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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第171話 小さな礼拝堂

――帝国暦三二一年・秋終わり ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・旧林道――


 旧林道は、思っていた以上に荒れていた。


 道と呼ぶには細く。


 馬で進むには枝が多く。


 ところどころ、草に覆われている。


 かつては使われていたのだろう。


 石を並べた跡が、ところどころに残っている。


 だが今は、誰も好んで通る道ではない。


 クリスは周囲を見ながら、低く指示を出した。


「第六中隊の本隊は周辺警戒」


「街道側、林道入口、西ロンバルディア・メット方面へ分けろ」


「人数は惜しむな」


「騒がず、広く見る」


 第六中隊。


 五百名。


 そのほとんどが、周辺警戒と街道確認に回された。


 旧林道の奥へ入るのは、クリス、エリシア。


 それから選抜された数名だけだった。


 大人数で入れば、森の中では動きが鈍る。


 それに。


 もし探している相手が身を隠しているなら、騒がしく近づくべきではない。


「……本当に、この先に」


 エリシアが小さく言う。


「いるかもしれねぇ」


 クリスは短く返した。


「いなかったら?」


「次を探す」


 それだけだった。


 エリシアは頷く。


 迷っている暇はない。


 今は、進むしかない。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・旧林道


 足跡は、途切れたり戻ったりしながらも、確かに奥へ続いていた。


 三人分。


 時々、もう少し多い足跡。


 引きずったような跡。


 枝を折った跡。


 道に慣れた者の歩き方ではない。


 疲れている。


 無理をしている。


 そう見えた。


 エリシアは、足元の跡を見て、唇を結ぶ。


 皇女殿下が。


 この道を。


 徒歩で。


 それを想像するだけで、胸の奥が冷える。


「エリシア」


 クリスが声を低くした。


「焦るな」


「……分かっています」


「顔が焦ってる」


「見ないでください」


「見える」


 短いやり取り。


 いつもなら軽口で済む。


 今は、少しだけ苦かった。


 クリスも分かっている。


 エリシアがどれだけ無茶をしているか。


 委任状を偽造し。


 団長に黙り。


 部隊を動かした。


 それでも。


 ここまで来た。


 なら、見つけるしかない。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・旧林道奥


 やがて、林が少し開けた。


 木々の向こうに、古い石造りの建物が見える。


 小さな礼拝堂だった。


 屋根は一部が崩れ。


 壁には蔦が這っている。


 扉は半分外れ、窓には硝子もない。


 人が住む場所ではない。


 雨風をしのぐために、辛うじて使える。


 その程度の場所だった。


 クリスが手を上げる。


 後ろの騎士たちが止まる。


「声を出すな」


 短く指示する。


 エリシアも剣に手を添えた。


 礼拝堂の周囲に、馬車はない。


 馬の姿もない。


 ただ、足跡はある。


 複数。


 そして。


 扉の横に、誰かが立っていた。


 エリシアは目を細める。


 外套を羽織った女性。


 疲れた顔。


 だが、姿勢は崩していない。


 エリシアの足が止まった。


「……メリッサ?」


 女性が顔を上げた。


 見知った顔だった。


 イリス付きのメイド。


 メリッサ。


 彼女はエリシアを見ると、驚きと安堵を混ぜた表情を浮かべた。


「エリシア様……?」


 その声は、かすれていた。


 エリシアはすぐに駆け寄る。


「皇女殿下は」


「中におられます」


 メリッサはすぐに答えた。


「ご無事です」


 その一言で、エリシアの肩から、わずかに力が抜けた。


 クリスも小さく息を吐く。


 だが、すぐに周囲へ目を向ける。


「油断するな」


「礼拝堂周辺を確認」


「敵影、痕跡、全部見ろ」


 騎士たちが動き出す。


 エリシアはメリッサを見る。


「何があったのですか」


 メリッサは唇を引き結んだ。


「道中、山賊に襲われました」


「山賊……」


「はい」


 声に疲労が滲む。


「護衛の方々が撃退してくださいました」


「ですが、馬車を失いました」


「馬も散り、荷も一部捨てざるを得ず」


「皇女殿下は徒歩で、ここまで……」


 エリシアの表情が硬くなる。


 徒歩。


 帝都育ちの皇女が、護衛とメイドに支えられながら、荒れた道を歩いてきた。


 長い距離を。


 慣れない旅を。


 逃げるように。


「護衛は何名ですか」


「現在、殿下のそばに二名」


「他の方々は?」


「街道へ戻り、連絡を試みています」


「それで人数が減っていたのか」


 クリスが低く言う。


 メリッサは頷いた。


「申し訳ありません」


「謝るな」


 クリスは短く返す。


「生きてりゃいい」


 それだけだった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・小さな礼拝堂


 礼拝堂の中は薄暗かった。


 壊れた窓から差し込む光が、床に細く落ちている。


 奥の壁には、かつて何かの聖像があったらしい跡だけが残っていた。


 その近くに、イリスはいた。


 粗い布を敷いた上に座っている。


 外套を肩にかけ。


 髪は少し乱れ。


 顔色は悪い。


 それでも。


 こちらを見た瞬間、いつものように笑おうとした。


「……エリシアさん」


 声は弱かった。


 エリシアは膝をつく。


「イリス殿下」


 呼び方は、いつも通り。


 だが、声はいつもより少しだけ低かった。


「ご無事で」


「ええ」


 イリスは小さく頷く。


「少し、歩き慣れていなかっただけです」


「少しではありません」


 エリシアの返答は即座だった。


 イリスは苦笑する。


「怒っています?」


「怒る前に、収容します」


「それは、頼もしいですね」


 冗談めかして言おうとしている。


 だが、声に力がない。


 慣れない長い徒歩の旅。


 睡眠不足。


 緊張。


 食料も十分ではなかったのだろう。


 疲弊していた。


 明らかに。


 エリシアの胸が、きゅっと締まる。


 ここまでして。


 この人は戻ろうとしていた。


「すぐに戻ります」


 エリシアは言った。


「第六中隊が周辺を確保しています」


「クリス中隊長も来ています」


「……クリスさんも?」


 イリスが少し目を丸くする。


「はい」


「団長は?」


 一瞬、エリシアが黙る。


 イリスは、その沈黙だけで察したようだった。


「……知らないのですね」


「はい」


「そうですか」


 イリスは小さく息を吐く。


 責める声ではなかった。


 むしろ。


 どこか、申し訳なさそうだった。


「迷惑をかけました」


「戻ってから言ってください」


 エリシアは静かに返す。


「今は、歩かないでください」


「もう少しなら歩けます」


「歩かないでください」


「……はい」


 イリスは素直に頷いた。


 珍しいほど素直だった。


 それだけ疲れているのだと分かって、エリシアは余計に胸が重くなった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・小さな礼拝堂外


