Side Story 04 上級騎士資格は、簡単ではない
――帝国暦三二一年・冬初め東ロンバルディア帝国騎士団領 総騎士団副長府庁舎・廊下――
レオンは、資料を手にしたまま歩き出した。
「上級騎士資格は、また取ればいい」
かなり普通に。
そう言い残して。
エリシアも、静かに頭を下げてその後を追う。
「はい、団長」
二人の背中が、廊下の向こうへ消えていった。その場に残されたのは、リリアとクリスだった。
リリアはしばらく黙っていた。
そして、首を傾げる。
「……上級騎士資格って、また取れるものなんですか?」
「取れるか取れないかで言えば、取れる」
クリスは答えた。
ただし、顔は少し苦かった。
「けどな」
「はい」
「そんな簡単に取れるもんじゃねぇよ!」
「そうなんですか?」
「そうなんですか、じゃねぇんだよ」
クリスは頭をかいた。
「他の国のことは知らねぇ。けど、この国は騎士の国だ。特にロンバルディアは、そういうところがやたら厳しい」
「厳しい、ですか」
「ああ。個人の強さだの、資格だの、実績だのにうるさい。騎士資格を取ってようやく一人前。上級騎士資格を取れば、そこで初めて上の連中に名前を覚えられるくらいだ。」
クリスは廊下の奥を見る。
「昔よりは少しマシになったらしいけどな。今でも、強さがものを言う雰囲気はかなり残ってる」
「強さが……」
「そうだ。剣が強い。任務で結果を出す。部隊を率いる。そういうのを積み上げないと、上級騎士なんてそう簡単には通らねぇ」
リリアは少し考え込む。
「でも、エリシアさんは副官でしたよね」
「そこがすごいんだよ」
クリスは言った。
「リリア、お前、女性の団長付副官をエリシア以外で何人知ってる?」
リリアは少し考えた。
金茶色の髪が、ふわりと揺れる。
「……エリシアさんしか、見たことないかもしれません」
「だろ」
クリスは頷いた。
「そもそも団長付きの副官なんて、普通は男でもあの年齢で簡単になれない。しかもロンバルディアは、強さと実績にやたら厳しい。女性でそこまで強さを求める奴は、あんまりいねぇ」
「そうなんですか?」
「少なくとも多くはない。エリシアは親父さんがあのグラナート総長だからな。たぶん、小さい頃から父親を目指したんだろ」
リリアは、少しだけ目を伏せた。
「エリシアさんらしいです」
「ああ。らしい」
クリスは苦笑する。
「だからこそ、あいつは異例なんだよ」
リリアは黙って頷いた。
「男でもそうだ。上級騎士なんて、三十代、四十代でようやく取る奴が多い」
「そんなに……?」
「騎士資格を取るだけでも相当きつい。上級騎士はその上だ」
リリアは目を丸くした。
「クリスさんは、すごいんですね」
「まあ、俺も二十代で取ったからな」
クリスは少しだけ得意そうにした。
だが、すぐに顔をしかめる。
「ただし、俺みたいなのも普通じゃない」
「普通じゃないんですか?」
「普通じゃねぇ」
クリスは言い切った。
「早くても二十代後半。普通は実績を積んで三十代、四十代だ。強さだけじゃなくて、任務実績、指揮経験、推薦、試験、全部いる」
「そんなに難しいんですか」
「難しい」
即答だった。
「普通の騎士から見れば、上級騎士資格なんて化け物の入口だ」
「化け物……」
「ああ」
そこで、クリスは少しだけ遠い目をした。
「でも、もっとおかしい奴もいる」
リリアが瞬きをする。
「もっと、ですか?」
「十二歳で騎士資格」
「十七歳で上級騎士」
「十八歳で騎将資格。副騎士団長以上に必要なやつだ」
リリアはぽかんとした。
「すごい方がいるものですね」
「……」
クリスは黙った。
そこへ、背後から静かな声がした。
「もしかして、その方は」
リリアとクリスが振り返る。
書類を抱えたメリーが、いつの間にか近くまで来ていた。
「お兄様ではありませんか?」
リリアは、ぱちぱちと瞬きをした。
「お兄様?」
「そうだよ」
クリスは疲れたように答えた。
「今の話、全部お前の兄貴だ」
リリアは、ゆっくり廊下の奥を見た。
すでにレオンの姿はない。
「……お兄様が、十二歳で騎士資格を?」
「そうだ」
「十七歳で上級騎士?」
「そうだ」
「十八歳で騎将資格?」
「そうだ」
リリアはしばらく黙った。
それから、かなり真剣な顔で言う。
「お兄様って……すごかったんですね」
「今さらかよ」
クリスが即座に突っ込んだ。
「たぶん、この記録は破られねぇ。少なくとも俺は見たことない」
「そんなに……」
「ヴァルド総長の推薦もあっただろうし、アルヴェルト団長の後押しもあったんだろうが、それでも早すぎる」
クリスは肩をすくめる。
