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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第169話 最後までやりましょう

――帝国暦三二一年・秋中頃 ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室――


 誰も、すぐには動けなかった。


 資料室の中に、長い沈黙が落ちている。


 机の上には、届いたばかりの報告書。


 西ロンバルディア・メットへの到着確認なし。


 西方街道、二つ前の宿場で通過記録あり。


 予定より五日遅れ。


 護衛隊は、人数を減らしていた。


 一部が、別行動を取っていた可能性。


 それだけが分かっていた。


 肝心のことは、何も分からない。


 イリスが今どこにいるのか。


 無事なのか。


 なぜ遅れているのか。


 誰と一緒なのか。


 そのすべてが、空白だった。


 リリアは、落とした紙を拾うこともできずに立ち尽くしていた。


 メリーは報告書を見ている。


 エリシアは街道図の前で動かない。


 誰かが言葉を発すれば、何かが壊れそうだった。


 それほど、静かだった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室


「……きっと」


 最初に口を開いたのは、メリーだった。


 いつもより、ほんの少し声が硬い。


「何かがあったのでしょう」


 誰も否定しなかった。


 予定より五日遅れ。


 護衛隊の人数減少。


 別行動の可能性。


 それを、ただの連絡遅延で片づけるには、材料が悪すぎた。


「お姉様が、予定を変える理由」


「護衛が人数を減らす理由」


「到着報告が出ない理由」


 一つずつ並べる声は静かだった。


 けれど、その静けさの奥に、焦りがある。


「確認が必要です」


 メリーは顔を上げた。


「私たちで、探すしかありません」


 リリアはすぐに頷きかけた。


 だが、エリシアは答えなかった。


 資料室の空気が、また重くなる。


 三人で探す。


 言葉にすれば簡単だった。


 実際には、不可能に近い。


 西方街道。


 宿場。


 関所。


 森道。


 都市外の分岐。


 護衛隊の別行動。


 皇女の行方。


 三人だけで追える範囲ではない。


「……親衛隊の方に、頼めば」


 リリアが小さく言った。


 すがるような声だった。


「親衛隊なら、動いてくださると思います」


 メリーが、リリアを見た。


 その目は優しくない。


 冷たくもない。


 ただ、現実を見ていた。


「リリアさん」


「はい」


「親衛隊を、誰の命令で動かすのですか」


 リリアは言葉に詰まる。


「それは……私が……」


「リリアさんに、親衛隊への正式な指揮権はありません」


 メリーは静かに言った。


「まして今回は騎士団領外です」


「西ロンバルディア・メット方面」


「領外行動、街道捜索、皇族関係の未確認事案」


「組織の維持と統制ができない状態で、指揮権のないリリアさんが親衛隊へ出動を頼む」


「いくらなんでも、親衛隊は首を縦には振りません」


「でも……」


 リリアの声が震える。


「イリス様が……」


「分かっています」


 メリーの声も、少しだけ低くなった。


「私も、お姉様が心配です」


 その一言で、リリアは黙った。


 メリーも同じなのだ。


 冷静に見えるだけで。


 きっと、本当は。


「ですが」


 メリーは続ける。


「親衛隊を無権限で領外へ動かせば、確実に軍法会議にかけられます」


 リリアの顔色が変わる。


「軍法会議……」


「はい」


「それも、リリアさんだけではありません」


「動いた親衛隊全員」


「命令に関わった者」


「黙認した者」


「全員です」


 言葉が重い。


 リリアの肩が小さく震えた。


「最悪、死罪です」


 部屋の空気が凍った。


 死罪。


 その言葉は、あまりにも重かった。


「それでも頼めますか?」


 メリーは問う。


 責めているわけではない。


 選ばせている。


 現実を見せている。


 リリアは唇を震わせた。


 親衛隊の顔が浮かぶ。


 エゼル。


 マフガラン。


 ランド。


 いつも自分を守ると言ってくれる人たち。


 自分のためなら動いてくれるかもしれない人たち。


 その人たちを、死罪の危険に晒す。


「……できません」


 小さな声だった。


 リリアは俯いた。


