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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第165話 統括統合管理部を見に行きました

――帝国暦三二一年・秋中頃 ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁――


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・廊下


 リリアは、少し緊張していた。


 場所は総庁。


 いつもの第七騎士団本庁とは、空気が違う。


 廊下は広く、床は磨かれ、行き交う職員たちの足音まで、どこか硬い。


 騎士団領全体を動かす場所。


 そう聞いてはいた。


 けれど実際に来てみると、その言葉は思っていたよりずっと重かった。


「メリーさん」


「はい」


「ここが、統括管理部ですか?」


「まだです」


「まだなんですか?」


「はい」


 メリーは資料を抱えたまま、淡々と歩いていく。


 小柄な姿はいつも通りなのに、この総庁の空気の中では、不思議なくらい自然に見えた。


「以前、リリアさんが統括管理部に入りたいと仰っていましたので」


「はい……」


「今日は、まず総庁の各部を簡単に見ていただきます」


「各部?」


「はい。統括管理部の仕事は、単独では成立しません」


 メリーは前を向いたまま言った。


「人事、輜重補給、資源、情報、財務、工部。ほかにも関わる部署はありますが、まずはその辺りです」


 言葉だけで、かなり多い。


「……全部ですか?」


「ほとんど全部です」


「大変そうです」


「大変です」


 即答だった。


 リリアは、少しだけ背筋を伸ばした。


 どうやら今日は、見学というより、現実を見せられる日らしい。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・各部前


 最初に通ったのは、人事部だった。


 扉の前からして、人の出入りが多い。


 書類を抱えた職員が何人も行き交い、壁には人員配置に関する一覧が貼られていた。


 騎士団ごとの人員数。


 異動予定。


 欠員。


 新任。


 負傷による配置変更。


 リリアは思わず足を止める。


「人が多いですね」


「人事部ですので」


「そうですね……」


 正しい。


 とても正しい。


 メリーは扉の前で、いつもの調子で説明した。


「人事部は、騎士団領全体の人員配置を扱います。誰がどこに所属しているか。どこに欠員があるか。誰をどこへ異動させるか。任命、補充、昇格、降格。そういったものすべてに関わります」


