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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章49話 第四大隊長は祝われ続けました

――帝国暦三二一年・冬終盤 ヴェリア帝国 東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府――


■総騎士団副長府・正面入口


 翌朝。


 クリス・ラングレーは、いつもより少し遅れて副長府へ来た。


 本当は来たくなかった。


 だが、来なければ来ないで、余計に怪しまれる。


 それに、第四大隊長である以上、通常勤務を放り出すわけにもいかない。


 シエラは午後からの出勤。つまり、午前中に何か起きても、自分で何とかするしかない。


 昨日の帰り道で聞いた話が、頭に残っていた。


 婚約の噂。


 オリオン社の情報戦。


 そして、騎士としての信用。


 下手に否定すれば、「騎士に二言はない」と誓った直後に言葉を覆した部分だけが広まる可能性がある。


 だから、簡単には否定できない。


 クリスは警戒しながら、正面入口へ向かった。


「おはようございます、クリス大隊長」


「ああ」


 守衛は、いつも通り頭を下げた。


 それだけだった。


 婚約の話は出ない。


 何か言いたそうな様子すらない。


 クリスはそのまま入口を通り抜けた。


 少しだけ肩の力が抜ける。


 シエラは、すでに噂が広がり始めている可能性があると言っていた。


 だが。


「……大したことないじゃないか」


 思わず、小さく呟いた。


 昨日は警戒しすぎたのかもしれない。


 副長府中に一晩で広がるなど、いくらオリオン社でも大げさだったのだろう。


 そう思いながら、クリスは第四大隊本部へ向かった。


■第四大隊本部・廊下


 第四大隊本部へ入る。


 最初にすれ違った騎士は、普通に頭を下げただけだった。


「おはようございます、大隊長」


「ああ」


 何も言われない。


 次にすれ違った事務官も、いつも通りだった。


 やはり、大したことはない。


 そう思った直後だった。


「クリス大隊長」


「何だ」


 少し顔を知っている騎士が、足を止めた。


「ご婚約、おめでとうございます」


 クリスも止まった。


「……もう知ってるのか」


「はい?」


「いや。何でもない」


「おめでとうございます」


「ああ」


 否定はしなかった。


 そのまま歩き出す。


 一人くらいなら知っていてもおかしくない。


 どこからか話を聞いたのだろう。


 少し進む。


 今度は書類を抱えた事務官とすれ違った。


「おめでとうございます、クリス大隊長」


「……ああ」


 二人目。


 さらに進む。


「シエラさんとご婚約されたそうですね」


「……誰から聞いた」


「今朝、聞きました」


「誰からだ」


「ええと……誰でしたか」


「もういい」


「おめでとうございます」


「分かった」


 三人目だった。


 だが、それ以外の者は普通に通り過ぎていく。


 こちらを見ても、特に反応しない者の方が多い。


 クリスは少し考えた。


 どうやら、全員が知っているわけではない。


 知っている者が何人かいる。


 その程度らしい。


「……やっぱり、大したことないな」


 少なくとも、昨日想像していたほどではなかった。


 クリスは少し安心しながら、第四大隊長室へ向かった。


■第四大隊本部・第四大隊長室


 扉を開けた。


「クリス大隊長!」


 ノーラ・セイルが、すぐに立ち上がった。


「ご婚約、おめでとうございます!」


 クリスは入口で止まった。


「……お前も知ってるのか」


「もちろんです」


 ノーラは、普段より明らかに嬉しそうだった。


「本当におめでとうございます。シエラさんとですよね」


「……」


「お二人なら、とてもお似合いだと思います」


「待て」


「いつからだったんですか?」


「待て」


「昨日ですか? それとも、もっと前からですか?」


「だから待て」


「どうして今まで教えてくださらなかったんですか?」


「俺も昨日まで知らなかったんだよ」


 言ってから、クリスは止まった。


 ノーラも止まった。


「昨日、決まったのですか?」


「そういう意味じゃない」


「では、以前から?」


「違う」


 また危うく否定するところだった。


 クリスは口を閉じた。


 隣では、マルク・レイノルズが真面目な顔で立っていた。


「クリス大隊長」


「何だ」


「ご婚約、おめでとうございます」


「お前までか」


「はい」


「どこで聞いた」


「今朝には聞いていました」


「誰から」


「複数の者からです」


「複数」


「はい」


 ノーラが嬉しそうに続ける。


「シエラさんは、とても優秀な方ですし、クリス大隊長ともお仕事でよくご一緒されていますから」


