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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第166話 執務室が多すぎる

――帝国暦三二一年・秋中頃 ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・執務室――


 発足準備は、すでに始まっていた。


 旧第七騎士団。


 旧第十騎士団。


 旧第十二騎士団。


 それらを暫定的に統合し、ヴァイス騎士団として運用する。


 書類上は簡単だった。


 紙の上では。


 実際は、まったく簡単ではない。


 人員。


 庁舎。


 補給。


 台帳。


 指揮系統。


 書記官の配置。


 訓練場の利用。


 大隊編成。


 そして、中央区画に建設中の総騎士団副長府庁舎の部屋割り。


 それらが、すべてレオンの机の上に積まれていた。


「……多い」


 レオンが低く呟いた。


 誰も否定しなかった。


 できなかった。


 エリシアは資料を確認しながら、静かに頷く。


「旧三騎士団の統合準備ですので」


「三つを一つにするな」


「もう通達済みです」


「通達を戻せ」


「却下します」


 早かった。


 とても早かった。


 その横で、メリーが新庁舎の配置図を広げる。


「まず、副長府庁舎の利用案です」


「見たくない」


「必要です」


「必要が多すぎる」


「はい」


 認められた。


 最悪だった。


 広げられた図面を見て、室内が少し静かになる。


 総騎士団副長府庁舎。


 中央区画に建設中の巨大な建物。


 その内部配置案だった。


 副長室。


 第一執務室。


 第二執務室。


 第三執務室。


 副長府人事部。


 工部分室。


 輜重補給部分室。


 統括管理部移転区画。


 会議室。


 記録室。


 応接室。


 大隊長会議室。


 まだある。


 かなりある。


「……待て」


 レオンが図面を見つめた。


「副長室とは何だ」


「副長閣下の部屋です」


 メリーが淡々と答える。


「使わない」


「使ってください」


「第一執務室があるだろう」


「第一執務室は、副長府の主要実務室です」


「なら、そこにいればいい」


「副長室は?」


「倉庫にする」


「却下します」


 エリシアが即答した。


 かなり強かった。


 レオンは不服そうに図面を見る。


「第二執務室は」


「ヴァイス騎士団の大隊運用、訓練調整、現場指揮関係を扱う予定です」


「第三は」


「工部、輜重補給、資源、人事との連携資料が中心になります」


「執務室が三つある時点でおかしい」


「副長室もあります」


「さらにおかしい」


 レオンは頭を押さえた。


 副長室。


 第一執務室。


 第二執務室。


 第三執務室。


 その時点で、補佐職という言葉がかなり怪しくなっていた。


「俺は総長の補佐ではなかったのか」


「はい」


「補佐にしては部屋が多すぎる」


「職務が多いので」


「職務を減らせ」


「発足前から減らすのは難しいです」


「では発足をやめる」


「却下します」


 勝てなかった。


 始まる前から、もう負けていた。


 ヴァルトが図面を覗き込む。


「第二執務室は、俺たちが使うことになるのか」


「可能性が高いです」


 メリーが頷く。


「ヴァイス騎士団の現場運用、大隊配置、訓練計画、警備割り当てなどは、第二執務室で処理する想定です」


「大隊配置……」


 クリスが嫌そうな顔をした。


 すでに嫌な予感がしている顔だった。


 カイルも資料を見ながら、真面目に眉を寄せている。


「大隊というのは、正式に決まったのですか?」


「発足準備案では、ほぼ確定です」


 エリシアが答えた。


「旧三騎士団の総人員は、およそ一万五千。中隊編成は合計三十。三中隊を一単位としてまとめ、大隊を十編成する予定です」


「十個……」


 カイルが小さく呟く。


「かなり多いですね」


「三騎士団分ですので」


 エリシアは淡々としていた。


 だが、内容はかなり重い。


 一万五千。


 三十中隊。


 十大隊。


 数字が並ぶだけで、組織の大きさが見えてくる。


 レオンはしばらく黙っていた。


 そして、低く言う。


「……これは騎士団なのか」


