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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第19話 見えているもの

 ――帝国暦三二〇年・春中頃 東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁廊下――


 夕刻。


 執務室の外には、まだ人の流れが残っていた。


「姫様、お疲れさまでした!」


「はい、お疲れさまです」


 リリアの声が聞こえる。


 やわらかく、落ち着いた声。


 それに応じる騎士たちの声も、どこか柔らいでいる。


(……まだいる)


 エリシアは、廊下の端に静かに立っていた。


 本日の業務は、ほぼ終わっている。 急ぎの確認もない。それでも、人が引かない。


「……多いな」


 横から声がした。


 クリスだった。


「通常より多いですね」


 エリシアは淡々と答える。


「通常、ね」


 クリスが小さく笑う。


「もう通常じゃないだろ、これ」


 エリシアは否定しなかった。


 事実だからだ。


「業務効率は向上しています」


 エリシアは言う。


「問題はありません」


「そこだよ」


 クリスの声が、少しだけ低くなる。


 エリシアはわずかに視線を向けた。


「何が問題だと?」


「効率の話をしてるんじゃない」


 クリスは壁にもたれたまま、廊下の奥を見る。


 リリアに、また一人騎士が話しかけていた。


 少しだけ近い距離。

 だが、不自然ではない。

 リリアも自然に受け入れている。


「見えてないのか?」


「何がですか?」


「距離だよ」


 ぽつりと落とす。


「近すぎる」


 エリシアは視線を戻した。


「業務上、必要な範囲です」


「違う」


 クリスは即座に否定する。


「必要じゃない距離だ」


 静かな声だった。


「感情の距離だ」


 エリシアの表情は変わらない。


「それは問題ではありません」


「問題だろ」


「なぜですか?」


「騎士団だぞ、ここ」


 クリスは続ける。


「線を引く場所だ」


「引かれています」


 エリシアは一歩も引かない。


「リリア様は判断権限を持たず、補助の範囲に留まっています。業務上の線引きは崩れていません」


「崩れる前の話をしてるんだよ」


 クリスの声が、少しだけ重くなった。


 エリシアは、わずかに黙る。


「……仮定の話ですね」


「違う」


 クリスは首を振った。


「見てれば分かる」


 短く言う。


 エリシアは廊下の奥へ視線を向けた。


 リリアは、また笑っている。

 同じように。

 誰に対しても。


(……同じ)


 そこで、思考が止まる。


「何が問題ですか」


 静かに問う。


 クリスは少しだけ考えた。


 言葉を選ぶように、間を置く。


「……あいつはさ」


 リリアを見る。


「区別してない」


 その一言に、エリシアの視線が止まった。


「誰にでも同じ距離で来る」


「それは長所です」


「違う」


 クリスは、今度はゆっくりと言った。


「長所であり、欠点だ」


 エリシアはわずかに目を細める。


「根拠は?」


「見てれば分かる」


 クリスは繰り返す。


「あの距離では、いずれ相手が勘違いする」


 エリシアは何も言わなかった。


 ただ、見る。


 リリアと騎士。

 少し近い距離。


 柔らかな応対。

 自然な笑顔。


(……勘違い?)


 一瞬、引っかかる。

 だが、エリシアはすぐに切り替えた。


「それは個人の問題です」


 切り捨てる。


「管理対象ではありません」


 クリスは少しだけ笑った。


「お前らしいな」


「当然です」


「でもな」


 クリスは視線を戻す。


「守る側の問題でもある」


 静かな言葉だった。


 エリシアは黙る。


「……どういう意味ですか」


「そのままの意味だ」


 短い。


「守るなら、距離も管理しろ」


 エリシアの手が、わずかに止まった。


(……距離を、管理する)


 その発想はなかった。


 業務範囲。

 権限。

 責任。


 出入りの許可。

 それらなら管理できる。


 けれど、感情の距離など、規則に書けるものではない。


「……過剰です」


 エリシアは否定した。


「そうかもな」


 クリスはあっさり引いた。


 だが、視線はリリアから外さない。


「でも、あの娘はまだ十六歳だ」


 その声は、先ほどより少しだけ静かだった。


「気づいた時には遅いぞ」


 それだけ言う。


 エリシアは何も返さなかった。


 もう一度、リリアを見る。


 変わらない。

 いつも通り。

 誰に対しても、同じように。


(……問題はない)


 そう結論づける。


 けれど。


(……本当に?)


 ほんのわずかに、疑問が残った。


 クリスはそれを見て、何も言わない。


 ただ、壁から背を離す。


「俺は現場に戻る」


「まだ業務時間外です」


「分かってる。気分だ」


 それだけ言って、クリスは歩き出した。


 去り際、もう一度だけリリアを見る。


 その目には、苛立ちとも心配ともつかない色があった。エリシアは、その背中を見送る。


 夕方の廊下は、まだ少し騒がしい。

 その中心にいるのは、変わらず一人。


 そして、それを見ている人間の数も、少しずつ増えていた。


 エリシアは、静かに息を吐く。


 見えているものが違う。


 クリスには、リリアの危うさが見えている。


 エリシアには、業務の均衡が見えている。


 そしてレオンは、たぶんまだ何も分かっていない。


 それが一番、厄介なのかもしれなかった。


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