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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章26話  第四大隊長は姫様にまた誤解されました

――帝国暦三二一年・冬終わり ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――


■総騎士団副長府庁舎・親衛隊室前廊下


 クリス・ラングレーは、親衛隊室を出た。


 扉が閉まる。


 廊下に戻った瞬間、少しだけ空気が軽くなった気がした。


 中に悪人はいなかった。


 それは分かった。


 徽章の収益も、会報の印刷費や姿絵の清書代、贈り物の積み立てに使われているらしい。


 帳簿もある。


 強制購入もしていない。


 本人が嫌がればやめるという意識もある。


 危ういが、完全に腐っているわけではない。


 少なくとも、金銭的な悪事ではなさそうだった。


 そこまでは確認できた。


「……まあ、借り一つは減るだろ」


 クリスは小さく呟いた。


 いや、情報量を考えれば二つでもいい。


 徽章。


 姫様会報。


 親衛隊員室。


 姿絵。


 資金の流れ。


 部屋の無断使用。


 第一執務室所属親衛隊。


 そして、リリアの個人情報管理の危うさ。


 かなりの情報だ。


 シエラなら、さすがに評価する。


 たぶん。


 おそらく。


 してくれないと困る。


 そう思いながら歩き出したところで、クリスは足を止めた。


「……あ」


 忘れていた。


 完全に忘れていた。


 親衛隊室の机に置かれていた部隊表。


 そこに、妙な名前があった。


 登庁見守り班。


 会報管理班。


 姿絵管理班。


 贈り物積立班。


 第一執務室所属親衛隊。


 そこまでは見た。


 だが、他にもあった。


 街路美化班。


 危険箇所報告班。


 治安維持班。


 外部協力者連絡欄。


 あった。


 たしかにあった。


 あの時は、第一執務室所属親衛隊の文字があまりに物々しく、そちらに意識を取られてしまった。


 その後、親衛隊員たちが「姫様あっての我々です」などと言い始めたせいで、完全に忘れていた。


「……聞くの忘れた」


 クリスは額を押さえた。


 街路美化班。


 危険箇所報告班。


 治安維持班。


 外部協力者連絡欄。


 どう考えても重要である。


 かなり重要である。


 しかも、シエラに持っていけば、借り一つは確実に減らせる種類の情報だった。


 なぜ聞かなかったのか。


 なぜその場で確認しなかったのか。


 治安維持班とは何だ。


 誰を維持しているのか。


 どこの治安を見ているのか。


 外部協力者とは誰なのか。


 なぜ親衛隊内の部隊表に、外部協力者という言葉があるのか。


 聞くべきことはいくらでもあった。


「戻るか……?」


 クリスは、閉じたばかりの扉を見た。


 だが、すぐに首を振る。


 無理だ。


 今戻れば、どう考えてもおかしい。


 先ほどあれだけ会報の内容を見直せ、部屋の使用許可を確認しろと言って出てきたばかりである。


 その直後に戻って、「ところで治安維持班とは何だ」と聞くのは、かなり間が悪い。


 しかも、マフガランは真面目だ。


 質問すれば、喜んで説明するだろう。


 室内の親衛隊員たちも、真面目な顔で補足するだろう。


 そして、最後にはまた「第四大隊長も親衛隊に入りたいのでしょうか」と言い出しかねない。


「絶対戻らない」


 クリスは小さく断言した。


 戻るわけにはいかない。


 今は無理だ。


 だが、情報そのものは使える。


 部隊表にそういう名前があった。


 それだけでも、シエラに報告する価値はあるはずだ。


 聞き忘れたことは悔しい。


 かなり悔しい。


 だが、見た事実は消えない。


「……これで借り一つ、追加で減らないか」


 クリスはそう呟き、第三執務室へ向かって歩き出した。


■総騎士団副長府庁舎・第三執務室前廊下


 シエラは、今日は午後四時からの勤務だった。


 クリスは少し早めに第三執務室の前へ向かった。


 親衛隊室で聞いた内容は、頭の中で整理してある。


 徽章は実在。


 最低型で銀貨二枚。


 初期発行は百五十個。


 裏にはシリアル番号。


 高い型には純銀製や金を使ったものもある。


 徽章所持者は朝の整列に優先参加できる。


 親衛隊室に入れる。


 姫様会報を安く買える。


 会報は徽章がなくても買えるが、値段が数倍になる。


 内容には、リリアの趣味や好み、よくいる場所、休みの日の行き先、住んでいる場所などが含まれる。


 親衛隊室あり。


 姿絵多数。


 金は徽章、会報、絵師への依頼、贈り物資金などに使われている。


 強制はしていない。


 本人が嫌がればやめる。


 ただし、情報管理は危うい。


 部屋の使用許可も怪しい。


 さらに、第一執務室所属親衛隊という非常時用の中核部隊まである。


 そして、部隊表には、街路美化班、危険箇所報告班、治安維持班、外部協力者連絡欄らしきものがあった。


 重要だろうか。


 絶対重要である。


 かなり重要である。


 悪事ではない。


