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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第170話 領外確認任務

――帝国暦三二一年・秋終わり ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室――


 委任状は、完成していた。


 紙面は整っている。


 文面も、形式も、印の位置も。


 何もおかしくない。


 むしろ、整いすぎていた。


 だからこそ、リリアには怖かった。


 机の上に置かれたそれを、エリシアは静かに見下ろしている。


 団長名義の委任状。


 西方街道における帝都側伝令遅延の確認。


 領外確認任務。


 代理指揮者。


 エリシア・グランフェルト。


 すべて、もっともらしい。


 すべて、必要に見える。


 ただひとつ。


 団長は知らない。


「……本当に」


 リリアが小さく言う。


「行くんですね」


「はい」


 エリシアは迷わず頷いた。


 声は落ち着いていた。


 表情も変わらない。


 けれど、その手がほんの少しだけ硬いことに、リリアは気づいた。


「第六中隊を動かします」


 メリーが資料を確認しながら言う。


「規模としては大きすぎず、小さすぎません」


「街道確認なら自然です」


「第六中隊長は……」


「クリス中隊長です」


 エリシアが答える。


 リリアが少し目を丸くした。


「クリスさんに、話すんですか?」


「最初は、任務内容のみ伝えます」


「では……」


「目的は伏せます」


 エリシアは静かに言った。


「ただし、あの方は勘が良いです」


「おそらく、途中で気づきます」


 メリーが小さく頷く。


「クリス中隊長なら、問い詰めるでしょうね」


「はい」


「そして、知れば協力する可能性が高いです」


「だから第六中隊なんですね」


 リリアが言う。


 エリシアは、一拍置いて頷いた。


「はい」


 それは、少しだけずるい判断だった。


 クリスなら怪しむ。


 でも、クリスなら動いてくれる。


 きっと文句を言う。


 呆れる。


 怒るかもしれない。


 それでも、最後には助けてくれる。


 だから選んだ。


 エリシアはそのことを、自分でも理解していた。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・中庭


 第六中隊は、すぐに集められた。


 騎士たちは装備を整え、馬の確認をしている。


 人数は多すぎない。


 領外確認任務としては自然な規模だった。


 クリスは、中庭で委任状を受け取った。


 そして、一目見て眉をひそめた。


「……領外確認任務?」


「はい」


 エリシアは平静に答える。


「西方街道における帝都側伝令遅延の確認です」


「団長命令か」


「委任状の通りです」


 クリスは紙面を見た。


 団長名義。


 代理指揮。


 任務目的。


 形式は通っている。


 おかしなところはない。


 おかしなところはないのに。


 おかしい。


「団長は?」


「別件対応中です」


「知らねぇのか」


 エリシアは答えなかった。


 その沈黙だけで、クリスの目が細くなる。


「……おい」


「出立準備をお願いします」


「答えろよ」


「任務中です」


「そういう返しをする時点で怪しいんだよ」


 クリスは委任状を軽く振る。


「西方街道の伝令遅延確認」


「それだけなら、俺じゃなくてもいい」


「第六中隊は機動力があります」


「それも理由としては弱くない」


「弱くないだけだ」


 エリシアは、クリスを見る。


 クリスも、まっすぐ見返す。


 いつもの軽さは少し薄い。


「何を隠してる」


「任務に必要な範囲は伝えています」


「じゃあ必要な範囲が足りねぇ」


「クリス中隊長」


「俺を動かすなら、最低限の嘘にしろ」


 エリシアは黙った。


 クリスは、普段は軽い。


 すぐ文句を言う。


 面倒そうな顔をする。


 でも、こういう時は鋭い。


 だからこそ、面倒だった。


 そして。


 頼りになった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・中庭


