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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第23話 外から来るもの

 ――帝国暦三二〇年・春中頃 東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁――


「団長」


 朝一番。


 エリシアの声がした。


 その声で、ただ事ではないと分かるようになってきた。


「今度はなんだ」


「帝国皇太子殿下が、騎士団領を訪問されます」


「……は?」


 レオンは思わず顔を上げた。


「いつだ」


「本日です」


「……本日?」


「はい」


「今朝、言うことか?」


「今朝、通達が来ました」


 嫌な予感しかしなかった。

 レオンは眉を寄せる。


「事前通達は」


「全くありません」


「準備は」


「今からです」


「ふざけてるな」


「否定はできません」


 エリシアが淡々と返す。


 公式訪問。

 視察。

 交流。


 書面には、いかにも整った言葉が並んでいる。だが、実際には朝になって突然投げ込まれた面倒事だった。


「で、誰が対応する」


「レオンハルト・ヴァイス団長です」


「だよな」


 分かっていた。


 分かっていたが、聞かずにはいられなかった。


「皇太子殿下が、団長に興味を持たれているとのことです」


「俺に?」


「三騎士団を兼任している最年少団長、という点に関心を示されたようです」


「……面倒な関心だな」


 レオンは小さく舌打ちしたい気持ちになった。また、どうせあの騎士団総長のじいさんが絡んでいる。


 皇太子が興味を示した。


 なら、本人に対応させればいい。ついでに視察も交流も押しつけてしまえばいい。


 そんな雑な判断が、目に見えるようだった。


(あのじいさん、絶対俺に全部押しつける気だろ)


 レオンは深く息を吐いた。


「加えて」


「まだあるのか?」


「私と、リリア様が随行いたします」


「……三人か」


「最適構成と判断されています」


(絶対違うだろ)


 レオンは内心で即答した。


 レオンは現在、第七、第二、第十の三騎士団を兼任している。


 エリシアは副官として、騎士団内の実務に最も詳しい。


 リリアは正式な騎士団員ではないが、本庁内での印象が良く、礼儀作法にも問題がない。


 そう並べれば、確かに形は整っている。


 整っているが。


(俺に押しつけやすいだけだろ)


 そんな気がしてならなかった。


 ■第七騎士団 本庁前――


「……少ないな」


 本来であれば、皇太子の来訪ともなれば大規模な隊列になる。


 護衛。

 文官。

 侍従。


 儀礼用の随行員。


 面倒なものが山ほど並ぶはずだった。だが、目の前にあるのは最小限の馬車と護衛だけだった。


「本人の意向です」


 エリシアが答える。


「助かる」


「同感です」


 珍しく意見が一致した。

 その横に、リリアが立っている。


 いつもの騎士団内での補助服ではない。もちろん、騎士団の制服でもない。正式な書記官でもないため、書記官の制服でもない。


 今日のリリアは、淡い色のパーティードレスを身にまとっていた。


 派手すぎず、けれど公式の場に立っても失礼にならない装い。急な通達にもかかわらず、ヴァイス家の令嬢としての支度だけは整っている。


 背筋はまっすぐ伸び、指先の動きまで乱れがない。


(……こういうところは、本当に慣れてるな)


 レオンは少しだけ感心した。


 自分は急な皇太子対応で頭が痛い。


 エリシアはいつも通り職務の顔をしている。


 リリアだけが、突然呼ばれたにもかかわらず、最初からそこに立つべきだったような顔をしていた。


 その時、馬車の扉が開いた。


 軽やかに、一人の男が降り立つ。


「よう」


 その一言で、空気がわずかに変わった。


 軽い。


 けれど、軽いだけではない。


「帝国皇太子、アシュレイだ」


「……レオンハルト・ヴァイスです」


 レオンは形式通りに礼を返す。


 アシュレイは、にこりと笑った。


「噂は聞いている」


 三騎士団長。


 最年少団長。


 剣も事務もできる男。


 最近、妙な評価ばかりが増えている。


「三つ同時に回す男、か」


「誇張です」


「そうかな」


 軽い口調だった。

 だが、その目は笑っているだけではない。


 ちゃんと見ている。

 レオンは、そう感じた。


「急な訪問になって悪いな」


「……いえ」


「本当に悪いと思っている顔ではありませんね」


 エリシアが淡々と言う。


 アシュレイは楽しそうに笑った。


「相変わらず堅いな」


「職務ですので」


 短く返す。


 そして、アシュレイの視線がリリアに止まった。


「君は」


「レオンハルト団長の妹君、リリア様です」


 エリシアが補足する。


「なるほど」


 アシュレイは即座に納得したようだった。


 リリアが一歩前へ出る。

 裾を軽く持ち、腰を落とした。


 無駄のないカーテシー。


「リリア・ヴァイスと申します」


 静かに、完璧に。


 アシュレイの目が、わずかに細まった。


(……完成度が高い)


 そう思ったのが、表情だけで分かる。

 騎士団に置くには、整いすぎている。


 だが、騎士団の人間ではないと言われれば、納得できる。


 この場でドレスを着て立つ姿は、むしろ自然だった。


「丁寧だ」


 アシュレイはそれだけ言った。

 だが、その評価は軽くない。


 リリアは顔を上げる。

 柔らかく微笑む。


 けれど、アシュレイはそこでわずかに首を傾けた。


(……違うな)


