第2章30話 難しい三人を送ってきましたね
――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団本庁舎――
■総騎士団本庁舎・総長執務室
翌朝。
イリスは、総長執務室へ呼び出されていた。
執務机の向こうには、新総長グラナート・グランフェルトが座っている。
その傍らには、副官のマクニッサが控えていた。
「朝から呼び出して悪かったな」
「いえ」
イリスは静かに頭を下げた。
「レオンハルトには、何と伝えた?」
「帝都から届いた書状について、総長府から確認を求められたと伝えました」
「内容は聞かれなかったか?」
「聞かれましたが、私もまだ詳しくは知らないと答えています」
「気づかれてはいないか」
「今のところは」
イリスが帝都関係の用件で総長府へ呼ばれること自体は、不自然ではない。
レオンも、それ以上は追及しなかった。
もっとも、今朝も仕事が多く、詳しく聞く余裕がなかっただけかもしれない。
「そうか」
グラナートは短く答え、机上の封書を手に取った。
「まず、これを見てもらいたい」
イリスが封書を受け取る。
帝都の正式な封蝋。
皇太子府の印。
すでに開封されている。
イリスは中から書状を取り出し、静かに読み始めた。
新総長就任への祝意。
総騎士団副長府の設立と、ヴァイス騎士団再編への関心。
第十三、第十四騎士団の増設準備について。
そして。
帝都側の騎士団長候補三名を、一定期間、騎士団領へ派遣したい。
騎士団領の新体制を学ばせたい。
仮にすぐ騎士団長になれる見込みを得られなかったとしても、騎士団領で学ばせること自体に意味がある。
そのため、三名をしばらく預かってもらうことは可能か。
書状の後半には、派遣を予定している三名の名前と経歴が記されていた。
一人目。
ヴィクトル・アルノルト伯爵。
二人目。
セドリック・ローゼンフェルト。
三人目。
フェリクス・ハーゲン。
三人の名前を確認したところで、イリスの表情が止まった。
「……兄も難しい三人を送ってきましたね」
グラナートが眉を動かす。
「三人とも知っているのか」
「はい」
「全員か」
「帝都では、三人とも有名です」
「将来を期待されているからか」
「それもあります」
イリスは書状から顔を上げた。
「三人とも実戦経験があり、剣の腕も確かです」
「騎士団長候補として名だけを並べられた者ではないのだな」
「はい」
「ただし、別の意味でも有名です」
「厄介な人物なのか」
「三人とも、それぞれ違う理由で扱いに困る方々です」
イリスは、一人目の名前を指した。
「ヴィクトル・アルノルト伯爵」
「若くして伯爵位を継いだ男だな」
「はい。本人が帝国伯爵ですので、三人の中では最も高い身分を持っています」
「騎士としてはどうだ」
「剣の腕はかなりのものです」
イリスは迷わず答えた。
「実戦にも何度か出ており、自ら前へ出て部下を引っ張るタイプです」
「現在は、帝都側の騎士団で副団長だったな」
「はい」
「明るく、行動力があり、人を集める力もあります」
「騎士団長候補になるのも不自然ではないか」
「能力だけを見れば、不自然ではありません」
「問題は?」
「自分の身分を鼻にかけるところがあります」
イリスは淡々と続けた。
「自分が伯爵であることを利用して、周囲へ無理を通すことがあります。相手の身分が低ければ、特に強く出ます」
「本人にも実力があるから、家柄だけの男として退けることもできない」
「はい」
ヴィクトルには、伯爵という地位がある。
剣の腕もある。
実戦経験も、副団長としての実績もある。
ただ身分を振り回しているだけなら、周囲も簡単に退けられただろう。
だが、実際に結果を出しているからこそ、扱いに困る。
「それと、女性関係が派手です」
「どの程度だ」
「帝都では、何度も浮名を流しています」
「本人は隠していないのか」
