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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編
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第1話 就任式と、誰にも見えないもの

――帝国暦三二〇年・春初め ヴェリア帝国東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・式場――


 歓声が、やけに遠く聞こえた。


 名を呼ばれる。


 レオンハルト・ヴァイス。


 拍手が起きる。


 帝国騎士団領、第七騎士団団長。


 史上最年少、二十歳。


 式場に集まった騎士たちは、その若き団長の誕生を祝っていた。


 けれど、壇上の中央に立つ本人は、まったく別のことを考えていた。


(……帰りたい)


 マントが重い。


 視線が重い。


 期待というものは、どうしてこんなにも質量を持つのか。


 レオンは、そんなことを考えながら、正面を向いていた。


「誓いを」


 式典を進める声が響く。


 差し出された剣を、レオンは受け取った。


 手は震えない。


 声も揺れない。


 それが、いちばん厄介だった。


「――帝国とロンバルディア領に忠誠を」


 言葉は、完璧だった。


 団長として。


 ヴァイス家の嫡子として。


 第七騎士団を率いる者として。


 その場にいる誰もが、彼の姿をふさわしいものだと思っただろう。


 ただ、レオン自身だけが思っていた。


(……向いてない)


 式典は、滞りなく進んだ。


 拍手が鳴る。


 祝辞が続く。


 誰かが満足そうに頷く。


 すべてが正しく終わっていく。


 ようやく息ができる。


 そう思った瞬間だった。


「団長、次の予定です」


 逃がさない声がした。


 振り返ると、副官のエリシア・グランフェルトが立っていた。


 背筋はまっすぐ。

 表情は整っている。


 髪も、服装も、姿勢も、何ひとつ乱れていない。そして、手にはすでに書類があった。


「……今、終わったばかりだろ」


「はい。ですので、次です」


「今からでも辞退は」


「できません」


「最後まで言わせろ」


「できませんので」


 知っていた。


 レオンは心の中で深く息を吐いた。

 エリシアは、いつも通りだった。


 隙がない。

 乱れがない。

 迷いもない。


 彼女にとって、これは当然の流れなのだ。


 団長が就任する。

 副官が予定を管理する。

 騎士団は動き出す。


 そこに、本人の逃げたい気持ちが入り込む隙間はない。


「団長、こちらに確認印を」


「もう仕事か?」


「団長就任後の最初の仕事です」


「記念に燃やしていいか」


「駄目です」


「だろうな」


 レオンは書類を受け取った。


 その横で、エリシアは静かに彼を見る。


(やっと、ここまで来た)


 エリシアは、胸の奥で小さく息を吐いた。


 幼い頃から見てきた背中。


 ヴァイス家の嫡子。

第七騎士団の未来。


 誰よりも強く、誰よりも正しく、誰よりも上に立つべき人。


 そう教えられてきた。

そう信じてきた。


 そして今、その人は団長になった。

 自分は副官として、その隣に立つ。


(これでいい)


 そう思う。


 思っているはずだった。


「エリシア」


「はい」


「聞いているか」


「聞いております」


「なら、なぜ次の書類を出そうとしている」


「次の確認も必要ですので」


「今の会話を聞いていたか」


「はい。団長が仕事を減らそうとしていました」


「正確だな」


「副官ですので」


 声に出せば、迷いは消える。

 だからエリシアは、迷わない。


 目の前の仕事を進める。


 団長を支え、その隣に立つ。

 今は、それだけでよかった。


■第七騎士団本庁・廊下


 夕方。


 式典と挨拶回りと最初の確認作業を終えた頃には、レオンはかなり疲れていた。廊下を歩いていると、背後から軽い声がかかる。


「いいよなあ、レオンは」


 振り返ると、クリス・ラングレーがいた。


 第七騎士団の中隊長で、レオンの友人でもある男だ。


「何がだ?」


「全部だよ。団長で、家柄もよくて、将来も約束されてて」


「……そう見えるか?」


「見えるだろ、普通」


 クリスは笑った。


 軽い笑いだった。

その軽さが、少しだけ羨ましかった。


「じゃあ、そういうことにしておいてくれ」


「なんだそれ」


「説明する気力がない」


「うちの新団長様、初日から死んでるな」


「初日だから死んでるんだ」


「それはそうかもな」


 クリスは笑いながら、レオンの肩を軽く叩いた。


 誰も深くは聞かない。

 それでいい。


 団長になったこと。

 家を背負うこと。

 周囲が期待すること。


 そのどれもが、レオンにとっては重かった。けれど、重いと言えば、贅沢だと言われるだろう。


 逃げたいと言えば、理解できないと言われるだろう。だから言わない。


 言ったところで、何かが変わるわけでもないから。


■ヴァイス家・玄関広間


 屋敷に戻る頃には、外は少し暗くなっていた。玄関広間には、柔らかな灯りがともっている。


「お帰りなさいませ、お兄さま」


 リリア・ヴァイスが出迎えた。


 レオンの妹。


 整った所作と、柔らかな声を持つ少女。


 彼女はいつも通り、穏やかに微笑んでいた。


「……ただいま」


「本日もお疲れさまでした」


「疲れた」


「存じております」


 リリアは、くすりと笑った。


 その笑みは、誰よりもやわらかい。


(やっぱり、疲れてる)


