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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編
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第2章18話 騎士たちの訓練

――帝国暦三二一年・冬中頃 ヴェリア帝国東ロンバルディア騎士団領 ヴァイス騎士団訓練場――


■ヴァイス騎士団訓練場


 訓練場の歓声は、しばらく収まらなかった。


 総騎士団副長レオンハルト・ヴァイスが、三人の大隊長を相手に勝った。


 その事実は、訓練場にいた騎士団員たちの目を一気に変えていた。


 黒い石材で組まれた円形の大舞台の上で、レオンはまだ剣を掲げていた。


 訓練場に集まった騎士団員は、一万を超えている。


 同じ高さに立っていては、遠くにいる者たちからは戦いの細かな動きまでは見えにくい。


 それに、目立たない。


 だからこそ、この訓練場には大舞台がある。


 上に立つ者が力を示し、下にいる者たちがそれを見上げるための場所。


 そして、下にいる者が上に挑み、自分の力を見せるための場所。


 そこで勝者として剣を掲げたレオンの姿は、訓練場の端にいる騎士団員たちの目にもはっきりと映っていた。


 やがて、レオンは静かに剣を下ろした。


 歓声の中心から一歩下がり、大舞台の端へ歩く。


 そして、段を下りた。


 先ほどまで、訓練場の全員から見上げられていた男が、少しずつ周囲と同じ高さへ戻ってくる。


 剣を掲げていた時の気配は、もうなかった。


 いつもの、少し顔色の悪いレオンハルト・ヴァイスに戻っている。


 大舞台の下で待っていたエリシアが、静かに目を向けた。


「団長」


「何だ」


「お疲れさまでした」


「ああ」


 レオンは短く答えた。


 エリシアは、訓練場を見た。


 歓声はまだ続いている。


 大舞台の上で剣を掲げた姿は、確かに騎士団員たちの目を変えていた。


「先ほどの行動は、意図されたものですね?」


「ああ」


「全員に見せるためですか」


「そうだ」


 レオンは、まだ歓声の残る訓練場を見る。


「勝っただけでは足りない。面倒だが、今日は、勝ったことを見せる必要があった」


「はい」


「だが、もうしばらくこういう場には出ないからな」


 レオンは小さく息を吐いた。


「こういう演技、俺は好きじゃない」


 エリシアは、特に表情を変えなかった。


「承知しました」


「本当に分かっているのか」


「はい。次からは、必要がなければ出さないようにします」


「そうしてくれ」


 少し離れた場所で、イリスもそのやり取りを聞いていた。


 剣を掲げたレオンの姿は、確かに見ていた者たちの目を変えた。


 勝っただけではない。

 勝ったことを、全員に見せた。


 それは誇示であり、示威であり、上に立つ者としての振る舞いだった。


 だが、当の本人は、もう面倒そうな顔をしている。


 レオンは、ああいうことを好んでいるわけではない。


 必要だから、やっただけなのだ。


 イリスは、そう理解した。


 訓練場の歓声は、まだ完全には収まっていない。けれど、レオンの役目はもう終わっていた。


 ここから先は、各大隊の訓練である。


 もともと、副長府の者でなくても、レオンの名を知らない者はいない。


 若くして第七騎士団長となり、今は総騎士団副長にまで上がった男である。


 だが、名前を知っていることと、剣を見たことは違う。


 旧第十騎士団、旧第十二騎士団からヴァイス騎士団へ加わった者たちの多くは、レオンが実際に戦う姿を知らなかった。


 近衛中隊の騎士たちも、噂としては知っていても、今のように大隊長たちを相手にした姿を直接見る機会は少なかった。


「噂通りだったな」


「噂以上だろ」


「三人とも大隊長だぞ」


「しかも、ジェイド大隊長とクリス大隊長とヴァルト大隊長だ」


「ただ速いだけじゃなかった」


「先に動かれていた」


 ざわめきが、あちこちで起きている。


 大隊の騎士団員たちも、中隊長たちも、小隊長たちも、それぞれが見たものについて話していた。