「隠す必要があるとは、あまり考えていないようです」
「伯爵で、副団長。剣も強く、実戦経験もある」
グラナートは書状を見る。
「だが、身分を振りかざし、女性関係にも問題がある」
「はい」
「十分に厄介だな」
「ただ、考えていることは分かりやすい方です」
「これでか」
「次の方と比べれば」
イリスは、二人目の名前へ視線を移した。
「セドリック・ローゼンフェルト」
「ローゼンフェルト公爵家の次男か」
「はい」
イリスの声が、わずかに硬くなった。
グラナートは、その変化に気づいた。
「この男とは、何かあるのか」
「以前、私の婚約者候補だった方です」
総長執務室が、一瞬だけ静かになった。
「婚約者候補だったのか」
「はい」
「話がまとまらなかった理由は」
「私がお断りしました」
「なぜだ」
「人間関係を、すべて利益で考える方だからです」
「利益?」
「はい」
イリスは書状に記された名前を見る。
「セドリックは、結婚も、友人関係も、騎士団での人事も、損得で判断します」
「極端な合理主義者か」
「はい」
「騎士としての能力は?」
「かなり高いです」
イリスはそこを否定しなかった。
「剣の腕は立ちます。実戦では冷静に状況を判断し、部隊を動かすことにも長けています」
「事務もできるとある」
「はい。頭の回転が速く、実務能力も指揮能力も高いです」
「現在は、ヴィクトルと同じく副団長か」
「はい」
「有能ではあるのだな」
「かなり」
「では、なぜ婚姻を断った」
「私との婚姻について、皇族とローゼンフェルト公爵家の双方に利益があると説明されました」
「それだけか」
「それだけです」
「殿下自身をどう思っているかは?」
「聞いても、婚姻に必要のない問題だと言われました」
グラナートが黙った。
マクニッサも、わずかに目を伏せる。
「それで断ったのか」
「はい」
「セドリックは納得したのか」
「いいえ」
イリスの返答は早かった。
「自分との婚姻が最も利益の大きい選択だったのに、私が感情で拒否したと考えています」
「殿下の判断が間違っていたと」
「今でも、そう思っているでしょう」
「恨まれているのか」
「少なくとも、よい感情は持たれていません」
イリスは一度言葉を切った。
「正直に申し上げれば、私は特にセドリックとは会いたくありません」
「そこまでか」
「はい」
「ヴィクトルより厄介なのか」
「ヴィクトル伯爵は、気に入らなければ正面から不満を言います」
「セドリックは違う?」
「自分にとって最も利益のある形になるまで、手段を変えながら動きます」
「人も駒として見るか」
「その傾向があります」
「こちらも難しいな」
「はい」
マクニッサが、三人目の名前へ目を向けた。
「では、フェリクス・ハーゲンという方は?」
「ハーゲン男爵家の次男です」
「上の二人より身分は低いな」
「はい」
「騎士としては?」
「剣の腕は立ちます」
イリスは答えた。
「実戦経験もあり、個人の戦闘能力だけなら、ヴィクトル伯爵やセドリックに大きく劣るわけではありません」
「それなら、なぜ小隊長に留まっている」
「金銭に関する問題を、何度か起こしているためです」
「金銭問題?」
「金に汚い方です」
イリスは、はっきりと言った。
「報酬の取り分や親戚、友人との金銭の貸し借りを巡って、問題になったことがあります」
「貧しいのか」
「ハーゲン男爵家は、帝国貴族の中でも裕福な家ではありません」
「だから金に執着している?」
「それだけではないと思います」
イリスは小さく首を振った。
「本人が、金を得ることを好んでいます」
「腕も実戦経験もあるのに、金銭問題で評価を落としているのか」
「はい」
「では、なぜヴィクトルとセドリックについて回っている」
「二人と一緒にいると、金になるからです」
「金になる?」
「ヴィクトル伯爵には財産があります。セドリックは公爵家とのつながりがあります」
イリスは淡々と説明した。