「今もだが、以前はより強さこそが全て、って空気もあった。レオンは大会でも勝ち続けてたし、昔から任務実績もあった」
「だから通った。でも普通は通らない」
リリアは、まだ信じられないような顔をしていた。
メリーは静かに頷く。
「お兄様の経歴は、騎士団領の基準でもかなり異常です」
「異常なんですか?」
「はい」
メリーは迷いなく答えた。
「かなり」
クリスも頷いた。
「お前の兄貴は、基準がおかしいんだよ。だから『また取ればいい』みたいなことを普通に言う」
「普通じゃないんですね」
「普通じゃねぇ!」
クリスは強く言った。
「エリシアがまた上級騎士資格を取るのは、不可能じゃない。実力はある。ただ、簡単じゃない」
「はい……」
「降格して資格を失ったなら、実績を積み直して、推薦を取り直して、試験も通らなきゃならない」
「……大変ですね」
「大変なんだよ」
メリーが、そこで静かに補足した。
「正確には、上級騎士資格を取り直すだけなら、まだ現実的です」
クリスが眉を上げる。
「まだ、って何だよ」
「問題は、その上です」
メリーは淡々と答えた。
「副騎士団長以上になるには、騎将資格が必要になります」
「騎将資格を得るには、上級騎士資格を備えたうえで、さらに戦功、指揮実績、推薦、審査、試験を通過しなければなりません」
「エリシアさんは、今回のことで、これ以上の出世は難しくなったかもしれません」
リリアが息を呑む。
「……そうなんですか?」
「はい」
メリーは静かに頷いた。
「軍令違反の記録は残ります。能力があっても、上層部からの信頼という点では大きな傷になります」
廊下が、少しだけ静かになった。
リリアは、さっきまでよりも真剣な顔になる。
「騎将資格……」
「はい」
メリーは続けた。
「ですから、騎士団長になれる人材は、そもそも非常に少ないです」
「強いだけでは足りません」
「部隊を率いる能力」
「現場判断」
「戦術理解」
「人員管理」
「上層部からの信頼」
「それらが必要になります」
「お祖父様の意図もあったとはいえ、お兄様が複数の騎士団を兼任していた理由にもなるわけです」
クリスが頷いた。
「そういうことだ」
メリーはさらに続ける。
「そのため、騎士団長職は空きやすいのです」
「え?」
リリアが首を傾げる。
「空きやすいんですか?」
「はい」
メリーは平然と言った。
「騎士団長の席があっても、条件を満たす人材がいなければ埋まりません」
「新設される第十三、第十四騎士団についても、団長候補がすぐに決まるとは限りません」
「むしろ、決まらない可能性があります」
リリアは驚いた顔で口元に手を当てる。
「そんなに人がいないんですね……」
「いません」
メリーは即答した。
「ですから、ノインさんがあの年齢で副団長をしていたのは、別におかしなことではありません」
リリアが、はっとした顔をした。
「ノインさん……」
「副騎士団長級の職に就くには、それだけの経験と資格が必要です」
メリーは書類を少し抱え直す。
「四十代、五十代で副団長というのは、むしろ普通です」
「若すぎる方がおかしいのです」
「若すぎる方……」
リリアがゆっくり廊下の奥を見る。
そこには、もうレオンはいない。でも、誰の話をしているのかは明らかだった。
クリスがうんざりしたように言う。
「十二歳で騎士。十七歳で上級騎士。十八歳で騎将資格。二十歳で騎士団長」
クリスは指を折るように数えた。
「普通じゃねぇ」
「かなり、普通ではありません」
メリーも静かに同意した。
リリアは少しだけ困ったように笑う。
「でも、お兄様は普通みたいな顔をしています」
「そこが一番問題なんだよ」
クリスは深くため息を吐いた。
「本人に自覚がない」
「自覚がないから、エリシアに『また取ればいい』って言える」
「悪気はないんですけど」
「悪気がないのが厄介だ」
メリーが小さく頷く。
「お兄様は、必要なら取れると考えます」
「できるかどうかではなく、必要かどうかで判断するので」
「基準が壊れてるんだよな」
「はい」
メリーはあっさり認めた。
■総騎士団副長府庁舎・廊下
リリアは少しだけ考え込んだ。
「お兄様は……真面目で、仕事熱心なんですね」
その瞬間。
クリスが、ものすごく微妙な顔をした。
「いや」
「違うんですか?」
「違う」
即答だった。
リリアは目を丸くする。
「でも、お兄様はいつもお仕事をしていますし、鍛錬も欠かしませんし……」
「真面目っていうか」
クリスは少しだけ言葉を探した。
「あいつ、別に仕事好きじゃねぇぞ」
「そうなんですか?」
「全然好きじゃねぇ」
クリスは呆れたように言う。
「できれば逃げたいと思ってる」
「さっさと引退したいと思ってる」
