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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章幕間5 姫様はお菓子を持ってきました

――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――


 ■総騎士団副長府庁舎・第一執務室


 朝。


 リリアは、小さな包みと一通の書状を手に、第一執務室へ入った。


 レオンの姿はない。


 朝から別の執務室へ呼ばれ、席を外しているらしい。


 イリスも、帝都関係の確認のため、総長府へ呼ばれていた。


「お兄様は、まだ戻っていないのですね」


 リリアはレオンの机へ近づいた。


 アルヴェルトから預かった書状を、目につきやすいよう机の端へ置く。


 書状には、ロングの町からヴァイス邸へ礼状と品物が届いたことが記されていた。


 副長府の騎士団員と思われる者たちが、町で清掃や見回りを行っていること。


 レオンが、その活動を知っているのか確認したいこと。


 知っているのであれば、どのような活動なのか返事が欲しいこと。


 本当なら、直接渡して尋ねるつもりだった。


 だが、レオンはいない。


「あとで、お兄様に伺いましょう」


 リリアは、机の上の書状を確認してから、小さな包みへ目を落とした。


 昨夜、二人のメイドに手伝ってもらって作った焼き菓子だった。


 町で活動した者たちへ、直接礼を伝えるために持ってきたものである。


 誰が活動しているのか、全員までは分からない。


 ただ、リリアには少しだけ心当たりがあった。


 勤務の前後に、清掃道具を持っていた騎士たち。


 町の地図を見ながら、何かを相談していた者たち。


 その者たちが集まっている場所も、おおよそ分かっている。


「先に、皆さんへ聞いてみましょうか」


 リリアは包みを持ち直し、第一執務室を出た。


 ■総騎士団副長府庁舎・親衛隊室


 親衛隊室では、朝から会議が行われていた。


 机の上には、ロングの町の地図が広げられている。


 市場前の通り。


 冬場に凍結しやすい場所。


 子供たちが多く通る道。


 それぞれに、小さな印がつけられていた。


「南側の細道は、柵が緩んでいるらしい」


 親衛隊長のエゼルが言った。


「確認後、町の担当者へ報告する」


「はい」


「町の方々に迷惑をかけるな。勝手な取り締まりもするな」


 副隊長のマフガランが続ける。


「我々が行うのは、あくまで支援です」


「はい」


「姫様の名に泥を塗る行いは、絶対に許されません」


「はい!」


 返事が揃った。


 活動そのものは、非常にまともだった。


 町の清掃。


 危険箇所の報告。


 通学路の見守り。


 困っている町民の手伝い。


 実際に、町の役にも立っている。


 ただし、その根本にあるものだけが、少しおかしかった。


 すべては姫様のため。


 その一点で、全員が異様なほどまとまっている。


「活動記録は必ず残せ」


 エゼルが続ける。


「町の方から礼を言われても、個人の功績にするな」


「はい」


「我々は、姫様に胸を張れる活動を続ける」


「はい!」


 その時だった。


 扉が、控えめに叩かれた。


 全員の視線が向く。


「失礼します」


 親衛隊員の一人が、扉を少しだけ開けた。


 なぜか顔が引きつっている。


「エゼル隊長。マフガラン副隊長」


「どうした?」


「お客様です」


「客?」


 エゼルが眉を動かした。


 親衛隊室に客が来ることは、ほとんどない。


「誰だ」


「それが……」


 親衛隊員は、一度だけ背後を振り返った。


「リリア様です」


 室内の空気が止まった。


「……もう一度言え」


 エゼルが低い声で言う。


「リリア様が、こちらへ来られています」


「なぜ」


「町から届いたお手紙の件で、皆さんへお礼を言いたいと……」


 数人が、椅子を倒しかけた。


「静かにしろ!」


 マフガランが声を抑えて叫ぶ。


「姫様が来られている。全員、姿勢を正せ」


「はい!」


「声を抑えろ!」


「はい」


「室内を整えろ!」


 地図を広げ直す。


 書類を揃える。


 椅子を並べる。


 全員が姿勢を正す。


