表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
185/242

Side Story 02 前総長と新総長

――帝国暦三二一年・冬初め 東ロンバルディア帝国騎士団領 総庁・総長執務室――


 冬の朝は、まだ暗かった。


 総庁の廊下にも人影は少ない。


 窓の外には薄い朝靄が残り、騎士団領の街も完全には目覚めていない。それでも、総長執務室にはすでに灯りが入っていた。


 新総長、グラナート・グランフェルト。


 その机の上には、早朝から報告書が積まれている。


 総長という席は、朝が早い。それを改めて確認するまでもなく、グラナートは書類へ目を通していた。


 扉が叩かれた。


「入れ」


 短く答える。


 入ってきたのは、ヴァルド・エイゼンだった。


 前総長。

 今はもう、総長ではない。


 だが、その存在感は衰えていない。


 むしろ役職を外れたことで、余計に何を考えているのか分かりにくくなっていた。


「朝から働いておるな」


「総長ですので」


「その答えは、面白みに欠ける」


「必要ありません」


 グラナートは書類を置いた。


「この時間に来られるとは思いませんでした」


「お前がこの時間なら確実にいると思ったのでな」


「用件は?」


「お前が、わしに聞きたいことがある頃だと思ってな」


 ヴァルドはそう言って、勝手に椅子へ向かった。


 グラナートは眉を動かしたが、止めなかった。


「座ってもよろしいかな?」


「すでに座るつもりでしょう」


「分かってきたではないか」


 ヴァルドは静かに腰を下ろす。

 グラナートも向かいに座った。


 新総長と前総長。


 騎士団領の現在と過去が、冬の早朝に向かい合っていた。


 ■総長執務室


「単刀直入に伺います」


 グラナートは言った。


「副長府の新体制についてです」


「レオンハルトのことか」


「はい」


 即答だった。


 ヴァルドは目を細める。


「副官職を置かない件か」


「それも含みます」


 グラナートの声は硬い。


「現在の副長府は、第一執務室、第二執務室、第三執務室に分けられています」


「第一執務室には首席書記官」


「第二執務室には軍務補佐官」


「第三執務室には工部、輜重補給、資源、情報との連絡調整」


「政務、文書、対外連絡はイリス殿下を中心とする第一執務室に任せる」


「軍務は第二執務室が見る」


「一見、役割分担としては妥当です」


「実際、そうじゃろう」


「はい」


 グラナートは否定しなかった。


「しかし、実務上はレオンハルトへの荷重が大きすぎます」


 ヴァルドは黙って続きを促す。


「イリス殿下は文官です」


「首席書記官としては優秀でしょう」


「帝都との文書、予定管理、対外調整、来客対応、総庁との折衝には向いている」


「ですが、軍務は専門外です」


「軍務は、やはり専門の者に見せる必要がある」


「本来なら、第二執務室付軍務補佐官となるエリシアがそこを担うはずでした」


「しかし、あれは今、職務停止中です」


 娘のことを語る時だけ、ほんのわずかに声が低くなった。


「エリシアが戻るまで、軍務に関する副官的な仕事を、かなりの部分レオンハルト自身が見なければならない」


「大隊運用」


「訓練計画」


「作戦補助」


「旧第七、旧第十、旧第十二の統合」


「ヴァイス騎士団の編制」


「さらに工部、輜重補給、資源、情報との接続」


 グラナートはヴァルドを見る。


「このままでは、レオンハルトに仕事が寄りすぎます」


「そうじゃな」


 ヴァルドはあっさり頷いた。


 グラナートの目が細くなる。


「認めるのですか?」


「認める」


「では、なぜこの形を許したのです」


「想定通りだからじゃ」


 ヴァルドは静かに言った。


 ■総長執務室


 グラナートは黙った。


 ヴァルドは、少しだけ楽しそうに茶器へ手を伸ばす。当然のように、総長執務室の茶を飲んだ。


 グラナートはそれにも何も言わなかった。