 中でも、旧第十騎士団と旧第十二騎士団から来た者たちの驚きは大きかった。


 書類に追われている副長。

 いつも副長府にいる副長。


 顔色が悪い副長。


 彼らが最近見ていたのは、そういうレオンだった。


 だが、今、大舞台の上で剣を振ったレオンは違った。


 前へ進む。

 相手を見る。


 相手が動きたい場所を潰す。


 三人の大隊長が、それぞれの強みを出す前に崩されていた。


 あれを見せられれば、噂を疑う者はいない。


 ジェイド、クリス、ヴァルトの三人は、それぞれ息を整えている。


 負けたからといって、誰かが笑われることはなかった。


 むしろ、彼らもまた力を示した。


 第一大隊長ジェイドは、正面からの重い攻めを見せた。


 第四大隊長クリスは、鋭い踏み込みと横からの崩しを見せた。


 第五大隊長ヴァルトは、全体を見て連携を整えようとした。


 それでも及ばなかっただけである。


 それは、大隊長たちが弱いという意味ではない。レオンが、その上にいたというだけだった。


 ジェイドが剣を下げ、静かに頭を下げる。


「見事でした、副長」


 レオンは軽く頷いた。


 余計なことは言わない。


 それだけで、ジェイドは納得したように一歩下がった。


 クリスが肩を回しながら近づいてくる。


「お前は相変わらずだな」


 レオンは何も言わず、わずかに視線を返した。


 クリスはそれだけで苦笑する。


「そういうところだぞ」


 戦闘中とは違い、今はいつもの調子に戻っている。


 ヴァルトは、まだ訓練場の全体を見ていた。


「副長は、やはり連携の崩し方がうまいですね」


 レオンは短く頷いただけだった。


 ヴァルトは小さく息を吐く。


「言葉にされるより、その方が堪えます」


 レオンは答えなかった。

 その代わり、訓練場に視線を向ける。


 自分の役目は、もう終わっていた。

 ここから先は、大隊長たちの番である。


「俺はここまでだ」


 その言葉に、近くにいた騎士団員たちがわずかに反応する。


 だが、レオンは気にしなかった。


「後は自由にやれ。大隊ごとに訓練場を使え。必要な者は前に出て、力を示せ」


 それだけ言って、レオンは大舞台の前から完全に下がった。


 最初に出たのは、自分がヴァイス騎士団の上に立つ者だと示すためである。


 何度も出る必要はない。むしろ、この後は見る側に回るべきだった。


 隊長たちには、隊長たちの役目がある。


 剣を取る者たちには、自分の力を示す場がある。


 訓練場の熱は、そこで終わらなかった。

 むしろ、そこから始まった。


「第一大隊、前へ!」


 ジェイドの声が響く。


 第一大隊の騎士団員たちが一斉に動いた。


 大隊長が力を示した後は、その大隊の者たちが続く。


 訓練場の別の一画では、第二大隊が動き始めた。


 第三大隊も続く。


 第四大隊では、クリスが部下たちに何かを言い、数人の中隊長が前に出た。


 第五大隊では、ヴァルトが冷静に場を整えている。


 第六大隊では、カイル・レヴェルトが真面目な顔で訓練の順番を確認していた。


 訓練場のあちこちで、剣が交わり始める。


 金属音が響く。


 声が飛ぶ。


 踏み込みの音が重なる。


 勝った者には歓声が上がる。


 負けた者にも、よい動きを見せれば声が上がる。


 大隊長が中隊長に押される場面もあった。


 中隊長が小隊長に一本を取られかける場面もあった。


 平騎士が上官を相手に鋭く踏み込む場面もあった。


 それは無礼ではない。

 この場だけは、挑むことが許されている。


 上にいる者を倒せば、名が上がる。


 出世の道が見える。


 たとえ倒せなくても、力を示せば見られる。


 負けても、力を示せれば意味がある。


 だからこそ、誰も手を抜かない。


 レオンは訓練場の端から、それを見ていた。


 しばらく見ていると、大舞台を使う者たちも出てきた。大舞台は、レオンのためだけに用意された場所ではない。


 隊長が部下の挑戦を受ける。


 中隊長が上官に挑む。


 名を上げたい者が、前へ出る。


 そうして、訓練場の熱はさらに広がっていった。


 隣に、エリシアが立つ。


 エリシアは、いつも通り表情を大きく変えなかった。


