第2章31話 善意で俺を追い詰めるな
――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――
■総騎士団副長府庁舎・第一執務室
朝。
レオンハルト・ヴァイスは、第一執務室へ戻ると、自分の机の前で足を止めた。
机の上に、三通の書状が置かれている。
一通は、総長府から。
一通は、ロングの町長から。
もう一通は、父であるアルヴェルト・ヴァイスからだった。
その隣には、いくつかの小さな包みと、礼品の目録が置かれている。
「……何だ、これは」
昨日、退庁した時にはなかった。
今朝、レオンが別の執務室へ出ている間に届いたらしい。
三通とも差出人は違う。
だが、同じ日にまとめて届いている以上、無関係とは思えなかった。
嫌な予感しかしない。
レオンは、最初に総長府からの書状を開いた。
ロングの町長から、総長府へ礼状が届いた。
副長府所属と思われる騎士団員たちが、町の清掃、危険箇所の報告、通学路の見守りなどを行っている。
その活動は、町民から高く評価されている。
しかし、総長府では命じておらず、副長府の正式な活動であるかも把握していない。
副長府として活動を命じたのか。
それとも、所属する者たちが勤務外に行っている自発的な活動なのか。
確認のうえ、回答してほしい。
書かれていたのは、おおよそそのような内容だった。
「俺が聞きたい」
レオンは低く呟いた。
町を掃除しろとは命じていない。
危険箇所を調べろとも、通学路を見守れとも言っていない。
だが、町長は総長府へ礼状を送っている。
レオンは二通目を開いた。
ロングの町長から、副長府へ直接届いた礼状だった。
剣と歯車の紋章をつけた騎士団員たちが、早朝や仕事帰り、休日などに町で活動している。
道の清掃。
危険な場所の報告。
子供たちの見守り。
困っている町民の手伝い。
現在まで、活動による問題は報告されていない。
むしろ、住民から感謝の声が寄せられている。
今後も町の規則を守り、住民へ配慮した形で続けてもらえるならありがたい。
丁寧な言葉で、そう記されていた。
「町から直接も来ているのか……」
レオンは額を押さえた。
最後に、アルヴェルトからの書状を開く。
ヴァイス邸にも、ロングの町の者たちから礼状と品物が届いた。
剣と歯車の紋章が入った騎士団服を着た者たちが、町のために活動しているという。
レオンは、この件を知っているのか。
知っているなら、どのような活動なのか。
知らないのであれば、副長府内で確認してほしい。
確認した結果についても、返事が欲しい。
「家にまで届いたのか」
レオンは、三通の書状を机に並べた。
総長府。
ロングの町長。
ヴァイス邸。
三方向から、同じ件について書状が届いている。
それなのに、総騎士団副長であるレオン本人だけが何も知らない。
レオンは反射的に、イリスの席を見た。
空いていた。
イリスは今朝から、帝都関係の確認のため総長府へ呼ばれている。
こういう時こそ、イリスに三通の書状を見せたかった。
どこまでを事実として答えるべきか。
どこまでを確認中として残すべきか。
総長府と町長、父へ、それぞれどの程度の返事をするべきか。
イリスなら、一度読んだだけで必要な点を整理するだろう。
「……イリスがいないと、こういう時は困るな」
思わず声に出た。
少し離れた机で書類を整えていたメリーが、顔を上げる。
「お姉様は、しばらく戻らないと思います」
「分かっている」
「何か問題でしょうか」
「これを見てくれ」
レオンは、総長府と町長からの書状を差し出した。
メリーが受け取り、静かに目を通す。
その近くでは、マリニーファが書類の仕分けをしていた。
内容が気になるのか、時折こちらへ視線を向けている。
「町で、清掃や見回りですか」
メリーが言った。
「ああ」
「お兄様が命じたのではないのですね」
「命じていない」
「総長府でも命じていない」
「だから、こちらへ確認が来た」
「活動自体は、町から評価されているようですね」
「そこが面倒なんだ」
悪事なら止めればよい。
命令違反なら処分できる。
