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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第172話 報告は後で

――帝国暦三二一年・秋終わり ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・帰還路――


 馬車は、ゆっくりと進んでいた。


 揺れを抑えるため、速度は上げられない。


 中にはイリス。


 付き添うメリッサ。


 そして、護衛二名。


 外から見れば、帝都からの使者一行を第六中隊が収容し、騎士団領へ護送しているだけに見える。


 表向きは、そういうことになっている。


 クリスは馬上で前を見ていた。


 エリシアはその少し横を進んでいる。


 周囲には第六中隊の騎士たち。


 全員、緊張はしている。


 だが、誰も本当の事情は知らない。


 今は、それでいい。


 クリスはしばらく黙っていた。


 そして、低く言った。


「戻ったら、レオンに報告する」


 エリシアは馬上で、少しだけ目を伏せた。


「……はい」


「はいじゃねぇよ」


 クリスの声は軽くなかった。


「委任状のことも」


「皇女殿下のことも」


「レオンに黙って部隊を動かしたことも」


「全部だ」


 エリシアは答えない。


 ただ、手綱を握る指に少し力が入る。


「協力はした」


 クリスは続ける。


「殿下を探す必要があったのも分かった」


「お前が動かなきゃ間に合わなかったかもしれない」


「そこは認める」


「でも、報告しない理由にはならねぇ」


 正しい言葉だった。


 とても。


 だからこそ、エリシアは何も言えなかった。


「レオンに黙ったまま終わらせるのは違う」


 クリスは前を見たまま言う。


「俺は中隊を動かした」


「兵にも命令した」


「偽造委任状をレオンの命令として受け取ったことにした」


「そこまでやった以上、報告しねぇと筋が通らない」


「……分かっています」


「分かってるなら止めるなよ」


 エリシアは静かに息を吐いた。


「止めたいわけではありません」


「じゃあ何だ」


「今は」


「まだ、言えません」


 クリスは顔をしかめた。


「それが一番まずいんだよ」


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・裏門


 日が傾き始めた頃。


 第六中隊は、第七騎士団本庁へ戻った。


 表向きは、帝都からの使者を収容しただけ。


 余計な騒ぎを避けるため、正門は使わず、裏門から入る。


 馬車が静かに止まる。


 すぐにリリアが駆け寄った。


「イリス様……!」


 声を抑えようとして、それでも、震えた。


 馬車の扉が開く。


 イリスは疲れた顔で、それでも確かに笑った。


「ただいま戻りました」


 リリアの目に涙が浮かぶ。


「おかえりなさいませ」


 ずっと言いたかった言葉だった。


 イリスはその言葉を聞いて、ほんの少しだけ目を細める。


「……はい」


「戻ってきました」


 メリーもそばにいた。


 いつものように落ち着いている。


 だが、その目元だけは少し柔らかい。


「お姉様」


「メリーさん」


「無事で何よりです」


「ご心配をおかけしました」


「かなりです」


 短い言葉。


 それだけで、イリスは少し笑った。


 エリシアはすぐに指示を出す。


「殿下を休ませます」


「メリッサさんも、護衛の方々も医務確認へ」


「第六中隊は通常確認任務として帰還報告」


「使者収容の詳細は、こちらでまとめます」


 動きは早かった。


 全てを秘密にするためではない。


 今は、余計な情報を広げないため。


 そう言い聞かせるように。


 だが、クリスだけは、じっとエリシアを見ていた。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室


 イリスを一時的に休ませた後。


 リリア。


 メリー。


 エリシア。


 クリス。


 四人は資料室に集まった。


 扉は閉じられている。


 外には誰もいない。


 クリスは腕を組んだまま、すぐに言った。


「今からレオンに報告する」


 リリアの顔色が変わる。


「クリスさん」


「止めるな」


 声は低い。


 いつもの軽い調子ではない。


「俺は殿下を助けるために動いた」


「それは後悔してない」


「でも、レオンに黙って終わらせる気はない」


 メリーが静かに口を開く。


「今報告されると、お姉様の任官手続きが止まる可能性があります」


「分かってる」


「ヴァルド総長の退任前に、拝命、宣誓、任命状の授与を終える必要があります」


「それも聞いた」


「発足日を過ぎれば、人事権はお兄様へ移ります」


「なら余計に報告すべきだろ」


 クリスは即答した。


「レオンが人事権を持つなら、レオンが知るべきだ」


 正しい。


 あまりにも正しい。


 メリーも、エリシアも、すぐに返せなかった。


 リリアは胸の前で手を握る。


