第2章46話 事実の並べ方
――帝国暦三二一年・冬中頃 ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 ロングの町――
■ロングの町・乗合馬車停留所
クリス・ラングレーは、ロングの町の停留所で乗合馬車を降りた。
隣には、シエラがいる。
今日は、シエラと出かける日だった。
シエラ本人からは、デートだと言われている。
第一執務室でも、完全にデートとして扱われていた。
だが、クリスにそのつもりはない。
行き先は、シエラの実家が営んでいるオリオン社の本社である。
目的は、上級調査員として問題がないか確認を受けるための面談だった。
シエラが何と言おうと、第一執務室の者たちが何と言おうと、仕事のために二人で出かけているだけだ。
決して、シエラとのデートでも、実家への挨拶でもない。
昨日の第一執務室でも、そのことをきちんと説明するつもりだった。
結局、説明することはできなかったが。
「確認しておくぞ」
クリスは、停留所から歩き出しながら言った。
「はい」
「今日は、上級調査員として問題がないか、確認を受けるんだよな」
「そうです」
「前に話していた、正式な推薦を進めるための面談だな」
「はい」
「それ以外の話はないな」
「ないと思います」
「思います、なのか」
シエラは資料鞄を抱え直した。
「父や母が、別の話をする可能性はあります」
「別の話?」
「近況などです」
「それくらいなら構わない」
「では、問題ありません」
「本当だな」
「はい」
シエラは迷いなく頷いた。
クリスは、少しだけ安心した。
第一執務室で語られていたような、実家への挨拶ではない。
あくまで仕事である。
上級調査員になれば、これまでよりも広い範囲の情報を扱えるようになる。
副長府や騎士団で必要になる情報も増える。
報酬も上がる。
悪い話ではない。
「面談では、何を聞かれる」
「これまでの活動や、今後もオリオン社へ協力する意思があるかを確認されると思います」
「普通だな」
「はい」
「情報の扱いについても聞かれるのか」
「可能性はあります」
「それなら答えられる」
「基本的には、聞かれたことを肯定しておけば大丈夫です」
クリスは足を止めかけた。
「待て」
「はい」
「今、何と言った」
「基本的には、聞かれたことを肯定しておけば大丈夫です」
「面談で、何でもはいはい答えていいのか」
「問題のあることは聞かれません」
「本当か?」
「たぶん」
「急に不安になってきたぞ」
シエラは少しだけ首を傾げた。
悪びれている様子はない。
「私も一緒にいます」
「それで安心できるかどうかを考えている」
「安心してください」
「自分で言うな」
二人は、ロングの町の中心通りから少し外れた道へ入った。
建物の数が少しずつ減り、倉庫や作業場のような建物が増えていく。
大きな荷車。
積み上げられた木箱。
荷札を手に行き交う者たち。
町の外れに近いが、人の動きは多い。
しばらく歩くと、見覚えのある石造りの建物が見えてきた。
以前にも訪れた、オリオン社の本社だった。
派手ではないが、しっかりとした造りをしている。
入口の上には、オリオン社と書かれた看板が掲げられていた。
シエラが入口の扉を開ける。
「ただいま戻りました」
その声を聞き、奥から一人の女中が出てきた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま戻りました」
女中はシエラへ頭を下げたあと、クリスにも丁寧に一礼する。
「クリス・ラングレー様ですね。お待ちしておりました」
「ああ。お邪魔します」
「旦那様方が、応接室でお待ちです」
女中が奥へ案内しようとする。
クリスは、建物の奥へ続く廊下を見た。
「そういえば、ここが本社なら、家の方は別なのか」
「住居部分は、会社の裏側にあります」
シエラが答えた。
「中でつながっているのか」
「はい」
「今日は会社側で話をするんだな」
「そのはずです」
「そのはずをやめろ」
女中は何も聞かなかったような顔で、二人を奥へ案内した。
■ロングの町外れ・オリオン社本社・応接室
案内されたのは、以前にも入った応接室だった。
大きな卓。
厚みのある椅子。
