Side Story 03 グランフェルト家の朝
――帝国暦三二一年・冬初め 東ロンバルディア帝国騎士団領 グランフェルト家――
総長裁定が下されてから、数日が過ぎた。
エリシア・グランフェルトは、正式戒告、階級降格、職務停止、旧第七騎士団副官職解任。
そして、職務停止明けには、総騎士団副長府第二執務室付軍務補佐官として再配置されることが決まった。
軽い処分ではない。
副官という席は失われた。けれど、完全に切り捨てられたわけでもない。それが救いなのか、罰なのか。
エリシア自身にも、まだうまく言葉にはできなかった。
その数日後。
レオン、イリス、リリア、メリー、そしてエリシアは、グランフェルト家へ招かれていた。
招いたのは、グラナート・グランフェルト。新総長であり、エリシアの父でもある男だった。
■グランフェルト家・応接室
グランフェルト家の応接室は、質実剛健という言葉がよく似合った。
華美な装飾は少ない。
壁には古い剣と、騎士団領の地図。
棚には勲章や記念品が並んでいるが、どれも誇示するようには置かれていない。ただ、積み上げられた時間だけが、静かにそこにあった。
「よく来た」
グラナートは、いつもの硬い声で言った。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
イリスが上品に頭を下げる。
リリアもそれに続いた。
「ありがとうございます、グランフェルト様」
「お招きいただき、光栄です」
メリーも淡々と礼を述べる。
レオンは少しだけ居心地悪そうにしていた。
「……俺まで来る必要はあったのか?」
「ある」
グラナートは即答した。
「そうか」
レオンは、それ以上言わなかった。
エリシアは、父の横に立つ母を見ていた。
グランフェルト夫人。
穏やかな笑みを浮かべた、落ち着いた女性だった。エリシアの硬さが父譲りなら、目元の静かな柔らかさは母譲りなのかもしれない。
「皆様、本日はようこそいらっしゃいました」
夫人は丁寧に微笑んだ。
「いつも、エリシアがお世話になっております」
「いえ、こちらこそ」
イリスが答える。
「エリシアさんには、いつも助けていただいています」
エリシアは少しだけ目を伏せた。
「イリス殿下」
「事実です」
その言い方が、少しだけエリシアに似ていた。リリアが小さく笑う。
メリーは何かを確認するように二人を見た。
「イリスお姉様、今の言い方はエリシアさんに似ていました」
「そうでしょうか?」
「はい。やや硬いです」
「それは少し困りますね」
「困るのですか?」
エリシアが真面目に聞き返した。
夫人は、それを見て小さく笑った。
「エリシアに似ると、皆さん少し真面目になってしまうのですね」
「母上」
エリシアが少し恥ずかしそうに声を低くする。
その呼び方に、リリアが少し目を輝かせた。エリシアが、母を呼んだ。ただそれだけなのに、普段とは違う一面を見た気がした。
■グランフェルト家・応接室
茶が出されたあと、グラナートは席を立った。
「少し外す」
レオンが顔を上げる。
「仕事ですか?」
「半分はな」
「半分?」
「残り半分は、私がいると話しにくいこともあるだろう」
そう言って、グラナートは部屋を出ていった。
扉が閉まる。応接室には、夫人と、レオンたちが残された。
総長がいた時の硬さが、少しだけほどける。夫人は茶器を置き、穏やかに口を開いた。
「皆様に、お礼を申し上げたかったのです」
エリシアが少し顔を上げる。
「母上」
「あなたではなく、皆様にです」
夫人は微笑んだ。
「エリシアを、ありがとうございました」
夫人は深く頭を下げた。
レオンは恐縮して、黙った。
イリスも、リリアも、メリーも、自然と姿勢を正した。
「処分が軽かったとは思っておりません」
夫人の声は穏やかだった。
けれど、軽くはなかった。
「副官という席を失ったことも、この子にとってどれほど大きいか、分かっているつもりです」
エリシアの指先が、膝の上で少し動いた。
「母上、その話は」
「します」
夫人は静かに言った。
エリシアは口を閉じる。
母の声は穏やかだが、そこには逆らいにくい強さがあった。
「この子は昔から、何かを決めると曲げませんでした」
「……」
「父親に似たのでしょうね」
夫人は少しだけ悪戯っぽく笑う。
エリシアは目を伏せた。
恥ずかしそうだった。
リリアはその様子を見て、また少し目を輝かせる。エリシアが照れている。それは、かなり珍しいものだった。
■グランフェルト家・応接室
「グラナートは、ああ見えて、とても心配していました」
夫人は言った。
エリシアが顔を上げる。
「父上が、ですか?」
「ええ」
「そのようには見えませんでした」
「見せない人ですから」
夫人は微笑む。
「あなたが監察課管理下に置かれた夜、あの人は一睡もしませんでした。」
エリシアの表情が、わずかに固まる。
「……父上が」
「報告書を読み続けていました」
「総長として必要だったからでは?」
「もちろん、それもあります」
夫人は頷いた。
「でも、父親として心配していなかったわけではありません」
