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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編
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第2章13話 休みの日に街へ出る

 ――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国 東ロンバルディア帝国騎士団領 総騎士団副長府庁舎――食堂


 その日の食堂は、いつもより少し静かだった。


 昼の混雑は過ぎている。


 夕食にはまだ早い。


 仕事の合間に食事を取る者たちが、まばらに席についている程度だった。


 レオンは皿を前にして、ようやく椅子に座っていた。久しぶりに、座って食事をしている。


 それだけで、少しだけ人間に戻った気がした。


「お前、顔が死んでるぞ」


 向かいに座ったクリスが、遠慮なく言った。


「俺は生きている」


「見た目の話だ」


「なら、余計なことを言うな」


「いや、言うだろ。友人として」


「友人なら、仕事を減らせ」


「そこは管轄外だ」


「役に立たない友人だな」


「飯に付き合ってるだろ」


「食事の相手で仕事は減らない」


 レオンは淡々と言い、皿の料理を口に運んだ。


 温かい。

 味もある。


 それだけで、今日の食事としては上等だった。


 最近の食事は、移動中に渡された包みを口に入れるか、書類の隙間で水を飲むか、そのどちらかが多い。


 食堂で座って食べられるだけで、十分に贅沢である。


「明日は、久しぶりに休めそうだ」


 レオンが何気なく言うと、クリスは少し目を丸くした。


「お前、明日休みなのか」


「ああ」


「珍しいな」


「俺もそう思う」


 クリスは少し考え、指を折った。


「お前、今の勤務だと、二週間に一日くらいしか休みがないんだったか」


「大体そのくらいだ」


「それ、休みと言っていいのか」


「制度上は休みだ」


「制度上はな」


「だから今日できる仕事は、できるだけ今日中に終わらせるつもりだ」


 レオンは皿から視線を上げないまま言った。


「明日の休みを潰さないためにな」


「休みの日に仕事をしないために、前日に仕事を詰め込むのか」


「そうだ」


「何か間違ってる気がする」


「分かっている」


「分かってるのか」


「分かっていても、今はそうするしかない」


 クリスは水を飲み、少しだけ表情を緩めた。


「で、明日は何をするんだ? 寝るのか?」


「寝るのも考えた」


「考えた、ということは違うのか」


「ああ。少し、町へ出てみようと思っている」


 クリスの手が止まった。


「お前が?」


「俺が」


「町へ?」


「町へ」


「一人で?」


「そのつもりだ」


 クリスは、しばらくレオンを見た。


 それから、少しだけ笑った。


「珍しいな。お前が自分から町へ行くなんて」


「自分でもそう思う」


「何か買う物でもあるのか?」


「特にない」


「じゃあ、何をしに行くんだ」


 レオンは少し黙った。


 自分でも、うまく言葉にするのが難しかった。


「俺は、自分に常識が足りないことは分かっている」


「今さらだな」


「言うな」


「いや、言うだろ」


「言うな」


 クリスは笑いをこらえるように口元を押さえた。


 レオンは続ける。


「分かってはいた。だが、副長府に来てから、余計に分かるようになった」


「何がだ」


「自分が、普通の者がどう暮らしているか、あまり知らないことだ」


 クリスは黙った。


 レオンは、皿の上に視線を落とす。


「書類は読める。兵の配置も分かる。騎士団の運用も分かる。だが、町で何が売られているのか、誰がどう歩いているのか、普通の者が何に困っているのか、俺はあまり知らない」