「本来なら、三つに分ける必要はなかった」


 グラナートは続けた。


「大きな一室にまとめ、軍務、文書、補給、工部、情報を同じ場所で確認できるようにすることもできたはずです」


「その方が、レオンハルトは移動せずに済む」


「第一執務室で文書を見る」


「第二執務室へ軍務を確認しに行く」


「第三執務室へ工部や補給の調整に行く」


「そのたびに人を呼び、書類を動かし、判断を分ける」


「非効率です」


「そうじゃな」


「それも認めるのですか」


「認める」


「前総長」


 グラナートの声が少し低くなった。


「これは、レオンハルトに不便を与えているように見えます」


「その通りじゃ」


 ヴァルドは、やはり否定しなかった。


「不便でなければ、あやつは直さん」


「……直させるために、この形にしたのですか」


「そうじゃ」


 ヴァルドは茶器を置いた。


「最初から完成形を渡すつもりはなかった」


「レオンハルトに必要なのは、綺麗に整えられた組織ではない」


「自分で触り、自分で不便を感じ、自分で直すための組織じゃ」


 グラナートは腕を組む。


「副長府そのものが、試験場ということですか」


「そうとも言える」


 ヴァルドは淡々と答えた。


「あやつには、人事権と任命権だけを渡したわけではない」


 グラナートの視線がわずかに動く。


 ヴァルドは続けた。


「副長府そのものを預けた」




「人を置く権限も」


「職を作る権限も」


「第一、第二、第三執務室の役割を変える権限も」


「必要なら、新しい部署を作る権限も」


「職務分掌を改める権限も」


「運用を変える権限も」


「すべて、あやつが自分で触れるようにしてある」


 グラナートは黙った。


 それは、ただの人事権ではない。

 任命権でもない。


 副長府という新しい組織の設計そのものを、レオンハルト・ヴァイスに委ねているということだった。


「だから、不便な形で渡した」


 ヴァルドは静かに言った。


「不便であれば、あやつは文句を言う」


「文句を言いながら、直す」


「直すために、人を置く」


「人を置くために、職を作る」


「職を作るために、理由を整える」


「理由を整えるために、実績と記録を作る」


 ヴァルドは、わずかに笑った。


「そういう男じゃ」


 ■総長執務室


 グラナートは、しばらく言葉を返さなかった。


 理屈は分かる。


 レオンハルト・ヴァイスは、最初から完成した仕組みに従わせるより、自分で触らせた方が早い。


 不便を嫌う。

 仕事が増えることを嫌う。


 無駄を嫌う。

 だから、無駄を減らそうとする。


 自分の仕事を減らすために、仕事の流れを整える。


 人を置く。

 職を作る。

 責任を分ける。


 結果として、組織が強くなる。


 分かる。

 分かるが、納得とは少し違った。


「副長府を、試験場として渡しただけではなく」


 グラナートは低く言った。


「レオンハルト自身に、設計させるつもりだったのですか」


「そうじゃ」


 ヴァルドは頷く。


「机の上で作った制度より、あやつが不満を潰しながら作った制度の方が、実戦で使える」


「自分で運用しやすい形にする」


「それを、騎士団領全体に広げる」


「そうじゃ」


 ヴァルドは、あまりにも平然と頷く。


「今、騎士団領に必要なのは、騎士だけの騎士団ではない」


「戦える部隊」


「動かせる指揮系統」


「補給を止めぬ輜重」


「道を作る工兵」


「資源を読む者」


「情報を集める者」


「記録し、報告し、調整する者」


「それらを、一つの運用として噛み合わせる仕組みじゃ」


 ヴァルドの声は静かだった。


「旧来の騎士団は、強い」


「だが、強さだけでは広い戦場は支えきれぬ」


「南方を見据えるなら、騎士団はもっと大きな単位で動く必要がある」


「騎士団ではなく、軍団に近いものとして」


 グラナートは黙って聞いていた。


「その雛形を、レオンハルトに作らせる」


「それがヴァイス騎士団ですか」


「そうじゃ」