 沈黙が落ちる。


 中庭では、第六中隊の騎士たちが出立準備を進めている。


 その中で、エリシアとクリスだけが、少し離れて立っていた。


「……詳しい話は、道中でします」


 エリシアが言った。


「今言え」


「ここでは言えません」


「団長絡みか」


 エリシアは答えない。


「帝都絡みか」


 答えない。


「イリス皇女殿下か」


 エリシアの目が、ほんの少しだけ動いた。


 クリスは、息を吐いた。


「当たりかよ」


「……」


「お前ら、何やってんだ」


 怒鳴りはしなかった。


 その分、声が低かった。


 エリシアは一度目を閉じた。


 そして、静かに言う。


「皇女殿下の一行が、西ロンバルディア・メットに到着していません」


 クリスの表情が変わった。


「……何?」


「予定では、三日前に到着しているはずでした」


「最新の報告では、二つ前の宿場を予定より五日遅れで通過」


「護衛隊は人数を減らしていた可能性があります」


「現在、皇女殿下の所在地は不明です」


 クリスの顔から、軽さが消えた。


「それを団長に言ってないのか」


「言えません」


「なんでだ」


 エリシアは答えない。


 クリスは舌打ちしそうになって、堪えた。


「いや、分かった」


「どうせまた、団長が止めるからとか、そういう話だな」


「……はい」


「はいじゃねぇよ」


 クリスは頭を押さえた。


「お前らな……」


「分かっています」


「分かってねぇからこうなってんだろ」


 その言葉は、正しかった。


 エリシアは否定しなかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・中庭


 クリスは委任状をもう一度見る。


「これ」


「本物か?」


 エリシアは答えなかった。


 クリスの目がさらに細くなる。


「……偽造か」


「私が単独で作成しました」


「最悪だな」


「はい」


「はいじゃねぇ」


 クリスは今度こそ深くため息を吐いた。


「軍法会議ものだぞ」


「承知しています」


「承知してんならやるな」


「他に手がありませんでした」


「団長に言えばいいだろ」


「団長に言えば、全て止まります」


「それでも言うべきだろ」


「そうかもしれません」


 エリシアは静かだった。


「ですが、今は探す方を優先します」


 クリスは黙った。


 怒るべきだった。


 止めるべきだった。


 団長に報告すべきだった。


 分かっている。


 分かっているのに。


 イリスが行方不明かもしれないと聞いて、そのまま戻る選択はできなかった。


「……くそ」


 クリスは小さく呟いた。


「本当に、ろくなことになってねぇな」


「すみません」


「謝るなら、最初から巻き込むな」


「巻き込みました」


「堂々と言うな」


 クリスはしばらく黙ったあと、委任状を折りたたんだ。


「分かった」


 エリシアが顔を上げる。


「行く」


「クリス中隊長」


「ただし、俺はこの委任状を信じたことにする」


 クリスは低く言った。


「お前が偽造したとか、今は知らねぇ」


「俺は、団長命令として受けた」


「そういうことにする」


 エリシアは唇を結んだ。


「……ありがとうございます」


「礼を言うな」


 クリスは苦い顔をする。


「その代わり、目的は変える」


「変える?」


「ああ」


 クリスは中庭にいる第六中隊へ視線を向けた。


「皇女殿下を探すとは言わない」


「そんなことを言えば、兵が動揺する」


「それに、話が広がる」


「では」


「帝都からの使者だ」


 エリシアが目を細める。


 クリスは続ける。


「西方街道で、帝都から騎士団領へ向かっている使者が遅れている」


「重要書簡を持っている可能性がある」


「護衛隊と別行動を取った可能性もある」


「我々は、その使者の所在を確認する」


「これなら、名目と大きくズレない」


 エリシアは黙った。


 たしかに。


 皇女殿下とは言わない。


 イリスの名前も出さない。


 それでも探せる。


 帝都からの使者。


 重要書簡。


 街道遅延。


 確認任務。


 すべて、辛うじて繋がる。