 クリスは周辺確認を終えた騎士から報告を受けていた。


「敵影なし」


「古い焚き火跡あり」


「護衛隊のものと思われます」


「林道の奥に別の足跡がありますが、古いです」


「追跡の必要は?」


 クリスは少し考える。


「今は殿下……いや、使者の収容を優先する」


 言い直した。


 兵たちにはまだ、イリスとは伝えていない。


「周辺警戒を維持」


「負傷者確認」


「担架を用意」


「馬を回せるところまで回す」


「馬車は?」


「林道入口までは無理です」


「なら入口まで徒歩搬送、そこから馬車を呼ぶ」


「了解」


 騎士たちが動く。


 無駄がなかった。


 クリスは礼拝堂を一度見る。


 中に、イリスがいる。


 皇女。


 だが今は、帝都からの使者として扱う。


 そうしないと、兵が動揺する。


 噂も広がる。


 何より、レオンに伝わる。


「……面倒くせぇ」


 小さく呟く。


 だが、動きは止めない。


 エリシアが出てくる。


「殿下は疲弊しています」


「歩けるか」


「歩かせません」


「だろうな」


「搬送をお願いします」


「準備してる」


 クリスはエリシアを見る。


「無事でよかったな」


 エリシアはすぐには答えなかった。


「はい」


 短い返事。


 けれど、そこには確かに安堵があった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・小さな礼拝堂


 イリスの周囲には、最低限の荷が置かれていた。


 水袋。


 薄い毛布。


 少しの乾いた食料。


 折れた杖代わりの枝。


 それだけで、ここまで来たのだと分かる。


 メリッサがそばに控えている。


 彼女の服も泥で汚れていた。


 護衛の騎士二名も、疲労の色が濃い。


 それでも、イリスのそばを離れていない。


 クリスが礼拝堂に入ると、護衛たちが警戒した。


「第七騎士団第六中隊長、クリスだ」


 短く名乗る。


「使者の収容任務で来た」


 使者。


 その言葉に、イリスが少しだけ目を細めた。


 すぐに理解したようだった。


「……使者ですか」


「そういうことになってます」


 クリスが答える。


「しばらく、それでお願いします」


「分かりました」


 イリスは小さく頷く。


「では、私は使者ですね」


「重要な使者です」


「書簡は持っていませんが」


「そこは後で考えます」


「雑ですね」


「現場はだいたい雑です」


 イリスが、ほんの少しだけ笑った。


 弱い笑みだった。


 それでも、笑った。


 クリスは少しだけ安心する。


「歩けますか」


「歩けます」


「歩かせません」


 エリシアが即座に言う。


 クリスは頷いた。


「だそうです」


「……はい」


 イリスはまた素直に頷いた。


 それを見て、クリスは小さく眉を寄せる。


 本当に疲れている。


 いつものイリスなら、もう少し言葉で遊ぶ。


 今は、それすら少ない。


「担架を持ってこい」


 クリスが指示する。


「丁重に運べ」


 兵が頷く。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・旧林道


 収容は慎重に行われた。


 イリスは担架に乗せられた。


 本人は少し恥ずかしそうにしていたが、エリシアの視線に負けた。


 メリッサも付き添う。


 護衛二名は歩ける状態だったため、第六中隊が交代で支えることになった。


 旧林道の入口まで、ゆっくり進む。


 周囲は第六中隊が固めている。


 ほとんどの兵は、探していた相手を「帝都からの使者」と思っている。


 その認識で、今は十分だった。


 クリスは前方を見ながら進む。


 エリシアは担架のすぐ横についていた。


 イリスが小さく声をかける。


「エリシアさん」


「はい、イリス殿下」


「怒っていますか」


「今は怒っていません」


「今は」


「戻ってからです」


「……怖いですね」


「はい」


 イリスは少しだけ笑った。


 その笑みは弱い。


 それでも、戻ってきた笑みだった。


「リリアさんは」


「心配しています」


「メリーさんは」


「同じく」


「レオンは」


 エリシアは、少しだけ目を伏せる。


「団長は、まだ何も知りません」


「そうですか」


 イリスは、静かに目を閉じた。


「……悪いことをしていますね」


「はい」


 エリシアは否定しなかった。


