第2章22話 姫様のためです。
――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――
■総騎士団副長府庁舎・第三執務室奥資料室
「この徽章の件は、まず確認する」
クリスは、そう言って紙を卓に置いた。
青地に金縁。
表面に、LWSSの文字。
複数名が胸元に装着。
購入者あり。
価格は通常の小型徽章より高額。
販売者は親衛隊内部の一部と推定。
資金の用途、不明。
主導者、不明。
分からないことが多すぎる。
しかも、金が絡んでいる。ただの親衛隊遊びで済ませるには、嫌な匂いがした。
「徽章の作成者、販売者、資金の流れ。まずはそこだな」
「はい」
シエラは頷いた。
「妥当だと思います」
「妥当か」
「はい」
「それ以外は、今はまだ見ない」
「見ないのですか?」
「見たら、今日はもう帰れなくなる気がする」
クリスは現在の時刻を確認した。
仕事はとっくに終わっている。
本来なら、もう帰るつもりだった。
それがシエラに呼び止められ、「情報の確認」という名目でLWSS関連の確認作業をさせられ、気づけばもう真夜中である。
「もう帰れないのでは?」
「……言うな」
クリスは嫌そうな顔で紙束を睨んだ。
リリア親衛隊。
正式名称、LWSS。
リリア・ヴァイス親衛支援会。
隊員は三百名に接近中。
隊長と副隊長がいて、影の存在がいるかもしれない。
さらに独自の徽章まである。
それだけでも十分に面倒だった。
これ以上、何かあると言われても困る。
かなり困ることになる。
* *
だが、シエラは静かに次の紙を抜き出した。
「徽章の件を確認するのであれば、組織の活動実態も把握しておいた方がいいと思います」
「活動実態?」
「はい」
「嫌な言葉だな」
「事実ですので」
「その事実が嫌なんだよ」
シエラは表情を変えない。
そして、紙を一枚、クリスの前へ置いた。
過去の事例。
街中にて、褒められない格好をした若者三名、ないし四名が道端にたむろしていた。
リリアさんは、それを少し怪訝そうに見た。その後、リリアさんは特に声をかけることなく、その場を離れた。
リリアさんが完全に視線を外し、帰路についた後、近くにいたLWSS隊員が行動開始。
若者たちは、短時間でその場から排除された。以降、その場所で同様のたむろ行為は確認されていない。
地域住民からは、治安改善として好意的に受け止められている。
クリスは、紙から顔を上げた。
「……怖えよ」
「治安対策としては、有効です」
「有効なのが怖いんだよ」
「実際、その後は同様のたむろ行為が減っています」
「そういう成功例みたいに書くな」
「成功例です」
「成功例にするな」
クリスは眉間を押さえた。
リリア本人は、何も命令していない。
ただ少し見ただけである。
怪訝そうに見た。
それだけだ。
だが、それを見た親衛隊員が動いた。
そして、たむろしていた若者たちは排除された。
結果として、地域住民は喜んだ。
治安が改善した。
それだけ聞けば、悪い話ではない。
むしろ、役に立っている。
だが、動機が重い。
それもかなり。
「リリアは何も言ってないんだよな?」
「はい」
「見ただけだよな」
「はい、見ただけですね」
「それで動くのか」
「動きました、迅速に」
「怖いな」
「はい」
「お前も怖いと思うのか」
「少し」
「少しか」
シエラは次の紙を示した。
別事例。
リリアさんが公園を歩行中、足元の小石につまずきかけた。
転倒はしていない。
怪我もない。
本人も、そのまま歩行を続けた。
しかし、その様子を遠方から見守っていたLWSS隊員が確認後、行動開始。
翌日、公園内のゴミ、落石、小枝、不要な障害物はほぼ撤去された。
歩行経路は大幅に改善。公園利用者からは、非常に好意的な反応が寄せられた。
クリスは、しばらく黙った。
「……公園を掃除したのか?」
「はい」
「全部?」
「確認できる範囲では、ほぼすべてです」
「小石まで?」
「はい、ひとつ残らず排除されました」
「何でだよ」
「リリア様がつまずきかけたためです」
「一回つまずきかけただけだろ」
「はい」
