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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第2章 総騎士団副長編

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第2章9話 姫様親衛隊が増えています

 ――帝国暦三二一年・冬初め ヴェリア帝国東ロンバルディア帝国騎士団領 総騎士団副長府庁舎――第一執務室


 だが、その忙しさとは別に、最近は朝から聞こえてくるものがあった。


「整列、乱すな!」


「姫様のご登庁に備えよ!」


「本日の士気管理、開始!」


 窓の外から、やけにそろった大声が響いてくる。


 声量だけなら、訓練と変わらない。


 いや、下手な訓練より声が出ていた。


 窓際に立っていたクリスは、外を見下ろしたまま、ぼそりと呟いた。


「……なあ」


「はい?」


 近くにいた第一執務室の書記官が顔を上げる。


「親衛隊の数、毎日増えてねぇか?」


 その場にいた数人が、何とも言えない顔をした。見てはいけないものを、ついに言葉にされたような顔だった。


「……増えていますね」


 書記官の一人が、静かに答える。


「やっぱりか」


「はい」


「最初はどれくらいだった」


「五十人程度だったと思います」


「五十でも多いだろ」


「はい」


 書記官は素直に頷いた。


「ただ、最初は旧第七の方々が中心でしたので」


「今は違うのか」


「旧第十、旧第十二の方々も混じっているようです」


「混じるな」


「混じっています」


「何で混じるんだよ」


「姫様ですので」


「説明になってねぇ」


 別の書記官が、帳面を抱えながら言った。


「単純に考えれば、旧第七、旧第十、旧第十二が統合されましたので、三倍になること、自体はあり得ます」


「三倍で百五十か」


「はい」


「多いな」


「多いです」


 書記官たちは、誰も否定しなかった。


 第一執務室の窓からは、副長府正面玄関前が見える。


 玄関へ続く広い石畳。


 その左右に、騎士たちが並んでいた。


 整然と。

 まっすぐに。


 やけに真剣な顔で。

 大多数が。


「……左右に百人以上ずついないか?」


「いるように見えますね」


「見えるだけか?」


「数えると、もっといるかもしれません」


「怖いことを言うな」


 騎士たちは、誰かを待っていた。


 誰か。


 正確には、一人である。


「……副長閣下を待っているわけではないんですよね?」


 若い書記官が、小さく尋ねた。


「違う」


 クリスは窓の外を見たまま答えた。


「レオンはもう中にいる」


「もう中に?」


「今日も仮眠室だろうな」


「帰っていないんですか?」


「最近は、だいたい帰ってない。いや、帰れない。」


 若い書記官は、何とも言えない顔をした。


 副長府の正面玄関前に、数百人近い騎士が並んでいる。だが、待っているのは副長ではない。


 副長は、まだ庁舎の中で寝ている。

 待っているのは、その妹である。


 その事実が、すでに少しおかしかった。


「本命はこれからだ」


「本命」


「リリアだ」


「姫様ですね」


「その呼び方も広まってるな」


「広まっていますね」


 旧第七騎士団では、リリア・ヴァイスは「姫様」と呼ばれていた。


 今や副長府でも、かなり自然にそう扱われつつある。旧第七の者には見慣れた光景だった。


 しかし、旧第十や旧第十二から来た者、あるいは総庁側から移ってきた者にとっては、かなり異様だった。


「……あれ、毎朝ですか?」


「毎朝です」


「式典ではなく?」


「日常の風景です」


「日常の圧が強すぎませんか」


「慣れます」


「慣れるんですか」


「慣れます」


 その時だった。


 整列していた騎士たちの空気が、さらに変わった。


 ざわめきはない。だが、窓越しにも分かるほど、全員の背筋が伸びた。視線が一斉に玄関前の道へ向く。