壁際には資料棚が並んでいる。
室内には、すでに三人が座っていた。
シエラの父。
シエラの母。
そして、兄のエリオ。
父親は穏やかな笑みを浮かべていた。
だが、相手の返答を一つも聞き逃さないような、商人らしい目をしている。
母親は柔らかな笑顔を絶やさない女性だった。
その笑顔を見ているだけなら、今日の話に何の危険もないように思える。
兄のエリオの表情には生真面目さが強く表れていた。
シエラの父と母に会うのは初めてではない。以前に訪れた時にも会っている。
だが、エリオと顔を合わせるのは初めてだった。
三人とも、明らかに二人を待っていた。
クリスは少しだけ嫌な予感を覚えた。
「よく来てくれた、クリス君」
シエラの父が立ち上がった。
「またお世話になります」
「いや、こちらこそ。娘が世話になっている」
続いて、母親が微笑んだ。
「また来てくれて嬉しいわ」
「こちらこそ、お邪魔します」
最後に、エリオが立ち上がる。
「兄のエリオです。初めまして」
「クリス・ラングレーです」
「妹が世話になっています」
「いえ」
「話は聞いています」
「そうですか」
何の話を聞いているのか。
そこが問題だった。
クリスは少しだけシエラを見る。
シエラは平然としている。
上級調査員の面談だ。
シエラもそう言っていた。
おそらく問題はない。
「こちらへ座ってくれ」
シエラの父に促され、クリスはシエラと並んで座った。
向かい側には、父、母、兄の三人が並ぶ。
完全に面談の形である。
いや。
面談にしては、空気が妙に温かい。
そこがまた怖い。
「さて」
シエラの父が口を開いた。
「今回、シエラから送られてきた情報は、すべて確認した」
「はい」
「実に素晴らしいものだった」
「ありがとうございます」
クリスは軽く頭を下げた。
「俺は、シエラが集めた情報を一緒に確かめた、それだけです」
「その確認が重要なのだよ」
父は頷いた。
「何をするにしても、まず正しい情報が必要になる」
「はい」
「情報が間違っていれば、その後にどれほど優れた判断を重ねても、すべてが誤った方向へ進む」
「それはそうですね」
「情報を利用することも大切だ」
父親の目が、わずかに鋭くなる。
「だが、その土台となる情報が正しいものでなければ、利用する価値もない」
母親も静かに頷いた。
「正しい情報がなければ、誰かを助けることも、誰かから身を守ることもできませんからね」
「今回の情報は、以前のものよりも精度が格段に高かった」
エリオも手元の資料へ目を落とした。
「複数の情報が照合され、事実と推測がきちんと分けられていました」
「そうですか」
「シエラの調査や分析だけでも優秀です。ですが、クリス君の立場だからこそ入ってくる情報が加わると、得られる内容や価値が大きく変わる」
「俺の立場?」
「副長府の大隊長であり、複数の騎士団関係者と日常的に接している」
「まあ、そうですね」
「外部の調査員では、簡単に確認できない情報も得られる」
「勝手に漏らしているわけではありませんよ」
「分かっています」
エリオは真面目な顔で頷いた。
「提供してよい範囲を守ったうえで、事実関係を確かめてもらっている。それだけでも十分に価値があります」
「なら、よかったです」
「シエラが集めた情報を、クリス君が確認する」
「クリス君が得た情報を、シエラが別の情報と照合して分析する」
「二人で動けば、一人では得られない、より正確な情報が入ってくる」
「そういうことになりますね」
クリスは頷いた。
上級調査員としての評価は悪くないらしい。
むしろ、かなり高く評価されている。
これなら面談も問題なく終わるだろう。
シエラの父は、満足そうに二人を見た。
「それに、シエラから届いた手紙も読んだ」
クリスは、わずかに眉を寄せた。
「手紙?」
「以前、この前一緒に来たクリス君とは、その後どうしているのかと尋ねたのだ」
父はシエラを見る。
「シエラは、きちんと返事をくれた」
「はい」
「何て書いたんだ?」
クリスが尋ねると、シエラはいつもの調子で答えた。
「クリスさんとは、仲良くやっています、と」
クリスは一度だけ瞬きをした。
「ほかには」
「先日は、オリオン社へ送る情報が正しいかどうかを確認するため、二人だけで半日ほどずっと作業したと書きました」