 わずかな時間で、親衛隊室は異様なほど整った空間になった。


「お邪魔しても、よろしいでしょうか?」


 柔らかな声がした。


 扉の向こうから、リリアが姿を見せる。


 少しブラウンが混じった長い金髪が、廊下から差し込む光を受けて、柔らかく揺れていた。


 青いリボンも、歩みを止めた動きに合わせて小さく揺れる。


 その両手には、小さな包みが抱えられていた。


「姫様!」


 エゼルが声を上げる。


 全員が一斉に立ち上がった。


「お疲れ様です!」


 声が揃った。


 揃いすぎていた。


 リリアは少し驚き、それから柔らかく微笑んだ。


「お疲れ様です。急に来てしまって、すみません」


「とんでもございません!」


「こちらこそ、何の準備もできておらず!」


「準備、ですか?」


 リリアが首を傾げる。


「いえ、何でもございません!」


 エゼルが即座に答えた。


 マフガランも、強く頷いている。


 リリアは、開かれた扉と室内を交互に見た。


「あの」


「はい!」


「こちらへ入るには、何か許可が必要なのでしょうか」


 ほんの一瞬。


 室内が静まり返った。


 次の瞬間。


「姫様の御前では、すべての扉が開かれております!」


 室内にいた親衛隊員たちが、一斉に答えた。


 声が重なり、廊下にまで響く。


 リリアは目を丸くした。


「すべての扉が、ですか?」


「はい!」


 エゼルが真剣な顔で答えた。


「親衛隊室のみならず、我々が使用するすべての部屋は、姫様のために開かれております!」


「申請も許可も必要ございません!」


 マフガランも続いた。


「姫様がお望みであれば、いつでもお入りください!」


「そ、そうなのですね」


 リリアは少し戸惑いながらも、促されるまま室内へ入った。


「こちらへどうぞ!」


 すぐに椅子が引かれる。


 机の中央に近く、それでいて周囲の全員から姿が見える位置だった。


「ありがとうございます」


 リリアが腰を下ろす。


 すると今度は、別の親衛隊員が急いで茶器を運んできた。


「お茶をどうぞ!」


「まあ」


「熱くないよう、少し冷ましてございます!」


「ありがとうございます」


 湯気の立つカップが、丁寧に置かれる。


 さらに別の者が、机の上の地図や書類を急いで端へ寄せた。


 親衛隊室は、つい先ほどまで会議をしていたはずなのに、いつの間にかリリアを迎えるための応接室のようになっていた。


「皆さんも、どうぞ座ってください」


「姫様の御前でございますので!」


「立ったままで構いません!」


「でも、私だけ座っているのは少し……」


 その言葉で、全員が一斉に椅子へ座った。


 動きまで揃っている。


 リリアは少し不思議そうにしながら、カップへ手を添えた。


「それで、今日は皆さんへ伺いたいことがあって来たんです」


「何なりとお尋ねください!」


「昨日、ロングの町の方々から、ヴァイス邸へお手紙とお礼の品が届きました」


 室内の何人かが、息を止める。


「町の道を掃除してくださったことや、危ない場所を知らせてくださったこと」


「子供たちが通る道を見守ってくださったことを、とても喜んでいらっしゃいました」


 エゼルとマフガランは黙った。


 心当たりがありすぎる顔だった。


 リリアは、二人の顔を交互に見る。


「皆さんが、してくださったことなのですよね?」


 少しだけ確認するような口調だった。


「姫様へご迷惑がかからぬ範囲で」


 エゼルが、非常に真面目な顔で答える。


「町の清掃と安全確認を、少しだけ行っております」


「少しだけ、ですか?」


「はい」


「毎週のように活動していると、書かれていました」


「……継続は、力ですので」


 マフガランが答えた。


「まあ」


 リリアは目を丸くしたあと、嬉しそうに微笑んだ。


「とても素敵なことだと思います」


 室内の空気が震えた。


「町の方々も、本当に喜んでいらっしゃいました」


「私も、お手紙を読んで、とても嬉しくなりました」


 リリアは、室内にいる親衛隊員たちへ視線を向けた。


「いつも、ありがとうございます」


 その一言で、全員が止まった。


 誰も声を出さない。


 呼吸さえ忘れたように、リリアを見つめている。


 リリアは少しだけ不思議そうにしながら、両手の包みを差し出した。


「それで、少しだけなのですけれど、お菓子を持ってきました」


