第2章幕間9 その会報、どこで買えますか
――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――
■総騎士団副長府庁舎・廊下
肖像画事件の余波が、ようやく落ち着きかけた頃。
第一執務室の一部では、別の問題が静かに発生していた。
姫様会報である。
「フィアナさん」
ココが、少しだけ声を潜めて言った。
フィアナは、書類を抱えたまま隣を見る。
「どうしたの?」
「姫様会報というものがあるらしいです」
フィアナは足を止めた。
「姫様会報?」
「はい」
「何それ」
「詳しくは分かりません。でも、リリアさんのことがいろいろ書いてあるらしいです」
ココは真剣だった。
普段の柔らかい雰囲気はあるが、目が少しだけ本気になっている。
「リリアさんのこと?」
「はい。近況とか、姿絵とか、最近のお仕事の様子とか、青いリボンの話とか、そういうものが載っているらしいです」
「欲しい」
フィアナは即答した。
ココも、力強く頷く。
「私も欲しいです」
「どこで買えるの?」
「そこまでは分かりません」
「分からないの?」
「会報があるらしい、というところまでしか」
「でも、あるんだよね?」
「あるらしいです」
フィアナは少し考えた。
姫様会報。
名前だけで強い。
リリアの近況。
リリアの姿絵。
リリアの青いリボン。
そういうものが載っている紙。
それは、欲しい。
かなり欲しい。
「誰か、知ってそうな人はいないかな」
「います」
ココは即答した。
「誰?」
「ライさんです」
少し先の廊下を、書類を抱えたライが歩いていた。
フィアナとココは、迷わずそちらへ向かった。
「ライさん」
ココが声をかける。
ライは振り返った。
「はい。どうしました?」
「姫様会報というものがあると聞きました」
ライの表情が、わずかに変わった。
驚きというより、納得に近い顔だった。
「あります」
「本当にあるんですか!」
フィアナが一歩近づく。
「はい。あります」
「どんなものなんですか?」
ココが聞いた。
ライは、少しだけ姿勢を正した。
「中身が素晴らしいです」
「素晴らしい」
「はい。リリアさんの姿絵、近況、日々のご様子、何気ないお言葉、身につけていた小物の記録など、非常に情報量が多いです」
フィアナとココの目が、同時に輝いた。
「姿絵があるんですか」
「あります」
「近況も?」
「あります」
「青いリボンの話も?」
「あります」
「欲しい」
フィアナが言う。
「欲しいです」
ココも言う。
ライは、少し困った顔になった。
「お気持ちは分かります」
「ライさんは持っているんですか?」
「毎月買っています」
「毎月?」
「はい。姫様会報は毎月出ています」
フィアナとココは、また顔を見合わせた。
毎月。
つまり、一度買えば終わりではない。
毎月、新しいリリアの情報が出る。
それは、ますます欲しい。
「じゃあ、ライさんにお願いすれば買えますか?」
フィアナが聞いた。
ライは、少しだけ申し訳なさそうに首を横に振った。
「難しいです」
「どうしてですか?」
「会報は、基本的に一人一冊しか買えません」
「一人一冊……」
「はい。それに、欲しい人の数に対して、会報の数が少ないんです。在庫も、あまり残りません」
「そんなに?」
「はい。毎月買っていますが、自分の分を確保するだけでも簡単ではありません」
「会報なのに?」
「姫様会報ですので」
ライは真顔で言った。
その言い方があまりにも自然だったので、フィアナもココも、少し納得しかけた。
その時、後ろから声がした。
「何の話をしてるんだ」
振り向くと、クリスが立っていた。
第四大隊長クリス・ラングレーである。
フィアナとココとライが、そろって振り返った。
「クリスさん」
「おう。三人で何をそんなに真剣に話してる」
「姫様会報の話です」
ココが答えた。
クリスは、少しだけ目を細めた。
「あれか」
「知ってるんですか?」