「そして副長府ですか」


「そうじゃ」


 ヴァルドは目を細める。


「あやつは、仕事が嫌いじゃ」


「知っています」


「だが、嫌いだからこそ、仕事を減らすために真面目に仕事をする」


 妙な言葉だった。

 だが、否定はできなかった。


「無駄が嫌い」


「回らぬ仕組みが嫌い」


「自分に仕事が集まりすぎるのも嫌い」


「ならば、あやつは必ず仕組みを変える」


「自分の負担を減らすためにな」



「その結果、組織は強くなる」


 ■総長執務室


 グラナートは低く息を吐いた。


「なかなか悪辣ですな」


「必要なことじゃ」


 ヴァルドは悪びれない。


「娘のために副官職を置かなかったのではないか、と見る者もいるでしょう」


「見る者はいるじゃろうな」


「実際、エリシアは軍務補佐官として席を残されました」


「そうじゃな」


「副官ではなくなったが、完全に外されたわけではない」


「それも必要なことじゃ」


「娘の再起という意味でも」


 グラナートの声が少しだけ低くなる。


「そして、組織上も」


 ヴァルドは静かに答えた。


「エリシア・グランフェルトは有能じゃ」


「罪は罪」


「処分は処分」


「だが、能力まで捨てる理由にはならん」


「そこは、レオンハルトも同じ判断をした」


 グラナートは目を伏せた。


「それについては、感謝すべき部分もあります」


「父としてか」


「父としても」



「総長としても、です」


 ヴァルドは小さく頷く。


「ならば、その娘の再起も含め、レオンハルトに組織を作らせよ」


「軍務補佐官が戻れば、第二執務室は動き始める」


「イリス殿下は第一執務室で文書と政務を押さえる」


「メリーは制度と管理を見る」


「シエラは記録と監察補助に回る」


「リリアは第一執務室の空気を柔らかくする」


「クリスは現場の声を持ってくる」


 グラナートは少しだけ眉を動かした。


「リリア嬢の役割だけ、妙に抽象的ですな」


「だが必要じゃ」


「否定はしません」


 グラナートは短く答える。


 リリアがいると、硬い空気が少しだけ動く。それは確かに、組織の中では数字にしにくい役割だった。


「いずれ、レオンハルトは自分で気づく」


 ヴァルドは続ける。


「自分一人では回らぬと」


「ならば、人を置く」


「職を作る」


「流れを変える」


「その時、わしらが机上で考えたものより、使える形が出てくる」


「それを写す」


「ヴァイス騎士団だけではなく」


「第十三、第十四騎士団」


「将来的には、他の騎士団にも」


「さらに大きくなれば、方面軍にも」


 グラナートが後を継いだ。


「時間はかかりますな」


「かかる」


「ですが、必要になる」


「その通りじゃ」


 ヴァルドは満足そうだった。


「机の上だけで作った組織図では足りぬ」


「実際に回った仕組みがいる」


「そのためのレオンハルトじゃ」


 ■総長執務室


 しばらく、二人とも黙っていた。


 冬の朝の光が、窓から薄く差し込む。


 総庁の外では、少しずつ人の気配が増え始めていた。


「あなたは」


 グラナートが口を開く。


「本当に厄介なものを残していきましたな」


「良いものじゃろう」


「厄介です」


「使えるなら同じことじゃ」


「使われる側は、そうは思わないでしょう」


「そうじゃろうな」


 ヴァルドは笑った。


「レオンハルトには、多くの文句があるでしょう」


「あるじゃろう」


「我々に対しても」

「当然じゃ」


「私にも」

「当然じゃ」


「楽しんでいませんか」


「少しな」


 グラナートの視線が冷たくなる。


「前総長」


「今は前がつく。多少は許せ」


「許されるものではありません」


 グラナートは低く返した。

 それでも、声に強い怒りはなかった。


 ただ、総長として現実を受け止める者の声だった。


「今回は騎士団領のためです」


「南方を見据えるなら、避けられない」


「レオンハルトに負担が寄ることも承知の上で、進めるしかない」