住民へ迷惑をかけたのなら、謝罪して改善させればよい。
だが、今回は違う。
勤務外に町を掃除し、危険な場所を知らせ、子供たちを見守っている。
町からは感謝されている。
礼状と礼品まで届いている。
「悪いことではありませんね」
マリニーファが横から言った。
「それは分かっている」
「でしたら、よいのではありませんか?」
「副長府の紋章をつけた人間が、俺の知らないところで動いているんだぞ」
「ですが、町の方々は喜んでいらっしゃいます」
「そうですね」
メリーが静かに頷いた。
「勤務外の活動で、問題も報告されていません」
「二人して簡単に言うな」
レオンは息を吐いた。
その時、第一執務室の扉が叩かれた。
「入れ」
入ってきたのは、クリスだった。
「朝から、ずいぶん暗い顔してるな」
「帰れ」
「まだ何もしてないだろ」
「これから何かする顔をしている」
「ひどいな」
クリスは言いながら、レオンの机に置かれた包みに目を留めた。
「何だ、それ」
「ロングの町から副長府へ届いた礼の品らしい」
「菓子か?」
「触るな」
クリスは、包みの隣に置かれた目録へ目を落とした。
焼き菓子。
茶葉。
冬用の手袋。
町民や商家から、副長府宛てに届けられた小さな礼品が並んでいる。
「焼き菓子があるな」
「だから触るなと言っている」
「副長府宛てなら、副長府にいる人間が食べてもいいだろ」
「お前は今だけいる人間だ」
「細かいな」
クリスは包みを手に取った。
レオンが止めるより早く結び目をほどき、焼き菓子を一つ取り出す。
そのまま、口へ入れた。
「相変わらずですね」
マリニーファが呆れたように言った。
「本当に」
メリーも静かに頷く。
「お前ら、そこで息を合わせるな」
「合わせてはいません」
「同じものを見れば、同じ感想になりますわ」
「俺は一つ食べただけだぞ」
「人の許可を得ずに、です」
「副長府宛てだろ?」
「だからといって、勝手に食べてよいことにはなりませんわ」
「お前ら、前からそんなに仲がよかったか?」
メリーとマリニーファは、一度だけ顔を見合わせた。
どちらも特に答えなかった。
レオンは、総長府と町長からの書状をクリスへ差し出した。
「これを見ろ」
「何だ?」
「町で何かやっている連中がいるらしい」
クリスは書状へ目を落とした。
清掃。
危険箇所の報告。
通学路の見守り。
勤務外の自発活動。
剣と歯車の紋章。
一通り読んだところで、クリスの動きが一瞬だけ止まった。
おそらく、親衛隊だ。
クリスには、すぐに分かった。
町で清掃や見回りを始めていることも知っている。
活動内容も、ある程度は把握していた。
だが、ここで親衛隊の名前を出せば、説明しなければならないことが増える。
なぜクリスが知っているのか。
どれほどの人数が関わっているのか。
誰が中心になっているのか。
どの程度組織的に動いているのか。
今のところ、町の役に立ち、問題も起こしていない。
ならば、わざわざ話を広げる必要はない。
「何か知っているか?」
レオンが尋ねた。
クリスは少しだけ考えた。
「いや」
そして、書状を机へ戻す。
「勤務外に、誰かが勝手にいいことをしたんだろ」
「それだけか?」
「ああ」
クリスは二つ目の焼き菓子へ手を伸ばそうとした。
今度は、メリーが先に包みを遠ざけた。
「おい」
「一つ食べたでしょう」
「まだあるだろ」
「皆さんへ配るものです」
「一つ減ったくらいで変わらない」
「変わりますわ」
マリニーファが頷く。
「また二人で言うのか」
「正しいことを言っているだけです」
「そうですわね」
クリスは諦めたように手を引いた。
「まあ、それより」
クリスは書状を指す。
「町から褒められてるんだろ?」
「ああ」
「副長府が命じたわけじゃない」
「ああ」
「勤務外に、自分たちでやった」
「ああ」
「町から問題も報告されていない」
「ああ」
「なら、そのまま書いて返せばいいじゃないか」
レオンは黙った。
言い方は雑だった。
だが、返すべき内容としては間違っていない。
「副長府の正式な命令による活動ではない」
メリーが、書状へ視線を落としたまま言う。