「そんなこと、頼めません」


 メリーは何も言わなかった。


 ただ、静かに頷いた。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室


 沈黙が戻る。


 街道図の上に、いくつもの点がある。


 帝都。


 宿場。


 関所。


 西ロンバルディア・メット。


 その先に、騎士団領。


 イリスは、そのどこかにいる。


 あるいは。


 どこにも記録されていない場所にいる。


「……手がないです」


 メリーが、珍しく言った。


 本当に珍しい言葉だった。


 リリアが顔を上げる。


 メリーは報告書を握っている。


 表情は大きく変わらない。


 でも、その指先には力が入っていた。


「私たちだけでは、探せません」


「親衛隊も動かせません」


「団長に伝えれば、全て知られます」


「それでも、動かなければ間に合わないかもしれません」


 言葉がそこで止まる。


 メリーが、初めて答えを失っていた。


 その時だった。


「私が行きます」


 静かな声がした。


 エリシアだった。


 リリアもメリーも、同時に顔を上げる。


「エリシアさん……?」


「私が、部隊を動かします」


 エリシアは街道図を見ていた。


 その横顔は、いつも通り冷静だった。


 いや。


 冷静に見えるようにしている顔だった。


「補佐官には、代理指揮権があります」


 エリシアは言う。


「指揮官が戦闘不能、所在不明、または即時の命令が必要な状況において」


「補佐官は、指揮官から委任されたものとして、一時的に部隊を動かすことができます」


 リリアは息を呑む。


「でも、団長は……」


「戦闘不能でも、所在不明でもありません」


 メリーが低く言う。


「はい」


 エリシアは認めた。


「ですので、本来は使えません」


 そこで、少しだけ沈黙が落ちる。


 リリアは嫌な予感がした。


 メリーも、すぐに理解したようだった。


「委任状を作ります」


 エリシアが言った。


 リリアの目が見開かれる。


「委任状……?」


「団長から、私へ領外確認任務の指揮を委任された形にします」


「エリシアさん、それは……」


「偽造です」


 エリシアは静かに言った。


 自分で言った。


 逃げずに。


 まっすぐ。


「団長には黙って、団長名義の委任状を作ります」


 リリアは言葉を失った。


 メリーも、強く口を結んでいる。


 それは、もう隠し事の範囲を超えている。


 皇太子の書状を隠したこととも違う。


 明確な偽造。


 軍の指揮権に関わる偽造。


 罪は重い。


 比較にならないほど。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室


「待ってください」


 メリーが言った。


 声が硬い。


「それは、エリシアさん一人で済む話ではありません」


「いいえ」


 エリシアは静かに首を振る。


「二人は知らなかったことにしてください」


「私が単独で判断し、単独で委任状を作成し、単独で動いた」


「そうすれば、罪は私だけで済みます」


「済みません」


 メリーの声が少し強くなる。


「エリシアさん」


 リリアも震える声で言う。


「そんなの、駄目です」


「駄目でも、他に手がありません」


 エリシアは答えた。


「親衛隊は動かせない」


「団長には知らせられない」


「総庁へ正式申請を出せば時間がかかります」


「イリス殿下の所在は不明」


「任官手続きの期限も近い」


「このまま待っていて、殿下に何かあれば」


 そこで、エリシアの声がわずかに低くなる。


「私は、もっと後悔します」


 リリアは黙った。


 エリシアは、感情で動く人ではない。


 いつも冷静で。


 規律を重んじて。


 筋を通す。


 そのエリシアが、規律を破ろうとしている。


 理由は一つ。


 イリスを戻すため。


 ここまで来たから。


 もう、止まれないから。


「ですが」


 メリーが言う。


「うまくいかなかった場合は」


「軍法会議です」


 エリシアは静かに頷く。


「はい」


「最悪」


「分かっています」


「団長に知られたら」


「怒られるでしょうね」


 エリシアは少しだけ笑った。


 本当に少しだけ。


「ただ」


「うまくいけば、戒告くらいで済みます」


「心配しないでください」


「心配します!」


 リリアが思わず声を上げた。


 エリシアはリリアを見る。


 その目は、驚くほど落ち着いていた。