「あ」


 窓際にいた書記官が声を漏らした。


「来ました」


 リリアが登庁してきた。


 柔らかな髪が朝の光を受けて揺れている。


 小柄で、穏やかな雰囲気をまとっている。


 控えめな所作なのに、自然と目を引く。


 その姿だけなら、たしかに「姫様」と呼ばれるのも分からなくはなかった。ただし、その両腕には、ココとフィアナがそれぞれ抱きついていた。


 右側にいるココは、小柄で、落ち着いた雰囲気の事務職である。


 表情はいつも通り静かだが、リリアの腕を抱える手だけは妙にしっかりしていた。


 左側にいるフィアナは、整った書記官服姿のまま、どこか満足そうにリリアの腕に寄り添っている。


 有能な書記官に見える。


 見えるのだが、今は明らかに職務とは別の何かを補給していた。


 リリアは二人に挟まれ、少し頬を赤くしている。嫌がってはいない。嫌がってはいないが、かなり照れている。


「……あれが通勤とは」


 若い書記官が、真顔で呟いた。


 その直後、玄関前に並んでいた騎士たちが、一斉に姿勢を正した。


「姫様、おはようございます!」


「本日もお健やかに!」


「本日も、よろしくお願いします!」


 朝の第一執務室にまで届く声だった。


 窓が震えたような気さえする。


 若い書記官が、思わず肩を跳ねさせた。


「……何かの訓練ですか?」


「挨拶だ」


 クリスが答えた。


「挨拶の声量ではありません」


「俺もそう思う」


「号令より大きくありませんか」


「下手な訓練より声が出てるな」


 玄関前では、リリアが困ったように笑っていた。おそらく、何か優しく言葉も返しているのだろう。


 すると、騎士たちはさらに背筋を伸ばした。


「今、何て言ったんでしょう」


「たぶん、朝から無理をしないでください、とかだな」


「それで、あの反応ですか」


「姫様に心配されたら、ああなるんだろ」


「なるんですか?」


「なってるだろ」


 クリスは窓の外を見たまま、少しだけ肩をすくめた。


「あの子がいると、全体の士気が上がるんだよ」


「士気ですか」


「それも、かなり上がる。仕事の効率も上がるし、部隊の運営も妙に滑らかになる」


「それは……すごいですね」


「本人は何も知らないけどな」


 窓の外で、リリアがまた何かを言った。


 騎士たちは一斉に頷く。

 まるで命令を受けた熟練兵のようだった。


 だが、たぶん命令ではない。

 ただの挨拶か、気遣いの言葉だ。


「過去には、あの子を部隊運用に組み込もうとしたやつもいたらしい」


「組み込む?」


「姫様が声をかける時間を決めて、部隊の士気管理に使おうとしたんだと」


「……それは、うまくいったんですか?」


「うまくいかなかったらしい」


「なぜですか」


「本人が、そういうつもりで動けないからだろ」


 クリスは小さく息を吐いた。


「リリアは、自然に心配して、自然に声をかける。だから効くんだ。仕組みにしたら、たぶん違うものになる」


 若い書記官は、窓の外を見た。


 リリアは、左右からココとフィアナに腕を抱かれたまま、照れたように微笑んでいる。その笑顔を見た騎士たちは、また少し姿勢を正した。


「……姫様親衛隊ですね」


「ああ」


 クリスは呆れたように、それでも少しだけ納得したように言った。


「完全に姫様親衛隊だ」


 その時、窓際にいた若い書記官の一人が、ふと目を細めた。


「……あれ?」


「どうした」


「ライがいます」


 クリスが眉を寄せる。


「誰だ?」


「うちの書記官です」


「書記官?」


「はい」


 クリスは、もう一度窓の外を見た。


 青い騎士服の列。


 その中に、一人だけ茶色い書記官服の若い男が混じっていた。周囲の騎士たちと同じように背筋を伸ばし、同じように真剣な顔をしている。


 騎士ではない。


 明らかに違う。


 だが、本人は完全に列の一員の顔をしていた。


「……何で混じってるんだ」


「分かりません」


