Side Story 01 新総長と新しい副長
――帝国暦三二一年・秋終盤 東ロンバルディア帝国騎士団領 総庁・式典広間――
総庁の式典広間に、騎士団領の主だった者たちが集められていた。
第一騎士団から第十二騎士団までの関係者。
各部の長。
総庁の高官。
騎士団長、副団長、大隊長、中隊長。
そして、これから新体制の中心に置かれる者たち。
広間の空気は、硬い。
飾り立てられた華やかさはない。
騎士団領らしく、実務と規律の匂いが強い式典だった。
壁には騎士団領の旗。
その下に、総長の席。
前総長ヴァルド・エイゼンは、そこに立っていた。
いつものように、静かで、老獪で、何を考えているのか分かりにくい顔で。
その少し後ろに、グラナート・グランフェルトが控えている。
新総長となる男。
厳格で、実力主義で、情によって判断を歪めることを嫌う男。
そして、少し離れた位置に、レオンハルト・ヴァイスが立っていた。
総騎士団副長。
新設されるその職に就く者として。
本人は、あまり嬉しそうではなかった。
■式典広間
「これより、東ロンバルディア帝国騎士団領総長交代、ならびに総騎士団副長任命の式を執り行う」
進行役の声が広間に響いた。
騎士たちの背筋が一斉に伸びる。
レオンも姿勢を正した。
逃げたいと思っている顔ではない。
けれど、逃げられないと分かっている顔ではあった。
クリスは少し離れた位置で、その横顔を見ていた。何か言いたそうだったが、当然この場では言わない。
リリアは別の列にいた。
緊張した顔で、けれどどこか誇らしげに、兄を見ている。
エリシアはレオンの後方に控えていた。
副官として、この時点では、まだその席にいた。
彼女の表情は硬い。だが、その目には隠しきれない誇りがあった。
団長が、総騎士団副長になる。本人が望んでいないことを、エリシアは知っている。
それでも、その能力が認められたことを、誇らしく思わないわけにはいかなかった。
自分がもうすぐ監察課の管理下に置かれ、拘束されることなど、この時のエリシアはまだ知らない。。
■式典広間
ヴァルドが一歩前へ出た。
老いた総長は、広間をゆっくり見渡す。
「長く、私はこの席に座ってきた」
低く、よく通る声だった。
「騎士団領は変わった」
「外も変わった」
「帝都も、南方も、周辺諸国も、昔のままではない」
誰も口を挟まない。
ヴァルドは続ける。
「古い形のままでは、いずれ支えきれぬものが出る」
「だから、私は退く」
その言葉に、わずかに広間の空気が揺れた。分かっていたことだった。すでに決まっていたことだった。
だが、本人の口から語られると、やはり重い。
「次の総長は、グラナート・グランフェルト」
ヴァルドが振り返る。
グラナートが前へ出た。
「厳しい男だ」
ヴァルドはそう言った。
広間の誰も否定しなかった。
「だが、必要な厳しさを持つ男だ」
「騎士団領は、情だけでは守れぬ」
「力だけでも守れぬ」
「規律と、判断と、責任がいる」
「その責任を、彼に渡す」
ヴァルドは机の上に置かれていた総長印を手に取った。
重い銀の印章。
東ロンバルディア帝国騎士団領総長の権限を示すもの。
それを、グラナートへ渡す。
グラナートは両手で総長印を受け取った。
「拝命いたします」
短い言葉だった。
その瞬間、グラナート・グランフェルトは、正式に東ロンバルディア帝国騎士団領の総長となった。
■式典広間
グラナートは総長印を受け取り、正面を向いた。
「前総長ヴァルド・エイゼンより、総長職を引き継ぐ」
声は硬い。
揺れない。
「東ロンバルディア帝国騎士団領は、今後も実力と規律によって立つ」
「血筋でも、派閥でも、情でもない」
「職務を果たす者を用い、責任を負う者を上に置く」
その言葉に、広間の空気が引き締まる。
グラナートらしい挨拶だった。
優しい言葉ではない。だが、この場にいる者たちは、その方が信用できることも分かっていた。
「また、新体制において、総騎士団副長府を設置する」
ついに、その言葉が出た。
レオンは内心で少しだけ息を吐いた。
来たか。
来なくてよかったのに。
そう思っても、もう遅い。
「総騎士団副長は、総長を補佐し、複数騎士団間の調整、統合運用、管理体制整備、ならびに新編制の実務を担う」
聞けば聞くほど、仕事が多い。
レオンは表情を変えなかった。
ただ、頭の中で仕事の数だけが増えていく。
副長府。
ヴァイス騎士団。
統括管理官。
大隊制。
工部。
輜重補給。
人事。
総庁。