フィアナが聞く。
「知ってる」
「私たち、欲しいんです」
「お前らまで、あれが欲しいのか」
「欲しいです」
「欲しいです」
二人は即答した。
クリスは、ライを見る。
ライは静かに頷いた。
「中身が素晴らしいので」
「お前も普通にそっち側だな」
「必要な資料です」
「資料なのか、それ」
「資料です」
ライは真顔だった。
クリスは、それ以上突っ込むのをやめた。
この顔の相手に言っても、話が進まない。
「本人に聞けばいいだろ」
クリスは、フィアナとココを見る。
「リリアに聞けばいいじゃないか。好きなお菓子でも、リボンでも、最近のことでも」
フィアナとココは、同時に首を横に振った。
「そんな簡単に聞けません」
「恥ずかしいです」
クリスは、二人を見た。
少し黙る。
そして言った。
「お前ら、普通に抱きついてるだろ」
「それとこれは別です」
「別です」
「別なのか?」
「別です」
「別です」
二人に即答され、クリスは少しだけ頭を押さえた。
抱きつくのはいい。
だが、質問するのは恥ずかしい。
よく分からない。
だが、この二人の中では、明確に違うらしい。
「ライ。何とかならないのか」
クリスが聞く。
ライは首を横に振った。
「先ほども言いましたが、会報は基本的に一人一冊です。それに、欲しい人の数に対して、数が少なすぎます」
「そんなに競争が激しいのか」
「はい。在庫が残ることもありますが、あまり多くはありません」
「会報なのに」
「姫様会報ですので」
「またそれか」
クリスは息を吐いた。
少し考える。
「じゃあ、直接行ってみればいいんじゃないか」
「どこへですか?」
ココが聞く。
「売ってるところだ。会報があるなら、そこにあるんだろ」
フィアナとココの顔が明るくなる。
ライは少しだけ考えた。
「在庫があるかは分かりませんが、聞いてみることはできます」
「行きます」
「行きたいです」
二人は迷わなかった。
クリスは軽く肩をすくめる。
「じゃあ、行くか」
「案内します」
ライが歩き出す。
クリスは、以前行ったことのある部屋の方向へ進もうとした。
だが、すぐにライが止めた。
「クリスさん。そちらではありません」
「何?」
「そこはもう分室です。会報の販売はしていません」
「……もう分室になってるのかよ」
クリスは思わず呟いた。
前に見た時点で、すでに妙な部屋だった。
だが、もう分室。
増えるのが早い。
早すぎる。
フィアナとココは、意味が分からないまま感心していた。
「分室まであるんですね」
「すごいです」
「すごいで済ませるな」
クリスは小さく言った。
ライは慣れた足取りで廊下を進む。
少し奥まった場所に、一つの部屋があった。
扉の前には、若い親衛隊員が立っている。
門番のような立ち姿だった。
ライは、その前で足を止めた。
「姫様のために」
ライが言う。
門番の親衛隊員が、すぐに答えた。
「姫様のために」
フィアナとココは、目を輝かせた。
「すごい」
「本格的です」
クリスは額を押さえた。
「なんだこれ」
「親衛隊同士の挨拶です」
ライが答える。
「普通に言うな」
門番の親衛隊員は、ライを見る。
「同志ライ。どうした」
「こちらの二人が、姫様会報を欲しがっています」
ライが、フィアナとココを示した。
門番の親衛隊員は、二人を見る。
「この二人は親衛隊員か?」
「まだ違います」
「ならば、会報は売れない」
即答だった。
フィアナとココの表情が固まる。
「売れないんですか?」
フィアナが聞く。
「売れない」
「在庫がないからですか?」
ココが聞く。
「在庫はまだある」
「あるんですか!」
二人の顔が明るくなる。
だが、門番の親衛隊員は表情を変えなかった。
「しかし、会報を買えるのは親衛隊員のみだ」
「親衛隊員のみ……」
フィアナが呟く。
ライが、少し考えて口を開いた。
「では、僕が購入して、二人に渡すというのは」
フィアナとココの顔が、ぱっと明るくなった。