「いや、分かる気もするな」


 クリスは、少しだけ顔をしかめた。


「あの子は、誰にでも距離が近いからな」


「あの子、ですか」


「リリアだよ。あの優しさで普通に話しかけられたら、自分だけ特別だと勘違いする若い男が結構いる」


「……なるほど」


「本人にその気はまったくないんだけどな」


 リリアが困ったように笑う。


 その笑顔を見た騎士たちが、なぜかさらに姿勢を正した。茶色い書記官服のライも、同じように姿勢を正していた。


「分かりやすいですね」


「分かりやすすぎる」


「いつから入ったんですかね」


 若い書記官が呟く。


 クリスは少しだけ考えた。


「たぶん、いつの間にか入ってたんだろうな」


「それ、入っていいものなんですか?」


「知らん」


「副長府の規則にありますか?」


「そんなの、あるわけないだろ」


「では、確認が必要ですね」


「やめろ。またレオンの仕事が増える」


 リリアの言葉は、窓の上までは届かない。


 けれど、丁寧で、優しくて、少しずれていることだけは分かった。なぜなら、リリアが話すたびに、騎士たちの反応が少しおかしくなるからだ。


 励まされた顔をする者がいる。

 胸に手を当てる者がいる。


 なぜか目元を押さえる者までいる。


「泣いてませんか?」


「泣いていますね」


「朝の挨拶で?」


「朝の挨拶で」


 ココはリリアの右側で、騎士たちとの距離を静かに確認していた。近づきすぎる者がいれば、視線だけで下がらせる。


 フィアナはリリアの左側で、満足そうに頷いている。


「フィアナさん、補給したそうですね」


「何をですか」


「リリアさんを」


「補給とは」


「深く考えない方がいいです」


 クリスは窓から離れ、頭を掻いた。


「……これ、人数が増え続けたらどうすんだ」


 書記官の一人が、少し考えて答える。


「整列場所を広げるしかありません」


「広げるな」


「では、交代制に」


「姫様親衛隊の朝礼を制度化するな」


「ですが、すでに半分制度化しています」


「最悪だな」


 別の書記官が、窓の外を見ながらぽつりと言った。


「でも、悪い光景ではないですね」


 クリスは少しだけ黙った。


 たしかに、悪い光景ではなかった。


 騎士たちは笑っている。


 リリアも困りながら、ちゃんと挨拶を返している。


 ココとフィアナは、左右からリリアを支えている。


 いや、抱きついている。

 副長府が動き出して、まだ日は浅い。


 けれど、そこにはもう、一つの朝の形ができつつあった。


「……まあ」


 クリスは小さく息を吐いた。


「騒がしいよりは、平和か」


「かなり騒がしいですが」


「気持ちの問題だ」


「なるほど」


 窓の外で、リリアが最後にもう一度頭を下げた。騎士たちは一斉に姿勢を正す。その光景は、騎士団領の者にとっては普通になりつつある。


 けれど、外から来た者が見れば、きっと驚く。


 副長府の正面玄関に、朝から数百人の騎士が並び。一人の少女に挨拶を返してもらうだけで、今日一日の士気が上がる。


 その列の中には、いつの間にか書記官まで混じっている。


 そんな職場は、たぶん普通ではない。


 クリスはもう一度、窓の外を見た。


「なあ」


「はい」


「明日、もっと増えてたらどうする」


 書記官は少しだけ考えた。


「人数を数えます」


「止めろよ」


「それは副長府の権限です」


「またレオンの仕事が増えるな」


「はい」


 クリスは遠い目をした。


 その頃、玄関前では、リリアが困ったように笑っていた。ココとフィアナは、リリアの左右から離れる気配がない。


 騎士たちは、その笑顔を見てまた少し背筋を伸ばしている。茶色い書記官服のライも、同じように背筋を伸ばしている。


 いつもの朝だった。


 少しおかしくて、ちょっと人数が多くて。


 それでも、妙に副長府らしい朝だった。

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