帝都。
逃げ場が、組織名の数だけ潰れていく。
「その任に、レオンハルト・ヴァイスを置く」
広間の視線が、一斉にレオンへ向いた。
レオンは前へ出た。
■式典広間
レオンハルト・ヴァイス。
二十一歳。
旧第七騎士団長。
複数騎士団の兼任と統括管理官業務を経て、今度は総騎士団副長。
誰が見ても異例だった。
だが、誰も本気で否定はできない。
実績がある。
能力がある。
そして何より、すでに仕事をしてしまっている。レオンはグラナートの前に立った。
「レオンハルト・ヴァイス」
「はい」
「総騎士団副長を命じる」
「拝命いたします」
返事は短い。
感情は薄い。
少なくとも、喜んでいるようには見えなかった。グラナートはそれを見ても、何も言わない。
「総長を補佐し、騎士団領全体の運用を支えよ」
「はい」
「必要な権限を与える」
「はい」
「必要な責任も負わせる」
「……はい」
最後の返事だけ、ほんのわずかに間があった。クリスが遠くで目を伏せた。
笑ってはいけない。
ここは式典だ。
リリアは真剣な顔で兄を見ている。
エリシアも同じだった。
ただ、エリシアだけは気づいていた。
今の一拍は、重さへの反応ではない。
おそらく、仕事が増えたことへの反応だ。
それでも、レオンは逃げなかった。
正式に頭を下げ、任命を受けた。
■式典広間
グラナートは、レオンへ副長印を渡した。
総長印よりは小さい。
だが、決して軽くはない。
金属の重みだけではない。
そこに乗る職務が重い。
レオンはそれを受け取った。
手の中に収まるはずのものが、妙に重く感じられた。
「副長印は、総騎士団副長府の正式権限を示す」
グラナートが言う。
「濫用は許されない」
「承知しています」
「逃げるために使うことも許されない」
広間が、ほんのわずかに静まった。
レオンは顔を上げる。
「そのような使い方は想定していません」
嘘ではない。
まだ考えていなかっただけだ。
クリスが遠くで肩を震わせそうになり、シエラに横から見られてすぐに止めた。
グラナートは続ける。
「副長府は、従来の騎士団長職とは異なる」
「自ら剣を取るだけでは務まらない」
「人を置き、人を動かし、責任を分け、全体を回せ」
「はい」
「君は、それができる」
レオンは少しだけ目を伏せた。
「過大評価です」
「過小評価よりはましだ」
グラナートの声は硬い。だが、そこには新総長としての判断があった。
「職務を果たせ」
「はい」
レオンはもう一度、頭を下げた。
■式典広間
ヴァルドが、その様子を見ていた。
老いた前総長は、少しだけ口元を緩める。
満足そうにも見える。
面白がっているようにも見える。
「レオンハルト」
ヴァルドが声をかけた。
「はい」
「文句はあるか」
広間が静まり返った。
式典の最中に聞くことではない。
だが、ヴァルドは平然としていた。
レオンも、少しだけ黙った。
「あります」
正直だった。
クリスが今度こそ下を向いた。
リリアは目を丸くする。
エリシアは一瞬だけ息を止める。
グラナートは眉を動かさない。
ヴァルドは、小さく笑った。
「よろしい」
何がよろしいのか、レオンには分からなかった。
「文句がある者の方が、仕事を軽く見ぬ」
ヴァルドは言った。
「権力を欲しがる者は、権力を飾りにする」
「権力を嫌がる者は、権限を道具として使う」
「君は後者だ」
レオンは答えない。
答えようがなかった。
「せいぜい文句を言いながら働け」
「……善処します」
「善処では足りん」
「では、職務の範囲で」
「よろしい」
グラナートが静かに咳払いをした。
「前総長」
「少し話しすぎたな」
「式典中です」
「分かっている」
分かっている顔ではなかった。
だが、それ以上は言わなかった。
■式典広間
式は進んだ。
新総長グラナート・グランフェルトの就任。
総騎士団副長レオンハルト・ヴァイスの任命。
総騎士団副長府の設置。
旧第七、旧第十、旧第十二騎士団を基盤とする新編制の準備。
ヴァイス騎士団。
それらの名が、公式に告げられていく。
聞く者によって、受け止め方は違った。
総庁の者たちは、仕事の増加を思った。
各騎士団の者たちは、配置転換と指揮系統の変化を思った。
クリスは、自分にどれだけ面倒が降ってくるかを考えていた。
シエラは、記録すべき項目の多さを確認していた。
メリーは、すでに必要な文書整理を頭の中で組み始めていた。
リリアは、兄がまた遠くへ行ってしまうような気がして、少しだけ胸を押さえた。