「仕事ではな」


「いつも仲がよろしいですし」


「それは違う」


「そうなのですか?」


「……いや」


 クリスは額を押さえた。


 廊下では、知っている者はまだ少なかった。


 だが、自分に近い者ほど詳しい。


 嫌な傾向だった。


 どう考えても嫌な傾向だった。


 マルクが机の上を見た。


「大隊長」


「今度は何だ」


「ご婚約はおめでたいことですが、仕事は溜まっております」


「お前は平常運転だな」


「はい」


「少しは祝うか仕事か、どっちかに寄せろ」


「どちらも重要です」


「そうか」


「ですので、お祝いを申し上げた上で、仕事を頑張ってしてください」


「最悪の合わせ技だな」


 机の上には、書類が積まれていた。


 ノーラには祝われる。


 マルクからは仕事を出される。


 クリスは椅子へ座ろうとして、やめた。


「少し出る」


「どちらへ?」


「第一執務室だ」


 マルクが少しだけ目を丸くした。


「自分からですか」


「何だ、その顔は」


「いえ。今日は、第一執務室へ行かれないと思っていました」


「俺もそう思ってた」


「では、なぜ」


「ここも駄目だった」


 ノーラが笑顔で頭を下げた。


「いってらっしゃいませ」


「ああ」


「改めて、ご婚約おめでとうございます」


「もういい」


 クリスは第四大隊長室を出た。


 大したことはないと思っていた。


 どうやら、少し考えを改める必要がありそうだった。


■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 クリスは、第一執務室の前で立ち止まった。


 ここは自分に近い人間が多い。


 レオン。


 リリア。


 メリー。


 ほかにも、普段から顔を合わせる者がいる。


 第四大隊本部であれだけ知られていたのだ。


 ここも、知られている可能性は高い。


 クリスは深く息を吐いた。


 逃げても仕方がない。


 扉を開ける。


「おはよう――」


 最後まで言えなかった。


 リリア・ヴァイスが立っていた。


 柔らかな金髪に、白い肌。


 いつもの穏やかな笑顔で、クリスを見ている。


 そして。


 その両手には、花束があった。


 クリスは扉の前で固まった。


「おめでとうございます、クリスさん」


 リリアは満面の笑顔で、花束を差し出した。


「……」


 廊下で数人に祝われた。


 ノーラには盛大に祝われた。


 マルクも知っていた。


 だが。


 花束までは聞いていない。


「……リリア」


「はい」


「これは何だ」


「お祝いの花束です」


「何の」


「ご婚約のです」


 言い切られた。


 あまりにも迷いなく言い切られた。


 クリスは一瞬、否定しかけた。


 だが。


 騎士に二言はない。


 自分で口にした言葉である。


 ここで否定を重ねれば、何がどう伝わるか分からない。


 それ以前に。


 嬉しそうに花束を差し出しているリリアへ、今すぐ「違う」と言う気にもなれなかった。


「……ありがとう」


 クリスは花束を受け取った。


 リリアの笑顔が、さらに明るくなる。


「本当におめでとうございます」


「二回言うな」


「嬉しくて」


「嬉しがるな」


 第一執務室の中では、メリーもこちらを見ていた。


「おめでとうございます、クリスさん」


「メリーも知ってるのか」


「はい」


「いつからだ」


「今朝には」


「ここもか」


 マリニーファが、じっとクリスを見ていた。


「シエラさん」


「何だ」


「どうして、こんな人と……」


「本人の前で言うな」


「本人の前だから言っています」


「強いな」


 メリーが少し困ったように微笑む。


「でも、シエラさんが決めたことなら、尊重したいと思います」


「尊重する前に疑え」


「少し心配ではあります」


「それは分かる」


「シエラさんが」


「俺を心配しろ!」


 マリニーファが即座に言う。


「クリス大隊長は大丈夫でしょう」


「何がだ」


「しぶとそうですし」


「褒めてないな」


「褒めていません」


「堂々とするな」


 部屋の奥で、レオンハルト・ヴァイスが書類から顔を上げた。


 そして、穏やかな笑顔を浮かべる。


「おめでとう、クリス」


 クリスは、花束を持ったまま止まった。


 こいつには否定したい。


 ものすごく否定したい。


 だが、できない。


「……ありがとう」


 低い声で答えた。


 レオンの笑顔が深くなる。


「何か困ったことがあれば相談してくれ」


「今すぐ相談したい」


「仕事の後で聞こう」


「今聞け」


「まずは仕事優先だ」


「お前も平常運転だな」


 リリアが心配そうに首を傾げた。


「クリスさん、顔色があまりよくありません」


「朝から少しずつ追い詰められてるからな」


「緊張していらっしゃるんですか?」


「違う」


