第2章15話 服のサイズも知らない
――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国東ロンバルディア帝国騎士団領――繁華街
ポンペイトを食べ終えた後、レオンたちはそのまま繁華街を歩いていた。
レオン。
リリア。
マリニーファ。
そして、途中から加わったクリスである。
本来、レオンは一人で街を歩くつもりだった。
だが、かかとで道を二回鳴らして辻馬車を止め、領内の名物であるポンペイトを知らないことまで判明した以上、もう一人歩きにこだわる理由は薄くなっていた。
少なくとも、今日に限っては。
「まあ、四人で歩くのも悪くないだろ」
クリスが軽く言った。
「最初から四人で来たわけではない」
「結果的に四人になったんだから、細かいことはいいじゃないか」
「お前は途中から勝手についてきただけだ」
「偶然だ」
マリニーファが、じっとクリスを見る。
「偶然を装った気持ち悪い人です」
「君、俺への言葉だけ鋭すぎないか」
「事実を言っているだけです」
「事実でも、もう少し柔らかく言う選択肢があるだろ」
「ありません」
「ないのか」
「はい」
クリスは少し肩を落とした。
レオンは横目で見る。
「何を落ち込んでいる」
「いや、俺も一応、第四大隊長なんだが」
「知っている」
「知っていてこの扱いか」
「マリニーファは、俺にも大体こんな感じだ」
「そうなのか?」
「副長には、もっと丁寧です」
マリニーファは即座に言った。
クリスは胸を押さえる。
「差がある」
「あります」
「言い切るな」
リリアが小さく笑った。
彼女はレオンの横を歩いている。
少し前に出すぎず、後ろに下がりすぎず、ちょうどレオンが尋ねればすぐ答えられる位置だった。
「お兄様、どちらへ行きましょうか?」
「まだ決めていない」
「では、この先に道具屋と服屋があります。反対側には本屋と菓子屋もあります」
「詳しいな」
「この辺りにはよく来ますから」
「一人で来るのか」
「はい。最近は、完全に一人というわけではありませんけれど」
レオンは少し感心した。
「一人で買い物に来られるだけでも大したものだ」
リリアは目を瞬かせる。
クリスが横から言った。
「レオン、それは褒めてるのか?」
「褒めている」
「リリアはもう子どもじゃないぞ」
「分かっている」
「分かってない言い方だったぞ」
リリアは少し頬を赤くした。
「最近は、親衛隊の皆さんが周りにいてくださいますので」
「親衛隊?」
レオンは聞き返す。
「ああ、見たことあるぞ」
クリスが笑いをこらえながら言った。
「リリアが店に入ると、親衛隊の連中が入口と出口を押さえるんだよな」
「押さえるという言い方はやめてください」
「いや、実際に護衛みたいに立つだろ。それに、店の中に入ると、品物を一つ一つ持ってくるやつもいる」
「親切にしてくださっているんです」
「まるで姫様だな」
マリニーファが、そこで首をかしげた。
「姫様って、もしかしてリリアのことだったんですか?」
クリスは目を丸くした。
「お前、気づいてなかったのか?」
「はい」
「毎朝、両側に並んでるだろ。親衛隊の連中が」
「あれもそうなんですか」
「そうだよ」
マリニーファは少し考え込んだ。
「朝に人が多いとは思っていました」
「そこまで見ていて、姫様がリリアだとは思わなかったのか」
「リリアはリリアですので」
「なるほど、分からん」
クリスは額を押さえた。
リリアは少し恥ずかしそうにしながらも、ふわりと笑った。
「皆さん、きっと寂しがり屋なんです」
「寂しがり屋?」
レオンが聞き返す。
「はい。あんなに毎朝集まってくださるんですから、きっと一人だと寂しいのだと思います」
「そういう理由なのか」
「それに、皆さん優しいんです。店でも荷物を持ってくださいますし、道を開けてくださいますし、危ないものがないか先に見てくださいます」
「それは護衛ではないのか」
「優しさです」
リリアは真面目に言った。
マリニーファが、リリアをじっと見た。
「リリアは、少し変わっていますね」
「マリさんに言われるとは思いませんでした」
「そこだけは、俺も同意する」
クリスが真顔で頷いた。
レオンは三人の会話を聞いていたが、正直なところ、半分も分からなかった。
親衛隊。
姫様。
寂しがり屋。
優しい人たち。
分かったのは、リリアが街の中でも大切にされているらしい、ということだけだった。
「お兄様?」
「いや」
レオンは首を振った。
「お前のことも、俺はまだあまり知らないらしい」
「そんなことはありません」
「ある」
レオンは通りの先を見る。
「せっかくだ。服屋へ行きたい」
「服屋ですか?」
「ああ。この私服も、かなり久しぶりに着たものだ」
レオンは自分の上着を見る。
