第2章21話 LWSS
――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア騎士団領 総騎士団副長府庁舎――
■総騎士団副長府庁舎・第三執務室奥資料室
第四大隊長は、その日、帰る機会を完全に失っていた。
そう思った直後、クリスはもう一度、手元の紙を見た。
リリア・ヴァイス。
通称、姫様。
副長府内での士気向上効果。
登庁時の親衛隊化。
旧第七騎士団を中心に始まったが、現在は旧第十、旧第十二、書記官の一部にまで拡大中。
推定人数、二百名超。
現在、三百名に接近中。
「……何度見ても、おかしいな」
「数字は確認済みです」
「確認済みなのが一番怖いんだよ」
「複数日の目視、窓からの確認、書記官からの聞き取りを総合しています」
「本気で調べたのか?」
「はい」
シエラは当然のように頷いた。
クリスは紙を卓に置き、眉間を押さえた。
「そもそも親衛隊って何なんだ?」
「リリア様の登庁を見守り、士気を上げ、日々の無事を祈る集団です」
「説明されても分からない」
「現在も彼等は増えています」
「増えるな!」
「私に止める権限はありません」
「そういう時だけ正しいこと言うな」
クリスは椅子に深く座り直した。
隊員が二百名を超え、三百名に近づいている。これは冗談で済む人数ではない。
少人数がリリアを慕っている、という程度ならまだ笑える。だが、その規模になると話が変わってくる。もう中隊に近い。
しかも、本人であるリリアはおそらく詳しく分かっていない。
レオンが知れば、まず嫌な顔をする。
イリスは危険視し、エリシアは運用を考え、第一執務室と第二執務室はまた妙な熱気に包まれる。
そこまで想像して、クリスは深く息を吐いた。
「レオンが知ったら、嫌がるだろうな」
「はい」
「即答か」
「嫌がると思います」
「だよな」
シエラは次の紙を差し出した。
クリスは嫌な予感を覚えながら受け取る。
そこには、姫様親衛隊に関する補足が並んでいた。
姫様親衛隊、またはリリア親衛隊。
これは、あくまで俗称である。
正式名称は、LWSS。
リリア・ヴァイス親衛支援会。
ただし、その正式名称がいつ、誰によって定められたのかは不明。
気づいた時には、すでに一部の隊員間で使われていた。
隊長と副隊長の名前は確認されている。
しかし、さらに上位に影の存在がいる、という噂もある。
創設者は不明。
創設時の記録も不明。
詳細を知っている可能性があるのは、親衛隊長および副隊長のみと推定される。
クリスは、そこで手を止めた。
「……待て」
「はい」
「姫様親衛隊って、俗称なのか?」
「はい」
「正式名称があるのか?」
「あります」
「LWSS?」
「はい」
「何だ、それ」
「リリア・ヴァイス親衛支援会です」
「思ったよりちゃんとしてる名前だな」
「はい」
「ちゃんとしてるのが怖いんだよ」
「活動実態がありますので」
「活動実態って言うな」
クリスは紙を見つめた。
姫様親衛隊。
名前だけなら、まだ軽い。
騎士たちがリリアを姫様と呼び、勝手に慕っているだけの集まり。
そう思うこともできた。
だが、正式名称がある。
隊長がいる。
副隊長がいる。
さらにその上に、影の存在がいるかもしれない。
創設者は不明。
気づいた時には、すでにあった。
その時点で、もう笑えなかった。
「誰が作ったんだ?」
「不明です」
「不明なのか?」
「はい」
「隊長と副隊長はそれを知ってるのか?」
「知っている可能性はあります」
「可能性か」
「はい」
「つまり、分からないんだな」
「分かりません」
「分からない組織が三百人近くいるのか」
「はい」
「怖いな」
「はい」
「お前も怖いと思うのか?」
「少し」
「少しか」
「興味深いです」
「楽しむな」
シエラは次の行を指した。
隊員は特定部署に限られない。
旧第七騎士団を中心としつつ、旧第十、旧第十二、書記官、庁舎勤務者の一部にまで拡大。各部署に支援単位が存在すると見られる。
現在の副長府内においては、すでに一大勢力と呼べる規模である。
忠誠心は、軒並み高い。
「一大勢力って書くな」
「事実です」
「一大勢力って何だ。騎士団内に勝手に勢力を作るな」
「作ったのは私ではありません」
「そういう問題じゃない」
「一大戦力とも言えます」
「もっと悪い」
「戦力として見た場合、かなり有用です」
「有用にするな」
クリスは眉間を押さえた。
親衛隊。
正式名称、LWSS。
隊長、副隊長。
影の存在。
各部署に散らばる隊員。
高い忠誠心。
そこまで来ると、もうただの応援団ではない。副長府内に勝手にできた、よく分からない組織である。
しかも、たぶん悪意はない。
それが一番扱いづらい。
クリスは続きを読んだ。
LWSS隊員は、基本的にリリア・ヴァイス本人の嫌がる行為をしない。
私的領域には踏み込まない。
帰宅後の行動には関与しない。
本人が不快に思う可能性のある接触、追跡、私物確認等は禁止されている。
ただし、リリア・ヴァイス本人のためになると判断した場合、周囲の人間に対しては強く働きかけることがある。
「……ここ、怖くないか?」
「はい」
「本人にはやらないけど、周りにはやるってことだろ」
「そう読めます」
「読めます、じゃない」
「実際、その傾向があります」
「あるのか」
「あります」
クリスは嫌そうな顔をした。
リリア本人には優しい。
リリア本人が嫌がることはしない。
そこだけ見れば、まだまともだ。
だが、リリアのためだと思えば、周囲には強く出る。つまり、リリアに近づく者、リリアを困らせる者、リリアの邪魔になる者には動く。
善意で。