 メリーは静かに答えた。


「暫定的には、ヴァイス騎士団です」


「暫定的には?」


「はい」


「暫定ではない場合は何だ」


「まだ通達されていません」


「嫌な言い方をするな」


 かなり嫌だった。


 エリシアは資料を一枚めくる。


「大隊長についてですが」


 その瞬間、クリスが顔をしかめた。


「待て」


「まだ何も言っていません」


「嫌な言葉だった」


「大隊長です」


「ほら嫌だった」


 クリスはもう逃げたい顔だった。


 メリーは構わず続ける。


「大隊長候補は、旧各騎士団の副団長、副官、主要中隊長を中心に選出します」


「旧副団長と副官で、過半は埋まる見込みです」


「残りを、実績のある中隊長から選抜します」


 エリシアが資料を見ながら補足する。


「第七の旧副団長枠は、ノイン団長の第十一騎士団異動後、すでに内部昇格で埋まっています」


「第十、第十二も、それぞれ副官級と中隊長級から選出可能です」


「つまり」


 ヴァルトが低く言った。


「俺も大隊長候補か」


「はい」


 メリーが頷く。


「第十騎士団副官ですので」


「だろうな」


 ヴァルトは諦めたように息を吐いた。


 その横で、カイルが少し硬い顔をする。


「僕も、ですか」


「はい。第十二騎士団副官ですので」


「責任が重いですね」


 カイルは真面目に言った。


 真面目に。


 だが、その声には、ほんの少し妙な響きがあった。


 エリシアが静かに見る。


「喜ばないでください」


「はい、ありがとうございます!」


「感謝しないでください」


「申し訳ありません。ありがとうございます!!」


「増えています」


 カイルはかなり嬉しそうだった。


 クリスは資料を見ていた。


 そして、自分の名前を見つけた。


「……俺の名前がある」


「あります」


 メリーが答える。


「なぜだ」


「中隊長としての実績がありますので」


「俺は中隊長でいい」


「大隊長候補です」


「嫌だ」


「準備案です」


「なら消せ」


「消せません」


「誰が入れた」


 メリーは少しだけ黙った。


「総合評価です」


「誰のだ」


「複数名です」


「濁すな」


「濁します」


 かなり怪しかった。


 レオンが資料を見る。


「クリスは大隊長か」


「やめろ。お前まで納得するな」


「現場を任せるなら妥当だ」


「嫌だ」


「俺も嫌だ」


「お前は副長だろ」


「嫌だ」


 嫌がる者同士だった。


 しかし、状況は何も変わらない。


「ただし」


 メリーが資料を一枚めくった。


「大隊長の職務負担は、旧副団長や旧副官時代より軽くなる見込みです」


 クリスが止まる。


「軽くなるのか?」


「はい」


 メリーは頷いた。


「これまで各騎士団で副団長、副官、書記官が処理していた職務を、十大隊に分散します」


「各大隊には、大隊長付きの副官と、大隊担当書記官を置く予定です」


「副官と書記官がつくのか」


「はい」


「俺にも?」


「大隊長になれば」


 クリスは少しだけ真剣な顔になった。


「……悪くないな」


「ただし、大隊長会議には出ていただきます」


「それが嫌なんだよ」


 すぐに戻った。


 ヴァルトは資料へ目を落とす。


「つまり、今まで三つの騎士団で副団長や副官が抱えていたものを、十に割るわけか」


「はい」


「なら、現場は楽になる」


「はい」


 メリーは淡々と答えた。


「現場側は」


 その言葉に、レオンが顔を上げる。


「今、現場側はと言ったな」


「はい」


「俺は?」


 メリーは少しだけ黙った。


 長い沈黙だった。


「言え」


「団長の負担は、あまり減りません」


「なぜだ」


「分散された報告は、最終的に副長府へ集約されます」


「……」


「大隊ごとの処理は軽くなりますが、十個大隊を横断して見る者が必要です」


「……」


「さらに、副長府人事部、工部分室、輜重補給部分室、統括管理部との連携もあります」


「……」


「第十三、第十四騎士団増設準備もあります」


「もういい」


「はい」


 レオンは静かに天井を見た。


 現場は楽になる。


 大隊長には副官がつく。


 書記官もつく。


 処理は分散される。


 だが、分散されたものは、最後にどこかへ集まる。


 それは、総騎士団副長府。


 つまり、自分だった。


