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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第175話 事実確認

――帝国暦三二一年・秋終わり ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課――


 総庁の夜は静かだった。


 昼間の騒がしさは消え、廊下に残るのは足音だけ。


 レオンは、その廊下を歩いていた。


 隣にはクリス。


 少し後ろに、シエラ。


 誰も余計なことは言わない。


 レオンの顔に、怒りは出ていなかった。


 少なくとも、外から見れば。


 いつも通り。


 静かで。


 冷静で。


 少しだけ嫌そうな顔をしている。


 だが、クリスには分かった。


 これは、いつもの嫌そうな顔ではない。


 普段よりずっと危ない顔だった。


「レオン」


「なんだ」


「怒鳴るなよ」


「怒鳴らない」


「ならいい」


「怒鳴る必要がない」


「そっちの方が怖ぇよ」


 クリスは小さく呟いた。


 レオンは答えなかった。


 ただ、歩く速度は落とさない。


 人事部監察課。


 そこに、エリシアがいる。


 軍令違反の疑いで。


 指揮権の不正行使。


 委任状偽造。


 正式報告を経ない領外部隊行動。


 その言葉は、どれも軽くない。


 だからこそ。


 感情で動くべきではなかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課


 監察課の部屋は、総庁の奥にあった。


 扉の前には、二人の騎士。


 レオンを見ると、すぐに姿勢を正す。


「レオンハルト団長閣下」


「エリシア・グランフェルトはここか」


「はい」


「責任者を呼べ」


 短い。


 命令だった。


 騎士はすぐに中へ入る。


 しばらくして、監察課の責任者らしき男が出てきた。


 中年の書記官上がりの監察官。


 顔は硬い。


 この時間にレオンが来ることは、想定していただろう。


 だが、歓迎している顔ではなかった。


「レオンハルト閣下」


「確認に来た」


「エリシア・グランフェルト殿の件でしょうか」


「そうだ」


 レオンは表情を変えない。


「まず、拘束理由を口頭で説明しろ」


 監察官は一瞬だけ間を置いた。


「軍令違反の疑いです」


「詳細」


「閣下名義の委任状を用い、第六中隊を領外へ出動させたこと」


「その委任状の真正性に疑義があること」


「正式な出動記録が事後処理となっていること」


「第六中隊所属騎士より、告発があったこと」


 レオンは頷いた。


「イリス皇女殿下の収容は、拘束理由に含まれるか」


 監察官が、少しだけ目を動かした。


「いえ」


「明確に言え」


「含まれません」


「理由は」


「皇女殿下の一行が西方街道で襲撃を受け、これを収容したこと自体は救護行動と判断されます」


「問題は、収容に至る出動の命令系統です」


「分かった」


 レオンは静かに頷いた。


「つまり、イリス殿下を助けたことは問題ではない」


「はい」


「問題は、誰の命令で第六中隊が領外へ出たか」


「はい」


「そして、その根拠となる委任状が本物かどうか」


「その通りです」


 クリスは横で腕を組んだ。


 シエラは黙って記録を取っている。


 レオンは続ける。


「委任状を見せろ」


 監察官は少し迷った。


「現在、証拠品として保管中です」


「見せろ」


「ですが」


「俺の名義だ」


 声が少しだけ低くなった。


「俺が確認する」


 監察官は返事を詰まらせた。


 しばらくして、奥の机から封筒が持ってこられる。


 証拠品として保管されていた委任状。


 レオンはそれを受け取った。


 開く。


 文面を読む。


 西方街道における帝都側伝令遅延の確認。


 領外確認任務。


 第六中隊への出動指示。


 代理指揮者、エリシア・グランフェルト。


 団長名義。


 署名。


 印。


 レオンは、最後まで読んだ。


「これは俺が書いたものではない」


 静かな声だった。


 監察官が頷く。


「では、偽造と認められますか」


「認める」


 部屋の空気が重くなる。


 クリスがわずかに眉を寄せた。


 シエラは記録の手を止めない。


 レオンは続ける。


「ただし」


「文面は、出動目的を限定している」


「西方街道における帝都側伝令遅延の確認」


「部隊規模は第六中隊」


「代理指揮者はエリシア」


「領外での戦闘行動を命じる文面ではない」


「確認任務だ」


 監察官が少し目を細める。


「それが何か」


「事実確認だ」


 レオンは淡々と言った。


「俺は今、怒りに来たのではない」


「事実を確認しに来た」


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課


 監察官はレオンを見る。


 少し警戒していた。