「まあ、お前は仕事場と家と訓練場しか行かないからな」


「否定できない」


「そこは否定しろ」


「できないものはできない」


 レオンは小さく息を吐いた。


「だから、休みの日に少し町を歩いてみようと思った。誰かに案内されるのではなく、自分で見ておきたい」


「視察か?」


「視察ではない」


「じゃあ何だ」


「散歩だ」


 クリスは一瞬黙り、それから大きく笑った。


「お前の口から散歩って言葉が出るとは思わなかった」


「俺も、自分で少し驚いている」


「重症だな」


「何がだ」


「普通のことをするだけで、自分に驚いてるところが」


「うるさい」


 レオンは水を飲んだ。


 その時、少し離れた席で、椅子が小さく動いた。


 レオンは気づかなかった。


 だが、クリスは気づいた。


 食堂の端に、リリアがいた。


 その近くに、第一執務室の職員であるマリニーファ・ローレンもいた。


 二人とも、明らかにこちらの会話を聞いていた。クリスは面白そうに目を細めた。


「レオン」


「何だ?」


「お前、誰かと行く予定はないのか」


「ない」


「本当に一人か」


「一人だ」


「そうか」


 クリスがそう言った直後、マリニーファが立ち上がった。


「では、私が行きます」


 レオンは手を止めた。


「何の話だ」


「副長の町歩きです」


「聞いていたのか?」


「聞こえました」


「聞くな」


「食堂ですので」


「理屈で逃げるな」


 マリニーファは真面目な顔で言った。


「副長が一人で町へ出るのは危険です。私がついて行きます」


「いらない」


「案内できます」


「不要だ」


「副長は町をあまり歩いたことがないのですよね」


「だから一人で歩くんだ」


「道に迷ったらどうするんですか」


「迷わない」


「迷子になって泣いたらどうするんですか?」


「俺は子供か」


 マリニーファは少し考えた。


「町歩きの経験だけで考えれば、少しだけ子供に近いと思います」


「思うな」


 クリスが横で肩を震わせた。


「いや、経験的には子供みたいなもんだろ」


「クリス」


「だって、お前、一人で目的もなく町を歩いたことがほとんどないんだろ」


「そうだが」


「じゃあ、町歩き初心者だ」


「初心者と子供は違う」


「迷子になって泣く可能性は低いが、迷子になる可能性はある」


「お前まで乗るな」


 マリニーファは、深く頷いた。


「やはり、私が必要です」


「必要ない」


「少し離れてついて行きます」


「ついて来るな」


「見守ります」


「見守るな」


「迷子にならないか確認します」


「するな」


「泣いていないかも確認します」


「泣かない」


「健康状態も確認します」


「結局それだろ」


 クリスが今度こそ吹き出した。


 レオンは睨む。


「笑うな」


「いや、無理だ」


 そこで、リリアも立ち上がった。


「お兄様」


 レオンは、今度こそ嫌な予感がした。


「リリア」


「私がご一緒しましょうか?」


「お前もか」


「お兄様が一人で町へ出るのは、少し心配です」


「心配するほどのことではない」


「ですが、お兄様は普段、町をあまり歩かれません」


「だから歩くんだ」


「なら、私が案内します」


 マリニーファがリリアを見る。


「リリア」


「はい」


「私が行きます」


「マリさんは下がっていてください。私が行きますから」


「ですが、私も第一執務室の者です。副長の勤務状態も把握しています」


「明日は休みです。勤務状態ではありません」


「休みの日の副長も、見守る必要があります」


「それは家族の役目です」


「では、家族の方が近くで、私は少し離れて」


「マリさん」


「はい」


「下がってください」


 リリアは穏やかに微笑んでいた。

 ただし、声は少しも引いていなかった。


 マリニーファも真面目な顔のまま動かない。


 レオンは額を押さえた。


「やめろ。二人とも」


「ですが、お兄様」


「てすが、レオン様」


「今回は一人で行く」


 レオンは、はっきりと言った。


「誰かに案内されると、結局その者の知っている町を見ることになる。今回は、自分で歩いて、自分で見る」


 リリアは口を閉じた。

 マリニーファも黙った。


「初めてなのですか?」


 リリアが小さく尋ねる。


「何がだ」


「お一人で、町を歩かれることです」


 レオンは少し考えた。


「完全に一人で、目的もなく歩くのは、ほとんどないな」


「ほとんど」


「任務や視察では行ったことがある。だが、それは町を見たとは言わない」


「……そうですか」


「だから行く」


 リリアは、少し寂しそうにしながらも頷いた。


「分かりました。ですが、無理はしないでください」


「ああ」


「迷ったら、誰かに聞いてください」


「子ども扱いするな」


「お兄様が心配なので」


「……分かった」


 マリニーファが小さく手を上げた。


「副長」


「何だ」


