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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章32話 処分解除は、少しだけ気まずい

――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――


 ■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 朝。


 レオンは、机の上に置かれた一枚の通達を見ていた。


 副長府発足から、二ヶ月。


 発足時に定められた一部処分と業務制限について、見直しの時期が来た。


 通達の対象欄には、二つの名前が並んでいる。


 リリア・ヴァイス。


 メリエラ・エイゼン。


 レオンは、その二つの名前をしばらく見つめた。


 悪い通達ではない。


 むしろ、良い通達だった。


 二人は、この二ヶ月間、定められた制限を守って働いた。


 リリアは、正式戒告後の書状取扱い業務一時停止。


 メリーは、処分による権限制限。


 その一部が、今日付で解除される。


 重い懺悔をする場ではない。


 大げさに泣く場でもない。


 二ヶ月間、きちんと制限を守った。


 その結果として、通常業務へ少し戻る。


 ただ、それだけの話である。


 レオンは通達を置き、顔を上げた。


「イリス」


「はい、副長」


 イリスが、すぐに反応する。


「リリアとメリーを呼んでくれ」


「承知しました」


 イリスは机上の通達へ視線を落とした。


「今回の解除対象は、その二名だけです」


「分かっている」


 レオンは短く答えた。


 だが、そこで少しだけ表情が曇る。


 解除対象欄に、エリシアの名はない。


 エリシアは第二執務室付きで、今も別の制限を受けている。


 今回の解除対象ではない。


 処分内容も、見直し時期も違う。


 同じ日に解除されないこと自体は、おかしくなかった。


 だが、同じ副長府で働いている以上、まったく気にならないわけでもない。


「副長」


「何だ」


「解除は、感動行事ではありません」


「分かっている」


「業務範囲が戻るということです」


「分かっている」


「副長は時々、仕事中に兄になります」


「俺は常に兄だ」


「仕事中は副長です」


「……分かっている」


 レオンは少しだけ視線を逸らした。


 イリスはそれ以上追及せず、扉の方へ向かった。


 しばらくして、リリアとメリーが第一執務室へ入ってくる。


 リリアは、少し緊張した顔をしていた。


 少しブラウンが混じった長い金髪は、青いリボンで柔らかく結ばれている。


 メリーは、いつもどおり落ち着いていた。


 だが、手元の書類を持つ指先には、わずかに力が入っている。


「お兄様、お呼びでしょうか?」


 リリアが言った。


「はい、お兄様」


 メリーも静かに続いた。


 イリスが一瞬だけ目を閉じる。


「業務中です」


 リリアが、はっとする。


「す、すみません。副長」


 メリーも軽く頭を下げた。


「失礼しました、副長」


 レオンは、少し複雑な顔をした。


 言い直されると、それはそれで寂しい。


 だが、今は仕事である。


「今日付で、二人の業務制限の一部が解除される」


 リリアの目が、少し大きくなった。


 メリーも、わずかに表情を変える。


 レオンはまず、リリアを見た。


「リリア」


「はい」


「正式戒告後に止められていた、書状取扱い業務一時停止が解除される。今日から、書簡箱や書状を正式に扱っていい」


「……私が、ですか?」


「そうだ」


 リリアは、そっと自分の手元を見た。


 書状。


 書簡箱。


 以前は当然のように触れていたもの。


 だが、制限がかかってからは、手を伸ばす前に必ず誰かへ確認していた。


 無意識に触れそうになり、慌てて手を引いたこともある。


 その制限が、今日から解除される。


 だからこそ、すぐには実感が湧かなかった。


「本当に、触ってもよいのでしょうか?」


「もう触っていい」


 レオンは、机の端に置かれていた書簡箱を軽く示した。


「正式に解除された。お前は、もう書状を扱っていい」


「……はい」


 リリアは小さく頷いた。


 それでも、すぐには手を伸ばさない。