エリシアは言葉を失った。
リリアは真剣に聞いている。
イリスも、膝の上で手を重ねたまま、夫人を見ていた。
メリーは表情を崩さないが、目だけは少し静かだった。
レオンは、少しだけ首を傾げている。
父親として。
総長として。
その線引きが、彼には少し分かりにくいのかもしれなかった。
「グラナートは言っていました」
夫人は続ける。
「父として裁けば、騎士団は揺れる。父として庇っても、父として重く罰しても、同じく揺れると」
その言葉は、総長執務室でも聞いた。だが、妻の口から聞くと、少し違って聞こえた。
「けれど、家ではこうも言っていました」
夫人はエリシアを見る。
「エリシアは、逃げないだろう、と」
エリシアの目が揺れる。
「自分の罪を人に押しつけることはしない」
「誰かのせいにもしない」
「だからこそ、厳しく裁たなければならない」
「厳しく裁っても、あの子なら受ける」
夫人は、ほんの少しだけ寂しそうに笑った。
「そう言っていました」
エリシアは何も言えなかった。
厳しい父だと思っていた。
もちろん、今でもそうだ。
だが、その厳しさの奥に、そんな言葉があったとは知らなかった。
■グランフェルト家・応接室
「それから」
夫人は、今度はレオンを見る。
「レオンハルト様のことも、信頼しているようでした」
「俺をですか?」
レオンが少しだけ怪訝そうな顔をする。
「はい」
「仕事を増やす相手としてですか」
「たぶん、それも少しありますね」
夫人は微笑んだ。
イリスが口元を押さえる。
リリアは小さく笑ってしまった。
エリシアは少し困った顔をする。
「母上」
「でも、それだけではありません」
夫人の声が、少しだけ真面目になる。
「あの人は、レオンハルト様ならエリシアを甘やかさないと分かっていました」
レオンは黙る。
「処分を曲げない」
「罪をなかったことにはしない」
「でも、必要な能力まで捨てることはしない」
「そういう方だと」
レオンは少しだけ目を伏せた。
「俺は、必要な人材を必要な場所に置いただけです」
「グラナートも、そう言っていました」
「え?!」
「きっと本人はそう言うだろう、と」
イリスが少しだけ微笑む。
「当たっていますね」
「そうですね」
メリーも静かに頷く。
「かなり正確です」
「お兄様ですから」
リリアがなぜか誇らしげに言った。
レオンは少し嫌そうな顔をする。
「リリア!そこは誇るところではない」
「はい」
返事は素直だが、リリアの表情はあまり反省していなかった。
■グランフェルト家・応接室
夫人は、エリシアに目を向ける。
「あなたは、レオンハルト様の副官ではなくなりました」
「はい」
エリシアは静かに答える。
「それは、きっと痛いことでしょう」
「……はい」
「でも、まだ終わりではありません」
夫人の声は柔らかかった。
「第二執務室という場所がある」
「軍務補佐官という役目がある」
「あなたを必要だと言ってくださる方々がいる」
エリシアは俯きそうになる。
だが、堪えた。
「……はい」
「なら、そこでやり直しなさい」
「はい」
「ただし」
夫人は、少しだけ笑う。
「前にも言いましたが、たまには家に帰ってきてください」
エリシアが目を瞬かせる。
「母上」
「職務停止中くらい、顔を見せてもよいでしょう」
「それは……」
「よいでしょう?」
エリシアは言葉に詰まった。
イリスとリリアが、少しだけ顔を見合わせる。
メリーは真顔で言った。
「職務停止中であれば、休養も処分の一部です」
「メリーさん」
「家で休むことは妥当です」
夫人は楽しそうに微笑んだ。
「まあ。頼もしい方ですね」
「ありがとうございます」
「褒められていますか?」
「たぶん」
イリスが小さく答える。
エリシアは、少しだけ耳のあたりを赤くしていた。父の話より、母に家へ帰ってこいと言われる方が恥ずかしいらしい。
■グランフェルト家・応接室
夫人は、ふいに姿勢を正した。
そして、レオンたちへ深く頭を下げた。
「改めて、お願いいたします」
エリシアが息を呑む。
「母上」
「この子を、よろしくお願いいたします」
静かな声だった。
母親の声だった。
「まだ未熟なところもあります」
「頑固で、融通が利かず、自分の痛みを後回しにするところもあります」
「それでも、騎士としては真っ直ぐです」
「どうか、これからも見てやってください」
イリスが、ゆっくり頭を下げた。
「もちろんです」
リリアも慌てて頭を下げる。
「はい。エリシアさんは、大切な方です」
メリーも淡々と頭を下げる。
「承知しました。制度上も、情緒上も、必要な人材です」
「メリーさん、その言い方は」
イリスが小さく言う。
「間違っていますか?」
「間違ってはいません」
レオンは少しだけ考えてから言った。
「エリシアは、第二執務室に必要です」
それから、少し間を置く。
「それに、第七からの人間でもある」
短い言葉だった。
だが、エリシアには十分だった。
イリスも、リリアも、メリーも、その言葉の重さを感じていた。
夫人は、少しだけ目を細める。
「ありがとうございます」