 ただ、わずかに目を細めている。


 訓練場のあちこちで起きている剣の音を聞きながら、必要があればすぐに動ける位置に立っていた。


 少し離れた場所では、リリアがまだ興奮した様子でいた。


「お兄様、すごかったです」


「見ていただけだろう」


「見ていたから分かるのです」


 リリアは真剣に言った。


「お兄様は、やはりすごいです」


 メリーも頷いた。


「三人分の動きを処理していました。特に、相手が動く前に位置をずらす判断が早かったです」


「メリー」


「はい」


「褒めているのか」


「はい。かなり褒めています」


「そうか」


 マリニーファは両手を胸の前で握っていた。


「戦っているレオン様も素敵でした」


「マリニーファ」


「はい」


「そこは、もう少し普通に褒められないのか」


「強くて素敵でした」


「普通ではないな」


「では、強くて、とても素敵でした」


「増えただけだ」


 リリアが少し笑い、メリーも小さく目を伏せた。


 レオンはため息をついた。


 そして、すぐに訓練場の方へ視線を戻す。


 剣の音は、まだ続いている。


 大隊ごとの訓練は、各所で熱を帯びていた。


 大隊員たちは、自分たちの大隊長や中隊長の動きに声を上げる。


「今の見たか!」


「うちの中隊長、押してるぞ!」


「大隊長が受けた!」


「いや、まだ崩れてない!」


 近衛中隊の騎士たちも、真剣に見ていた。


 彼らにとっても、ヴァイス騎士団の力を知る機会である。


 旧第十騎士団、旧第十二騎士団から来た者たちは、自分たちの新しい上官や同僚の力を見ていた。


 ここで誰が強いのか。


 誰が前に出るのか。


 誰が引くのか。


 それを知ることは、今後の勤務にも関わる。


 力を見せる場であると同時に、互いを知る場でもあった。


 イリスは、その光景を少し離れた場所から見ていた。


 レオンの戦いを見た時から、胸の奥に引っかかるものがあった。


 東ロンバルディアの騎士とは、こういうものなのだ。


 改めて、そう思わされる。


 偏屈で、頑固だ。


 命令されれば従う、というだけではない。


 任命状を見せられたから従う、というだけでもない。


 羊皮紙に書かれた地位。


 皇都から与えられる役職。


 爵位や家の名。


 それだけで上に置かれることを、ここの騎士たちは好まない。


 むしろ、それだけで上に置かれることを、恥辱だと感じる者すらいる。


 屈辱だと感じる者もいる。


 彼らにとって、貴族でないことは弱さではない。


 貴族でないからこそ、力で上に立つ。


 能力で認めさせる。


 それこそが誇りなのだ。


 イリスは、レオンが以前言っていたことを思い出していた。


 爵位ではなく、力と能力で上に立つ。


 騎士団領の騎士たちは、そういう土地の者たちなのだと。


 その時は、理解したつもりでいた。


 だが、今、訓練場で剣を交える騎士たちを見て、ようやく実感が伴った。


 レオンが、最初に三人の大隊長を相手にした理由も分かる。


 ただ強さを誇りたかったわけではない。


 派手に見せたかったわけでもない。


 こうしなければならなかったのだ。


 最初に力を示さなければ、素直に従わない者たちがいる。


 力を示せば、従う。

 少なくとも、耳を貸す。


 それが、この土地の騎士たちだった。


 面倒な人たちだと、イリスは思った。


 けれど、嫌いではなかった。


 頑固だ。

 扱いにくい。


 だが、筋が通っている。


 単純に力を示した者には従う。

 能力を示した者は認める。


 下の者が上に挑むことも許される。


 勝てば、道が開く。


 負けても、力を示せば見られる。


 そうやって、この騎士団領は回っている。


 そして、それを束ねる騎士団長や副長には、ただ強いだけでは足りない。


 剣が必要だ。


 判断も必要だ。


 部隊を見る目も必要だ。


 書類を処理する力も必要だ。


 人を動かす経験も必要だ。


 だから、騎士団長の席は簡単には埋まらない。


 強ければよいわけではない。


 事務ができればよいわけでもない。


 両方を求められる。