 ほんの少しだけ、空気を読む。


 この娘は、騎士団の内側の人間ではない。

 かといって、完全に外側でもない。


 兄の隣にいることで、内側に入りかけている。そんな存在だった。


「面白いな」


 アシュレイが呟く。


(……軽い)


 レオンは思う。

 だが、油断はできない。


 軽い人間ほど、余計なものまで見ていることがある。


 ■第七騎士団 本庁 視察中――


 視察が始まった。


「統率が取れている」


「無駄がない」


 アシュレイの評価は淡々としていた。


 軽い口調のまま、必要なところだけを見ている。


「団長の方針か?」


「現場に任せています」


「それができるのは、簡単じゃない」


「そうでしょうか」


「そうだよ」


 アシュレイは軽く笑った。


「現場に任せるには、任せても崩れない仕組みがいる。仕組みがないまま任せれば、ただの放置だ」


 レオンは黙る。


 たぶん、褒められている。

 褒められているのだろう。


 だからこそ、嫌だった。


(やめてくれ)


 評価は自然に積み上がる。

 積み上がれば、仕事が増える。


 もう知っている。


 一方で。


「姫様、こちらへ」


「足元にお気をつけください」


 騎士たちがリリアを案内している。


 自然に。

 当たり前のように。


 リリアは昨日のことを意識しているのか、必要以上には近づかない。だが、それでも柔らかな空気は変わらない。


 ドレス姿のせいもあり、いつもの“姫様”という呼び名が、今日は妙にしっくり来てしまっている。


「人気だな」


 アシュレイが言う。


「……勝手にそうなった」


「いいことだ」


「いいことか?」


「組織には余白が必要だ」


 軽く言う。

 けれど、その言葉は少しだけ残った。


「余白がない組織は、強く見えて脆い。息をつく場所がないからな」


 レオンは、リリアの方を見る。


 騎士たちは笑っている。


 仕事の邪魔になるほど集まるのは困る。だが、彼らの表情が前より柔らかくなっているのも事実だった。


「張り詰めっぱなしじゃ、駄目ってことか」


 レオンはその言葉を飲み込んだ。


 ■第七騎士団 本庁 応接室――


 昼食の席でも、アシュレイは気楽だった。


 公式訪問とは思えないほど、肩の力が抜けている。


「どうだ、この土地は?」


「整っています」


 エリシアが答える。


「無駄がなく、効率的です」


「模範的だな」


 アシュレイは軽く流す。


 そして、視線をレオンに向けた。


「君は?」


 レオンは一瞬、考える。


「……いい場所だとは思う」


「ただ?」


 アシュレイはすぐに拾った。


 レオンは、ほんのわずかに間を置く。


 言わなくてもいいことだ。

 言えば面倒になるかもしれない。


 けれど、言葉は落ちた。


「……息が詰まる」


 空気が止まった。


 エリシアがわずかに動く。


 リリアも顔を上げる。


 普通なら、皇太子相手に言う言葉ではない。


 だが、アシュレイは笑った。

 楽しそうに。


「そういうのは嫌いじゃない」


 視線が、まっすぐ刺さる。


「外を見たことは?」


「ない」


「見たいとは?」


 答えるまでに、少しだけ時間がかかった。


 けれど、その答えだけは決まっていた。


「……ある」


 小さく。

 だが、確かに。


 アシュレイは頷く。


「なら、来るといい」


「どこへ」


「帝都に」


 そして、少しだけ間を置いた。


「それから、外に」


 軽く言う。

 何でもないことのように。


「世界は、ここだけじゃない」


 その言葉が、妙に残った。


 当たり前の言葉だった。けれど、今まで誰もレオンには言わなかった。


 この土地を守れ。

 騎士団を回せ。

 役目を果たせ。


 そればかりだった。


 外に行ってもいい。

 外を見てもいい。


 そんな言葉は、誰もくれなかった。


 ■第七騎士団 本庁 午後――


 視察は続いている。


 アシュレイは軽く笑い、適当に見えるほど自然に歩き、必要なところだけを正確に見ていく。


 エリシアは警戒を解かない。


 リリアはドレスの裾を乱さず、静かに随行する。


 レオンは、その後ろで歩きながら、ずっと同じ言葉を考えていた。


(世界は、ここだけじゃない)


 当たり前だ。

 頭では分かっている。


 けれど、実感したことはなかった。


 この騎士団領で生まれ、育ち、剣を握り、団長になった。気づけば、書類と役職と責任に囲まれている。


 外へ行きたいと思っても、どこへ行けばいいのか分からなかった。


 そもそも、自分が行っていい場所があるのかさえ、考えたことがなかった。


 けれど、閉じていた世界に、ほんのわずかな隙間ができた。


 そこから風が入り込む。

 それはまだ小さい。

 すぐに何かが変わるほどではない。


 それでも。


(外、か)


 レオンは、遠くの空を見る。


 皇太子は外から来た。


 騎士団領の外を知っている。

 帝都を知っている。


 さらに、その向こうを知っている。


 そして、軽い声で言ったのだ。

 世界は、ここだけじゃない、と。


 その言葉だけが、午後の視察が終わっても、レオンの中に残り続けていた。

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