エリシアは、恥ずかしさと申し訳なさで、どこを見ればいいのか分からなかった。
■グランフェルト家・応接室
その時、扉が開いた。
グラナートが戻ってきた。
まるで何事もなかったかのような顔だった。
「話は終わったか」
夫人は微笑む。
「ええ。大切なお話は終わりました」
「そうか」
グラナートはそれ以上聞かない。聞かないことにした、という方が近いかもしれない。
そして、すぐにレオンへ視線を向けた。
「総騎士団副長」
「はい」
「第二執務室の軍務調整案は見たか」
「まだです」
「今日中に見ろ」
「ここで仕事の話ですか」
「ここで済むなら早い」
レオンは少し嫌そうな顔をした。
「招かれた理由が仕事に変わっている」
「半分は元から仕事だ」
「残り半分は」
「家の話だ」
グラナートは当然のように答える。
夫人が小さく笑った。
エリシアは、少しだけ頭を抱えたくなった。
父は父であり、総長でもある。その二つを、あまりにも自然に切り替える。
いや、切り替えているようで、どこかでつながっている。その線引きは、とても難しい。
イリスは真剣な顔でその様子を見ていた。
メリーも、何かを理解したように小さく頷いている。
たぶん二人は分かっている。
父親としてのグラナート。
総長としてのグラナート。
その間に引かれた線の難しさを。
エリシアは、そう思った。
いや、思いたかった。
だが、レオンはまったく違う顔をしていた。
「つまり、家に呼ばれても仕事があるのか」
「当然だ」
「なら、帰っていいか?」
「駄目だ」
「グランフェルト家も危険だな」
レオンは真顔で言った。
リリアが隣でこくりと頷く。
「お兄様、大変ですね」
エリシアは思った。
あ、リリアさんも、たぶん分かっていない。
イリスは小さく咳払いをして、笑いをこらえている。
メリーは静かに言った。
「今のところ、理解度はイリスお姉様が最も高いと思われます」
「何の理解度だ?」
レオンが聞く。
「心の機微です」
「俺に必要か」
「かなり」
メリーは即答した。
夫人が、とうとう声を出して笑った。
グラナートは少しだけ眉をひそめる。
「何を笑っている」
「いえ」
夫人は目元を押さえながら微笑んだ。
「皆様、とても良い方々だと思いまして」
エリシアは、少しだけ顔を伏せた。
恥ずかしい。
けれど、悪くない。
そう思ってしまう自分もいた。
■グランフェルト家・玄関前
帰り際。
グラナートはエリシアに言った。
「エリシア」
「はい、父上」
「職務停止中は、総庁に顔を出すな」
「承知しています」
「だが、家には来い」
エリシアは少し目を見開く。
「……はい」
「早朝でも構わん」
「早朝、ですか」
「私もその時間ならいる」
それだけ言って、グラナートはレオンを見る。
「総騎士団副長も、用があれば早朝に来い」
「なぜ俺まで」
「仕事が早く片付く」
「やはり危険だ」
「逃げるな」
即答だった。
リリアが明るく言う。
「お兄様、早朝からお仕事ですね」
「嬉しそうに言うな」
「応援しています」
「余計つらい」
イリスは微笑み、メリーは何かを記録するように小さく頷いた。
エリシアは、父を見る。
硬い横顔。
総長の顔。
けれど、今の言葉はきっと父のものでもあった。
家に来い。
早朝でも構わない。
その不器用な言い方が、少しだけ胸に残る。
「父上」
「何だ」
「……ありがとうございます」
グラナートは、少しだけ目を細めた。
「礼を言うことではない」
「はい」
「次は遅れるな」
「はい」
それだけだった。
でも、十分だった。
■グランフェルト家・門前
グランフェルト家を出ると、冬初めの朝の風が頬に触れた。
冷たい。
けれど、痛いほどではない。
エリシアは、隣を歩くイリスとリリアを見る。メリーもその後ろにいる。
少し前には、レオンがグラナートから渡された書類を見て、露骨に嫌そうな顔をしていた。
「……帰りたい」
「副長府へ戻りますよ、レオン」
「それが帰りたい場所ではない」
「職場です」
「悪化している」
イリスが淡々と返す。
リリアは楽しそうに笑っていた。
エリシアは、少しだけ目を伏せる。
父として。
総長として。
その線を引くのは、きっと難しい。
それを完全に分かる人は、多くない。
レオンはたぶん、分かっていない。
リリアも、あまり分かっていない。
けれど。
それでも、二人はそこにいてくれる。
分かっていなくても、必要な時に手を伸ばす。それはそれで、悪くないのかもしれなかった。
「団長」
「何だ」
「その書類は、第二執務室で確認します」
「助かる」
「ただし、逃げないでください」
「敵が増えた」
「味方です」
イリスが横から言った。
「味方です」
リリアも続いた。
「制度上も、味方です」
メリーも言った。
レオンは、しばらく黙った。
「味方という言葉の意味を、あとで確認する」
冬初めの朝に、小さな笑いがこぼれた。
処分は消えない。
失った席も戻らない。
けれど。
家も、職場も、人も。
少しずつ、形を変えながら残っていく。
エリシアはその中を、もう一度歩き出すことにした。