飾りは少ない。
古びているわけではないが、新しくもない。そもそも、私服を着る機会がほとんどなかった。
「自分の私服を、もう何年も買っていない気がする」
「何年もですか」
リリアの顔が少し険しくなった。
「必要なかったからな」
「必要です」
「そうなのか?」
「必要です」
リリアの声が、少し強くなった。
マリニーファも頷く。
「副長の私服は必要です」
「なぜだ」
「休みの日に副長府の制服で出ると、休みではなくなります」
「それは分かる」
「では必要です」
「そうか」
クリスが軽く笑った。
「いいじゃないか。レオンの買い物練習だ」
「練習と言うな」
「いや、練習だろ」
「……否定できない」
レオンは小さく息を吐いた。
「リリア。俺の私服を売っているような店に案内してくれ」
「はい。では、こちらです」
リリアは少し嬉しそうに歩き出した。
■東ロンバルディア帝国騎士団領・服屋
服屋は、繁華街の通りから少し入った場所にあった。
外から見ると派手ではない。
だが、店の中は整っていた。
壁には上着や外套、シャツ、ベルト、手袋などが並び、棚には畳まれた布製品が置かれている。
レオンは店内を見回した。
服を買う。
それだけのことが、思ったより難しそうに見えた。
「いらっしゃいませ」
店員が丁寧に頭を下げる。
「男性用の普段着を見たい」
「はい。どのようなものをお探しでしょうか」
「休みの日に着るものだ」
店員は少しだけ間を置いた。
「……普段使いの上着でよろしいでしょうか」
「ああ。それでいい」
リリアが横からそっと補足する。
「落ち着いた色で、動きやすいものをお願いします」
「かしこまりました」
店員は棚の方へ案内した。
レオンはいくつかの上着を見る。
濃い灰色。
深い青。
茶色。
黒に近い緑。
どれも軍服ほど硬くはない。
だが、だらしなくもない。
「これは悪くないな」
レオンは深い青の上着に目を止めた。
「お兄様に似合うと思います」
「そうか」
「はい」
リリアが即答する。
マリニーファも真面目に頷いた。
「健康そうに見えます」
「服の感想か、それは」
「大切です」
クリスが横で笑った。
「いいじゃないか。健康そうに見える服は貴重だぞ」
「お前は黙っていろ」
「はいはい」
レオンは店員を見る。
「この服は、他にサイズがあるのか」
店員は少し不思議そうにした。
「はい。何番でしょうか」
「何番?」
「はい」
「何番とは何だ」
店員の表情が止まった。
リリアも止まった。
マリニーファも止まった。
クリスだけが、何かを察したように額を押さえた。
「お前、まさか」
「何だ」
「服の番号を知らないのか」
「服の番号?」
レオンは店員を見る。
「何着欲しいかという話ではないのか」
「違います」
マリニーファが即座に言った。
「服のサイズのことです」
「サイズなら、合えば買う。合わなければ買わない。それでいいだろう」
「重症ですね」
「なぜだ」
クリスがため息をついた。
「この街の服屋は、基本的に店頭には見本しか置いてないんだ」
「見本」
「ああ。ここに出ている服は、形や色を見るためのものだ。実際に買う服は、サイズを伝えると奥から出してくれる」
「そうなのか」
「そうなのか、じゃない」
クリスは店員に軽く頭を下げた。
「悪い。こいつ、買い物初心者なんだ」
「クリス」
「事実だろ」
「否定できないが、言い方がある」
「初心者に優しい言い方だ」
店員は少し困ったように笑った。
「お客様の体格ですと、四番か五番あたりかと思います。試着されますか」
「四番か五番」
レオンは眉を寄せた。
「一番から十番まであるのか」
「はい」
「一番が小さいのか」
「違います」
リリアが申し訳なさそうに言った。
「十番が一番小さいんです」
「十番が一番小さい」
「はい。一番が大きくて、十番が小さいです」
「なぜ逆なんだ」
「そういうものです」
「そういうものか」
「そういうものです」
レオンは少し黙った。
服には番号がある。
店頭に置いてあるものは見本である。
番号を伝えると、奥から出てくる。
一番が大きく、十番が小さい。
知らなかった。
本当に、まったく知らなかった。
「靴もそうなのか」
「靴もそうだな」
クリスが言った。
「靴も番号で見る。あと幅も見る」
「幅」
「靴は合わないと歩けないからな」
「それは分かる」
「分かってるなら、今朝みたいに合わない靴で歩くな」
マリニーファがレオンの靴を見る。
「副長、やはり靴も見た方がいいと思います」
「今日は服だけでいい」
「歩行状態の確認が必要です」
「必要ない」
「かかとを気にされていました」
「見ていたのか」
「見守りですので」
「ついて来ていたからだろ」
「はい」
「認めるな」
クリスが笑いかける。