 レオンは、少しだけ表情を和らげる。


「無理に急がなくていい。最初は確認しながらでいい」


「はい。ありがとうございます、お兄様」


「仕事中です」


 イリスが静かに言った。


 リリアは、もう一度慌てて背筋を伸ばす。


「ありがとうございます、副長」


「ああ」


 レオンは短く答えた。


 次に、メリーを見る。


「メリー」


「はい」


「お前の権限制限も、一部解除される。今日から、統合管理官補佐、として、正式な処理と調整に戻っていい」


「承知しました」


 メリーは静かに頭を下げた。


 大きく喜ぶことはない。


 だが、その声は少しだけ柔らかかった。


「お前ができるようになるのは、制度、運用規程、統合管理部との接続、共有基準だ」


「はい。そこは間違えません」


 メリーは落ち着いて答えた。


 イリスが小さく頷く。


「メリーさんは、そこを越えない限り、非常に有用です」


「お姉さま、それは褒めていますか?」


「褒めています」


「ありがとうございます」


「ただし、越えたら止めます」


「承知しています」


 メリーは、ほんの少しだけ笑った。


 レオンは、そのやり取りを見て肩の力を抜いた。


 二ヶ月。


 短いようで、長かった。


 副長府が発足してから、あまりにも多くのことが起きた。


 書類。


 人員。


 制度。


 報告書。


 親衛隊。


 その中で、二人は制限を守り続けた。


 リリアは慎重になりすぎるほど慎重に書状から距離を取り、メリーは権限の線を越えないように動いた。


 それが今日、少しだけ戻る。


 レオンとしては、素直に喜んでよいはずだった。


 だが、リリアとメリーは互いに顔を見合わせた。


 嬉しそうではある。


 けれど、手放しで喜んでいる顔ではなかった。


「どうした?」


 レオンが聞く。


 リリアは少し迷ってから、口を開いた。


「エリシアさんは、まだなのですよね」


 第一執務室の空気が、少しだけ静かになった。


 メリーも、手元の書類へ目を落とす。


「今回の解除対象には、エリシアさんのお名前がありませんでした」


「……ああ」


 レオンは短く答えた。


「今回は、二人だけだ」


 リリアは、嬉しそうにするべきか迷っている顔をしていた。


 メリーも同じだった。


 二人とも、自分の制限解除を軽く考えているわけではない。


 ずっと守ってきたからこそ、解除の意味も分かっている。


 だが、エリシアだけがまだ解除されていない。


 それを思うと、手放しには喜べなかった。


「エリシアさんには、知らせるのですか」


 リリアが聞く。


「こちらから今知らせる必要はない」


 レオンは答えた。


「今回の対象ではない。それだけだ」


「でも……」


「処分の内容も、見直し時期も違う。解除されないことが、すぐに悪い評価というわけではない」


 イリスが静かに補足する。


「エリシアさんの件は別枠です。今回の二人の解除とは、比較しない方がよいでしょう」


「そうですね」


 メリーが頷いた。


 それでも、顔は少し曇っている。


 リリアも、小さく息を吐いた。


「自分だけ先に戻ってしまうようで、少し申し訳ないです」


「戻れる者が戻ることも、仕事です」


 イリスが言った。


「止まっている必要はありません」


「はい」


 リリアは静かに頷いた。


 メリーも、少しだけ目を伏せる。


「では、戻った分は働きます」


「それでいい」


 レオンは言った。


「二人が制限を守ってきたことは事実だ。今日の解除も、その結果だ。そこは受け取っていい」


「はい、お兄様」


 メリーが答えた。


 イリスが、そちらを見る。


 メリーは表情を変えずに言い直す。


「はい、副長」


 リリアが少し笑いそうになり、すぐに口元を押さえた。


 重くなりかけた空気が、少しだけ緩んだ。


 レオンは通達を二人へ渡した。


「これが正式な解除通知だ。リリアは、書状取扱いの再開。メリーは、統合管理官補佐および特別補佐官としての処理・調整再開。ただし、どちらも最初は確認を通す」


「はい」


「承知しました」


 リリアは、通知を丁寧に受け取った。


 メリーも内容を確認し、すぐに頭へ入れる。


 その様子を見て、イリスが机の横から別の書類束を持ち上げた。


「では、早速ですが」