「でも……今言ったら、お兄様はきっと止めます」


「止めるかもしれないな」


「イリス様が、ここまでして戻ってきたのに……」


「それでもだ」


 クリスはリリアを見る。


 その目は、優しくはなかった。


 冷たくもなかった。


「リリア」


「はい……」


「お前の気持ちは分かる」


「殿下を戻したいのも分かる」


「レオンが止めそうなのも分かる」


「でも、分かることと、黙っていいことは別だ」


 リリアは言葉を失った。


 クリスは軽い。


 いつも文句ばかり言っている。


 でも騎士としての線は、曲げない。


 それが分かってしまった。


 分かってしまったから、止める言葉が見つからない。


「俺は行く」


 クリスは扉へ向かう。


 エリシアが一歩前に出た。


「待ってください」


「待たない」


「私が責任を取ります」


「そういう話じゃねぇ」


 クリスは振り返る。


「お前が責任を取るって言えば、報告義務が消えるのか?」


「……消えません」


「だろ」


 また正しい。


 正しすぎる。


 リリアは、どうしようもなくなった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・廊下


 クリスが資料室を出ようとした、その時。


 リリアが声を上げた。


「待ってください!」


 クリスが足を止める。


 リリアは震えながらも、必死に言った。


「少しだけ……少しだけ時間をください」


「何の時間だ」


「お願いする時間です」


「誰に」


 リリアは一瞬だけ迷った。


 そして、答えた。


「シエラさんに」


 クリスの表情が、はっきり変わった。


「……は?」


 メリーも少しだけ目を開く。


 エリシアも意外そうにリリアを見る。


「シエラさんなら」


 リリアは言う。


「クリスさんを止められるかもしれません」


「何でそこでシエラが出てくるんだよ」


 クリスの声が少し乱れる。


「最愛の恋人ですから」


 廊下が、妙な沈黙に包まれた。


 クリスは目を見開く。


 メリーは静かに視線を落とした。


 エリシアは何とも言えない顔をした。


「……リリア」


「はい」


「その言い方はやめろ」


「え?」


「最愛って何だ」


「違うんですか?」


「違うというか、あれは――」


 その時。


 廊下の角から、静かな声がした。


「何が違うのですか」


 全員が振り向く。


 シエラだった。


 書類を抱え、眼鏡の奥から冷静にこちらを見ている。


 いつからいたのか。


 クリスの顔が、少し引きつった。


「……何でいる」


「第十からの移転関連資料を届けに来ました」


「タイミングが良すぎるだろ」


「必要な時に現れるのも、調査官の仕事です」


「書記官だろ」


「現在はそうです」


 相変わらずだった。


 リリアは真剣な顔でシエラを見る。


「シエラさん」


「はい」


「クリスさんを止めてください」


「理由を聞きます」


「クリスさんが、お兄様に全部報告しようとしています」


「なるほど」


 シエラはクリスを見る。


 クリスは眉間に皺を寄せた。


「おい、なるほどじゃねぇ」


「クリス」


「何だよ」


「事情を説明してください」


「俺がかよ」


「あなたが一番、怒っていそうなので」


「怒ってるよ」


「では、正確でしょう」


「そういう問題か?」


 シエラは表情を変えない。


 ただ、すぐに場の空気を読んでいた。


 リリアの顔。


 メリーの表情。


 エリシアの硬さ。


 クリスの苛立ち。


 全部を見る。


「場所を変えましょう」


 短い言葉だった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・小会議室


 場所を変えた。


 小会議室。


 扉は閉じられた。


 リリアは、できるだけ順を追って説明した。


 イリスの帰還。


 皇太子からの書状。


 到着遅延。


 西ロンバルディア・メット未着。


 エリシアが委任状を作ったこと。


 第六中隊が動いたこと。


 クリスがイリスを収容したこと。


 そして今。


 クリスがレオンへ報告しようとしていること。


 シエラは、最後まで口を挟まなかった。


 聞き終えたあと、静かに言った。


「問題が多すぎます」


「はい……」


 リリアが小さく頷く。


「隠蔽です」


 メリーが目を伏せる。


「偽造です」


 エリシアは黙っている。


「無断出動です」


 クリスが苦い顔をした。


「俺は委任状を信じたことにしてる」


「その時点で、あなたも半分分かっていましたね」


「……まあな」


「全員、非常に危険な位置にいます」


 その言葉に、リリアは肩を震わせる。


 シエラは続けた。


「ですが」


「クリスが今すぐレオンさんへ報告すれば、イリス殿下の任官手続きは止まる可能性が高い」


 リリアが顔を上げる。


「それでは」


「私は隠蔽には協力しません」


 シエラははっきり言った。


 リリアの表情が沈む。


