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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第176話 報告書が効く

――帝国暦三二一年・秋終わり ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課――翌朝。


 人事部監察課の空気は、昨日よりも少し硬かった。


 机の上には、複数の書類が並べられている。


 告発書。


 委任状の写し。


 第六中隊の出動記録。


 西方街道確認任務の帰還報告。


 そして。


 シエラが提出した報告書。


 西方街道における帝都側使者収容および関連行動報告。


 その厚みだけで、監察官たちは少し黙った。


 薄い言い訳ではない。


 慌てて作った弁明書でもない。


 時系列。


 関係者。


 判断の流れ。


 文書作成者。


 部隊指揮。


 収容地点。


 医務確認。


 全てが、淡々と記録されている。


 監察官の一人が、紙をめくりながら呟いた。


「……細かいな」


 向かいに座るシエラが、静かに答える。


「報告書ですので」


「誰が作成を?」


「関係者から聴取した内容を、私が整理しました」


「なぜあなたが?」


「報告の延期を提案したのが私だからです」


 迷いのない返答だった。


 監察官は眉を動かす。


「それは、自ら関与を認めるということですか」


「はい」


 シエラは頷いた。


「私は隠蔽に協力したつもりはありません」


「ただし、報告の時期をずらしたことは事実です」


「その責任から逃げるつもりもありません」


 監察官は、少しだけ沈黙した。


 この女は、困った相手だった。


 責任を否定しない。


 だが、必要以上に崩れもしない。


 聞かれたことには答える。


 ただし、感情には流されない。


 そして何より。


 報告書の出来が良すぎる。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課


 レオンは、少し離れた席に座っていた。


 隣にはクリス。


 メリーとリリアも同席している。


 本来なら、全員を同時に入れる必要はない。


 だが今回は、関係者が多すぎた。


 しかも、総騎士団副長府発足前夜の人事と皇女任官が絡んでいる。


 雑に扱えば、それ自体が問題になる。


 監察課も、それは理解していた。


 レオンは、まだ何も言わない。


 シエラの報告書が読まれていくのを、ただ見ていた。


 表情は静かだった。


 ひどく静かだった。


 クリスは小さく囁く。


「お前、ほんと黙ってると怖ぇな」


「今は確認中だ」


「分かってるよ」


「なら黙っていろ」


「はいよ」


 クリスは肩をすくめる。


 軽口はそこまでだった。


 監察官が報告書の一部を指で押さえる。


「ここです」


 声が少し低くなる。


「委任状作成について」


 部屋の空気が変わった。


 そこが核心だった。


 委任状の偽造。


 今回の最大の問題。


 監察官は読み上げる。


「団長名義の委任状は、エリシア・グランフェルト殿の判断により作成された」


「文案整理にはメリエラ・エイゼン殿が関与」


「作成目的は、西方街道における帝都側伝令遅延確認を名目とした領外確認任務」


「実質目的は、イリス皇女殿下の所在確認」


 監察官が顔を上げる。


「これは、認めますか」


 メリーが静かに頷く。


「認めます」


 リリアがぎゅっと手を握る。


 レオンは動かない。


 監察官は続ける。


「次に、目的変更について」


「第六中隊長クリス殿は、出発前に実質目的を知り、部隊には帝都側使者の所在確認として説明」


「収容対象を皇女殿下とは明かさず、重要使者として扱った」


 クリスが頷く。


「事実だ」


「なぜ皇女殿下と明かさなかったのですか」


「兵が動揺する」


 クリスは即答した。


「情報が広がる」


「殿下の安全にも関わる」


「それに、当時は所在不明だった」


「皇女殿下が行方不明だと兵に広める方が危険だ」


 監察官は記録を取る。


「では、使者という説明は虚偽では?」


「虚偽だな」


 クリスは認めた。


「だが、任務上必要な偽装だ」


「目的は所在確認と収容」


「そこは変えていない」


 シエラが静かに補足する。


「報告書では、兵に対する説明と、実際の指揮層の認識を分けて記録しています」


「兵には帝都側使者」


「指揮層は皇女殿下」


「この差異は、情報統制として扱うべきです」


「隠蔽とは異なります」


 監察官が少しだけ目を細めた。


「あなたの見解ですか」


「はい」


「ただし、根拠は報告書内に示しています」


 シエラは、該当箇所を指で示す。


 そこには、旧林道での聞き取り。


 小さな礼拝堂での収容。


 イリスの体調。


 兵への説明内容。


 収容後の医務確認。


 それらが、分けて記録されていた。


 見事なほどに。


 逃げ道を消すためではない。


 論点を分けるために。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課


