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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編
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第2話 整った日常と、整わない気持ち

――帝国暦三二〇年・春初め東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁――


 仮眠室で迎える朝は、大体同じ時間に始まる。


「レオン団長、起きてください」


 扉越しに、エリシアの声がした。


「……起きてる」


 嘘だった。


「三分後に再度来ます」


 容赦がない。


 足音が遠ざかる。


(あと三分か……)


 短いようで長い。

 長いようで短い。


 結局、レオンは起きた。


 顔を洗い、服を整え、いつもの食堂へ向かう。なぜか朝食は、すでに用意されていた。


「遅いです」


 エリシアが淡々と言う。


「三分だろ」


「三分です」


「誤差じゃないのか?」


「遅刻です」


「厳しいな」


「団長ですので」


 レオンは席につき、パンを手に取った。


 静かな朝だった。


 決まった流れ。

 決まった時間。

 決まった席。


 何も考えなくていい。

 こういう時間は、嫌いではなかった。


「本日の予定ですが」


「起きたばかりで、聞きたくない」


「聞いてください」


 逃げ場はなかった。


 エリシアが書類をめくる。


 声は一定で、正確。

 乱れがない。


 レオンは、その横顔をぼんやり見た。


(変わらないな)


 昔からずっと、こうだった。

真っ直ぐで、迷わない。


 必要なものを必要な順番で出し、間違えずに処理していく。任せておけばいい。


 そうすれば、大抵のことは整う。それはきっと、恵まれていることなのだろう。


 だけど、だからこそ少しだけ息が詰まる。


「団長」


「なんだ」


「話を聞いていますか?」


「聞いてる」


 嘘だった。


 エリシアには、すぐに分かった。

 けれど、追及はしない。


 今は、まだ。


 彼女は書類へ視線を戻す。


(やっと、ここまで来た)


 目の前の男は、何も変わっていないように見える。


 すぐ帰りたがる。

 予定を嫌がる。

 隙があれば仕事を減らそうとする。


 けれど、今は違う。


 彼は第七騎士団長だ。


 ここにいるべき人。

 ここに立つべき人。


 そうなるように積み上げてきた。


 そして自分は、その隣に立っている。

 それが当然。


 そのはずだった。


■第七騎士団本庁・訓練場


 午前の訓練場には、春初めの冷たい空気が残っていた。


 騎士たちが整列している。

 視線は自然とレオンへ向いた。


「団長、指示を」


 エリシアが静かに促す。


 レオンは訓練場を見渡した。


 配置。

 人数。

 動きの癖。


 どこが詰まり、どこに余裕があるか。


 見るだけなら分かる。

 分かってしまう。


「任せた」


「……私に、ですか」


「うん」


 エリシアは一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに姿勢を正した。


「承知しました」


 指示は的確だった。


 隊は滑らかに動き出す。


 誰も困らない。

 むしろ、整っている。


「さすが、若くても団長だな」


 近くの騎士が、小さく感心したように言った。


(違うんだけどな)


 レオンは空を見る。

 ただ、任せただけだ。


 自分が細かく言うより、エリシアに任せた方が早いと思った。それだけだった。


 けれど、結果は出る。


(こういうのが一番困る)


 何もしないように見える。


 でも、正しい相手に任せる。


 余計なことをしない。


 それは、周囲から見れば判断力に見えるらしい。


 エリシアも、横目でレオンを見る。


 何もしていないようで、全体を見ている。


 必要なところだけ任せている。


 無駄がない。

 理想的な団長。


 そう評価できる。


 できるはずだった。


(……本当に?)


 一瞬だけ、疑問が浮かんだ。


 だが、すぐに消す。


 この人は間違えない。

 そう信じてきたのだから。


■第七騎士団本庁・執務室


 昼の執務室には、書類が積まれていた。


 朝より増えている。


「これも確認をお願いします」


「増えてないか」


「増えています」


「減らないのか」


「減らします」


 言い切った。


 そして、実際に減った。


 エリシアが分類し、必要なものだけをレオンへ回す。


 不要なものは処理する。

 後回しにできるものは予定に入れる。


 流れに無駄がない。


(すごいよな)


 レオンは素直にそう思った。


 自分一人では回らない。

 そもそも回す気力もない。


 エリシアがいるから、執務室は執務室として機能している。


(……シアがいなくなったら、困るな)


 ふと浮かんだ。


 仕事の話なのか。


 それだけなのか。


 自分でも、よく分からない。


 エリシアは、書類を整えながらレオンを見る。


(困ります)


 内心で、即答した。


 団長がいなくなる。

 その前提が、そもそも成立しない。


 仕事ではない。

もっと別の何か。


 この人は、ここにいる。

 ここにいなければならない。


 そのために、自分はいる。


 エリシアは、そう思った。


「団長」


「何だ」


「その書類は、読んでから署名してください」


「読んだ」


「一行しか見ていません」


「重要そうだった」


「全部重要です」


「最悪だな」


「団長ですので」


「便利な言葉だ」


「便利です」


 レオンは渋々、書類を読み直した。


 整っている。


 日常は、驚くほど整っている。


 だから余計に、逃げ場がない。


それが、辛い。


■第七騎士団本庁・廊下


 夕方。


「本日分は以上です」


 エリシアが言った。


 レオンは顔を上げる。


「本当か?」


「はい」


「追加は」


「ありません」


「呼び出しは」


「現時点では」


「現時点では、か」


「はい」


 珍しく、少しだけ余裕があった。


 レオンはしばらく黙り、それから口を開く。


「……なあ」


「なんでしょう」


「たまには休むか」


 軽い声だった。


 エリシアが目を瞬かせる。


「休む、とは?」


「何もしない」


「非効率です」


「だろうな」


「ですが」


 エリシアは一度だけ書類を確認した。


「本日分は終了しておりますので」


「ので?」


「許可します」


「許可制なのか」


「はい」


「俺が団長だよな」


「はい」


「そうか」


 レオンはそれ以上言わなかった。勝てないと分かっている会話には、深入りしない方がいい。


「外に出ますか」


「いいな」


 二人で廊下を歩く。


 昔と同じ距離だった。

 近すぎず、遠すぎない。


 声をかければ届く。

 必要ならすぐ動ける。


 副官としての距離。


 変わらないようで、ほんの少しだけ違う距離。


(このままでいい)


 エリシアは思う。


 隣にいる。

 それでいい。


 いずれは、その先もある。

 そう信じて疑っていなかった。


 けれど、レオンは同じ廊下を歩きながら、別のことを考えていた。


(……このままでいいのか)


 隣にいる。

 安心できる。


 仕事も回る。

 誰も困らない。


 正しい。

 正しいはずなのに。


 少しだけ、息が詰まる。


■騎士団領・夕暮れの街


 夕暮れの街は、整っていた。


 石畳。


 並ぶ建物。


 一定の間隔で灯る街灯。


 通りを歩く騎士たち。

 東ロンバルディア帝国騎士団領。


 騎士のための土地。

 騎士によって守られる街。


 騎士として生きる者には、正しい場所。


 レオンも、その中にいる。

 第七騎士団長として。


 ヴァイス家の嫡子として。

 エリシアを副官に持つ者として。


 正しい日常。

 正しい役目。

 正しい未来。


 そのどれもが、きれいに整っている。


 だからこそ。


 ほんのわずかに。


 何かが、噛み合っていなかった。

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