「……詐欺では?」


 レオンが呟く。


「制度です」


 メリーが答えた。


「悪質な制度だ」


「効率化です」


「俺にだけ効率化されていない」


「騎士団領全体には効率化されています」


「俺を含めろ」


「含まれています」


「被害としてな」


 誰も否定できなかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・執務室


 エリシアは次の資料を確認する。


「大隊長付き副官については、旧副団長付きの補佐役や、各騎士団で実績のある騎士を再配置する予定です」


「一部は中隊長へ昇格」


「一部は大隊長付き副官」


「書記官については、第一執務室および各大隊へ再配置します」


「第一執務室も増えるのか」


 レオンが聞く。


「はい」


「人が?」


「はい」


「書類が?」


「はい」


「仕事が?」


「はい」


「全部か?」


「全部です」


 かなり悪い報告だった。


 クリスは資料を見つめたまま、しばらく黙っていた。


 その顔が、少しだけ悪い。


 エリシアが静かに目を細める。


「クリス中隊長」


「なんだよ」


「今、何かよくないことを考えていますね」


「まだ何も言ってねぇ」


「顔が言っています」


「顔を見るな」


「見えます」


 かなり読まれていた。


「大隊長になっても、執務室に入り浸ればいい、と考えましたね」


「そこまでは言ってない」


「近いことは考えましたね」


「……少しな」


「自分の執務をしてください」


「まだ大隊長になってねぇだろ」


「今のうちに言っています」


「未来で叱るな」


「未来が見えます」


「お前、たまに怖いよな」


 シエラがいれば、きっと記録しますか、と言っただろう。


 今ここにはいない。


 いないのに、なぜか聞こえた気がした。


 クリスは顔をしかめる。


「俺の副官、苦労しそうだな」


「分かっているなら改善してください」


「それは無理かもしれない」


「最低です」


 エリシアの評価は、正しかった。


 レオンは次の資料を見た。


 そして、少しだけ止まる。


「エリシアも候補か」


 室内が、わずかに静かになった。


 エリシアは表情を変えない。


「団長付補佐官は上級騎士の資格がありますので」


 淡々とした返答だった。


「当然、候補には入ります」


 だが、ほんの少しだけ、空気が違った。


 エリシアは第七騎士団補佐官。


 レオンの隣で、日々の実務を支えてきた。


 だが大隊長となれば、現場指揮の責任が増える。


 レオンの隣に立つ時間が、減るかもしれない。


 それは、誰も口にしなかった。


 エリシア自身も。


 レオンは、しばらく資料を見ていた。


「……そうか」


 短く言う。


 それだけだった。


 エリシアは静かに頷く。


「はい」


「ただし」


 レオンが顔を上げた。


「副長府の実務が回らなくなるなら、大隊長には回さない」


 エリシアが止まった。


 ほんのわずか。


 それから、いつものように答える。


「必要に応じて判断してください」


「そうする」


 淡々とした会話だった。


 けれど、エリシアの指先が、資料の端を少しだけ強く押さえていた。


 リリアがいれば、きっと気づいただろう。


 今は、誰も指摘しなかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・執務室


 会議は一段落した。


 資料は減っていない。


 むしろ増えたように見える。


 レオンは椅子にもたれた。


「……これはもう、騎士団ではないだろう」


 低い声だった。


 メリーは少しだけ顔を上げる。


「暫定的には、ヴァイス騎士団です」


「その言い方が嫌だ」


「正式には、まだそうです」


「まだ」


「はい」


 またその言葉だった。


 ヴァルドが使った時と同じく、不穏だった。


 エリシアは資料を整えながら、静かに言う。


「三十中隊を、十個大隊へ」


「旧三騎士団を、一つの指揮系統へ」


「副長府庁舎を中枢として運用する」


「かなり大きな改編です」


「嫌になるほど分かる」


 レオンは天井を見た。


 嫌な予感しかしなかった。


 だが、もう準備は始まっている。


 部下は異動準備をしている。


 書記官は台帳を移している。


 工部は部屋割りを作っている。