忠誠心で。
そして、おそらく本人たちは正しいと思って。
「リリアは何も命令してないんだよな」
「はい」
「たぶん、本人は把握もしてないよな」
「はい」
「それで組織だけが膨らんでるのか」
「そのようです」
「怖いな」
「はい」
「お前も怖いと思うのか」
「少し」
「少しか」
クリスは紙を置き、腕を組んだ。
リリア本人に悪意はない。
親衛隊にも、たぶん悪意はない。
むしろ、悪意がないから面倒なのだ。
本人の私的領域には踏み込まない。
嫌がることはしない。
そこまでは理性的である。
だが、その外側にいる者たちへは、リリアのためという名目で動く。
そして、人数は増え続けている。
正式名称まである。
もう、軽く見ていいものではなかった。
シエラは、そこで別の紙を一枚抜き出した。
「それから、こちらも確認が必要です」
「まだあるのか」
「はい」
「今度は何だ」
「親衛隊独自の徽章です」
クリスは顔を上げた。
「徽章?」
「はい」
シエラは紙を差し出した。
親衛隊独自の徽章。
複数名が胸元に装着。
親衛隊員の識別用と思われる。
青地に金縁。
表面に、LWSSの文字。
購入者あり。
価格は通常の小型徽章より高額。
販売者は親衛隊内部の一部と推定される。
資金の用途、不明。
「……待て待て待て」
「はい」
「親衛隊が、独自の徽章を作ってるのか?」
「その可能性が高いです」
「しかも売ってるのか?」
「はい」
「高値で?」
「はい」
「誰が?」
「親衛隊内部の一部です」
「何のために?」
「不明です」
クリスは紙を卓に置いた。
「そこが一番大事だろ」
「まだ情報がありません」
「一番大事なところが抜けてるじゃないか」
「確認中です」
「確認中って、これを親元に送るつもりだったのか」
「未確定情報として扱います」
「いや、送るなとは言わないけどな」
クリスは頭を抱えた。
リリア親衛隊が増えている。
正式名称がある。
隊長と副隊長がいる。
影の存在がいるかもしれない。
各部署に支援単位がある。
本人の私的領域には踏み込まないが、周囲には働きかける。
そこまででも十分に面倒だ。
そこへ来て、独自の徽章まである。
しかも、それを高値で売っているらしい。
それが何のためなのか分からない。
分からないのに人数は増えている。
聞けば聞くほど、レオンの仕事が増える予感しかしなかった。
「これ、レオンが知ったらどうなる?」
「嫌がると思います」
「二回目だな」
「二回目でも、同じ回答です」
「だろうな」
クリスは紙を睨んだ。
リリア本人に悪意を向ける者はいないだろう。
そこは分かる。
だが、金が絡むと話は変わる。
高値で売っている理由が善意なのか。
ただの遊びなのか。
誰かが勝手に利益を取っているのか。
そこが分からないと、放置していいか判断できない。
「シエラ上級調査員殿」
「はい」
「この情報、どこまで確かなんだ」
「徽章の存在は確かです。複数名が同じものをつけています」
「購入者もいるんだな」
「はい」
「金額は?」
「通常の小型徽章より高い、という証言があります」
「具体的な額は?」
「まだ不明です」
「目的は?」
「不明です」
「主導者は?」
「親衛隊内部の一部、とだけ」
「そこまで分かってて肝心なところが全部抜けてるの、気持ち悪いな」
「はい」
「お前もそう思うのか」
「思います」
シエラがそう言うなら、やはり放っておく案件ではなかった。
クリスは紙を置き、腕を組む。
親衛隊徽章。
高値販売。
正式名称、LWSS。
隊長と副隊長。
影の存在。
本人に踏み込まない規則。
周囲に強く働きかける傾向。
知らない方がよかった。
だが、知ってしまった。
「これ、徽章の件だけでも確認しないと駄目だな」
「はい」
「目的が分からないのが一番まずい」
「同意します」
「金が絡んでるなら、なおさらだ」
「はい」
「これがただの記念品なのか、資金集めなのか、誰かが勝手に儲けてるのか。そこが分からないと、レオンに回すにしても判断できない」
「その通りです」
「それに、正式名称の成立時期も分からない。創設者も分からない。影の存在もあるかもしれない」
「はい」
「分からないことが多すぎる」
「はい」
「なのに隊員が三百人近い」
「はい」
「これも怖いな」
「はい」
クリスはもう一度、紙を見た。
価格は通常の徽章より高額。
販売者は親衛隊内部の一部と推定。
資金の用途、不明。
たった一つの徽章の話に見える。
だが、その背後には、得体の知れない組織の輪郭があった。
誰が作ったのか。
誰が売っているのか。
何のために金を集めているのか。
親衛隊長と副隊長は知っているのか。
影の存在とは何なのか。
そして、リリア本人は本当に何も知らないのか。
クリスは深く息を吐いた。
「……シエラ」
「はい」
「この徽章の件を、まず確認する」
「はい」
「親衛隊そのものに踏み込むかどうかは、その後だ」
「妥当だと思います」
「最初から全部調べようとすると、絶対に面倒なことになる」
「はい」
「だから、まずは徽章だ。誰が作って、誰が売って、金がどこへ行っているのか」
「はい」
「そこを確認しないと駄目だな」
クリスはそう言って、紙を卓の上に置いた。
資料室は静かだった。
紙の上には、青地に金縁の小さな徽章についての記録が残っている。
ただの徽章。
そう言い切るには、あまりにも情報が足りない。そして、情報が足りないものほど怖い。
クリスは、もう一度だけ眉間を押さえた。
第四大隊長は、その日、帰る機会を完全に失っていた。
そして、リリア・ヴァイス親衛支援会という、よく分からない組織の入口に立たされることになった。