だが、門番の親衛隊員は首を横に振る。
「それは駄目だ、同志」
「やはりですか」
「規約にある。会報を親衛隊員以外の者に譲渡、貸与してはならない」
「そうでした」
ライは申し訳なさそうにフィアナとココを見る。
「すみません。駄目でした」
「譲るのも駄目なんですか?」
ココが聞く。
「駄目だ」
「貸してもらうだけでも?」
「駄目だ」
「少し見るだけでも?」
「駄目だ」
「厳しい……」
フィアナが小さく呟いた。
クリスも同じことを思った。
「すげえ厳しいな」
「当然です」
門番の親衛隊員は、真顔で答えた。
「姫様会報は、軽々しく外部へ流してよいものではありません」
「会報だろ」
「姫様会報です。軽々しく扱えば、誰の手に渡るか分かりません」
「強いな、その言葉」
クリスは少し引いていた。
フィアナとココは、しばらく沈黙した。
そして、ほぼ同時に顔を上げた。
「じゃあ、私たち親衛隊になります」
「私もなります」
クリスが振り向いた。
「いいのか?」
「いいです」
「いいです」
「そんな軽くていいのか?」
「どうせ、もともと親衛隊みたいなものですから」
フィアナが言った。
ココも頷く。
「リリアさんのためなら、問題ありません」
クリスは、かなり嫌そうな顔をした。
「すごいな。迷いがない」
ライが門番の親衛隊員に確認する。
「女性でも入れますか」
「女性が駄目とは、規約には書かれていない」
「では、入隊希望者として扱えますか」
「意思があるなら、中で誓約書を書いてもらう」
門番の親衛隊員は、扉を少し開けた。
「入るか」
「入ります」
「入ります」
フィアナとココは、軽い足取りで中へ入ろうとした。
クリスも、何となく一歩進む。
すると、門番の親衛隊員が片手を出して止めた。
「あなたは入れません」
「前は入れただろ」
「あれは特別です」
「特別?」
「親衛隊員でない者は、原則として中へ入れません。徽章を持たない者は、基本的に入室できません」
「俺は第四大隊長だぞ」
「関係ありません。ここでは、あなたは部外者です。部屋に入る資格がありません」
「部外者……」
「親衛隊員ではありません」
クリスは言葉に詰まった。
納得はできない。
だが、相手は当然のように言っている。
ライが横から小さく言った。
「クリスさん。入隊手続きの時だけ、特別に入れるようです」
「俺も入隊すれば入れるのか?」
「入るんですか?」
「入らない」
「では、待機ですね」
クリスは扉の前に残された。
ライも外に残る。
中に入ったのは、フィアナとココだけだった。
扉が閉まる。
* *
クリスは腕を組んだ。
「……何を見せられてるんだ、俺は」
「姫様会報の入手手続きです」
「会報を買うだけで、ここまで来るのか」
「姫様会報ですので」
「もうそれで全部押し切るな」
しばらくして、扉が開いた。
フィアナとココが出てくる。
二人とも、満面の笑みだった。
それぞれ、大事そうに一冊の冊子を抱えている。
「手に入りました!」
「買えました!」
二人の声は弾んでいた。
クリスは、二人の表情を見て少し引いた。
本当に嬉しそうだった。
紙の冊子を手に入れただけとは思えないほど、満足している。
「そんなにいいものなのか」
「すごいです」
フィアナが冊子を胸に抱えたまま言う。
「リリアさんの姿絵がたくさんあります」
「近況も書いてあります」
ココも嬉しそうに言った。
「青いリボンの記録もありました」
二人は、そっと会報を開いた。
ほんの少しだけ中身を確認しただけで、フィアナの顔がさらに明るくなる。
「すごいですね」
「はい。姿絵が素晴らしいです」
「近況も、すごく細かく書いてあります」
「これを毎月買えたら、とても嬉しいです」
ココが、会報を大事そうに抱え直して言った。
ライは、その言葉に少しだけ真面目な顔になる。
「今月はうまく買えたかもしれませんが、毎月買えるとは限りません」
「そうなんですか?」
