第2章28話 帝都からの書状
――帝国暦三二一年 冬初め ヴェリア帝国東ロンバルディア帝国騎士団領 総騎士団本庁舎――
■総騎士団本庁舎・総長執務室
総長執務室に、帝都からの書状が届いた。
差出人は、皇太子。
宛先は、新総長グラナート・グランフェルト。
グラナートは封を見た時点で、わずかに目を細めた。
帝都の正式な封蝋。
皇太子府の印。
急報ではない。
だが、軽い私信でもない。
こういう書状が一番面倒である。
「帝都か」
グラナートは低く呟き、封を切った。
総長執務室には、もう一人だけ人がいた。
副官のマクニッサである。
四十ほどの男だった。
派手さはない。
声も大きくない。
だが、姿勢に無駄がなく、目線にも揺れがない。グラナートが言わない限り、余計なことは口にしない。
そういう男である。
書状の文面は丁寧だった。
丁寧で、慎重だった。
総騎士団副長府の設立への祝意。
新総長就任への祝い。
ヴァイス騎士団再編への関心。
第十三、第十四騎士団増設に向けた人材課題への理解。
そこまではよい。
問題は、その先だった。
帝都側の騎士団長候補三名を、一定期間、騎士団領へ派遣したい。
新体制の運用を学ばせたい。
仮にその三名が、すぐ騎士団長になれる見込みを得られなかったとしても、騎士団領で学ばせること自体に意味がある。
そのため、しばらく預かってもらうことは可能か。
そういう打診だった。
命令ではない。
押しつけでもない。
あくまで確認。
だが、皇太子名で届いた時点で、ただの確認では済まない。
グラナートは、しばらく文面を見つめた。
「マクニッサ」
「はい」
副官が一歩前へ出る。
グラナートは書状を机に置いた。
「どう見る」
マクニッサは書状へ目を落とした。
読む時間は長くなかった。
必要な箇所だけを拾い、すぐに顔を上げる。
「悪い話ではありません」
「だろうな」
「帝都側の候補者三名に、騎士団領の実務を見せる。将来の連携を考えれば意味があります」
「問題は」
「受け入れ先です」
マクニッサは淡々と言った。
「どこに置くか。誰が面倒を見るか。何を見せ、何を見せないか。そこを決めずに受け入れれば、現場が混乱します」
「副長府案件か」
「はい」
即答だった。
グラナートは目を伏せた。
「レオンハルトは嫌がるな」
「嫌がるでしょう」
それも即答だった。
グラナートは、わずかに眉を動かす。
「迷いがないな」
「副長閣下の反応としては、自然かと」
「そうだな」
グラナートは、もう一度書状を見た。
帝都側の騎士団長候補三名。
騎士団長になれる保証はない。
むしろ、すぐになれると思わない方がよい。
騎士団長という席は、推薦だけで座れるものではない。
資格、実績、審査、試験、現場からの信頼。
必要なものは多い。
だが、だからこそ学ばせたいという考えは理解できる。
騎士団領の新体制。
ヴァイス騎士団。
副長府。
統括統合管理官制度。
新設騎士団の準備。
帝都の若い騎士に見せる価値はある。
問題は、見せる側の負担だった。
「悪い話ではない」
「はい」
「だから面倒だ」
「その通りかと」
マクニッサは短く答えた。
グラナートは机上の紙を一枚引き寄せた。
副長府へ回す。
そう書きかけて、筆を止めた。
「いや」
マクニッサが静かに顔を上げる。
「先に、メリーへ話を通す」
「メリー殿へ、ですか」
「そうだ」
グラナートは、帝都からの書状を見下ろした。
「メリーは今、副長府にいる。実務上は、レオンハルトの補佐に近い位置にある」
「はい」
「だが、所属は総長府側だ。副長府の中にいる、総長府側の人間だ」
「はい」
「副長府の実情も、あの男の反応も見ている。そのうえ、我々とは少し違う見方をするかもしれん」
「違う見方、ですか?」
「総長府から見れば、これは帝都との関係を考える案件だ」
グラナートは書状を指で押さえた。
「副長府から見れば、受け入れ運用と現場負担の案件になる」
「はい」
「だが、メリーはその間にいる」
マクニッサは黙って聞いていた。
聞かれていない時は、口を挟まない。
グラナートは続けた。
「前総長の考えも、多少は聞いているだろう」
「はい」
「ヴァルドは、ただレオンハルトに権限を押しつけたわけではない。副長府を置き、管理官を置き、今後の騎士団長候補育成まで見ていた可能性がある」
「はい」