「ですが、戻らなければなりません」


「はい」


「そのために、来たんです」


 イリスの声は疲れていた。


 だが、芯は折れていなかった。


 エリシアは静かに頷く。


「では、戻りましょう」


「騎士団領へ」


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・林道入口


 林道入口には、すでに馬車が用意されていた。


 第六中隊の騎士たちが周囲を警戒している。


 西ロンバルディア・メット方面への確認班からも、追加報告が入っていた。


 イリス一行の本隊は、やはり街道上で襲撃を受けたらしい。


 撃退はした。


 だが、馬車を失い、護衛の一部が街道側へ連絡と安全確認に回った。


 残った者が、イリスを旧林道へ避難させた。


 判断としては、悪くない。


 ただ、連絡が遅れた。


 その遅れが、騎士団領側の焦りを生んだ。


「本隊の護衛とは合流できそうか」


 クリスが問う。


「西ロンバルディア・メット方面で確認中です」


「分かった」


「使者の収容を優先する」


「帰還路は?」


「最短で戻る」


 クリスは即答した。


「ただし、騒がず戻る」


「余計な情報を広げるな」


「帝都からの使者を収容した。それだけでいい」


 兵たちが頷く。


 エリシアは馬車のそばで、イリスの様子を確認していた。


 メリッサが深く頭を下げる。


「ありがとうございました」


「礼は不要です」


 エリシアは静かに言う。


「まずは戻ります」


「はい」


 メリッサの目にも疲労があった。


 だが、安堵もあった。


 生きている。


 見つかった。


 それだけで、十分だった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 帰還路


 馬車はゆっくりと動き出した。


 揺れを抑えるため、速度は上げられない。


 だが、確実に騎士団領へ向かっている。


 クリスは馬上で、隣のエリシアに言った。


「戻ったら、どうする」


「報告します」


「誰に」


 エリシアは少し黙った。


「必要な相手に」


「団長だろ」


「……はい」


「遅い」


「分かっています」


「分かってるなら、ちゃんと怒られろよ」


「はい」


 クリスはため息を吐く。


「俺も巻き込まれた」


「すみません」


「謝るな。あとで一緒に怒られろ」


「はい」


「そこで素直になるな」


 エリシアは少しだけ目を伏せた。


 クリスは横目で見る。


 彼女がどれだけ無理をしたかは、分かる。


 どれだけ規律を破ったかも。


 それでも、今こうしてイリスが帰還路にいる。


 その事実だけは、否定できない。


「まあ」


 クリスは前を向いた。


「見つかっただけ、よかった」


「はい」


 エリシアは静かに答える。


 本当に、その一言に尽きた。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室


 同じ頃。


 リリアとメリーは、報告を待っていた。


 長い時間だった。


 時計の針が動く音すら、うるさく感じる。


 リリアは何度も扉を見る。


 メリーは書類を前にしていたが、ほとんど進んでいない。


 やがて。


 廊下の向こうから足音が近づいてきた。


 伝令だった。


「報告です!」


 リリアが立ち上がる。


 メリーも顔を上げる。


「第六中隊より連絡!」


「帝都からの使者を収容!」


「現在、帰還中とのことです!」


 リリアは息を止めた。


 帝都からの使者。


 その言葉が、何を意味するのか。


 分かっている。


 メリーも、一瞬だけ目を閉じた。


 長く止めていた息を、静かに吐くように。


「……お姉様」


 小さな声だった。


 リリアは、両手を胸の前で握る。


「イリス様……」


 まだ、完全に安心はできない。


 戻ってきたわけではない。


 レオンにも、何も話していない。


 任官手続きも残っている。


 問題は山ほどある。


 それでも。


 見つかった。


 それだけで、今は十分だった。


 その日。


 イリスは、小さな礼拝堂で見つかった。


 山賊に襲われ。


 馬車を失い。


 慣れない徒歩の旅に疲れ果てながら。


 それでも。


 騎士団領へ戻る道を、諦めてはいなかった。

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