「迷った場合は、第一執務室に戻ってきても構いません」


「なぜ町から第一執務室へ戻る」


「帰れる場所があると安心です」


「俺は子どもか」


「少しだけ」


「言い切るな」


 クリスは肩を震わせている。


 レオンはクリスを見た。


「お前も余計なことを言うなよ」


「言ってないだろ」


「顔が言っている」


「顔は自由だ」


「その自由を制限したい」


 クリスは笑いながら水を飲んだ。


 食堂での短い食事は、休憩のはずだった。だが、レオンは食事を終えるころには、少しだけ疲れていた。


 休みの日の予定を話しただけで、同行希望者が増える。副長府では、休むことすら簡単ではないらしい。


 ■総騎士団副長府庁舎・統合管理室


 その日の残りの仕事は、いつもより早く進んだ。レオンが本気で休みを守ろうとしたからである。


 今日中に処理できるものは、今日中に終わらせる。


 そして、そのまま仮眠室で眠る。


 家に帰れば、移動だけで時間を失う。


 それなら、今日も副長府で眠った方がいい。


 その判断が自然に出てくるあたり、すでにかなりまずい気はしていた。


 だが、明日の休みを守るには、その方が都合がよかった。


 第一執務室から回された決裁書類。


 第二執務室から上がった各大隊の調整記録。


 第三執務室から届いた部署間連絡。


 第十大隊の予定表。


 統合管理室の横断報告。


 明日に回せるものは明日に回す。


 今日中に処理しなければならないものは、今日中に処理する。


 差し戻すものは差し戻し、承認するものは承認し、保留にするものは理由をつけて保留にした。


 深夜になる前に、机の上はようやく片づいた。


「……終わったな」


 レオンは椅子の背にもたれた。


 完璧ではない。


 だが、明日の休みを潰すほどの残務はない。それだけで十分だった。


 廊下は静かだった。


 第一執務室にも、第二執務室にも、第三執務室にも、もう人の気配はない。


 レオンは灯りを落とし、統合管理室を出た。


 出ると足は自然に仮眠室へ向かう、ただそういう判断を当然のようにしている自分に気づき、レオンは少しだけ嫌な気分になった。


 ■総騎士団副長府庁舎・仮眠室


 仮眠室に入ると、レオンは剣を手の届く位置に置き、上着を脱いだ。


 明日は休みだ。


 書類を見なくていい。


 予定表に追い立てられなくていい。


 イリスに迎えに来られなくていい。


 そう考えた瞬間、少しだけ眠気が強くなった。


「明日くらいは、普通に過ごすか」


 誰に言うでもなく呟き、レオンは寝台に横になった。


 町へ出る。


 ただ歩く。


 それだけのことが、なぜか少し緊張する。


 だが、その緊張も悪くはなかった。


 レオンは目を閉じた。


 副長府庁舎の中で眠ることには、まだ慣れたくなかった。


 ■総騎士団副長府庁舎・正門前


 翌日。


 レオンは、副長府庁舎から出た。


 久しぶりに私服を着ていた。


 騎士服ではない。

 副長府の制服でもない。


 仮眠室に用意しておいた、飾りの少ない上着と外套。


 腰には剣を下げているが、それ以外は目立たないようにしているつもりだった。


 実際に目立っていないかどうかは、分からない。


 そもそも、自分の私服姿を客観的に判断する機会がほとんどない。


「……悪くはない、はずだ」


 小さく呟いて、レオンは正門を出た。


 家からではない。

 副長府から、休みの日が始まる。


 その時点で少し間違っている気はしたが、考えないことにした。


 ■東ロンバルディア帝国騎士団領・街中


 冬初めの空気は冷たい。


 吐く息が白くなるほどではないが、外套の襟を少し上げたくなる程度には冷えていた。


 通りには、朝の用を済ませる人々が行き交っている。


 パンを焼く匂い。


 荷車の軋む音。


 店先で品物を並べる声。


 遠くから聞こえる鍛冶場の音。


 どれも、騎士団の中では聞こえないものだった。


 レオンは、足を止めそうになった。


 だが、止まると余計に目立つ気がして、そのまま歩く。


 一人で町を歩く。


 ただそれだけのことなのに、少し緊張していた。


 任務ではない。

 視察でもない。


 誰かに案内されているわけでもない。


 何かを買わなければならないわけでもない。


 それが、かえって難しい。


「普通に歩く、というのも、意外と面倒だな」


 レオンは小さく呟いた。


 その背後。


 少し離れたところを、いくつかの人影が歩いていた。一定の距離を保ちながら、近づきすぎず、離れすぎず。


 店先を見るふりをする者。

 曲がり角で足を止める者。


 人混みに紛れる者。


 その存在に、レオンは警戒すべき気配とは判断していなかった。


 初めて一人で町を歩くということに、思った以上に緊張していたからである。


 レオンハルト・ヴァイスの、久しぶりの休日。


 それは本人の予定より、少しだけ騒がしいものになりそうだった。

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