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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第22話 いつもの距離

――帝国暦三二〇年・春中頃 東ロンバルディア帝国騎士団領 ヴァイス邸 離れの部屋――


 夜。


 屋敷は静かだった。


 灯りも落ちている。


 廊下に人の気配はない。


 リリアは、自室の窓辺に立っていた。


 今日のことを、思い出す。


(……距離)


 エリシアの言葉。

 静かで、揺れのない声。


 距離が近い。

 短く、はっきりと告げられた。


(……近い、でしょうか)


 リリアは、自分の手を見る。


 細くて、小さい手。

 誰かを支える時、自然に伸びる手。


 考えたことはなかった。


 そうするのが普通だったからだ。


 困っている人がいれば、近づく。

 分からない人がいれば、隣で説明する。


 不安そうな人がいれば、目を合わせて話す。それは、特別なことではない。


 リリアにとっては、ごく自然なことだった。


(お兄様にも、同じように)


 ふと浮かぶ。

 幼い頃、手を引いてもらった記憶。


 背の高い兄を見上げながら、置いていかれないように歩いた記憶。


 困った時には、すぐそばに兄がいた。

 だから自分も、兄のそばにいる。


 それは昔から変わらない。


(……変わっていませんね)


 小さく息を吐く。


 距離。

 それを意識したことはない。


 必要な時に近づいて、終われば離れる。


 ただ、それだけ。


(……誤解)


 エリシアに言われた言葉が、少しだけ引っかかる。


 業務以上の距離に見える。

 意図していないからこそ問題だ、と。


(……そうでしょうか)


 思い当たらない。

 誰に対しても、同じように接している。


 特別なことはしていない。

 少なくとも、リリアはそう思っている。


 けれど。


 今日の若い騎士のことを思い出す。


 説明が終わったあと、すぐには離れなかった。


 言葉が続きかけた。

 その瞬間、兄が止めた。


(……ああいうこと、なのでしょうか)


 理解できないわけではない。


 もしかしたら、自分が思っているより近く見えていたのかもしれない。


 相手が、何か別の意味に受け取ることもあるのかもしれない。


(それなら、気をつけるべきですね)


 そこまでは素直に思う。


 騎士団の仕事を手伝っている以上、迷惑をかけるわけにはいかない。


 エリシアの指摘も、間違ってはいない。


 リリアは、そう理解した。


 けれど。


(……お兄様は、別です)


 そこだけは、迷いがない。


 考えるまでもない。

 自然に、視線が扉へ向いた。


 今、兄はいない。


 それでも、必要があればすぐそばにいるような気がする。


そして自分もまた、必要があれば兄のそばにいる。


(……当然です)


 小さく頷く。

 理由はない。


 説明もできない。

 けれど、揺れない。


(いつも側にいるのは、私ですから)


 それだけは、当たり前のことだった。


 誰かに言うほどのことでもない。

 主張するほどのことでもない。


 ただ、最初からそこにある事実のように、リリアの中にあった。


 だから。


(お兄様との距離を取る必要は、ありませんね)


 結論は、すぐに出る。

 迷いもない。


 ただ一つ。


(……他の方には、少しだけ気をつけましょうか)


 そう思う。


 必要以上に近づかない。

 長く引き留めない。


 業務が終わったら、そこで切る。

 それくらいなら、できる。


 けれど、それ以上は変えるほどのことではない。


 リリアは窓の外を見た。


 静かな夜。

 暗い庭。

 遠くの灯り。


(明日も、お手伝いしましょう)


 それだけを考える。


 変わらない日常。

 変わらない距離。


 誰かに言われたからといって、すべてを変える必要はない。


 気をつけるところだけ、少し気をつければいい。


 リリアは、いつも通り微笑んだ。


 誰もいない部屋で。

 ほんの少しだけ、柔らかく。


 その中で、気づかないまま何かが少しだけ進んでいることには――


 まだ、気づいていなかった。

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