「あの娘なら、その辺りを読めるかもしれん」
そこで、グラナートはマクニッサを見た。
「どう思う」
マクニッサは、必要な分だけ答えた。
「悪くはないかと思います」
「理由は」
「レオンハルト副長へ直接渡せば、まず嫌がります」
「だろうな」
「ですが、メリー殿を通せば、副長府側の負担と、副長閣下の反応を先に見られます」
「そうだ」
「また、総長府側から見落としている実務上の問題も拾えるかと」
グラナートは小さく頷いた。
「この件は、帝都からの正式な打診だ。軽く扱うわけにはいかん」
「はい」
「だが、いきなりレオンハルトへ投げれば、話が進む前に嫌がる」
「嫌がるでしょう」
「そこは否定しないのだな」
「事実かと」
グラナートは、わずかに苦い顔をした。
マクニッサは、そこで一度だけ書状へ視線を落とした。
珍しく、自分から口を開く。
「総長閣下」
「何だ?」
「イリス殿下にも、先に確認されてはいかがでしょうか」
グラナートは目を向けた。
「イリス殿下にか」
「はい」
マクニッサは淡々と続けた。
「書状には、派遣予定者三名の名が記されています」
「そうだな」
「帝都側の騎士であれば、イリス殿下が人となりをご存じの可能性があります」
「人となりか」
「はい。資格や経歴だけなら書状で分かります。ですが、実際の気質、学ぶ姿勢、騎士団領に入れた時に問題になりそうな点は、経歴だけでは分かりません」
グラナートは黙った。
マクニッサは、必要以上には話さない。
だが、言うべき時には言う男だった。
「ただし」
「ただし?」
「副長閣下には、内密にした方がよいかと」
グラナートの眉が、わずかに動いた。
「理由は?」
「副長閣下が先に知れば、警戒されます」
「だろうな」
「メリー殿とイリス殿下から、先に実務面と人物面を確認する。その後、副長府へ正式に回す方が、話は進みやすいかと思います」
グラナートは、しばらく黙った。
それから、短く息を吐いた。
「悪くない」
マクニッサは黙って頭を下げる。
「メリーとイリスを、こちらへ呼べるか」
「総長府へ、ですか」
「そうだ。レオンハルトに気づかれずにだ」
マクニッサは少しだけ考えた。
「容易ではありません」
「だろうな」
「イリス殿下は副長府首席書記官です。メリー殿も副長府に出ています。二人を同時に呼べば、目立ちます」
「分けるか」
「その方がよろしいかと」
「レオンハルトに気づかれずにできるか」
マクニッサは、いつもの平坦な声で答えた。
「努めてみます」
「確約はしないのだな」
「気づかれない保証はありません」
「正直でよい」
グラナートは、書状をもう一度見た。
帝都側の騎士団長候補三名。
その名は、すでに紙の上にある。
だが、名前と経歴だけでは足りない。
人を見る必要がある。
そして、受け入れる側の負担も見る必要がある。
その両方を、レオンハルトに投げる前に確認する。
悪くない。
むしろ、その方がよい。
「まず、メリーを呼べ」
「はい」
「その後、可能であればイリス殿下にも確認する」
「承知しました」
「ただし、どちらにも言え。まだ副長府への正式な照会ではないと」
「はい」
「レオンハルトには、まだ知らせるな」
「承知しました」
マクニッサは封書を受け取った。
部屋を出る前に、グラナートがもう一度言う。
「急がせすぎるな」
「はい」
「だが、遅らせるな」
「承知しました」
マクニッサは深く一礼し、総長執務室を出た。
扉が閉まる。
グラナートは、帝都からの書状を見下ろした。
皇太子は、押しつけてはいない。
だが、何も考えずに出した書状でもない。
帝都側の若い騎士を、騎士団領で学ばせる。
騎士団領側には、帝都の人材を見る機会を与える。
そして、その判断を騎士団領に委ねる。
丁寧な文面だった。
丁寧であるほど、扱いにくい。
「帝都側も、面倒なことを申し込んできた」
呟きは静かだった。
その表情に笑みはない。
だが、わずかな苦さはあった。
「有用かもしれんがな」
帝都から届いた書状は、その日のうちに総長府内で処理された。
まだ、副長府への正式な照会ではない。
まだ、受け入れが決まったわけでもない。
だが、騎士団長候補三名の名は、すでに総長府の机の上にある。
そしてその名は、遠からずメリーとイリスの目にも触れることになる。
レオンハルト・ヴァイスに知られないように。
できれば。