「現在分かっている範囲では、所属する方々が勤務外に自発的に行った活動です」
「町から問題の報告はなく、活動自体は評価されている」
レオンが続ける。
「今後も町の規則を守り、住民へ迷惑をかけないよう注意する」
「それで十分だと思います」
メリーが頷いた。
「ほとんど俺が言ったままだな」
クリスが言う。
「そのままでは送れないから整えたんだ」
「俺の言葉も役に立っただろ」
「珍しくな」
レオンはペンを取った。
最初に、総長府への返書を書く。
副長府が命じた活動ではない。
現在確認できる範囲では、副長府に関わる騎士団員が、勤務外に自発的に行っている活動と思われる。
町から問題は報告されておらず、活動そのものを止める理由はない。
今後も町の規則を守り、住民へ迷惑をかけないよう注意する。
必要があれば、詳しい活動内容についても確認する。
レオンは、そこまで書いて筆を止めた。
「これでいいか」
「十分だと思います」
メリーが答えた。
次に、レオンはロングの町長への返書を書き始めた。
礼状と礼品を受け取ったことへの感謝。
副長府に関わる者たちの活動が、町の役に立ったことを嬉しく思うという言葉。
ただし、副長府が正式に命じた活動ではなく、所属する者たちが勤務外に自発的に行った活動と思われること。
今後も、町の規則と住民への配慮を守るよう、副長府側からも注意すること。
困ったことや問題があれば、知らせてほしいこと。
礼品については、ありがたく受け取るが、今後は過分な配慮は不要であること。
「町長へは、これでよいか」
「はい」
メリーが頷く。
「礼状への返事として必要な内容は入っています」
「謝罪はいりませんわね」
マリニーファが言った。
「町の方々は、喜んでいらっしゃるのですから」
「謝るつもりはない」
レオンは短く答えた。
最後に、アルヴェルトへの返事を書く。
町で行われている活動について、自分は事前に把握していなかった。
総長府とロングの町長からも、同じ件について書状が届いている。
副長府が命じた活動ではなく、所属する者たちが勤務外に自発的に行ったものと思われる。
現時点で町から問題は報告されておらず、活動を止める理由はない。
必要な注意だけは、副長府側から伝える。
家側から町へ、改めて大がかりな返礼をする必要はない。
それだけを簡潔に記した。
「これで三通ですね」
メリーが言った。
「総長府」
「ロングの町長」
「父上」
「ああ」
レオンは、三通の返書を机の上へ並べた。
「清書して送ってくれ」
「承知しました」
メリーが返書を受け取る。
マリニーファも、封筒と封蝋を用意するために立ち上がった。
「手伝います」
「ありがとうございます」
二人は自然に並び、三通の返書を仕分け始める。
クリスが、その様子を眺めた。
「やっぱり気が合うんじゃないか、お前ら」
「作業を分担しているだけです」
「そうですわ」
「ほら、また同じこと言ってる」
二人は、クリスを無視して作業を続けた。
レオンは、机に残った礼品の目録へ目を落とした。
町で、誰かが善意の活動を始めた。
町の者たちは感謝した。
その礼が、総長府と副長府とヴァイス邸へ届いた。
そして、事情を知らないレオンのところへ、確認と返答の仕事だけが回ってきた。
悪いことではない。
止める理由もない。
それでも、仕事は増えた。
「……善意で俺を追い詰めるな」
レオンが呟く。
クリスが、再び焼き菓子へ手を伸ばした。
「クリスさん」
マリニーファが声をかける。
「何だ?」
「相変わらずですね」
「本当に」
メリーも頷いた。
クリスは手を止めた。
「……お前ら、本当に仲がいいな」
その日のうちに、三通の返書が副長府から出された。
総長府へ。
ロングの町長へ。
アルヴェルト・ヴァイスへ。
副長府が命じた活動ではない。
勤務外に行われている自発的な活動である。
町から問題は報告されておらず、止める理由はない。
ただし、町の規則を守り、住民へ迷惑をかけないよう注意する。
レオンは、自分に分かる範囲で簡潔に答えた。
活動の中心にいる者たちが誰なのか。
クリスが何を知っているのか。
それについては、まだ何も書かれていなかった。