 別の監察官が口を開いた。


「では、問題は三つに分かれます」


「一つ、委任状偽造」


「二つ、正式報告前の領外出動」


「三つ、報告遅延」


 シエラが頷く。


「はい」


「加えて、皇女殿下収容そのものは救護行動として扱うべきです」


 監察官は一瞬黙る。


 レオンが初めて口を開いた。


「そこは昨日確認した」


 低い声だった。


「イリス殿下を救助したことを罪にするなら、騎士団領は帝国皇女の救護を問題視したことになる」


「それはできないです」


 監察官は頷く。


「その点は監察課としても同意します」


「なら分けろ」


「はい」


 レオンはそれ以上言わない。


 必要な言葉だけだった。


 監察官は報告書へ視線を戻す。


「この報告書がなければ、収容行動と命令系統の不正が混ざるところでした」


 シエラは静かに答える。


「それを避けるために作成しました」


「報告を遅らせたにもかかわらず?」


「だからこそです」


 シエラの声は揺れない。


「報告が遅れたなら、後から何を隠したのか疑われます」


「そのため、遅れた分だけ詳細に残す必要がありました」


 クリスが小さく呟く。


「怖ぇくらい正論だな」


「聞こえています」


「聞こえるように言った」


「あとで報告項目を増やします」


「やめろ」


 監察官たちの一部が、わずかに眉を動かした。


 この二人は何なのか。


 そういう顔だった。


 リリアは少しだけ視線を落とす。


 最愛の恋人同士なのに、やり取りはいつも少し怖い。


 そう思ったが、口には出さなかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課


 監察官は、次に告発書を手に取った。


「告発内容では、エリシア殿が皇女殿下捜索のため、団長名義を騙って第六中隊を私的に動かした、とあります」


 空気がまた重くなる。


「私的」


 レオンが短く言った。


「はい」


「その表現は違う」


 監察官がレオンを見る。


「理由を」


「対象が皇女殿下だからだ」


 レオンの声は静かだった。


「帝都から騎士団領へ向かう皇女殿下一行が襲撃を受け、連絡が途絶えていた」


「その所在確認は、私的ではない」


「騎士団領として対応すべき案件だ」


 監察官は黙る。


「ただし」


 レオンは続ける。


「正規手続きを踏まなかったことは問題だ」


「委任状偽造も問題だ」


「俺への報告がなかったことも問題だ」


「そこは分けろ」


 何度も、分けろ。


 レオンはそう言っていた。


 怒りではない。


 擁護でもない。


 事実の整理だった。


 シエラの報告書も、同じことをしている。


 救護行動。


 命令系統の不正。


 報告遅延。


 それぞれを分ける。


 混ぜれば、誰かを簡単に悪者にできる。


 分ければ、誰が何をしたかが見える。


 それが、エリシアを一方的に潰すことを防いでいた。


「この報告書には」


 シエラが言う。


「リリアさんが書状を開封したことも記録しています」


 リリアの肩が揺れた。


「メリーさんが文案を整えたことも」


 メリーは静かに頷く。


「エリシアさんが委任状を作成したことも」


「クリスさんが真目的を知った上で任務を継続したことも」


「私が報告延期を提案したことも」


「すべて記録しています」


 監察官は報告書を見る。


「なぜ、そこまで?」


「エリシアさん一人の問題として処理されるべきではないからです」


 シエラは淡々としていた。


「彼女は最も重い行為をしました」


「それは事実です」


「ですが、今回の事態は複数の判断の積み重ねです」


「それを一人の軍令違反として処理すれば、事実を誤ります」


 レオンが、わずかにシエラを見た。


 その目に、少しだけ評価の色があった。


 シエラは表情を変えない。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課・拘束室前


 確認の後。


 エリシアへの聴取が行われることになった。


 レオンたちは同席できない。


 だが、聴取前に監察官が一つだけ認めた。


 拘束環境の確認。


 医務確認記録の閲覧。


 そして。


 短時間だけ、拘束室前での状態確認。


 扉は開けられない。


 会話も認められない。


 それでも、姿だけは確認できる。


 レオンは、格子越しに中を見た。


 エリシアは椅子に座っていた。


 背筋は伸びている。


 服装に乱れはない。


 顔色は少し悪い。


 だが、意識ははっきりしている。


 エリシアもレオンに気づいた。


 一瞬、目が揺れた。


 すぐに、いつもの表情に戻る。


 レオンは、何も言わなかった。


 言えない。


 言えば、監察官が止める。


 エリシアも言わない。


 ただ、静かに頭を下げた。


 いつものように、副官として。


 レオンは、その姿を見た。


 怒りが胸の奥にある。


 心配もある。


 呆れもある。


 それでも、今は何も言わない。


 言うべき時ではない。


 レオンは、短く頷いただけだった。


 エリシアの目が、少しだけ伏せられる。