 マリニーファが冷静に言った。


「緊張している顔ではありません」


「分かってくれるか」


「追い詰められている顔です」


「分かりすぎだ」


「でも、シエラさんがかわいそうです」


「なぜそうなる」


「こんな人と婚約するなんて」


「本人の前で二回目だぞ」


 メリーが控えめに続ける。


「ただ、シエラさんは判断力のある方ですから」


「そうだな」


「そのシエラさんが選んだのでしたら、何か理由があるのだと思います」


「その理由を俺も知りたい」


「ご本人に聞いてみては」


「午後まで来ない」


「では、午後に」


「午前中をどう生きればいいんだ」


 リリアが花束を見ながら、嬉しそうに微笑んでいる。


 レオンも笑っている。


 メリーは納得したように頷いている。


 マリニーファだけは、シエラを心配している。


 誰一人として、クリスを助ける気がない。


 クリスは悟った。


 遠い人間には、まだほとんど広がっていない。


 だが、自分に近い人間には、しっかり広がっている。


 しかも、近ければ近いほど、話を信じ切っている。


「……絶望的だ」


 クリスは花束を抱えたまま呟いた。


「何か言いましたか?」


 リリアが聞く。


「何でもない」


 否定できない。


 結局、それしか言えなかった。


■第四大隊本部・第四大隊長室


 夕方。


 クリスは第四大隊長室の椅子に座っていた。


 机の上には花束が置かれている。


 リリアから渡されたものだ。


 捨てるわけにもいかない。


 持って帰るのも何か違う気がする。


 結局、机の上に置くしかなかった。


 朝のうちは、大したことがないと思っていた。


 実際、副長府へ出入りする者すべてが知っていたわけではない。


 ほとんど反応しない者もいた。


 だが。


 第四大隊の者。


 ノーラ。


 マルク。


 第一執務室の面々。


 クリスと普段から関わる者ほど、よく知っていた。


 そして近い者ほど、疑っていなかった。


 婚約した。


 完全に、そう思われている。


 マルクが書類を整えながら言った。


「大隊長」


「何だ」


「本日は大変でしたね」


「分かってるなら、もう祝うなよ」


「はい」


 ノーラが穏やかに言った。


「ですが、本当におめでたいことですから」


「お前はまだ言うのか」


「まだ一日目ですので」


「日数で数えるな」


 クリスは机に肘をつき、額を押さえた。


 そのうち飽きる。


 きっと飽きる。


 毎日毎日、同じことで騒ぐほど暇ではないはずだ。


 そう思うしかなかった。


 その時、扉が軽く叩かれた。


「失礼します」


 シエラが入ってきた。


 午後から出勤してきた本人である。


 クリスは、ゆっくり顔を上げた。


「シエラ」


「はい」


「今日、何人に祝われたと思う」


「何人ですか?」


「数えてない」


「では、分かりません」


「そういう意味じゃない」


 シエラは机の上の花束を見た。


「綺麗ですね」


「リリアからだ」


「リリアさんからですか」


「ああ」


 シエラは花束を見て、少しだけ頷いた。


「それは、否定できませんね」


「できるわけないだろ」


「よかったです」


「何がだ」


「皆さんに祝っていただけて」


「俺はよくない」


 シエラは、少しだけ首を傾げた。


「ですが、思っていたより広がっていなかったのではありませんか?」


 クリスは止まった。


「……まあな」


 入口では、何も言われなかった。


 知らない者も多かった。


「でも、俺に近い連中はほとんど知ってたぞ」


「そうですか」


「そうですか、じゃない」


「リリアさんもご存じだったのでしょう?」


「花束まで用意してた」


「よかったですね」


「よくない」


 シエラは、机の上の花束をもう一度見る。


「では、婚約は順調ですね」


「順調じゃない」


「噂としては、順調です」


「そこが駄目なんだよ」


 クリスは深く息を吐いた。


 今日一日で、よく分かった。


 噂は、副長府全体へ無差別に広がっているわけではない。


 だが、自分に近いところには確実に届いている。


 そして。


 その相手ほど、否定しにくい。


 上級調査員の手続きは、まだ何一つ始まっていない。


 それなのに。


 婚約者扱いだけは、着実に進んでいる。


 クリス・ラングレーは、机の上の花束を見ながら静かに思った。


 今日も、いいことは何一つなかった。


 シエラが首を傾げる。


「クリスさん」


「何だ」


「明日も、よろしくお願いします」


「何をだ」


「婚約者として」


「やめろ」


 第四大隊長は、心の底から思った。


 やはり、あれはデートではなかった。


 そして。


 もう、デートではないと言って済む段階でもなかった。

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