「それで公園中のゴミと障害物を撤去したのか」
「はい、全て」
「行動力がおかしい」
「公園利用者には絶賛されていました」
「絶賛されるのがまた困るな」
「結果として、地域環境の改善に寄与しています」
「だから成功例にするな」
クリスは呆然とした。
若者を排除すれば治安がよくなる。
公園を掃除すれば利用者が喜ぶ。
やっていることの結果だけ見れば、悪いとは言いづらい。
むしろ、役に立っている。
だが、動機が全部リリアである。
リリアが見た。
リリアがつまずきかけた。
リリアが少し気にした。
それだけで、周囲が勝手に変わっていく。
本人は、おそらく知らない。
知らないまま、街の治安と公園の環境が次々と改善されている。
「それから、その後の定期的な見回りと清掃も確認されています」
「定期的な?」
クリスが嫌そうに聞き返した。
「はい。街の一部区域で、LWSS隊員と思われる者たちが、定期的に見回りと清掃作業を行っています」
「見回りと清掃」
「はい」
「誰が許可したんだ」
「不明です」
「また不明か」
「はい」
シエラは淡々と続けた。
「見回りの内容は、道端に不審な者がいないかの確認、通行の妨げになる物の撤去、清掃作業は汚れている場所の清掃、危険そうな小石や木片の除去などです」
「小石にこだわりすぎだろ」
「リリア様がつまずきかけた件以降、小石拾いが最重点項目作業になっているようです」
「最重点項目にするな!」
「さらに先程の、町の定期清掃を専任担当している者たちもいるらしいです」
「町の清掃専任?」
「はい。話によると、親衛隊の中に、そうした外部活動を担当する部隊があるらしいです」
クリスは、少しだけ固まった。
「……部隊?」
「はい」
「親衛隊の中に?」
「はい」
「町の見回りと掃除をする部隊が?」
「そのようです」
「もう親衛隊じゃないだろ、それ」
「名称は不明ですが、活動実態はあります」
「活動実態って言うな」
クリスは頭を抱えた。
親衛隊。
正式名称、LWSS。
リリア・ヴァイス親衛支援会。
その中に、街の見回りと清掃を担当する部隊がある。もう意味が分からなかった。
「それ、誰のためにやってるんだ?」
「姫様のため、という証言が多いです」
「だろうな」
「ただ、町の人々からは、治安維持と環境改善として感謝されています」
「だろうな!」
クリスは思わず声を上げた。
「無料で見回りして、掃除して、危ない物をどかしてくれるなら、そりゃ感謝されるだろ」
「はい」
「だから困るんだよ」
「はい」
「善行みたいになってるじゃないか」
「実際、外部からはそう見られています」
「中身は姫様親衛隊なのにか」
「はい」
「最悪だな」
「好意的に受け止められています」
「余計に最悪だ」
クリスは深く息を吐いた。
悪いことなら止められる。
危ないことなら処理できる。
だが、町の人に感謝されている善行のようなものを、簡単に止めろとは言いづらい。
しかも、本人たちは町のためではなく、リリアのために動いている。
そこが一番ややこしかった。
「それから、一部の隊員は制服のまま活動しています」
「制服?」
「はい。副長府、あるいは騎士団所属者だと分かる服装のまま、見回りや清掃をしているようです」
「……待て」
クリスは嫌そうに顔を上げた。
「それ、町の人からどう見える?」
「騎士団が町のために動いているように見えます」
「だよな」
「そのため、副長府および騎士団関係者への評判も、軒並み上がっています」
「上がるな」
「上がっています」
「勝手に評判を上げるな!」
「評判が上がること自体は、悪いことではありません」
「悪くないのが困るんだよ」
クリスは頭を抱えた。
制服のまま、街を見回る。
制服のまま、道を掃除する。
制服のまま、子供たちの通り道に立つ。
町の人からすれば、それは騎士団が町のために動いているようにしか見えない。
実際には違う。
動機は、やはりリリアである。
姫様が嫌な顔をしないように。
姫様が転ばないように。
姫様が心配しないように。
それだけである。
だが、外から見れば善行だった。
しかも、騎士団の制服付きである。