「二人の近くにいれば、食事や遊びに困りません。裕福な貴族や商人とのつながりも作れます」
「友人だからではないのか」
「フェリクス本人は、友人だと言うかもしれません」
「実際は?」
「利益があるから、そばにいる面も大きいと思います」
「ヴィクトルとセドリックも、それを分かっているのか」
「分かっているでしょう」
「それでも近くに置いている?」
「フェリクスは、金が絡まなければかなり動ける方です」
剣の腕がある。
実戦で動ける。
必要な相手へ話を通すこともできる。
ヴィクトルやセドリックにとっても、そばに置く利点はある。
フェリクスも、その代わりに二人の周囲から得られる利益を受け取る。
三人の関係は、単純な友情だけで成り立っているわけではなかった。
グラナートは、三名の名前を順番に見た。
「三人とも、剣の腕と実戦経験はある」
「はい」
「騎士団長候補として期待されるだけの能力も持っている」
「はい」
「だが、それぞれ別の問題を抱えている」
「そのとおりです」
「本当に難しい三人だな」
「ですから、最初に申し上げました」
イリスは静かに言った。
「難しい三人を送ってきましたね、と」
マクニッサが書状を見る。
「三人を同じ場所へ置くのは、避けた方がよさそうですね」
「私も、そう思います」
イリスが答える。
「ヴィクトル伯爵が、身分と勢いで前へ出る」
「セドリックが、自分たちに有利な形を作る」
「フェリクスが、その近くで利益を得る」
「帝都と同じ関係のままでは、騎士団領へ送る意味がありません」
「これは、厄介払いではないのか」
グラナートが尋ねた。
「名前を見た直後は、私もそう思いました」
「違うと考える理由は?」
「三人とも、惜しい人材だからです」
イリスは書状へ目を落とした。
「問題はありますが、ヴィクトル伯爵とセドリックは、すでに副団長として実績を上げています」
「フェリクスも、役職こそ低いですが、剣の腕と実戦での働きは評価されています」
「追い出すだけなら、別の人間を選べばよいか」
「はい」
「皇太子殿下は、騎士団長候補としての教育を求めている」
「兄の書状にも、そう記されています」
「それだけだと思うか?」
イリスは少し考えた。
「この三人を選んだ以上、兄は彼らに、人間的にも成長させたいと考えている可能性はあります」
「騎士団領で叩き直してほしいと?」
「そこまでは書かれていません」
イリスは正確に答えた。
「ですが、帝都では三人の家柄や地位が通用します」
「こちらでは、それだけでは騎士団長として認められない」
「はい」
騎士団長として認められるには、実際に力を示さなければならない。
剣の腕や実戦経験だけでも足りない。
判断力。
指揮能力。
部下からの信頼。
失敗した時に、責任を引き受ける覚悟。
それらを示さなければ、騎士団を率いることはできない。
「家名や立場だけでは人が動かない場所で、騎士団長に必要なものを学ばせる」
グラナートが言った。
「その過程で、問題のある部分も直ればよいと考えているのかもしれんな」
「その可能性はあります」
「教育だけでも面倒だというのに」
「はい」
「人間性までとなると、さらに面倒だな」
「そうですね」
イリスも否定しなかった。
「三名は、それぞれ別の場所へ置いた方がよいのでしょうか」
マクニッサが尋ねる。
「その方がよいと思います」
イリスは答えた。
「三人を離せば、それぞれが一人でどこまで動けるのかも分かります」
「フェリクスも、利益を与えてくれる二人がいない場所で働かせられる」
「はい」
「メリーも、副長府で受け入れられるのは一名だけだと言っていた」
グラナートは書状を机へ置いた。
「三名の派遣は受け入れる」
「だが、副長府へ置くのは一名だけだ」
「残る二名は、別の場所へ分ける」
「よいと思います」
「では、誰を副長府へ置く」
イリスは、すぐには答えなかった。
