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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章幕間7 リリア誘拐事件

――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――


 ■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


「姫様がさらわれました!」


 昼。


 総騎士団副長府庁舎の廊下に、ライの大声が響いた。


「姫様が誘拐されました!」


 その声は、当然のように第一執務室にも届いた。


 レオンハルト・ヴァイスは、書類から顔を上げた。


 次の瞬間、椅子を蹴るように立ち上がる。


「何だと!」


 近くにいたクリスも、目を見開いた。


「おい、今の聞いたか」


「聞いた」


「姫様って、リリアだよな」


「それ以外にいるか!」


 レオンは即座に扉へ向かった。


「衛兵隊を――」


 そこまで言って、動きが止まった。


 クリスが眉をひそめる。


「どうした」


「……衛兵隊は、俺が解散させたんだった」


「お前」


「なら、近衛を動かす」


 レオンはそう言いかけて、また止まった。


 クリスの表情が、さらに険しくなる。


「今度は何だ」


「……近衛は全員、夜勤に回した」


「お前」


「昼間はいない」


「誘拐事件が昼に起きたらどうするつもりだったんだよ?」


「今、それを考えている」


「遅い」


 クリスは、心底呆れた顔をした。


 レオンは顔をしかめる。


 だが、今は反論している場合ではない。


 姫様がさらわれた。


 ライがそう叫んだ。


 つまり、リリアに何かあった可能性がある。


「なら、俺が行く」


 レオンはそう言って、一歩踏み出した。


 そして、三度目に止まった。


 クリスが、今度は警戒するような顔になる。


「……まだ何かあるのか」


「ある」


「何だ」


「イリスに、この書類は昼までに終わらせてくださいと言われている」


 クリスは黙った。


 机の上には、処理途中の書類が積まれている。


 確かに、イリスが朝から何度も確認していた書類だった。


「妹と仕事、どっちが大切なんだ」


「もちろんリリアだ」


「なら行け」


「だが、イリスが怖い」


「そっちかよ」


 クリスが思わず突っ込んだ。


 レオンは真剣だった。


 かなり真剣だった。


「リリアは大切だ」


「ああ」


「当然、助けに行く」


「ああ」


「だが、昼までに終わらせると約束した書類を放置した時のイリスも怖い」


「今、誘拐事件の話をしているんだぞ」


「分かっている」


「本当に分かっているのか」


「分かっているから困っている」


 レオンは扉と机の上の書類を交互に見た。


 妹。


 仕事。


 イリス。


 優先順位は分かっている。


 分かっているのだが、最近のイリスは静かな時ほど怖い。


 その時、第一執務室の扉が開いた。


 廊下の向こうから、リリアとフィアナとココが談笑しながら戻ってくる。


 リリアは少し不思議そうに、立ち尽くすレオンを見た。


「お兄様、どうかしたんですか?」


 レオンとクリスの動きが、同時に止まった。


「……リリア」


「はい」


「無事か?」


「はい?」


 リリアは首を傾げた。


 少しブラウンが混じった長い金髪が、肩の上で柔らかく揺れる。


 青いリボンも、いつも通り髪に結ばれていた。


 誘拐された様子は、まったくない。


 むしろ、つい先ほどまでフィアナとココと穏やかに話していた顔である。


 クリスが小さく言った。


「あれ?」


 レオンは、ゆっくりクリスを見た。


「どういうことだ、クリス」


「俺に聞くな。確かにライが姫様がさらわれたって叫んでた」


「リリアはここにいる」


「いるな」


「では、誰のことだ」


 その言葉で、レオンとクリスは同時に顔を見合わせた。


 姫様。


 この庁舎内で、リリア以外にそう呼ばれそうな人物。


 普通なら、いない。


 だが、まったく可能性がないとも言い切れない。


「まさか」


「イリスか?」


 二人は、ほぼ同時に走り出した。


 リリアは目を瞬かせる。


「え?」


 フィアナとココも顔を見合わせた。


「何かあったんでしょうか?」


「分かりません」


 リリアは少しだけ困った顔で、走り去る兄の背中を見送った。


 ■総騎士団副長府庁舎・イリス個室