「それは……知っています」
「だろ」
クリスは廊下の奥を見る。
レオンが去っていった方だった。
「あいつは、小さい頃から親父に言われたことを、毎日、ずっとやってきたんだよ」
「お父様に、ですか」
「ああ」
「鍛錬しろと言われれば鍛錬する」
「学べと言われれば学ぶ」
「勝てと言われれば勝とうとする」
「任務をやれと言われればやる」
「文句を言っても、結局やる」
リリアは黙った。
その言葉は、思っていたよりも静かに胸に入ってきた。
「ちょっと同情するんだけどな」
クリスはぽつりと言う。
「あいつ、もうそういう生き方しか知らねぇんだよ」
リリアは、しばらく何も言えなかった。
思い返す。
お兄様は、いつも朝に鍛錬をしている。
晴れていても。
雨が近くても。
忙しくても。
疲れていても。
それが当たり前のように。
「……そういえば」
リリアが小さく言った。
「お兄様、いつも朝は必ず鍛錬しています」
「だろ」
クリスは苦笑する。
「あいつは、いつもそうだ」
「何も言わず」
「いや、文句は言う」
「言いますね」
「言いながらやる」
クリスは肩をすくめた。
「逃げたいとか、辞めたいとか、仕事が増えるとか、散々言う」
「でも、なんだかんだ仕事はする」
「鍛錬もする」
「必要なことはやる」
「言ってみれば、ちょっと使いやすいやつなんだよ」
リリアは小さく目を瞬かせた。
「使いやすい……」
「本人に言うなよ」
「はい」
クリスは少しだけ苦笑する。
「ただ、かわいそうでもある」
「かわいそう……ですか」
「ああ」
クリスは廊下の奥を見た。
「常識もあまり知らないしな。最近まで、まともに買い物もしたことなかったらしいぞ」
「買い物、ですか?」
「この前、俺に報告してきた」
「報告……」
「そう。買い物をした、みたいな顔でな」
リリアは少しだけ困ったように笑った。
「お兄様らしいです」
「らしいけどな」
クリスは肩をすくめる。
「そういうところも含めて、たぶんヴァルド総長に目をつけられたんだろうな」
メリーが静かに頷く。
「お祖父様は、お兄様のそういう性質をよく見ていたのだと思います」
「文句を言う」
「逃げようとする」
「でも、必要なことは結局やる」
「しかも、人を集め、人を動かす」
「……かなり便利です」
「メリーさん」
リリアが少し困った顔で見る。
メリーは表情を変えない。
「事実です」
クリスが小さく笑う。
「だろうな」
リリアは、廊下の奥を見つめる。
もうレオンの姿はない。けれど、朝の鍛錬をする兄の姿は、すぐに思い浮かんだ。
文句を言いながら。
嫌そうな顔をしながら。
それでも、必ず剣を振る兄。
そして、リリアはぽつりと言った。
「お兄様は、素晴らしいですね」
クリスは目を閉じた。
「今の話を聞いて、なんでそうなる」
「だって」
リリアは少しだけ笑う。
「文句を言いながらでも、ちゃんとやるんですよね」
「まあ、そうだけどよ」
「それは、すごいことです」
クリスは頭をかいた。
「……ずれてんな」
「そうですか?」
「かなり」
だが、クリスは否定しきれなかった。
リリアの言い方はずれている。
でも、間違っているとも言い切れない。
メリーも少しだけ目を伏せる。
「お兄様は、すごい方です」
「ただし」
メリーは、静かに付け足した。
「基準は壊れています」
「そこは否定しないんですね」
「できません」
リリアは、今度こそ少しだけ笑った。
笑ってから、すぐに表情を引き締める。
「エリシアさん……大変ですね」
「大変だ」
クリスは言った。
「ただ、あいつならやるだろ」
「はい」
メリーも頷く。
「エリシアさんなら、取り戻す可能性は高いです」
「でも、簡単ではありません」
「はい」
リリアは静かに頷いた。
レオンが言った。
また取ればいい。
その言葉は、簡単すぎた。
でも、道がないわけではない。
簡単ではないだけで。
「……エリシアさんなら」
リリアは小さく言った。
「きっと、取りますよね」
「取るだろうな」
クリスが答える。
「怖い顔で訓練して、怖い顔で試験受けて、怖い顔で合格する」
「それは、少し想像できます」
リリアが微笑む。
メリーもほんの少しだけ口元を緩めた。
「その頃には」
メリーは静かに言う。
「第二執務室も、かなり怖い場所になっているかもしれません」
「やめろ」
クリスが即座に言った。
「想像できるからやめろ」
リリアは、今度こそ少しだけ笑った。
副官ではなくなった。
上級騎士資格も失った。
それでも、取り戻す道まで失ったわけではない。
ただ、その道がどれほど険しいのかを。
レオン以外の全員は、よく分かっていた。