 レオンは嫌な予感がした。


「何だ、それは」


「リリアさんの書状取扱い再開に合わせて、書簡箱の未整理分を確認していただきます」


 リリアが、ぴくりと肩を揺らした。


「未整理分、ですか」


「はい」


 イリスは、淡々と書類束を置く。


「この二ヶ月間、リリアさんの確認が必要だったものは、別の者が処理していました。ただ、本人が確認した方が早いものも残っています」


「私が、ですか?」


「解除されましたので」


「はい」


 リリアは、少し緊張した顔で書簡箱を見る。


 手を伸ばしかけて、いったん止まる。


 そして、レオンを見た。


「本当に、触ってよいのですよね」


「触っていい」


 レオンは頷いた。


「もう大丈夫だ」


「はい」


 リリアは、そっと書簡箱へ触れた。


 少し緊張していた。


 けれど、その手はすぐに落ち着く。


「では、確認しながら進めます」


「頼む」


 その横で、イリスは別の束をメリーへ渡した。


「メリーさんには、運用規程と統合管理部への共有基準を確認していただきます」


「今日からですか」


「今日からです」


「早いですね」


「解除されましたので」


 イリスは当然のように答えた。


 メリーは、一瞬だけ目を閉じる。


「承知しました。人員配置には触れません」


「そこは絶対に触れないでください」


「分かっています」


 メリーは書類を受け取った。


 その量を見て、少しだけ沈黙する。


「副長」


「何だ」


「解除というのは、思っていたより忙しいのですね」


「俺も今、そう思った」


 レオンは正直に答えた。


 リリアも、書簡箱の中を見ながら小さく言う。


「お兄様」


「何だ」


「私も、もう少し感慨に浸る時間があるものだと思っていました」


「俺もだ」


「副長」


 イリスが言った。


「処理できる人が増えたので、止めていた仕事を回します」


「少し待て」


「待つ理由がありません」


「解除直後だぞ」


「解除されたので」


「言い方が強い」


「事実です」


 レオンは言葉に詰まった。


 確かに、解除された。


 つまり、できる。


 できるということは、任せられる。


 任せられるということは、仕事が来る。


 それも、すぐに。


 二人とも、解除されたこと自体は嬉しい。


 だが、エリシアの名がないことと、目の前に積まれた仕事のせいで、手放しには喜べなかった。


「副長」


 メリーが言った。


「何だ」


「嬉しいのは、嬉しいです」


「ああ」


「ですが、少し複雑です」


「分かる」


 リリアも静かに頷く。


「エリシアさんのこともありますし、仕事もすぐに増えました」


「そうだな」


「でも、戻れた分は、きちんと働きます」


「ああ。頼む」


 レオンは少しだけ表情を和らげた。


 その空気を、イリスが静かに切った。


「では副長、こちらが今日中に確認していただく分です」


 レオンの机に、新しい書類束が置かれた。


「なぜ俺にも増える」


「リリアさんとメリーさんの処理が戻るため、最終確認も戻ります」


「俺の確認も戻るのか」


「はい」


「解除されたのは二人だろう」


「副長府の処理が戻るので、副長の確認も戻ります」


 レオンは、机の上を見る。


 解除通知。


 リリアの書簡箱。


 メリーの運用規程。


 イリスが置いた確認書類。


 仕事が増えた。


 明らかに増えた。


「……処分解除とは、仕事の再開でもあるんだな」


「はい」


 イリスが即答した。


 リリアも、書簡箱を抱えながら小さく頷く。


「はい、お兄様」


 メリーも、規程の束を抱えて続く。


「はい、お兄様」


 イリスが二人を見る。


 二人は同時に言い直した。


「はい、副長」


「はい、副長」


 レオンは、少しだけ天井を見上げた。


 二人の制限が解除されたことは、間違いなく喜ばしい。


 エリシアのことは気にかかるが、それは別に考えなければならない。


 ただし。


 制限が解除された二人だけでなく、なぜかレオンの仕事まで増えている。


 副長府では、誰かが仕事へ戻ると、副長の仕事も戻ってくるらしい。


 その仕組みだけは、どうしても納得できなかった。

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