「リリアさん」


「はい……」


「ここまでやったのです」


「最後までやりましょう」


 その言葉は、静かだった。


 強かった。


 リリアの胸に、真っ直ぐ刺さった。


 ここまでやった。


 兄宛の書状を隠した。


 皇太子に返書を出した。


 イリスの帰還を秘密にした。


 首席書記官の席を空けたまま、発足準備を進めた。


 全部、もう始まっている。


 今さら怖いからと止まれば。


 イリスは戻れないかもしれない。


 客人のまま終わるかもしれない。


 それは、嫌だった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室


 メリーは目を伏せた。


 長い沈黙。


 それから。


「……分かりました」


 静かに言った。


 リリアが驚いて見る。


「メリーさん」


「止めません」


 メリーは顔を上げる。


「ただし、私は知らなかったことにはしません」


「メリーさん」


「委任状の文面を整えるのは、私の方が適任です」


 エリシアが少しだけ目を細める。


「巻き込まれる必要はありません」


「もう巻き込まれています」


 メリーの声は、いつもの静けさを取り戻していた。


「お姉様のためです」


「それに、お兄様の委任状を雑に作るわけにはいきません」


 かなり実務的だった。


 リリアは泣きそうな顔で二人を見る。


「私も……」


「リリアさんは」


 エリシアが言う。


「ここに残ってください」


「でも」


「あなたが動けば、親衛隊も動きます」


 その言葉で、リリアは黙った。


 エリシアは優しくはない。


 でも、正しかった。


「リリアさんには、別の役割があります」


 メリーが言った。


「親衛隊を動かさないこと」


「第七本庁に残ること」


「団長に不審を抱かせないこと」


「そして」


「お姉様が戻った時に、最初に迎える準備をしておくことです」


 リリアは唇を噛む。


 行きたい。


 探しに行きたい。


 それでも、自分が行けば、事態が大きくなる。


 親衛隊が動く。


 罪が広がる。


 だから、残るしかない。


「……分かりました」


 震える声だった。


「私、残ります」


 エリシアは頷いた。


「お願いします」


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室


 メリーはすぐに紙を取り出した。


 迷いが消えた瞬間、動きは早かった。


「委任状の形式は、領外確認任務」


「目的は、西方街道における帝都側伝令遅延の確認」


「対象は、宿場、関所、西ロンバルディア・メット管理官」


「皇女殿下の名は出しません」


 エリシアが頷く。


「指揮官名は団長」


「代理指揮は私」


「動かす部隊は?」


「少数の確認班にしてください」


 メリーが言う。


「規模を大きくすると、発覚しやすくなります」


「分かりました」


「第七の通常確認任務に見える範囲で」


「はい」


 リリアは、二人のやり取りを見ていた。


 怖いほど早い。


 怖いほど現実的。


 もう戻れない。


 それが分かった。


「エリシアさん」


 リリアが小さく呼ぶ。


「はい」


「絶対に、戻ってきてください」


 エリシアは少しだけ目を伏せた。


 それから、静かに答える。


「戻ります」


「イリス殿下も、連れて」


 リリアの目に、涙が浮かんだ。


 メリーは何も言わず、委任状の文面を書き始める。


 その文字は、いつも通り整っていた。


 整いすぎていて。


 それが少しだけ、怖かった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・廊下


 資料室の外では、いつも通り人が歩いていた。


 書類を抱えた書記官。


 訓練へ向かう騎士。


 声の大きいニル。


 遠くで誰かに叱られているカイル。


 いつもの第七。


 何も知らない第七。


 その中で。


 三人だけが、ひとつの線を越えようとしていた。


 イリスの所在地は、まだ分からない。


 西ロンバルディア・メットにも着いていない。


 予定より五日遅れ。


 護衛隊は人数を減らしていた。


 その報告だけを握って。


 エリシアは、団長に黙って部隊を動かすことを決めた。


 リリアは、残ることを決めた。


 メリーは、共犯になることを決めた。


 誰も、もう引き返せなかった。

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