 レオンとクリスは、ほとんど勢いのままイリスの個室前まで来た。


 ノックをする余裕もない。


 レオンは扉を開けた。


「イリス!」


 中では、イリスが昼食を取っていた。


 机の上には、まだ食事が並んでいる。


 そばにはメイドのメリッサがいて、ちょうどイリスと何かを話していたところだった。


 突然扉が開いたため、イリスもメリッサも驚いた顔でこちらを見る。


「……レオン?」


 イリスが、匙を持ったまま固まった。


 メリッサも目を丸くしている。


 部屋の空気が、一瞬止まった。


 レオンも止まった。


 クリスも止まった。


 イリスは無事だった。


 さらわれていない。


 むしろ、昼食中である。


 しかも、メリッサと話していたところに飛び込んでしまった。


 イリスは、少しだけ目を細めた。


「まだ昼休み時間ですよね?」


 静かな声だった。


 静かすぎて、逆に怖い。


 レオンは短く息を吐いた。


「すまない」


「急用ですか?」


「急用だと思った」


「思った、ですか」


「……違ったようだ」


「そうですか」


 イリスは匙を置いた。


「では、扉を閉めていただけますか。休憩中ですので」


「すまない」


 レオンは、静かに扉を閉めた。


 廊下に出る。


 クリスも続く。


 扉が閉まった瞬間、レオンはクリスを睨んだ。


「本当なのか」


「だから俺を睨むな。俺も聞いたんだよ」


「ライを捕まえる」


「それがいい」


 二人は来た道を戻った。


 ■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 リリアは無事だった。


 イリスも無事だった。


 では、ライが言った姫様とは誰なのか。


 レオンとクリスは、いったん第一執務室へ戻った。


 クリスは、執務室内にいる女性たちを順番に見た。


 メリー。


 そして、他数人の女性書記官。


 少し黙って考えた。


「……この執務室の中で、他に姫様と呼ばれそうなのは」


「リリア……いや、リリア以外にはいないな」


 空気が止まった。


 メリーが、ゆっくり顔を上げる。


「クリスさん」


「何だ?」


「さっきの言葉は、何ですか?」


「いや、確認しただけだ」


「確認された側は、少し傷つきました」


「そういう意味じゃない」


「どういう意味でも、少し失礼です」


 周囲の女性書記官たちも、静かにクリスを見ている。


 空気が、じわじわと悪くなった。


 クリスは、第一執務室の女性陣を少しだけ敵に回した。


 レオンは頭を押さえる。


「今はその話をしている場合ではない」


「お前、助けろよ」


「自業自得だ」


「ひどいな」


「ライを探す」


 レオンは廊下へ出た。


 クリスは女性陣からの冷たい視線を背中に受けながら、それに続いた。


 ■総騎士団副長府庁舎・廊下


 ライは、まだ廊下を走っていた。


 その手には、何やら小さな紙束がある。


 レオンはすぐに声をかけた。


「ライ!」


 ライは振り返った。


「あ、レオン副長」


「嘘はやめろ」


「何のことですか?」


「姫様がさらわれたと言っただろう」


「言いました」


「リリアはいる。イリスもいる」


「はい」


「第一執務室にも該当者はいない」


「はい?」


「余計な被害も出た」


「何の話ですか?」


「気にするな」


 レオンは深く息を吐いた。


「それで、誰がさらわれた?」


 ライは、一瞬きょとんとした。


 そして、真顔で言った。


「姫様です」


「だから、その姫様はどこにいる」


「いえ、違います。姫様ご本人ではありません」


 レオンは、ゆっくり目を細めた。


 クリスも嫌な予感がした顔になる。


「では、何だ?」


「親衛隊室に飾っていた、姫様の肖像画が盗まれたんです」


 沈黙が落ちた。


 レオンは、しばらくライを見た。


 クリスも、しばらくライを見た。


「……肖像画」


「はい」


「リリア本人ではなく」


「はい」


「イリスでもなく」


「はい」


「肖像画」


「はい。姫様がさらわれました」


「言い方を変えろ!」


 レオンの声が廊下に響いた。


 ライは少し驚いたように肩を揺らした。


「ですが、重大事件です。姫様がさらわれたんですよ」


「人じゃねえし」


 クリスが即座に突っ込んだ。


「人ではありませんが、姫様です」


「肖像画だろ!」


「姫様の肖像画です」


「そんなに貴重なものなのか」