 それだけで、十分だった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課


 戻った後、監察官はシエラの報告書を机に置いた。


「この報告書は、正式な参考資料として受領します」


 シエラが頷く。


「ありがとうございます」


「ただし、これにより全員の関与が明確になりました」


「承知しています」


「エリシア殿の容疑が消えたわけではありません」


「はい」


「むしろ、委任状偽造については確度が高まりました」


「その通りです」


 リリアがぎゅっと手を握る。


 良い話ではない。


 エリシアの罪が消えたわけではない。


 でも、エリシア一人だけの話ではないことが、正式に残った。


 イリスを救ったこと自体は、罪ではないと整理された。


 それだけでも、報告書は効いていた。


「処分判断は、総長および人事部上層へ上げます」


 監察官が言う。


「総長交代前夜だぞ」


 クリスが苦い顔をした。


「承知しています」


「急ぎます」


 監察官も楽ではなさそうだった。


 そこへ、レオンが静かに言う。


「急げ」


「ただし、雑にするな」


「承知しました」


「エリシアを拘束した理由は分かった」


「だが、長く拘束する理由はまだ聞いていない」


 監察官は少しだけ表情を硬くする。


「逃亡防止、証拠隠滅防止、口裏合わせ防止です」


「逃亡はしない」


「証拠はシエラの報告書で増えた」


「口裏合わせは、すでに全員が話している」


 淡々とした反論だった。


「拘束継続の必要性を、再評価しろ」


 監察官は黙った。


 シエラが静かに言う。


「少なくとも、監視付き待機への変更は検討可能だと思われます」


「逃亡可能性は低い」


「証拠保全も進んでいます」


「対象者は第七騎士団副官であり、拘束継続は副長府発足準備にも影響します」


 監察官は、シエラを見る。


「あなたは本当に、こちらの仕事を増やしますね」


「報告書とはそういうものです」


 シエラは平然としていた。


 クリスが小さく言う。


「敵に回したくねぇ」


「最愛の恋人では?」


 リリアが小さく言ってしまった。


 場が止まった。


 クリスが固まる。


 シエラが静かにリリアを見る。


「リリアさん」


「は、はい」


「その認識は、後で確認しましょう」


「えっ」


 クリスが顔を覆った。


「今じゃなくてよかった……」


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 空気が緩んだ。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・執務室


 夕方。


 レオンたちは第七へ戻った。


 エリシアはまだ戻っていない。


 だが、拘束継続の再評価が始まった。


 シエラの報告書は、正式な参考資料として受理された。


 それだけで、状況は変わった。


 リリアは、執務室で小さく息を吐く。


「報告書……効いたんですね」


 シエラは眼鏡を直す。


「効いたというより、論点を分けました」


「それが効いたんだろ」


 クリスが言う。


「お前の報告書、怖すぎる」


「褒めていますか」


「半分な」


「では残り半分は?」


「恐怖」


「適切です」


「適切なのかよ」


 メリーは書類を整理しながら言う。


「エリシアさん一人の問題ではないと、正式に残りました」


「はい」


 リリアは頷く。


「でも、エリシアさんの罪がなくなったわけではないんですよね」


「はい」


 メリーは答えた。


 レオンが静かな声で続ける。


「偽造は事実だ」


「無断出動も事実だ」


「報告遅延も事実だ」


「そこは消えない」


 リリアは目を伏せる。


「しかし」


 レオンは続ける。


「イリスの救助は罪ではない」


「エリシア一人の判断でもない」


「そこも消えない」


 その言葉に、リリアは少しだけ顔を上げた。


 レオンは机の上の報告書を見る。


 シエラの文字は、整っている。


 淡々としている。


 余計な感情はない。


 だからこそ、効いた。


「シエラ」


「はい」


「この報告書は、よくできている」


 シエラは静かに頭を下げた。


「ありがとうございます」


「ただし」


「なぜ俺への提出が後回しになったのかは、後で聞く」


「承知しています」


 クリスがぼそりと言う。


「結局皆怒られるんだな?」


「当然だ」


 レオンは即答した。


「全員だ」


 リリアが小さく震えた。


 メリーは静かに頷く。


 クリスは諦めた顔をした。


 シエラだけが、何かを記録している。


「それも報告書に書くのか」


 クリスが聞く。


「必要なら」


「やめろ」


 少しだけ、空気が戻る。


 だが、エリシアの席は空いたままだった。


 まだ戻っていない。


 報告書は効いた。


 それでも、すべてが解決したわけではない。


 ただ、事実はようやく。


 ひとつずつ、正しい場所に置かれ始めていた。

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