 感情的に怒鳴られる方が、まだ対応しやすかったのかもしれない。


 だが、レオンは怒鳴らない。


 ただ、事実を積み上げていく。


 それが逆に逃げ場をなくす。


「告発者は誰だ」


 レオンが問う。


「現段階では、告発者保護のため開示できません」


「第六中隊所属騎士であることは事実か」


「はい」


「告発内容は」


「エリシア殿が団長名義の委任状を用い、第六中隊を領外へ出したこと」


「任務中、目的が帝都側使者確認から皇女殿下一行収容へ変化したこと」


「帰還後、団長への即時報告が行われなかったこと」


「それが主な内容です」


 レオンはクリスを見る。


「クリス」


「ああ」


「任務中、目的は変化したのか」


「表向きは変えてない」


 クリスは正直に答えた。


「帝都側使者の所在確認」


「それで通した」


「実際の対象は」


「イリス皇女殿下」


「いつ知った」


「出発前」


 監察官がクリスを見る。


 クリスは逃げない。


「俺は知った上で第六中隊を動かした」


「委任状が怪しいことにも気づいていた」


「ただし兵には言っていない」


「帝都側使者の確認として命令した」


 監察官が書記官に記録を取らせる。


 レオンは続けた。


「第六中隊に、皇女殿下の捜索を命じたか」


「命じてない」


「帝都側使者と説明した」


「ああ」


「皇女殿下収容後は」


「使者を収容したとして帰還した」


「兵に殿下の身分は」


「広くは伝えてない」


「分かった」


 レオンは監察官へ向き直る。


「第六中隊に対する処分予定は」


「現在、調査中です」


「兵は命令に従っただけだ」


「命令の根拠は偽造委任状です」


「兵はそれを確認する立場にない」


 レオンの声は淡々としていた。


「責任を問うなら、命令系統上位だ」


「それは監察課でも確認します」


「確認しろ」


 短い。


 だが、重い。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課


「エリシアに会わせろ」


 レオンが言った。


 監察官は首を横に振る。


「現在、聴取前の一時拘束中です」


「接見は制限されています」


「俺は直属の指揮官だ」


「だからこそ、現段階では接触を制限します」


 クリスが一歩前に出かける。


 レオンが片手で止めた。


「理由は」


「口裏合わせ防止です」


「妥当だな」


 レオンは即答した。


 監察官が、少し意外そうな顔をする。


 クリスも顔をしかめる。


「レオン」


「妥当だ」


 レオンは静かに言う。


「証拠文書に俺の名がある」


「直属の副官が拘束されている」


「俺とエリシアを今会わせない判断は、監察としては間違っていない」


 監察官は黙った。


 レオンは続ける。


「だが、体調確認はさせろ」


「拘束環境」


「食事」


「休息」


「医務確認」


「それは指揮官として要求する」


 監察官は少し考えた。


「医務確認は行います」


「記録を寄越せ」


「可能な範囲で」


「今夜中に」


「……分かりました」


 レオンは頷いた。


 怒鳴らない。


 無理に押し通さない。


 必要なところだけを、確実に押さえる。


 クリスは横で小さく息を吐いた。


「お前、こういう時ほんと怖ぇな」


「今は怖がらせる時間ではない」


「十分怖い」


「そうか」


 レオンは気にしていなかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課


 シエラが報告書を差し出した。


「こちらが、私が受領した事態収束後報告書です」


 監察官が眉を動かす。


「あなたは?」


「第十騎士団書記官、シエラです」


「今回の件で、関係者から報告を受領しました」


「報告時期の延期を提案したのは私です」


 監察官の視線が鋭くなる。


「それは、報告遅延への関与と見なされる可能性があります」


「承知しています」


 シエラは動じない。


「ただし、報告を消す意図はありません」


「この報告書は、事実関係を時系列で残すためのものです」


 レオンがシエラを見る。


「提出するのか」


「必要になりましたので」


「分かった」


 シエラは報告書を監察官へ渡した。


「写しは手元にあります」


「原本ですか」


「副本です」


「原本は?」


「保全しています」


 監察官が少し目を細める。


「手際が良いですね」


「報告書は失われやすいので」


 シエラは平然としていた。


 クリスがぼそりと言う。


「怖ぇ」


「聞こえています」


「聞こえるように言った」


「後で報告項目を増やします」


「この状況で増やすな」


 少しだけ場の空気が揺れた。


 だが、すぐに戻る。


 レオンは監察官へ向き直った。


「これで関係者は増えた」


「エリシア一人で処理する話ではない」


「同時に」


「彼女の偽造行為は事実だ」


 誰も否定しない。


「救助行動と軍令違反を分けて扱え」


