってもらうことはある」


「でも、最後は全部自分でやろうとする」


「ああ」


「何でだよ」


 レオンは少しだけ考えた。


「騎士の誓い」


「騎士の誓い?」


「ああ」


 レオンは、当然のことを話すように答えた。


「本来、正式な騎士の誓いには、剣と盾を用意し、定められた形式に従って立てるものもある」


「だが、形式だけが誓いではない」


 レオンは、まっすぐクリスを見る。


「騎士が一度口にした約束は、それだけで誓いと同じだ」


「ただの口約束でもか」


「騎士にとっては、ただの約束ではない」


「引き受けると言ったのなら、引き受ける」


「守ると言ったのなら、守る」


「騎士が自分の口で言った以上、その言葉を違えることはできない」


 クリスの額に、冷たい汗が浮かんだ。


「お前、十二歳で騎士になったんだよな」


「ああ」


「それから一度も、約束を違えたことはないのか」


「一度もない」


 レオンは迷いなく答えた。


「この十年間、ずっとそうしてきた」


「本当に、ただの口約束でも?」


「ああ」


「騎士に二言はないと、はっきり言っていなくてもか」


「関係ない」


 レオンは自分の胸へ手を当てた。


「口にした時点で、騎士の言葉だ」


「父からも、繰り返し教えられてきた」


「騎士が口にした言葉は、必ず守らなければならない」


「俺は、十二歳で騎士になってから、その言葉をずっと胸に刻んできた」


「だから、約束をする時には慎重に考える」


「一度引き受けたのなら、手伝ってもらうことはあっても、自分の責任をそのまま他人へ押しつけるつもりはない」


「そういうところが、お前の仕事が減らない理由じゃねぇのか」


「そうかもしれない」


「認めるのかよ」


 レオンは机の上の書類へ目を落とした。


「だが、それを理由に約束を違えることはできない」


「ロンバルディアの騎士が誠実だと言われるのは、これまでの騎士たちが言葉を守り続けてきたからだ」


「今でも一般の者たちは、俺たちを騎士様と呼び、敬意を払ってくれる」


「その信頼は、俺たちだけのものではない」


「これまでの騎士たちが積み重ねてきた信頼だ」


「自分の都合で、それを失わせるようなことは絶対にできない」


 レオンの言葉に迷いはなかった。


 クリスの額から、さらに汗が流れる。


 暑くはない。


 むしろ、室内は少し寒いくらいだった。


「あのさ」


「何だ」


 クリスは恐る恐る口を開いた。


「もし、話を勘違いしたまま約束した場合は、どうなる」


 レオンの手が止まった。


「勘違い?」


「ああ」


「自分では別の話だと思っていたのに、相手はまったく違う意味で聞いていたとか」


「なぜ、そんなことを聞く」


「いいから答えろ」


 レオンは少しだけ眉を寄せた。


「俺なら守る」


「勘違いだったとしてもか」


「ああ」


「自分が考えていた話と、まったく違っていても?」


「守れる限りは守る」


「何でだよ」


「騎士だからだ」


 レオンは、やはり迷わなかった。


「事情を説明することはできる」


「相手と話し合い、誤解を解くこともできるだろう」


「だが、自分から騎士の誓いを口にしたのなら、勘違いだったというだけで、なかったことにはできない」


「それは誠実ではない。常に嘘偽りがなく、強い責任感を持つ騎士の姿ではない」


 クリスの顔から、少しずつ血の気が引いていった。


「じゃあ、守らなかった奴のことをどう思う」


「そいつは騎士ではない」


 レオンは迷いなく言った。


「そこまで言うか?」


「自分で口にした誓いを、自分の都合で破る者を騎士とは呼べない」


 クリスは少し顔をしかめた。


「でも、誰にだって間違いはあるだろ」


「だから、口にする前に慎重に考える必要がある」


「最初の一回くらいなら、仕方ないんじゃないか」


「仕方なくはない」


 レオンの答えは変わらなかった。


 クリスは少し考えてから、探るように続ける。


「きちんと謝れば、許してやってもいいんじゃないかと俺は思う」


 レオンが眉を寄せた。


「なぜ、お前が許す側なんだ」


「例え話だよ」


「妙に具体的だな」


「気にするな」


 レオンは、しばらくクリスを見つめた。


「お前、何かあったのか」


 今度はクリスがすぐに答えた。


「何もない」


「汗をかいているぞ」


「少し暑いだけだ」


「この部屋は寒いが」


「俺には暑いんだよ」


 クリスは顔を背けた。


 額だけではない。


 背中にも、嫌な汗が流れ始めていた。


 騎士に二言はない。


 自分は、オリオン社でそう言った。


 次期社長候補になることを受け入れたつもりはない。


 上級調査員として責任ある立場を任されるのだと思っていた。


 だが、その事情を知らない者から見れば、クリスは次期社長候補になることを受け入れ、騎士の誓いまで立てたことになる。


 まだ、話はそれほど広まっていないかもしれない。


 今なら、シエラの父親と母親とエリオへ説明すれば、誤解を解ける可能性もある。


 だが、もし誓いを立てたという話を広められた後で、シエラとの関係や次期社長候補の話を否定すればどうなるか。


 騎士の誓いを破った。


 自分の都合で言葉を覆した。


 その部分だけを広められる可能性がある。


 しかも、相手は情報を扱うオリオン社だった。


 シエラは、むやみに否定しない方がいいと言っていた。


 その理由を、クリスは改めて理解した。


 騎士としての信用を失えば、大隊長でいることは難しくなる。


 第四大隊の部下たちを率いることもできなくなるかもしれない。


 場合によっては、副長府にも騎士団にも、自分の居場所がなくなる。


 騎士としての身の破滅。


 その言葉が、クリスの頭をよぎった。


「……まずいな」


「何がだ」


「何でもない」


「さっきから様子がおかしいぞ」


「気にするな」


「本当に何もないのか」


「ない」


 クリスは、かなり強く言い切った。


 レオンがわずかに目を細める。


「そうか」


「ああ」


「ならいいが」


 よくはない。


 まったくよくない。


 だが、今ここで詳しい事情を話せば、さらに誰かへ伝わる可能性がある。


 今は、むやみに否定も説明もしない方がいい。


 クリスは、シエラの言葉に従うことにした。

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