「そうじゃ」


「ただし、潰れる前に調整は入れます」


「それでよい」


 ヴァルドは頷いた。


「あやつは文句を言いながら働く」


「必要だと分かれば、嫌々でもやる」


「人を置き、組織を変え、勝手に最適化する」


「そして、その頃にはこちらの想定より使いやすい形になっている」


「そうじゃ」


 ヴァルドは満足そうだった。


 グラナートは、少しだけ苦い顔をした。


「レオンハルトには、いつか一発殴られても仕方ないかもしれませんな」


 冗談のようで、半分は本気だった。


 ヴァルドは、ふっと笑う。


「その時は、避けぬように努力しよう」


「あなたもです」


「何がじゃ」


「私だけではなく、あなたも殴られて仕方ない側です」


 グラナートは真顔で言った。


 ヴァルドは少しだけ目を丸くした。

 そして、声を出して笑った。


「違いない」


 老いた前総長は、久しぶりに楽しそうに笑った。


「ならば、その時は二人で並ぶか」


「私は避けます」


「先ほど、仕方ないと言ったではないか」


「仕方ないことと、避けないことは別です」


「新総長は冷たいな」


「実務的と言っていただきたい」


 ヴァルドはまた笑った。


 ■総長執務室


 グラナートは立ち上がった。


「話は分かりました」


「では、このまま進めるか」


「はい」


「副長府は、当面この形で運用させます」


「ただし、レオンハルト自身が必要を認めて職や部署を増やすなら、認める」


「それでよい」


「娘の件とは切り分けます」


「それもよい」


「副長府は、試験場として扱う」


「そうじゃ」


 グラナートは扉へ向かう。


 ここは自分の執務室だ。


 だが、なぜかヴァルドを残して自分が出ていくような形になっている。


 それに気づき、グラナートは足を止めた。


「前総長」


「何じゃ」


「ここは私の執務室です」


「知っておる」


「お帰りいただけますか」


「茶がまだ残っておる」


「飲み終えてからで結構です」


「新総長は寛大だな」


「長居しないでください」


「考えておこう」


「今すぐ考えてください」


 ヴァルドは笑いながら茶器を手に取った。


 グラナートは深く息を吐く。


 前総長が総長ではなくなっても、厄介さは何も減っていない。


 むしろ、権限が外れたぶん、自由になっている。それが一番厄介だった。


 ■総庁・廊下


 総長執務室を出ると、冬の朝の空気が少しだけ冷たかった。


 総庁は、もう動き始めている。


 各部署に灯りが入り、書記官が行き交い、騎士たちが報告を運ぶ。


 グラナートは歩きながら、レオンハルト・ヴァイスのことを考えた。


 文句を言う。

 逃げようとする。

 仕事を嫌がる。


 だが、必要ならやる。


 そして、やるなら形を整える。


 その性質を、前総長は利用した。


 新総長である自分も、おそらく利用することになる。


 騎士団領のため。

 南方に備えるため。

 将来の軍団運用のため。


 理由はいくらでもある。


 だが、理由が正しければ、負担が消えるわけではない。


「……厄介だな」


 グラナートは小さく呟いた。


 総長としては、必要な判断。

 父としては、少しだけ複雑な判断。

 その線を引くのは、やはり難しい。


 けれど、止まることはできない。

 新体制は、すでに始まっている。


 レオンハルトが文句を言いながら作る組織。


 ヴァイス騎士団と副長府。

 その完成形を、騎士団領は待っている。


 そしておそらく。


 誰よりも文句を言いながら、その完成に近づけていくのは、レオンハルト本人なのだろう。


 グラナートは、別室へ向かった。

 今日もまた、仕事がある。


 そして、その仕事の多くは、いずれ副長府へ流れていく。レオンハルトが知れば、きっと嫌な顔をする。


 そう思いながら。


 新総長は、ほんのわずかにだけ口元を緩めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