 だが、放置していいものでもない。


「……借り二つ。いや、治安維持班まで入れたら三ついけるか」


 クリスは小さく呟いた。


 九つある借り。


 少しでも減らしたい。


 はやく減らしたい。


 だが、情報の価値はシエラが判断する。


 そこが一番厄介だった。


「クリスさん?」


 声がした。


 クリスは振り返る。


 リリアが立っていた。


 数冊の書類を抱え、少し不思議そうにこちらを見ている。


 少しブラウンが混じった長い金髪が、廊下の光を受けて柔らかく揺れていた。


 髪に結ばれた青いリボンが、歩いてきた余韻で小さく揺れる。


 前に親衛隊室で見た姿絵を、クリスは一瞬だけ思い出した。


 腹立たしいほど似合っていた青いリボン。


 それは絵の中だけではなく、本人がつけていても、やはりよく似合っていた。


「こんなところで、どうされたんですか?」


「ああ、少し人を待ってる」


「人を、ですか?」


「シエラだ」


 リリアの表情が、ぱっと明るくなった。


「シエラさんを?」


「ああ。少し分かったことがあってな。確認してもらおうと思ってる」


「そうなのですね」


 リリアは嬉しそうに微笑んだ。


 その柔らかな笑みだけで、廊下の空気が少し緩む。


 クリスは、なぜ親衛隊がああなるのか、少しだけ分かった気がした。


 分かりたくはなかった。


「クリスさんとシエラさんは、仲がよろしいのですね」


「いや、そういう話じゃない」


「でも、お待ちになっているのですよね」


「情報の件だ」


「情報の件」


「ああ」


 リリアはにこにことしていた。


 どうやら、説明はあまり意味を持っていない。


 クリスは嫌な予感を覚えた。


「リリア、変なふうに受け取るなよ」


「変なふうに、ですか?」


「違うからな」


「何がでしょうか?」


「いや、何でもない」


 ここで下手に説明すると、余計に変な方向へ行く気がした。


 その時、廊下の向こうからシエラが歩いてきた。


 勤務前らしく、資料を抱えている。


 いつもの静かな表情だった。


「クリスさん」


 シエラが足を止める。


「待っていたのですか?」


「ああ、はやく話したくて」


 その言い方が、少しだけまずかった。


 リリアがすぐ隣で目を輝かせた。


 クリスは気づいたが、もう遅い。


「ちょっと分かった情報がある。悪いが、少し付き合ってくれないか」


 シエラは一瞬、クリスを見た。


 それから、リリアを見た。


 そして、またクリスを見る。


「分かりました」


 静かな返事だった。


 リリアは両手で書類を抱え直し、どこか嬉しそうに頬を赤くした。


「お二人だけで、お話なのですね」


「違う」


 クリスは即座に言った。


「情報の話だ」


「はい、わかってます」


 リリアは素直に頷いた。


 素直に頷いたが、表情はまったく納得していない。


 むしろ、何かを見守るような顔になっていた。


 シエラも、ほんの少しだけリリアを見る。


 クリスも、つられて見た。


 青いリボンを揺らしながら、リリアはにこにこと二人を見守っている。


 何も悪いことはしていない。


 何も知らない。


 ただ、嬉しそうにしているだけである。


 だから余計に困る。


「リリア」


「はい」


「第一執務室に戻れ」


「はい。お邪魔してはいけませんものね」


「そういう意味でもない」


「分かっています」


 リリアは嬉しそうに微笑んだ。


 絶対に分かっていない。


 クリスはそう思った。


「それでは、失礼しますね」


 リリアは小さく会釈し、第一執務室の方へ戻っていった。


 長い金髪と青いリボンが、歩くたびに控えめに揺れる。


 クリスとシエラは、しばらくその後ろ姿を見送った。


 廊下の角を曲がり、リリアの姿が見えなくなってから、シエラが静かに口を開いた。


「資料室へ入りましょう」


「ああ」


「人に聞かせる話ではありませんので」


「そうだな」


 シエラは第三執務室奥の資料室を示した。


 クリスは小さく息を吐き、促されるまま中へ入った。


■総騎士団副長府庁舎・第三執務室奥資料室


 資料室の扉が閉まる。


 廊下の音が少し遠くなった。


 第四大隊長は、親衛隊の情報を持ってきたはずだった。


 だが、リリアの後ろ姿を見送った直後だと、その情報が余計に面倒なものに思えた。


 シエラは抱えていた資料を机に置き、静かに椅子へ座った。


「では、聞かせてください」


「ああ」


 クリスは頷いた。


 ようやく、まともに報告できる。


 そう思った。


 だが、シエラはペンを取り出すと、いつもの記録用紙ではなく、別の紙を机の上に置いた。


 そこには、すでに題名が書かれていた。


 ――姫様会報・外部活動調査記録。


 クリスは、その文字を見て止まった。


「……おい」


「はい」


「何で、もう題名がある」


 シエラは静かに答えた。


「私も、少し調べていましたので」


 クリスは、嫌な予感がした。


 かなり嫌な予感がした。


「クリスさん」


「何だ?」


「たぶん、借り三つでは足りません」


 クリスは、しばらく何も言えなかった。

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