マリニーファが、すぐにそちらを向いた。
「笑っている場合ではありません」
「いや、面白いだろ」
「副長が困っています」
「困ってるけど、知れてよかったじゃないか」
「あなたが笑う必要はありません」
「俺の笑顔にも権利はある」
「気持ち悪い権利です」
クリスは胸を押さえた。
「また刺された」
「刺していません。言葉です」
「言葉の方が痛い時もあるんだぞ」
「では、気をつけてください」
「俺が?」
「はい」
「俺が気をつけるのか?」
「はい、そうです」
クリスは完全に肩を落とした。
レオンはその様子を見て、少しだけ気が楽になった。
知らないことを知らないと突きつけられるのは、少し苦い。
だが、クリスが隣で別の方向から刺されていると、妙に深刻になりすぎない。
「お兄様」
リリアが声をかける。
「まずは四番と五番を試してみましょう。上着は肩が合うかどうかが大事です」
「肩か」
「はい。それから袖の長さです」
「分かった」
店員が奥へ向かい、四番と五番の上着を持ってきた。
レオンは試着室に入り、まず四番を着てみる。
肩は少し余る。
五番を着ると、今度は身体に合った。
「こちらの方がいいと思います」
リリアが言った。
「そうか」
「はい。お兄様らしいです」
「俺らしい服というのが分からない」
「落ち着いていて、少し硬くて、でも騎士服ほど近寄りがたくないところです」
「それは褒めているのか」
「褒めています」
「そうか」
マリニーファも頷いた。
「先ほどより健康そうです」
「お前の評価基準はそこだけか」
「重要です」
クリスが言う。
「なら、それでいいんじゃないか。健康そうな五番だ」
「変な呼び方をするな」
「いいじゃないか。覚えやすい」
「覚えたくない」
レオンは鏡を見る。
私服姿の自分が映っている。
見慣れない。
だが、悪くはない。
少なくとも、今朝の服よりは町に馴染んでいるような気がした。
「これを買う」
「ありがとうございます」
店員が笑顔で頭を下げた。
レオンは支払いを済ませる。
服を買うだけで、ずいぶん疲れた。
だが、嫌な疲れではない。
知らなかったことを一つ知った。
それだけでも、今日の町歩きには意味があった。
店を出ると、通りの音が戻ってきた。
人の声。
荷車の音。
店先の呼び込み。
レオンは買った服の包みを持ち直す。
「本当に、俺は何も知らないんだな」
小さく言うと、クリスが横から軽く肩をすくめた。
「いいじゃないか。今日知ったんだから」
「そういうものか」
「そういうものだ。知らないまま副長でいるより、知った副長の方がいい」
「珍しくまともなことを言うな」
「俺はいつもまともだ」
マリニーファが首を横に振った。
「それは違います」
「早いな」
「事実ですので」
「俺の扱い、ひどくないか」
「日頃の行いです」
「俺、君に何かしたか?」
「存在が少し騒がしいです」
「存在まで言われた」
クリスはまた肩を落とした。
リリアが苦笑する。
レオンは少しだけ口元を緩めた。
四人で歩く町は、一人で歩くはずだった町とは違っていた。
知らないことを突きつけられる。
からかわれる。
説明される。
余計な口を挟まれる。
マリニーファがクリスを刺す。
だが、不思議と悪くない。
「ところで、レオン」
クリスがふと思い出したように言った。
「何だ」
「靴が合わないからって、道でかかとを二回鳴らすのはやめろよ」
レオンは動きを止めた。
「……」
「この辺じゃ、辻馬車を止める合図だからな。絶対やるなよ」
「……遅かった」
「遅かった?」
「もうやった」
クリスは沈黙した。
それから、リリアとマリニーファを見る。
二人とも、静かに頷いた。
「さっき、少し大変だったんです」
リリアが言った。
「副長が馬車を止めました」
マリニーファが補足した。
「俺は止めたつもりはない」
「馬車は止まりました」
「そうだが」
クリスはしばらくレオンを見た。
それから、深く息を吐く。
「遅かったか」
「ああ」
「お前、本当に街歩き初心者だな」
「今日、よく分かった」
レオンは買った服の包みを見下ろした。
馬車の止め方。
ポンペイト。
リリアの親衛隊。
服のサイズ。
店頭の見本。
靴の番号。
知らないことばかりだった。
それでも、今日知った。
知らないまま仕事場に戻るよりは、ずっといい。
「有意義な一日だな」
レオンが呟くと、三人がそれぞれ違う顔をした。
リリアは嬉しそうに。
マリニーファは真剣に。
クリスは少し呆れたように。
「まだ午前中だけどな」
クリスが言った。
「そうなのか」
「そうだよ」
レオンは通りの先を見る。
まだ午前中。
つまり、知らないことを知る時間は、まだ残っている。それは少し怖くて、少し楽しみでもあった。
レオンハルト・ヴァイスの休日は、まだ終わらない。