エリシアは、レオンの背中を見ていた。
その背中の隣に立つこと。
それを、自分の役目だと信じていた。
この時は、まだ……。
■式典広間
「最後に」
グラナートが言った。
「騎士団領は、今日から新体制へ移る」
「だが、変わるのは名だけではない」
「責任の置き方が変わる」
「情報の流れが変わる」
「騎士団同士の関係が変わる」
「そして、いずれ戦い方も変わる」
広間の空気が、再び重くなる。
南方情勢。
帝都の意向。
新設騎士団。
外へ広がる圧力。
誰もが、そのすべてを知らされているわけではない。それでも、変化の気配だけは伝わっていた。
「新総長として命じる」
グラナートの声が響く。
「各騎士団は、新体制への移行に協力せよ」
「総騎士団副長府からの正式文書には、速やかに対応せよ」
「ヴァイス騎士団の編制準備を遅滞なく進めよ」
「以上だ」
全員が一斉に礼をした。
その瞬間。
新体制は、ただの予定ではなくなった。
正式に始まった。
■式典広間
式典が終わると、空気が少しだけ緩んだ。
とはいえ、誰も大きく騒ぐわけではない。
それぞれが次の仕事を思い出し、静かに動き始める。レオンは副長印を手にしたまま、しばらくそれを見ていた。
「重いですか?」
エリシアがそばで尋ねる。
「重い」
レオンは即答した。
「金属としてですか」
「職務としてだ」
「承知の上で受けられたのでは」
「承知していても、重いものは重い」
エリシアは、少しだけ目を伏せる。
「それでも、団長なら務まります」
「その根拠は」
「実績です」
「嫌な根拠だ」
「最も反論しづらい根拠です」
レオンは小さく息を吐いた。
「帰っていいか」
「まだです」
「なぜだ」
「新総長への挨拶、各騎士団長との確認、副長府設置文書の署名があります」
「すでに仕事が始まっている」
「はい」
「式典とは、仕事を増やす儀式なのか」
「今回は、その側面が強いかと」
エリシアは真面目に答えた。
レオンはさらに重い息を吐く。
「最悪だ」
「団長」
「何だ」
「おめでとうございます」
その言葉に、レオンは少しだけ黙った。
嬉しくはない。
少なくとも、本人にとっては。
だが、エリシアの声には、誇りがあった。
それを否定する気にはならなかった。
「……ありがとう」
短く返す。
エリシアは静かに頭を下げた。
■式典広間
少し離れた場所で、リリアがその様子を見ていた。
「お兄様、立派でしたね」
リリアは小さく言った。
隣にいたメリーが、淡々と頷く。
「はい。かなり嫌そうでしたが、立派でした」
「嫌そうでしたか?」
「かなり」
「でも、お兄様らしいです」
「そうですね」
リリアは胸の前で手を重ねる。
「総騎士団副長……すごいです」
「すごいです」
メリーは頷いた。
「そして、仕事量もすごいです」
「それは……」
リリアは少しだけ困った顔をした。
「お兄様、大丈夫でしょうか」
「大丈夫かどうかで言えば、処理はできると思います」
「処理は、ですか」
「はい」
メリーは正確に言う。
「休めるかどうかは、別問題です」
リリアは少しだけ不安そうにレオンを見た。
レオンはすでにグラナートに呼ばれ、何かの書類を渡されていた。
式典が終わった直後なのに。
もう仕事だった。
「……お兄様」
リリアが呟く、少し心配そうに。
けれど、やはりどこか誇らしげに。
■総庁・式典広間前廊下
広間を出る頃には、秋の朝の光が廊下に差し込んでいた。
新総長。
新しい副長。
新しい副長府。
新しい騎士団編制。
言葉にすれば、ただの新体制だった。
だが、その一つ一つが、これから多くの人間の仕事を変える。レオンは廊下を歩きながら、渡された書類を見ていた。
「多い」
短く言う。
エリシアが隣で答える。
「必要なものです」
「減らせ」
「確認します」
「減らせるのか」
「おそらく、減りません」
「確認の意味がない」
「あります」
その少し後ろで、クリスが笑いをこらえていた。
誰もが、新しい一日の始まりを感じていた。
その日。
グラナート・グランフェルトは、新総長となった。
レオンハルト・ヴァイスは、総騎士団副長となった。
式典は滞りなく終わった。けれど、本当に大変なのは、式典の後だった。
新体制は、もう動き始めている。
そして、その最初の重い案件が、まもなく新総長の机に置かれることになる。
エリシア・グランフェルトの軍令違反。
この時のエリシアはまだ、自分がまもなく拘束されることを知らない。
冬初めの朝は、静かに明るくなっていた。