 クリスが呆れたように聞く。


 ライは、少しだけ表情を引き締めた。


「はい。普通の姿絵とは違います」


「違うのか」


「はい。個人で持つ小さな絵は、だいたい姿絵と呼ばれています。会報の特典につくものや、机に入れておくようなものですね」


「机に入れておくやつがいるのか」


「います」


「いるのか」


「ですが、今回盗まれたものは肖像画です。親衛隊室の礼拝堂に飾られていた、かなり格式のある品です」


「礼拝堂」


「はい。親衛隊室の奥に、親衛隊員たちが礼拝堂と呼んでいる一角があります」


「本当に礼拝してるのか」


「祈る者もいます」


「引くな」


「ですが、そこに飾られていた肖像画です。個人の所有物というより、親衛隊全体でお守りしていたものに近いです」


「絵なのに守っていたのか」


「姫様の肖像画ですから」


「またそれか」


 レオンは額を押さえた。


「俺はリリアが誘拐されたと思った」


「それは大変ですね」


「お前のせいだ」


 クリスは、頭を押さえながら言った。


「もういい。俺は興味ない」


「クリスさん、協力してください」


「嫌だ」


「犯人を探しているんです」


「親衛隊で探せ」


「もちろん探しています。ただ、外部の目も必要です」


「俺は外部じゃない。巻き込まれただけだ」


「では、巻き込まれた外部の目としてお願いします」


「言い直しても嫌だ」


 ライは、まったく引く気配がなかった。


 レオンは疲れた顔で言う。


「クリス、行ってこい」


「何で俺が」


「俺は衛兵隊と近衛とイリスの件で今、かなり疲れている」


「ほとんど自分のせいだろ」


「行ってこい」


「おい」


 クリスはしばらくレオンを見た。


 レオンはもう執務室へ戻る姿勢になっている。


 ライは期待に満ちた目でクリスを見ている。


 逃げられそうにない。


「……分かったよ」


 クリスは渋々言った。


「ただし、肖像画一枚のために大騒ぎするなよ」


「一枚ではありません。姫様の肖像画です」


「もうその言い方にも慣れてきた自分が嫌だ」


 クリスはライに案内され、親衛隊室へ向かった。


 ■総騎士団副長府庁舎・親衛隊室前


 親衛隊室前には、すでに数人の親衛隊員が集まっていた。


 空気が重い。


 まるで、本当に誘拐事件でも起きたかのようだった。


 エゼルとマフガランもいる。


 クリスを見るなり、マフガランが険しい顔で言った。


「やられました」


「何が?」


「姫様が」


「肖像画だろ」


「姫様の肖像画です」


「そこを強調するな」


 エゼルは、落ち着いているようで、目だけは真剣だった。


「盗まれたのは一枚です」


「一枚なら、まだいいだろ」


「よくありません」


 エゼルは即答した。


「親衛隊室の礼拝堂に飾っていた、リリア様の肖像画が一枚、なくなっています」


「大きさは?」


「このくらいです」


 エゼルが手で示した。


 普通に持ち歩ける大きさではある。


 だが、隠して持ち出すには少し目立つ。


「犯人は分かっているのか?」


「おそらく、親衛隊員です」


「身内かよ」


「外部の者が、この部屋から肖像画を持ち出すのは難しいです」


「まあ、そうだろうな」


 クリスは周囲を見た。


 親衛隊員たちは、まるで重大な裏切りを受けたような顔をしている。


 実際、彼らにとってはそうなのかもしれない。


 その時、廊下の向こうから一人の親衛隊員が戻ってきた。


 腕には、布で包まれた何かを抱えている。


 エゼルの目が鋭くなった。


「止まれ」


 戻ってきた親衛隊員が、びくりと肩を震わせる。


 マフガランが低く言った。


「その包みを見せろ」


「い、いえ、これは」


「見せろ」


 親衛隊員は、観念したように包みを差し出した。


 布が開かれる。


 中から出てきたのは、リリアの肖像画だった。


 ライが叫ぶ。


「これです!」


 マフガランが一歩踏み出す。


「ランド!」


 親衛隊員、ランドは顔を青くした。


「お前だったのか」


 エゼルの声は静かだった。


 静かすぎて、逆に怖い。


 ランドはうつむいた。


「……申し訳ありません」


 その場にいた親衛隊員たちがざわめく。


「ランドが」


「同志ランドが」


「なぜだ!」


「なぜ姫様を!!」


「肖像画だろ」


 クリスが小さく突っ込んだが、誰も聞いていなかった。


 クリスはもう帰りたかった。



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