もう一度、三人の名前を見る。
「今の段階では、決めない方がよいと思います」
「三人とも知っているのだろう」
「はい」
「それでも決められないか」
「私が知っているのは、帝都にいた頃の三人です」
イリスは静かに答えた。
「騎士団領へ来た三人が、こちらでどのような態度を取るのかまでは分かりません」
「評判だけで決めるべきではないと」
「はい」
「それに、私とセドリックには個人的な事情があります」
「判断に私情が入る可能性があるか」
「入れないつもりではいます」
イリスは少しだけ目を伏せた。
「ですが、最初から私の意見だけで一名を決めるべきではありません」
「では、どうする」
「三人が到着してから、まず全員と話すべきです」
「面談か」
「はい」
「なぜ騎士団領へ来ることを受け入れたのか」
「ここで何を学ぶつもりなのか」
「騎士団長になることを、本人たちがどう考えているのか」
「それを確かめてから、副長府へ置く一名を決めた方がよいと思います」
マクニッサも静かに頷いた。
「その方がよろしいかと思います」
「副長府以外の受け入れ先も、本人たちを見たうえで決められます」
「そうだな」
グラナートは三名の名前を見下ろした。
誰を副長府へ置くのか。
誰を、ほかの場所へ置くのか。
今ここで決める必要はない。
帝都での肩書きや評判だけでなく、騎士団領へ来た本人たちを見る。
「分かった」
グラナートが言った。
「三人が到着したら、まず面談を行う」
「はい」
「その結果を見て、副長府へ置く一名を決める」
「それがよいと思います」
「それから、イリス殿下」
「はい」
「その面談には、殿下にも同席してもらいたい」
イリスの表情が止まった。
書状に記された三名の名前へ、ゆっくりと視線を落とす。
特に、二人目。
セドリック・ローゼンフェルト。
イリスは、明らかに嫌そうな顔をした。
「……私もですか」
「ああ」
「先ほど、特にセドリックとは会いたくないと申し上げましたが」
「聞いた」
「では、なぜ私を同席させるのですか」
「三人を知る者がいた方がよい」
グラナートは当然のように答えた。
「我々は、書状に記された経歴しか知らん」
「三人の話が事実か」
「帝都にいた頃と態度が変わっていないか」
「取り繕っているだけではないか」
「それを判断できる者が必要だ」
イリスは黙った。
グラナートの言っていることは間違っていない。
間違ってはいないが、納得したい話でもなかった。
「……仕方ありませんね」
イリスは小さく息を吐いた。
「面談には同席します」
「助かる」
「ただし、セドリックが余計なことを言った場合は、私も相応の対応をします」
「どの程度だ」
「内容によります」
「それが一番不安だな」
「私から問題を起こすつもりはありません」
「向こうが起こした場合は?」
「相応の対応をします」
先ほどと同じ答えだった。
グラナートは、それ以上聞かなかった。
「レオンハルトには、まだ話さない方がよいか」
「三名と面談し、受け入れ先をある程度決めてからの方がよいと思います」
「先に話せば、断るか」
「三名とも断ろうとする可能性があります」
「副長府へ置くのは一名だけだと説明してもか」
「まず、仕事が増えると言うと思います」
「実際、増えるな」
「はい」
イリスは迷わず認めた。
グラナートは短く息を吐いた。
「では、少なくとも三名との面談までは伏せておく」
「承知しました」
イリスは静かに頭を下げた。
その日のうちに、グラナートは皇太子へ返書を送った。
帝都から派遣される騎士団長候補三名を、騎士団領で受け入れる。
ただし、それぞれの受け入れ先については、本人たちと面談したうえで決定する。
そう記した返書だった。
あとは、三人が騎士団領へ到着するのを待つだけである。
そして、その面談には、三人を知るイリスも同席する。
本人は、まったく乗り気ではなかったが。