「混ぜるな」


 監察官が頷く。


「監察課としても、その方向で確認します」


「確認ではなく、そう扱え」


 レオンの声が少しだけ低くなる。


「イリス殿下を収容したことを罪にすれば、騎士団領は帝都に対して救護責任を放棄したことになる」


「それは政治問題だ」


「罪に問うなら、命令系統の不正に限定しろ」


 監察官の顔が少し硬くなった。


 その指摘は、正しかった。


 皇女の救助を問題視するなどできない。


 問題にできるのは、その前段階。


 出動命令。


 委任状。


 報告遅延。


「承知しました」


 監察官は答えた。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・人事部監察課前廊下


 確認を終え、三人は廊下へ出た。


 クリスは大きく息を吐く。


「怒鳴り込むより疲れた」


「怒鳴っても情報は増えない」


 レオンは静かに答える。


「増えるのは敵だ」


「そういうとこだよ」


 クリスは頭をかく。


 シエラは手元の控えを確認している。


「現時点で確定したことは」


 シエラが言った。


「委任状偽造は事実」


「第六中隊の領外出動も事実」


「皇女殿下の収容は救護行動として扱われる可能性が高い」


「告発者は第六中隊内」


「エリシアさんは、少なくとも今夜は拘束継続」


 レオンは頷く。


「次にすることは」


 クリスが聞く。


「三つ」


 レオンは歩きながら言った。


「一つ、エリシアの拘束環境を確認する」


「二つ、告発者と告発経路を確認する」


「三つ、関係者全員の証言を揃える」


「関係者全員って」


「お前もだ」


「だよな」


「シエラも」


「承知しています」


「メリー、リリア、イリス殿下、メリッサ、護衛二名、第六中隊の確認班」


「全員だ」


 クリスは顔をしかめた。


「多いな」


「事実確認だからな」


「説教は?」


「その後だ」


「やっぱりあるんだな」


「当然だ」


 クリスは小さく笑いそうになり、すぐにやめた。


 今は笑う場面ではない。


 ただ、少しだけ分かった。


 レオンは怒っている。


 だが、怒りで動いてはいない。


 まず、事実を確認する。


 何が罪で。


 何が救助で。


 誰が判断し。


 誰が黙り。


 誰が命令したのか。


 それを一つずつ並べる。


 その上で、怒る。


 たぶん、かなり怒る。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・執務室


 戻ると、メリーが書類を揃えていた。


 リリアもいた。


 目は少し赤い。


 だが、泣いてはいなかった。


「お兄様」


「イリスは」


「休んでいます」


「医務確認は」


「疲労と軽い擦過傷。重い傷はありません」


「そうか」


 レオンは短く頷く。


 それから、机の上に置かれた書類を見る。


 皇太子の書状。


 返書。


 街道報告。


 委任状の写し。


 任命手続き記録。


 イリスの任命状写し。


「イリス殿下は、任官したのか」


 メリーが静かに答える。


「はい」


「総騎士団副長府首席書記官として」


「拝命、宣誓、任命状の授与、すべて完了しています」


「総長が処理したのか」


「はい」


「発足前日の初期人事として」


「はい」


 レオンはしばらく黙った。


「……そうか」


 それだけだった。


 リリアが不安そうに見る。


「お兄様」


「怒っていますか」


「怒っている」


 即答だった。


 リリアの肩が小さく揺れる。


「だが、今は順番が違う」


 レオンは資料を手に取る。


「イリス殿下が無事で、任官が完了した」


「エリシアが拘束された」


「委任状偽造は事実」


「第六中隊の出動も事実」


「君たちが俺に隠していたことも事実」


 一つずつ。


 淡々と。


「まずは、どこまでが処分対象で、どこからが救護行動かを分ける」


「それから、全員に話を聞く」


「最後に」


「全員、怒られる」


 リリアは泣きそうな顔で頷いた。


「はい……」


 メリーも静かに頭を下げる。


「承知しました」


 クリスは小さく呟く。


「避けられねぇか」


「避けられない」


「だよな」


 シエラは冷静に記録を取っていた。


「説教も記録しますか?」


「やめろ」


 クリスが即座に言う。


 レオンは少しだけシエラを見る。


「必要なら」


「必要ない」


 クリスが強く言った。


 ほんの少しだけ、空気が動いた。


 だが、すぐに静まる。


 エリシアは、まだ戻っていない。


 その事実が、執務室の中央に重く残っていた。


 レオンは窓の外を見る。


 総庁の灯りが見える。


 そのどこかに、エリシアがいる。


 怒るのは後でいい。


 今はまず、彼女を、事実の中へ戻さなければならなかった。

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