第2章24話 第四大隊長は親衛隊室へ向かいました
――帝国暦三二一年・冬終わり ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――
■総騎士団副長府庁舎・廊下
クリスは、廊下の先へ足を向けた。
青と金の徽章をつけた者は、やはり一人ではない。
騎士。
書記官。
伝達係。
全員ではないが、思っていたより多い。
「……こんなにいたか」
クリスは小さく呟いた。
さっきまでは、ただの飾りに見えていた。
だが、ライから話を聞いた後では、もうそうは見えない。
あれは飾りではない。
資格であり、通行証であり、優先権であり、親衛隊内で正規扱いされる証でもある。
そう考えると、胸元についた小さな徽章が妙に重く見えた。
「大隊長」
背後から声がした。
クリスは足を止める。
振り返ると、マルク・レイノルズがこちらへ歩いてきていた。
クリスの副官である。
手には、何枚かの書類を抱えている。
その顔は、明らかに仕事中の人間の顔だった。
「……マルクか」
「はい。探しました」
「俺をか?」
「他に誰がいるんですか」
マルクは、少し疲れたように息を吐いた。
「大隊長室に戻ってください。確認していただきたい書類があります」
「今は無理だ」
「またですか」
「またとは何だ」
「最近、全然部屋に来ていないじゃないですか」
その言葉に、近くを通りかかった女性書記官がちらりとこちらを見た。
別の騎士も足を緩める。
伝達係まで、聞かなかったふりをしながら視線だけ向けてきた。
クリスは、少しだけ眉を寄せた。
「そんなことはない」
「あります」
「たまには行っている」
「たまにでは困ります。仕事をしてください」
「している」
「今ですか?」
「ああ」
「廊下を歩いているように見えますが」
「親衛隊の確認だ」
「それは大隊長の仕事ではありません」
マルクはきっぱりと言った。
「大隊長の仕事は、大隊長室で溜まっている書類を確認することです」
「今はそれより面倒なことになりそうなんだ」
「そう言って、最近ずっと戻ってきていません」
「戻る」
「いつですか」
「後でだ」
「その後で、が来ないから探しているんです」
「今日は行く」
「必ずですか」
「ああ」
「では、今だけです」
マルクは書類を抱え直した。
「ただし、終わったら必ず大隊長室に戻ってください」
「分かった」
「必ずです」
「分かってる」
「分かっている人の行動ではありません」
「……お前、意外と容赦ないな」
「副官なので」
周囲の視線が、また少し増えた気がした。
第四大隊長が、副官に仕事をしてくださいと言われている。
しかも、最近部屋に来ていないと言われている。
かなりまずい。
少なくとも、評判としてはかなりまずい。
その時、廊下の向こうから、別の声がした。
「あら」
クリスは嫌な予感がした。
振り向くと、マリニーファがこちらへ歩いてきていた。
手には書類を抱えている。
そして、クリスとマルクを見比べて、少しだけ目を細めた。
「相変わらず、副長府に遊びに来ているんですね」
「遊んでない」
「そうなんですか?」
「そうだ」
マリニーファは、マルクの方を見た。
「こちらの方に、仕事をしてくださいと言われていましたけど?」
「言われていたな」
「全然部屋に来ていないとも言われていましたね」
「言われていたな」
「そういう人、私嫌いです」
クリスは固まった。
マルクも、少し気まずそうに視線を逸らす。
周囲の空気が、さらに微妙になった。
「仕事を真面目にしない人は、嫌いです」
「だから、今している」
「廊下でですか?」
「親衛隊の確認だ」
「親衛隊の確認、ですか」
「ああ」
「それは、今ここでしないといけないことなんですか?」
「そうだ」
「本当に?」
「本当だ」
マリニーファは、まったく信じていない顔をした。
「怪しいですね」
「怪しむな」
「普段の行いでは?」
クリスは言い返せなかった。
マルクが静かに頷いた。
「副官が頷くな」
「事実ですので」
「お前ら、俺を何だと思ってるんだ」
「部屋に戻らない上官です」
「仕事を真面目にしない人です」
「二人で追い詰めるな」
クリスは額を押さえた。
自分としては、本当に重要な確認をしているつもりだった。
リリア親衛隊。
正式名称、LWSS。
独自徽章。
正規親衛隊員と準隊員。
姫様会報。
行き先や住んでいる場所まで載っている情報。
放っておけば、確実に面倒になる。
それなのに、周囲から見れば、仕事場に戻らず副長府をうろついている第四大隊長である。
非常に納得がいかない。
だが、完全には否定できない。
「何の確認ですか?」
マリニーファが尋ねた。
「だから、親衛隊の確認だ」
「親衛隊の何を確認するんですか?」
「徽章と、会報と、部屋だ」
「部屋?」
「親衛隊用の部屋があるらしい」
マリニーファは、少しだけ眉を寄せた。
「副長府にですか?」
「ああ」
「誰の許可で?」
「それを確認しに行く」
マリニーファは、ようやく少しだけ真面目な顔になった。
「それなら、確認した方がいいかもしれませんね」
「だろう」
「でも、仕事を真面目にしていないこととは別です」
「戻ったな」
「大事なことなので」
クリスは深く息を吐いた。
ここで立ち止まっていると、ますます仕事をしていないように見える。
さっさと動くべきだった。
クリスは、近くを通りかかった青と金の徽章をつけた若い騎士を呼び止めた。
「おい」
「はい、第四大隊長」
「その徽章」
「親衛隊徽章です」
若い騎士は、少し誇らしげに胸を張った。
クリスは額を押さえそうになったが、なんとか我慢した。
「LWSS室はどっちだ」
騎士は一瞬、目を丸くした。
「LWSS室ですか」
「ああ」
「ご案内します」
「助かる」
若い騎士は少し緊張した顔で頷き、歩き出した。
クリスはその後についていく。
背後から、マルクの声が飛んでくる。
「大隊長」
「何だ」
「終わったら、必ず大隊長室です」
「分かってる」
「必ずですよ」
「分かってると言ってるだろ」
「では、信じます」
「最初から信じろ」
「今日戻ってきたら信じます」
クリスは返事をしなかった。
できなかった。
続けて、マリニーファの声が聞こえる。
「仕事は真面目にしてくださいね」
「お前まで言うな」
「大事なことなので」
周囲の空気が、少しだけ冷たい。
第四大隊長は、本当に仕事をしている。
少なくとも、本人はそのつもりである。
だが、そう見えていないことだけは分かった。
LWSS室。
徽章がないと入れない部屋。
そこを見なければ、この妙な仕組みの中心は分からない。
頭の中に並べると、だいぶ危ない。
それでも、おそらく悪意はない。
悪意はないが、放っておくと必ず面倒になる。
「……やっぱり、借り三つじゃ全然足りないな」
クリスは小さく呟いた。
第四大隊長は、青と金の徽章をつけた騎士に案内されながら、LWSS室へ向かった。