 それを当然のように背負わされているのが、レオンハルト・ヴァイスなのだ。


 イリスは、少しだけレオンの背を見る。


 レオンは、訓練場を見ていた。


 歓声の中心からは、もう下がっている。


 自分の役目は終わったと言わんばかりに、大舞台を眺めている。


 まるで、もう次の書類仕事のことを考えているようだった。


 実際、考えているのだろう。


 やがて、レオンが短く息を吐いた。


「戻る」


 エリシアが頷く。


「はい」


 リリアが少し驚いた顔をする。


「もう戻るのですか?」


「俺はもう出ない。後は見るだけだ」


「でも、訓練はまだ」


「見るだけなら、俺でなくてもいい」


 レオンは淡々と言った。


「それに、書類仕事がある」


 リリアは何か言おうとして、やめた。


 メリーも黙って頷く。


 マリニーファは少し残念そうにしたが、すぐに表情を整えた。


「副長、体調の確認を」


「後でいい」


「後で必ず確認します」


「分かった」


 エリシアは、すでに戻る準備をしていた。


 それを見て、レオンは短く言った。


「エリシア」


「はい」


「お前は残っていい」


 エリシアが、わずかに目を向ける。


「よろしいのですか?」


「ああ」


 レオンは訓練場を見た。


「お前は騎士だろう。ここで訓練を見る意味もある」


「ですが、団長は第一執務室へ戻られるのでは」


「戻る。だが、お前まで戻る必要はない」


 レオンは淡々と言った。


「それに、お前も少しは訓練しておけ」


「承知しました」


 エリシアはすぐに頷いた。


 戻る準備をしていた姿勢を解き、改めて訓練場へ向き直る。


 その切り替えは早かった。


 リリアが、少しだけ訓練場を見た。


「お兄様、私たちは戻るのですか」


「戻る」


「まだ訓練は続いていますが?」


「リリアがみたいなら残ってもいい」


「だが、俺が力を示す場は終わった。お前たちが見るべきところは、最低限もう見た」


 レオンは淡々と言った。


「ここから先は、各大隊が互いの力を見せる時間だ。普段も訓練はしているが、今日は合同訓練だからな」


 リリアが少しだけ不思議そうにエリシアを見る。


「エリシアさんは残るのですか?」


「はい」


 エリシアは淡々と答えた。


「私は騎士ですので」


「そうなのですね」


 リリアは少し納得したように頷いた。


 メリーが、静かに書類鞄を持ち直す。


「では、私たちは副長と戻ります」


「そうだ」


 レオンは短く頷いた。


 マリニーファは少し残念そうに訓練場を見る。


「もう少し、戦っているレオン様を見ていたかったのですが」


「俺はもう戦わない」


「では、戻ります」


「切り替えが早いな」


「レオン様が戻るのでしたら」


 リリアはまだ少し名残惜しそうだったが、やがて頷いた。


「分かりました。お兄様が戻るなら、私も戻ります」


 レオンは、剣の音が響く訓練場を見た。


「訓練は続く。だが、俺たちが最後まで見ている必要はない」


 レオンが最初に力を示す場を見る。


 それが終われば、戻る仕事がある。


 第一執務室にも、処理すべきものがある。


 訓練場の熱とは別に、庁舎の仕事は止まらない。


 レオンは、最後にもう一度だけ訓練場を見た。


 各大隊で剣が交わっている。


 隊長が部下を受ける。


 剣を取る者たちが声を上げ、上官に挑んでいる。


 それぞれが、自分の力を示そうとしている。


 これが、東ロンバルディアの騎士団なのだ。


 イリスもまた、訓練場を見ていた。


 剣の音。


 土を蹴る音。


 挑む者の目。


 レオンが三人の大隊長を相手にした意味。


 騎士たちが上を見上げ、同時に上へ挑もうとする理由。


 そのすべてが、今日の訓練場にはあった。


 騎士や騎士団員たちは、力と能力を示した者には、驚くほど真っ直ぐに従う。


 だからこそ、レオンはあの場に立った。


 イリスは、訓練場を見つめたまま、小さく息を吐いた。


 レオンハルト・ヴァイスが総騎士団副長である理由を、また一つ見せられた気がした。

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