「……助かります」


「だから礼を言うな」


 クリスは睨む。


「俺は今、かなり怒ってる」


「はい」


「でも行く」


「はい」


「そこを間違えるな」


「……はい」


 エリシアは静かに頷いた。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道へ向かう道


 第六中隊は、すぐに出立した。


 表向きの任務は、西方街道における帝都側伝令遅延の確認。


 兵たちには、クリスが説明した。


「帝都から騎士団領へ向かっている使者の所在を確認する」


「予定より到着が遅れている」


「護衛隊と別行動を取った可能性がある」


「宿場、関所、西ロンバルディア・メット方面を確認する」


「使者本人の身柄確保よりも、まず所在確認を優先する」


 兵たちは頷いた。


 特に大きな動揺はない。


 帝都からの使者。


 重要書簡。


 伝令遅延。


 それならば、確認任務として自然だった。


 エリシアは馬上で、クリスの横に並ぶ。


「……説明が上手いですね」


「褒めるな」


「事実です」


「俺は騙すのが上手いって言われて喜ぶ性格じゃねぇ」


「そういう意味ではありません」


「だとしても嬉しくない」


 クリスは前を見る。


 西方街道へ向かう道。


 秋の風が、少し冷たい。


「で」


 彼は低く言った。


「本当の目的は、イリス皇女殿下の所在確認」


「はい」


「生存確認」


「はい」


「護衛隊の分離理由」


「はい」


「可能なら保護」


「はい」


「レオンには」


「言わない」


 エリシアは静かに答えた。


「はい」


 クリスは顔をしかめる。


「最悪だな」


「承知しています」


「その返事、そろそろ腹立つ」


「すみません」


「謝るな。余計腹立つ」


 エリシアは少しだけ黙った。


 その横顔に、いつもの硬さがある。


 でも、いつもより少しだけ脆い。


 クリスはそれに気づいて、ため息を吐いた。


「お前も、無茶するようになったな」


「そうでしょうか」


「昔なら絶対やらなかっただろ」


「……そうかもしれません」


 エリシアは前を向いたまま言う。


「ですが」


「ここまで来たので」


 クリスは、それ以上は言わなかった。


 その言葉だけで、だいたい分かった。


 リリア。


 メリー。


 イリス。


 そして、レオン。


 全員の事情が、変な形で絡まっている。


 エリシアは、その糸を切らないようにしながら、無理に引っ張っている。


 危なっかしい。


 本当に。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・第一宿場


 最初の宿場では、記録が残っていた。


 帝都方面からの護衛隊。


 通過は、予定より大幅に遅れている。


 人数は、当初の報告より少ない。


 ただし、皇女の名前は記録にない。


 当然だった。


 皇族の移動記録は、詳しく残さない場合もある。


 クリスは宿場の管理人に聞く。


「帝都からの使者が別行動を取ったという話は?」


 管理人は首を傾げる。


「使者かどうかは分かりませんが……」


「護衛隊から数名が、街道の北側へ向かったとは聞きました」


「北側?」


「ええ。旧林道です」


 エリシアの目が鋭くなる。


「旧林道は、現在も使われていますか」


「ほとんど使われていません」


「馬車は」


「通れません」


 クリスとエリシアは視線を交わした。


 護衛隊が人数を減らした。


 別行動。


 旧林道。


 馬車は通れない。


 嫌な情報が、少しずつ形を作り始める。


「誰が向かったかは分かるか」


 クリスが問う。


「護衛らしき騎士が二名」


「それと、外套を深く被った小柄な方が一人」


 エリシアの手が止まった。


 クリスも、表情を消した。


 小柄な人物。


 外套。


 護衛二名。


 旧林道。


「……使者だな」


 クリスが言った。


 声は、兵たちに向けたものだった。


「帝都からの使者が、護衛二名と旧林道へ入った可能性がある」


「第六中隊、二手に分かれる」


「一隊はこのまま西ロンバルディア・メット方面へ確認」


「もう一隊は旧林道の入口まで追う」


「無理に森へ入るな」