「どこで、ということも書いたのか」
「はい」
「何と書いた」
「人の出入りがない資料室で、二人だけでずっと作業していました、と」
クリスは、向かいにいる三人を見た。
父は満足そうだった。
母は嬉しそうに微笑んでいる。
エリオは真剣な顔で頷いている。
これは、かなりまずい気がする。
「シエラ」
「はい」
「ほかには何と書いた?」
「それから、仲も以前よりかなり進展しています、と」
クリスは目を閉じた。
「お前、それを手紙に書いたのか」
「はい」
「どういう意味で書いた」
「仕事上の連携と信頼関係がより進んだという意味です」
「それを説明したか」
「いえ、書いていません」
「書け」
シエラは少しだけ首を傾げた。
「必要でしたか?」
「必要だった結果が、今ここに出ているだろ」
母親が、にこやかに口を開いた。
「二人きりで半日も過ごして、仲もかなり進展したのでしょう?」
「情報の確認をしていただけです」
「はい、分かっていますよ」
「本当に分かっていますか?」
「もちろん、良くわかっています」
まったく分かっていない顔だった。
父も大きく頷く。
「仕事を通じて互いを良く知る、これはとても良いことだ」
「そういう話ではありません」
「同じ目的へ向かって、二人で力を合わせられる。それは本当に大切なことだ」
「今は情報の話ですよね」
「もちろんだ」
父は迷いなく答えた。
「情報の話でもあり、二人の将来の話でもある」
「後半がおかしい」
クリスは隣のシエラを見る。
シエラは平然としていた。
「お前は、何とも思わないのか」
「手紙には事実しか書いていません」
「事実の並べ方に問題があると言ってるんだ」
「そうでしょうか?」
「そうだ」
エリオが、小さく息を吐いた。
「最初は、クリス君をライバルだと思っていました」
「ライバル?」
「はい」
話題が変わった。
クリスは少しだけ安心した。
おそらく、調査員としての競争の話だろう。
「シエラが、随分とあなたを高く評価していましたから」
「そうなんですか」
クリスはシエラを見る。
シエラは視線を逸らさなかった。
「とても評価しています」
「そうか」
言い方が真面目すぎて、逆に反応に困る。
エリオは少し苦笑した。
「私は、シエラに負けたくないと思っていました」
「調査員としてですか?」
「それだけではありません」
「それだけではない?」
「会社の後継者としてもです」
クリスは、わずかに眉を寄せた。
上級調査員の面談で、なぜ会社の後継者の話が出てくるのか。
だが、オリオン社の内部事情も知っておくべきなのかもしれない。
クリスは、ひとまず黙って聞くことにした。
「私とシエラは、どちらがこのオリオン社、父の後を継ぐのか、互いに意識していました」
「そうだったんですか」
「はい」
「私は、シエラ一人なら負けないと思っていました」
「兄さん」
シエラが静かに呼ぶ。
エリオは手元の資料へ視線を落とした。
「ですが、今回の情報を見て、考えが変わりました」
「何がですか?」
「シエラ一人なら、私にも勝ち目はあったかもしれません」
「けれど、クリス君とシエラが組めば、私一人では到底勝てない」
「そこまでですか」
「そこまでです」
エリオは、はっきりと言った。
「情報の量も、精度も、得られる角度もまるで違う」
「会社にとって、二人が一緒に動く利益は計り知れない」
「そう評価してもらえるのは、ありがたいです」
上級調査員になれば、今後もシエラと協力することになる。
その組み合わせが評価されているなら、悪い話ではない。
「ですから、私は納得して身を引きます」
エリオが言った。
「身を引く?」
「はい」
「私は、二人と争うのではなく、二人を支える側へ回ろうと思います」
「そこまでしなくてもいいんじゃないですか」
「すべて会社のためです」
エリオの顔は真剣だった。
「自分が一番上に立つことよりも、会社にとって最善の形を選ぶべきだと判断しました」
「立派ですね」
クリスは素直に言った。
上級調査員の一人を、会社の後継者候補がわざわざ支援してくれる。
そういう話なのだろう。
少し大げさな気もするが、情報を扱う会社では、それほど上級調査員という存在が重要なのかもしれない。