「はい。さっきも言いましたが、会報は欲しい人に対して数が少ないんです。だから、確実に買うために、みんな徽章を手に入れようとしているんです」
「徽章……」
フィアナが呟く。
「ちなみに、徽章があると購入価格もかなり下がります」
「そうなんですか?」
ココが聞く。
「はい。徽章がある場合は、銅貨一枚です」
フィアナとココは顔を見合わせた。
「私たち、銀貨一枚払いました」
「私も銀貨一枚でした」
「十倍ですね」
ライは静かに言った。
クリスが眉を寄せる。
「知っていたが、徽章があるかないかで、そんなに違うのか」
「はい。徽章の有無で値段が今は十倍違います。前は倍くらいだったんですが」
「会報で?」
「姫様会報ですので」
「それ、便利な言葉だな」
フィアナは、自分の会報を大事そうに抱え直した。
「徽章は、どうすれば手に入るんですか?」
「一番早いのは、誰かから売ってもらうことです」
ライは、少しだけ声を落とした。
「ただ、今は徽章の価値がものすごく上がっています。売ってくれる人は、まずいません」
「売ってもらうと、どのくらいするんですか?」
ココが聞いた。
ライは、自分の胸元を少しだけ押さえた。
「僕のこれは、銀貨二枚でした」
「銀貨二枚」
「当時でも、一番安い方です。今なら、おそらく金貨五枚はすると思います」
フィアナとココが、そろって目を丸くした。
「金貨五枚……」
「それって、一か月分の給料くらいですか?」
「だいたい、そのくらいですね」
ライは真面目に頷いた。
クリスが横から口を挟む。
「会報を安く買うための徽章が、給料一か月分なのか」
「姫様会報ですので」
「もう何でもありだな」
ライは気にせず続けた。
「もちろん、活動実績を積めば、新しく徽章が作られた時にもらえる可能性があります。あるいは、かなり安く譲ってもらえるかもしれません」
「新しく作られるんですか?」
「いずれは。ただ、いつになるかは分かりません」
「どのくらい足りないんですか?」
ココが聞いた。
ライは少し考えてから答える。
「今、親衛隊員はだいたい三百人から四百人ほどいると言われています」
「そんなにいるんですか」
「はい。ですが、最初に作られた徽章は百五十個しかありません」
「半分もない……」
「だから希少なんです」
ライは、そこで少しだけ誇らしげな顔をした。
「ちなみに、僕の徽章は通し番号百五十番です」
「百五十番?」
「初期徽章の最後の番号です」
フィアナとココは、素直に感心した。
「すごいです」
「貴重なんですね」
「はい」
ライは、静かに胸を張った。
「かなり貴重です」
クリスは、その横顔を見て呟いた。
「お前、今ちょっと自慢したな」
「事実です」
「否定しないのか」
「姫様のために正式に認められた証ですので」
「強いな、徽章」
「はい。強いです」
ライは真顔で頷いた。
「徽章があると、会報が安く買えるだけではありません。一部の資料閲覧、会合への参加、優先購入など、いろいろ特典があります」
「特典」
フィアナとココの目が、また輝いた。
クリスは嫌な予感がした。
「おい。まさか、お前ら」
「活動します」
「頑張ります」
「会報のために?」
「リリアさんのために」
「リリアさんのために」
二人はきっぱり言った。
クリスは、額を押さえた。
会報を欲しがっただけだった。
それだけだったはずだ。
だが、気づけば二人は親衛隊に入り、会報を手に入れ、さらに徽章を目指そうとしている。
流れが早い。
早すぎる。
ライは満足そうに頷いていた。
「同志が増えるのは、よいことです」
「お前もそっち側か」
「僕は、姫様のためにできる範囲で協力しているだけです」
「それをそっち側って言うんだよ」
クリスは、満面の笑みで会報を抱えるフィアナとココを見た。
そして、少しだけ遠い目をした。
「……親衛隊、恐るべし」
その日、第四大隊長クリス・ラングレーは理解した。
姫様会報は、人を増やす。
しかも、かなり自然に増やす。