「お菓子、でございますか」


 エゼルの声が震えた。


「はい」


「昨日、屋敷のメイドの方々に手伝っていただいて作りました」


 室内に、音のない衝撃が走った。


「手作りですので、お口に合うか分からないのですけれど」


 手作り。


 姫様の手作り。


 何人かが、倒れないよう机へ手をついた。


「ただ、こんなにたくさんの方がいらっしゃるとは思っていなくて……」


 リリアは申し訳なさそうに眉を下げる。


「全員分はないかもしれません。少しだけで、ごめんなさい」


「とんでもございません!」


 マフガランが叫んだ。


「一欠片でも、身に余る光栄です!」


「一欠片?」


 リリアはきょとんとした。


 エゼルが、包みを両手で丁寧に受け取る。


「必ず、公平に分けさせていただきます」


「そこまで大げさにしなくても」


「いえ」


 エゼルは包みを胸元で大切そうに抱えた。


「ありがたく、お預かりいたします」


 室内の親衛隊員たちが、一斉に包みを見つめる。


 視線が熱い。


 熱すぎた。


「これからも、無理のない範囲でお願いしますね」


 リリアは柔らかく微笑んだ。


「町の方々に喜んでいただけるのは、私もとても嬉しいですから」


「はい!」


 返事が揃った。


「それでは、私は第一執務室へ戻りますね」


「お送りいたします!」


「すぐそこですから、大丈夫です」


「しかし――」


「本当に大丈夫ですよ」


 リリアは小さく会釈した。


 扉の前で一度振り返る。


「皆さん、本当にありがとうございました」


 扉が閉まった。


 室内に、沈黙が落ちる。


 誰も動かない。


「……姫様が」


 誰かが、小さく呟いた。


「褒めてくださった」


「いつもありがとうございます、と……」


「町の方々が喜んでいると……」


「姫様も嬉しいと……」


「しかも」


 別の者が、震える声で続ける。


「手作りのお菓子を……」


 全員の視線が、エゼルの持つ包みへ集まった。


「落ち着け」


 エゼルが言った。


「無理です!」


「落ち着けと言っている」


「公平に分けましょう!」


「一欠片でも構いません!」


「香りだけでも!」


「包み紙はどうしますか!」


「静まれ!」


 マフガランが机を叩いた。


 全員が止まる。


 エゼルは、包みを机の中央へ置いた。


 重要書類よりも慎重な手つきだった。


「姫様からいただいた、大切なお心遣いである」


「はい!」


「奪い合うな」


「はい!」


「公平に、可能な限り分ける」


「はい!」


「全員へ行き渡らない場合は、香りだけでも共有する」


「はい!」


「包み紙は保存する」


「はい!」


「ただし、姫様には知られるな」


「はい!」


 その後、異様に真剣な分配作業が始まった。


 小さな欠片を受け取った者。


 わずかな香りだけを分けてもらった者。


 包み紙を遠くから眺めた者。


 それでも、誰一人として不満を口にしなかった。


「甘い……」


「優しい味がする……」


「明日から、もっと頑張れます」


「いや、今日からだ」


 室内の熱気が、再び高まっていく。


 エゼルが手を上げた。


「全員、聞け」


「はい!」


「姫様は、我々の活動を喜んでくださった」


「はい!」


「だが、姫様は活動を増やせと命じたわけではない」


「はい!」


「押しつけるな。驕るな。町の方々へ迷惑をかけるな」


「はい!」


「そのうえで、姫様に胸を張れる活動を続ける」


「はい!」


 マフガランが、机の上の地図を押さえた。


「各班は、活動計画を見直す」


「はい!」


「通学路の確認を増やす。ただし、人数を出しすぎるな」


「はい!」


「姫様が喜んでくださったからこそ、やりすぎるな」


「はい!」


 返事は熱かった。


 あまりにも熱かった。


 その日、親衛隊の各班は、活動計画の見直しを始めた。


 理由は単純だった。


 姫様に褒められたからである。


 そして、手作りのお菓子をいただいたからである。


 翌日から、親衛隊員たちは、これまで以上に丁寧に、そして熱心に町へ出ることになる。


 リリアは、まだそのことを知らなかった。

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