「足跡、聞き取り、痕跡確認を優先しろ」


 兵たちが即座に動く。


 自然だった。


 誰も、皇女とは思っていない。


 帝都からの使者。


 それで通っている。


 エリシアは、クリスを見た。


「判断が早いですね」


「現場だからな」


 クリスは短く返す。


「それに」


「今は、迷ってる時間がない」


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 西方街道・旧林道入口


 旧林道は、細かった。


 馬車は通れない。


 枝が張り出し、道は荒れている。


 使われなくなって久しい道だった。


 兵が痕跡を確認する。


「足跡があります」


「三人分か」


「おそらく」


「馬は?」


「なし」


 クリスは屈んで地面を見る。


 足跡は古い。


 雨は降っていないが、風で一部が薄れている。


 それでも、進行方向は分かった。


 北側。


 旧林道の奥。


 エリシアは地図を広げる。


「この先は」


「古い巡礼道に繋がっています」


「今は使われていないはずです」


「先に何がある」


「廃村跡と、小さな礼拝堂」


「最悪だな」


 クリスが呟く。


 エリシアはその言葉を否定しなかった。


「中隊長」


 兵が声をかける。


「追いますか」


 クリスは少しだけ考えた。


 ここから先は、確認任務としては踏み込みすぎる。


 帝都の使者を探す名目でも、旧林道の奥へ兵を入れるには理由がいる。


 だが、放置できない。


「二隊だけで追う」


 クリスは決めた。


「残りは街道確認を継続」


「西ロンバルディア・メット方面の未着確認も続けろ」


「旧林道に入るのは、俺とエリシア、それから選抜数名」


「騒ぐな」


「これは使者の所在確認だ」


 兵たちが頷く。


 エリシアは、静かに息を吸った。


 イリスがいるかもしれない。


 この先に。


 いや、いると決まったわけではない。


 けれど、可能性は高い。


 その可能性だけで、足が前へ出る。


「行きましょう」


 エリシアが言う。


 クリスは頷いた。


「言われなくても行く」


 そして、少しだけ低い声で続けた。


「ただし」


「見つけたら、帰ったあとで全部説明してもらうからな」


 エリシアは前を見たまま答える。


「分かっています」


「団長にもだ」


 エリシアの足が、ほんの少しだけ止まる。


 それから、また進んだ。


「……分かっています」


 今度の声は、少しだけ小さかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室


 同じ頃。


 リリアとメリーは、報告を待っていた。


 資料室の中は静かだった。


 静かすぎた。


 リリアは何度も窓の外を見る。


 西の空は、少し赤くなり始めている。


「……大丈夫でしょうか」


 小さな声だった。


 メリーは答えない。


 手元の書類を見ている。


 だが、ほとんど進んでいなかった。


「クリス中隊長なら、動けます」


 やがてメリーが言った。


「エリシアさんもいます」


「はい」


「お姉様も、簡単には折れません」


「はい」


 リリアは頷く。


 それでも、不安は消えない。


 不安は、理由ではなく、空白から来るのだと知った。


 どこにいるか分からない。


 何が起きたか分からない。


 ただ、待つしかない。


 それが一番つらかった。


「……お兄様には」


 リリアは言いかけて、止まる。


 メリーが静かに答えた。


「まだ、言えません」


「はい」


 分かっている。


 分かっているから、苦しい。


 リリアは、机の上に置かれた空白の書類を見る。


 総騎士団副長府首席書記官。


 まだ、名前の入っていない席。


 その席に戻るはずの人が、今どこにいるのか。


 まだ誰にも分からなかった。


 西方街道へ向かった第六中隊は、帝都からの使者を探している。


 その使者の名を、兵たちは知らない。


 だが、エリシアとクリスは知っている。


 探しているのは、使者ではない。


 騎士団領へ戻ろうとしている皇女だった。

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