 リリアには、すぐに分かった。


 昔からそうだ。


 兄は、周囲からは完璧に見える。


 強くて。

 落ち着いていて。


 何でもできて。

 誰よりも上に立つ人。


 けれど、本当は分かりやすい。


 疲れている時は、言葉が短くなる。

 嫌な時は、少しだけ目が遠くなる。

 逃げたい時は、やたらと空を見る。


 この人は、自分のことを隠すのがあまり上手くない。


 だから。


(守ってあげたくなる)


「お兄さま」


「何だ」


「婚約のお話ですが」


「断った」


「そうですか」


 リリアは一度だけ目を伏せた。


 そして、また微笑んだ。


「ありがとうございます」


「何が」


「大事にしてくださっているから」


「違う」


「違わなくて構いません」


「いや、違う」


 レオンは本当に違うと思っていた。


 婚約を断ったのは、誰かを守るためではない。


 ただ、面倒だった。


 今以上に逃げ場がなくなるのが嫌だった。

 誰かの人生まで背負う余裕が、今の自分にはなかった。


 それだけだ。


 けれど、リリアはそれを優しさとして受け取る。


 兄は優しい。

だから断る。


 自分や家のことを考えてくれている。

 そう思っていれば、彼女は安心できた。


「違わなくて構いません」


 リリアは、もう一度やわらかく言った。


 レオンは何か言おうとして、やめた。


 訂正する気力がなかった。


■第七騎士団本庁・庭


 夜。


 レオンは、執務の合間に本庁の庭へ出た。


 昼間の熱はもうない。


 式典の声も、拍手も、祝辞も、ここまでは届かない。夜風が、少しだけ冷たかった。


(ここも、悪くはない)


 ふと、そんなことを思った。


 すぐに否定したくなる。


 ここに留まる理由なんて、本当はひとつもないはずだった。


 団長になりたかったわけではない。

 騎士団を背負いたかったわけでもない。


 期待に応えたいわけでもない。


 ただ、気づけばここに立っていた。


 逃げるには遅すぎて。

 断るには整いすぎていて。


 周囲は誰も、彼が嫌がっているとは思っていない。


「なあ」


 背後から声がした。


 振り返ると、クリスがいた。


「顔、死んでるぞ」


「放っておけ」


「新団長様がそれでいいのか」


「よくない」


「正直だな」


「取り繕う余裕がない」


「だろうな」


 クリスは笑い、隣に並んだ。


 気を使わなくていい相手だった。


 それだけで、少し楽だった。


「なあ」


「なんだ」


「逃げたい」


「知ってる」


「早いな」


「見れば分かる」


「どうすればいい?」


「知らない」


「役に立たないな」


「逃げ方を俺に聞くなよ。俺だってここにいるんだから」


「それもそうか」


 風が抜ける。


 庭の向こうに、本庁の窓明かりが見えた。


 エリシアは、まだ書類を整理しているだろう。


 リリアは、明日の準備をしているかもしれない。


 騎士たちは、新団長の就任に期待している。


 誰も間違っていない。

 誰も悪くない。


 だからこそ、逃げ場がない。


「……でもさ」


 クリスが言った。


「ん?」


「選べよ」


 レオンは、すぐには答えなかった。


「何を」


「それくらい、自分で考えろ」


 クリスは軽く言った。


 けれど、その一言だけが、妙に残った。


 選べ。


 これまで、レオンは選んできたつもりがなかった。


 命じられたから鍛えた。

 求められたから勝った。


 必要だと言われたから仕事をした。


 家のため、騎士団のため、周囲のため。


 そうやって気づけば、団長になっていた。


 けれど。


(選ぶ、か)


 レオンは空を見上げた。

 春初めの夜空は、どこまでも広い。


 屋敷と本庁と訓練場。


 自分が知っている世界は、狭い。

 外には、まだ知らない場所がある。


 まだ知らない道がある。


(……外は、どうなんだろうな)


 ほんの少しだけ、想像した。


 第七騎士団団長。


 レオンハルト・ヴァイス。


 その肩書きが、今日から正式に始まった。


 そして本人は、式典の終わった夜に。


 まだ見たこともない外の世界を、少しだけ考えていた。

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