 だが。


「報告を消すこともしません」


 シエラは続ける。


「ただし、報告の時期をずらすことはできます」


 クリスが眉をひそめる。


「おい」


「クリス」


 シエラは彼を見る。


「あなたは正しいです」


 クリスは黙った。


「部隊を動かした以上、報告すべきです」


「偽造委任状を見逃したことも、任務の真目的を知ったことも、報告しなければなりません」


「そうだろ」


「はい」


 シエラは頷く。


「ただ、その正しさで今この瞬間に手続きが止まれば、別の損害が出ます」


「それも事実です」


 クリスは歯を食いしばる。


「じゃあ、どうしろって言うんだよ」


「延期です」


 シエラは静かに答えた。


「報告義務を消すのではありません」


「事態収束後、正式な報告書を提出します」


「私宛に」


 リリアが目を瞬かせる。


「シエラさん宛に……?」


「はい」


「今回の一連の騒動について」


「誰が、いつ、何を知り」


「誰が、どの判断をし」


「どの文書を作成し」


「どの部隊を動かし」


「どこでイリス殿下を収容したのか」


「全て、報告書として提出してください」


 淡々としている。


 怖いほどに。


「ただし」


「任官手続きが終わってからです」


 小会議室が静かになる。


 シエラはリリアを見る。


「これが条件です」


「条件……」


「はい」


「私はクリスを止めます」


「その代わり、あなた方は一連の騒動が終わった後、私に正式な報告書を出す」


「記録は残します」


「消しません」


「なかったことにはしません」


 リリアは、胸の奥がきゅっと痛んだ。


 優しい助けではない。


 逃がしてくれるわけではない。


 ただ、今だけ時間をくれる。


 それだけ。


「……分かりました」


 リリアは頷いた。


「必ず、報告書を出します」


 シエラは次にメリーを見る。


「メリエラ様も」


「はい」


「エリシアさんも」


「承知しました」


 最後に、シエラはクリスを見た。


「クリス」


「何だよ」


「報告は後です」


「……」


「あなたの誠実さは、今すぐレオンさんに駆け込むことだけではありません」


 クリスが目を細める。


「今回は、正しい報告を、正しい時期まで保持してください」


「ずるい言い方だな」


「先輩調査官ですので」


「今は書記官だろ」


「最愛の恋人でもあります」


「お前まで乗るな」


 リリアが少しだけ安心した顔をした。


 クリスはそれを見て、さらに顔をしかめる。


「違うからな」


 シエラが静かに言う。


「何がですか」


「いや、その、最愛とか」


「違うのですか」


「……今その話するか?」


「逃げましたね」


「逃げてねぇよ」


 少しだけ、空気が緩んだ。


 ほんの少し。


 シエラは表情を変えない。


「約束してください」


 クリスはしばらく黙っていた。


 長い沈黙だった。


 それから、深く息を吐く。


「……分かった」


 リリアの肩から、少しだけ力が抜ける。


「ただし」


 クリスは全員を見た。


「終わったら全部書く」


「俺も書く」


「レオンに聞かれたら、俺は嘘はつかねぇ」


 シエラが頷く。


「それで構いません」


「それまでは」


「報告を保留してください」


「保留な」


 クリスは苦い顔で言った。


「隠蔽じゃなくて」


「保留です」


「言葉って便利だな」


「使い方次第です」


 シエラは静かだった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・廊下


 小会議室を出る頃には、外は夕方になっていた。


 廊下の先で、誰かの足音が聞こえる。


 いつもの第七。


 何も知らない第七。


 イリスは奥の部屋で休んでいる。


 レオンはまだ何も知らない。


 任官手続きは、これからだ。


 リリアはシエラへ頭を下げた。


「ありがとうございます」


「まだ感謝する段階ではありません」


 シエラは静かに言う。


「報告書を忘れないでください」


「はい」


「一連の騒動が終わった後です」


「はい」


「かなり詳しく書いていただきます」


「……はい」


 少し怖かった。


 クリスが横でぼそりと言う。


「シエラに報告書出す方が、レオンに怒られるより嫌かもしれねぇ」


「聞こえています」


「聞こえるように言った」


「では、後で項目を増やします」


「やめろ」


 エリシアは静かに息を吐いた。


 メリーも表情を戻している。


 問題は何も解決していない。


 報告が消えたわけではない。


 罪が消えたわけでもない。


 ただ、少しだけ時間ができた。


 それだけだった。


 それでも、今の彼女たちには、その少しが必要だった。


 クリスの誠実さは、曲がらなかった。


 シエラも、それを曲げなかった。


 ただ、その報告書の日付だけが。


 少しだけ、未来へ送られた。

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