評判が上がらない方がおかしい。
「これも、レオンが知ったら嫌な顔するぞ」
「はい」
「騎士団の評判が上がってるのに……」
「はい」
「だろうな。あいつはそういう顔をする」
「嫌がると思います」
「絶対嫌がる」
クリスは深く息を吐いた。
「ありがたい。ありがたいんだが、ものすごく困る」
「はい」
「何で親衛隊の暴走で副長府の評判が上がってるんだ」
「結果として、そうなっています」
「結果が一番厄介だな」
「はい」
シエラは、さらに別の紙を出した。
「ほかにも、確認できている範囲では、子供の帰宅時間帯に、親衛隊が見守りを行っていた例があります」
「子供?」
「はい。リリアさんが以前、街で子供の列を心配そうに見ていたそうです」
「それで?」
「翌日以降、複数名のLWSS隊員が、子供たちの通り道付近に立つようになりました」
「……見守りか」
「はい」
「それも無料か」
「はい」
「町の人は?」
「感謝しています」
「だろうな」
クリスは頭を抱えた。
困った。
これは本当に困った。
悪いことをしているなら、止めればいい。
違法なら、処理すればいい。
危険なら、潰せばいい。
だが、やっていることは、見方によっては善行である。
道端のたむろを減らす。
公園を綺麗にする。
町を定期的に掃除する。
街を見回る。
子供の行き帰りを見守る。
困っている人を助ける。
しかも、全て無料。
地域住民からすればありがたい。
さらに、一部は制服で動いている。
だから、騎士団の評判まで上がっている。
だが、理由はリリアである。
リリアが嫌な顔をしないように。
リリアが転ばないように。
リリアが心配しないように。
全部、そこから始まっている。
「……本人たちは、全て町のためにやってるつもりなのか?」
「少なくとも、最初の動機は違うようです」
「だよな」
「やはり、姫様のため、という表現が多く確認されています」
「だろうな」
クリスは、もう一度紙を見た。
治安改善。
公園清掃。
定期見回り。
町の清掃。
子供の見守り。
副長府および騎士団関係者への評判向上。
どれも、字面だけなら立派だった。
立派なのに、怖い。
怖いのに、役に立っている。
役に立っているから、止めづらい。
「これ、町の人に受け入れられてるのか?」
「はい、ここまでは」
「そりゃそうか。無料で掃除して、治安もよくして、子供まで見てくれるならな」
「はい」
「親衛隊だとは知られてるのか?」
「一部では知られているようです」
「どう説明してるんだ」
「今のところ、そこは不明です」
「不明が多いな」
「はい」
「そこも確認した方がいいな」
「必要だと思います」
シエラは静かに頷いた。
「外部から見たLWSSの評価、活動理由の説明、協力者の有無。そこも、今後確認すべき項目です」
「今後って言うな」
「では、確認項目です」
「同じだ」
クリスは椅子の背にもたれた。
分かってきた。
これは、徽章だけの話ではない。
徽章は入口である。
その奥に、活動実態がある。
「シエラ」
「はい」
「これ、徽章だけ確認して終わりにはならないな」
「はい」
「最初からそう思ってただろ?」
「はい」
「隠すな」
「クリス調査員なら、そう気づくと思いました」
「だから調査員扱いするな」
「確認員ですか?」
「それも嫌だ」
シエラは、ほんの少しだけ首を傾げた。
「では、何と呼べばよろしいですか」
「第四大隊長だ」
「では、第四大隊長として確認をお願いします」
「結局やらせる気じゃないか」
「はい」
クリスは大きく息を吐いた。
逃げたい。
正直、もう逃げたい。
だが、逃げても、たぶんこの件は消えない。むしろ、放っておけば大きくなる。
レオンが知った時には、もっと嫌な顔をするだろう。
リリアが知った時には、もっと困るだろう。
イリスは書類を作る。
エリシアは運用を考える。
そして、なぜかクリスも巻き込まれる。
そこまで想像できてしまうのが嫌だった。
「これ、町の事例も確認したら、情報として価値があるのか」
「あります」
「即答か」
「はい」
「徽章の販売経路、資金の流れ、活動実態、町での評価。そこまで持ってきたら?」