 輜重補給部は経路を組み替えている。


 人事部は大隊長候補を並べている。


 止まらない。


 止まる気配がない。


「壊すか」


「却下します」


「まだ完成していない」


「何度言っても却下です」


「完成したら使わされる」


「使います」


「言い切るな」


 エリシアは静かに資料を閉じた。


「団長」


「なんだ」


「発足準備です」


「知っている」


「逃げられません」


「それも知っている」


「では進めます」


「進めるな」


「進めます」


 勝てなかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・廊下


 会議後。


 クリスは廊下で資料を見ながら、深いため息をついた。


「大隊長かよ……」


 ヴァルトが横を歩く。


「現場側は楽になるらしいぞ」


「責任は増えるだろ」


「それは増える」


「駄目じゃねぇか」


「副官もつくそうだ」


「俺にもか」


「大隊長ならな」


 クリスは少し考えた。


「……俺の副官、苦労しそうだな」


「分かっているなら直せ」


「まだ何もしてねぇ」


「これからする顔だ」


「お前まで顔を見るな」


 後ろで、カイルが真面目に頷いている。


「副官がつくのは、ありがたいことですね」


 エリシアが振り返る。


「喜ばないでください」


「はい、ありがとうございます」


「だから感謝しないでください」


 クリスは資料を畳みながら、ぼそりと言った。


「まあ、大隊長になっても、俺はここに来るけどな」


 エリシアが即座に振り返る。


「自分の執務をしてください」


「やる。やるけど来る」


「なぜですか」


「向こうはたぶん静かすぎる」


「仕事に集中できます」


「こっちの方が面白い」


「理由が最低です」


「第七に長くいるとそうなる」


 クリスは悪びれなかった。


 たぶん本当に来る。


 かなりの頻度で来る。


 そして、そのたびに。


 まだ見ぬ副官が、きっと探しに来るのだろう。


 クリスはその未来を想像して、少しだけ顔をしかめた。


「……かわいそうだな」


「誰がですか」


「俺の副官」


「分かっているなら、席にいてください」


「それは無理かもしれない」


「最低です」


 エリシアの評価は、正しかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・執務室


 レオンは、最後にもう一度図面を見た。


 副長室。


 第一執務室。


 第二執務室。


 第三執務室。


 何度見ても多い。


 多すぎる。


「副長室」


 ぼそりと呟く。


「使いませんか?」


 メリーが聞く。


「使わない」


「では、どちらに?」


「第一執務室」


「理由は?」


「人がいる」


 メリーが少しだけ目を伏せた。


 エリシアも、静かに視線を下げる。


 レオン本人は、ただ実務上の理由で言っているのだろう。


 人がいる方が、資料も早い。


 判断も早い。


 相談もできる。


 それだけの意味なのだろう。


 だが、その言葉は、少しだけ違う響きを持っていた。


「副長室は、どうしますか」


 メリーが聞く。


「空けておけ」


「空けるのですか」


「逃げ場にする」


「執務室を逃げ場にしないでください」


 エリシアが言った。


「では倉庫」


「却下します」


「休憩室」


「却下します」


「仮眠室」


「……検討します」


「検討するのか」


 少しだけ空気が緩んだ。


 だが、資料の山は緩まない。


 発足準備は続く。


 総騎士団副長府は、完成に近づいている。


 ヴァイス騎士団も、形になり始めている。


 十大隊。


 三十中隊。


 一万五千人。


 現場の負担は、少し軽くなる。


 旧副団長や副官が抱えていた職務も、各大隊へ分散される。


 ただし、分散されたものは、最後にはどこかへ集まる。


 その先が、総騎士団副長府だった。


 レオンは、その事実に気づいて。


 また一つ、嫌な顔をした。


 副長室はあった。


 第一執務室も。


 第二執務室も。


 第三執務室もあった。


 けれど、そこに入るはずの本人だけが。


 まだ、心の準備をしていなかった。

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