「情報の価値は高いです」
クリスは、そこで少しだけ黙った。
情報の価値。
その言葉は、今のクリスにとってかなり重要だった。
「……それを持ってきたら?」
「はい」
「お前への借りは、どのくらい減る」
シエラは、少しだけ目を細めた。
「内容によります」
「それは分かってる」
「では、あくまで目安ですが」
「ああ」
「徽章の販売経路、販売者、資金の流れまで確認できれば、一つは減らせます」
「一つか」
「はい」
「町での活動実態と、外部からの評価も確認できれば?」
「さらに一つ」
クリスの目が、少しだけ動いた。
「二つか」
「はい」
「外部協力者の有無まで分かったら?」
「内容次第では、三つ以上もあり得ます」
「三つ」
クリスは、そこで完全に黙った。
三つ。
シエラへの借りが三つ減る。
それは、かなり大きい。
「……ちなみに」
「はい」
「今、俺がお前に作っている借りは、いくつだった」
「九つです」
「……九つか」
「はい」
「九つのうち、三つ減るかもしれない」
「可能性としては?」
「三分の一か」
「はい」
「まあまあだな」
「まあまあ、ですか」
「ああ。まあまあだ」
クリスは、もう一度紙を見た。
青地に金縁の徽章。
LWSS。
販売経路不明。
資金用途不明。
活動実態。
町の見回り。
定期清掃。
制服のまま動く隊員。
子供の見守り。
町からの評価。
外部協力者の可能性。
正直、どれも関わりたくない。
だが、借りが三つ減る可能性がある。
九つある借りのうち、三つ。
それなら、まあまあだ。
「……分かった」
「はい」
「徽章の件と、町での活動例。その二つは確認する」
「ありがとうございます」
「調査じゃないぞ」
「確認です」
「そうだ。確認だ」
「はい」
「それで三つ減る可能性があるなら、少しはやる気も出る」
「三つ減るとは限りません」
「分かってるよ」
「価値次第です」
「分かってるって」
クリスは嫌そうに息を吐いた。
「でも、一つや二つでも減るなら、やらないよりはましだ」
「はい」
「三つ減ったら、かなりましだ」
「はい」
「……よし」
クリスは紙を卓に置いた。
「やる」
「記録しておきます」
「するな」
「クリス調査員、LWSSの徽章および外部活動の実態確認に着手」
「長くするな。より本格的に見えるだろ」
「正確です」
「正確にするな」
シエラは、ほんの少しだけ笑った。
クリスはそれを見て、嫌な予感を覚えた。
この女は、たぶん最初からこうなると思っていた。
徽章の紙だけを見せる。
次に活動実態を見せる。
最後に、情報の価値を匂わせる。
そうすれば、借りを減らしたいクリスは動く。そう読まれていた気がする。
「シエラ上級調査員殿」
「はい」
「お前、性格悪いな」
「評価がひどいですね」
「事実だ」
「では、記録しておきます」
「するな」
シエラは紙束を整えた。
「追加資料はまだありますが、本日はここまでにしましょう」
「まだあるのか?」
「あります」
「もう聞きたくない」
「では、次回に」
「次回って言うな」
クリスは椅子から立ち上がった。
今度こそ帰る。
そう思った。
だが、手元には紙が残っている。
どれも、頭から離れない嫌な情報だった。
だが、使える情報でもある。
そして、使える情報なら、シエラへの借りを減らせるかもしれない。
そこが一番ずるかった。
「徽章と活動例を確認する。そこまでだ」
「はい」
「それ以上はやらない」
「はい」
クリスは扉へ向かった。
資料室の扉を開ける前に、もう一度だけ振り返る。
「これ、レオンにはまだ言うなよ」
シエラは静かに頷いた。
クリスは、それ以上何も言わずに資料室を出た。
廊下は静かだった。だが、静かなはずの副長府が、今日は少しだけ違って見えた。
どこかにLWSS隊員がいるかもしれない。
どこかに青地に金縁の徽章があるかもしれない
第四大隊長は、歩きながら小さく呟いた。
「……親衛隊って本当何なんだよ」
誰も答えない。
ただ、胸元に青い徽章をつけた誰かが、廊下の先を横切ったような気がした。
クリスは見なかったことにした。