「間違えたら、大変ですね」


「はい」


 メリーは頷く。


「人が違う場所へ行きます」


「……それはかなり大変です」


 その言い方が妙に具体的で、リリアは少し青ざめた。


「また、人事部には監察に関わる部署もあります。軍令違反や職務上の問題があった場合、記録や処分にも関係します」


「……怖いところでもあるんですね」


「必要なところです」


 メリーはそう言った。


 怖い、ではなく、必要。


 総庁では、そういう言い方になるのだと思った。


「ちなみに」


「はい」


「総騎士団副長府発足後は、副長府側にも人事部が置かれます」


「別にですか?」


「はい」


「また増えるんですね」


「増えます」


 それは、レオンが嫌がりそうだった。


 次に通ったのは、輜重補給部だった。


 ここは人事部とは違い、少し慌ただしい。


 壁には地図。


 机には運搬表。


 倉庫一覧。


 馬車の割り振り。


 食料、矢、薬品、布、金具。


 書類の内容が、どこか現場に近い。


「ここは輜重補給部です」


「補給のところですね」


「はい。各騎士団に必要な物資を管理し、補給経路を調整します」


「部品の加工や整備を行う部署でもあります。ですから、主に後方支援を担います」


「食料もですか?」


「はい」


「武具も?」


「はい」


「薬も?」


「はい」


「……多いですね」


「多いです」


 リリアは表を見つめる。


 どの騎士団に、いつ、何が、どれだけ必要か。


 細かい文字が、びっしりと並んでいた。


「補給が遅れると、どうなるんですか?」


「現場が止まります」


 メリーは淡々と答えた。


「訓練ができなくなる。出動が遅れる。負傷者の処置が遅れる。食事が減る」


「最後も大問題です」


「はい。最後は特に士気に直結します」


「全部大問題ですね」


「はい」


 メリーは真顔だった。


 その通りだった。


 次の資源部は、少し静かだった。


 だが、置かれている資料は重そうだった。


 鉱石。


 木材。


 石材。


 鉄。


 馬。


 土地。


 水源。


 倉庫。


 リリアは、だんだん総庁が何を見ているのか分からなくなってきた。


「資源部は、騎士団領全体で使用する資源を管理します」


「資材とは違うんですか?」


「資材になる前のものも含みます」


「なるほど……?」


「例えば、建物を建てるには石材や木材が必要です。武具には鉄が必要です。馬を維持するには飼料が必要です。それらを長期的に確保するのが資源部です」


「遠いところを見ているんですね」


「はい」


 メリーは少しだけ頷いた。


「近いものを見る部署と、遠いものを見る部署があります」


「統括管理部は?」


「両方です」


「……大変です」


「はい」


 今日、その言葉を何度聞いただろう。


 情報部の前は、空気が違った。


 人はいる。


 だが、声が小さい。


 扉も他より重く見える。


 リリアは自然と声を落とした。


「ここは……」


「情報部です」


 メリーも少し声を低くする。


「各地の報告、騎士団内外の情報、南方情勢、帝都との連絡、噂の整理。そういったものを扱います」


「噂もですか?」


「噂も、放置すると情報になります」


「怖いです」


「はい」


 メリーは普通に頷いた。


「かなり」


 情報部の扉は開かなかった。


 ただ前を通るだけ。


 それだけでも、リリアは少し背筋が伸びた。


 財務部は、紙と数字の空気だった。


 机に並ぶ帳簿。


 計算板。


 予算申請。


 支出予定。


 リリアは一目見ただけで、少しだけ目が泳いだ。


「ここは財務部です」


「お金ですね」


「はい」


「大事ですね」


「かなり」


 メリーは頷く。


「どれだけ必要でも、予算がなければ動きません。逆に予算だけあっても、物資や人員がなければ動きません」


「全部、繋がっているんですね」


「はい」


「だんだん怖くなってきました」


「正しい反応です」


 正しいらしい。


 リリアは困ったように笑った。


 最後に通ったのは、工部だった。


 ここは少し独特だった。


 書類だけでなく、図面が多い。


 建物。


 道路。


 橋。


 倉庫。


 訓練場。


 壁。


 水路。


 何かを作り、直し、維持する部署なのだと、すぐに分かった。


「工部は、施設や道路、修繕、建築、整備など、必要なインフラ整備を一手に担います。技術者の養成などもします」


「今の中央区画の建物もですか?」


「関係しています」


「大きすぎる建物ですね」


「はい」


 メリーは静かに答えた。


「大きすぎます」


 少しだけ含みのある声だった。


 リリアはそれに気づいたが、追及はしなかった。


 聞いてはいけない気がした。


 かなり。


「総騎士団副長府にも、工部分室が置かれます」


「分室……」


「小型の工部です」


「小型でも大変そうです」


「大変です」


 メリーは否定しない。


 それが一番怖かった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・統括管理部前


 最後に着いた場所は、思ったより静かだった。


 リリアは少し首を傾げる。


 人事部や輜重補給部ほど、人が多いわけではない。


 財務部ほど、机が詰まっているわけでもない。


 情報部ほど、張り詰めているわけでもない。


 静かで、少しだけ、空白がある。


「ここが、統括管理部です」


 メリーが言った。


 リリアは思わず周囲を見た。


「……あの」


「はい」


「思ったより、人が少ないです」


「はい」


「もっと、たくさん人がいるのかと思っていました」


「管理官は、基本的に各騎士団へ配置されています。この場所に常駐している者は、そこまで多くありません」


「そうなんですか」


「はい。また、統括管理官という職は本来、総長が兼任するものです」


「総長が、ですか?」


 リリアは目を瞬かせた。


 レオンが統括管理官であることは知っている。


 けれど、本来は総長が兼ねる職だと言われると、急にその重さが変わった。


「どうして、総長が兼任するんですか?」


「権限が大きすぎるからです」


 メリーは静かに答えた。


「統括管理部は、単に書類を確認する部署ではありません。総長の許可を受ければ、騎士団領全体の運用ルールや基準そのものを変更するための資料を作り、実行に関わることができます」


「ルールを……変えられるんですか?」


「はい」


 メリーは指を折るように続けた。


「各騎士団の報告形式。補給申請の基準。人員配置の手続き。応援要請の処理。訓練記録の扱い。事故報告の書式」


 ひとつずつ聞くたび、リリアの中で、統括管理部という場所の形が変わっていく。


 静かな部屋。


 少ない人。


 けれど、見ているものは騎士団領全体。


「そういったものを作り、守られているかを確認し、必要であれば変えるための資料を整える部署です」


「……すごく大きな権限ですね」


「はい」


 メリーは頷く。


「かなり」


「だから、本来は総長の下にあるんですね」


「はい。統括管理官が総長兼任であるのも、そのためです」


「では、今は……」


「現在は特殊です」


 メリーは少しだけ間を置いた。


「統括管理官はレオン様です」


「はい」


「ですが、レオン様は第七を中心に動いています。そのため、現在ここは異動準備で空きが多く見えます」


 リリアは、少しだけ納得した。


 人がいないから、軽い部署なのではない。


 人が散っている。


 役割が散っている。


 権限が大きすぎるから、むしろ中心は総長の側にある。


 そして今、その中心にいるはずの人が、なぜか第七で書類に埋もれている。


 それが現状なのだ。


「統括管理部の仕事は」


 メリーは続けた。


「各騎士団が定められたルールや基準を守っているか確認すること。運用に問題があれば、報告としてまとめること。新しい基準を作るための資料を集めること。そして、それらを総長や統括管理官が判断できる形に整えることです」


 リリアは聞きながら、少しだけ眉を寄せた。


「私の仕事とは、かなり違いますね」


「はい」


 メリーは頷いた。


「リリアさんの今の仕事は、第七の中を整える仕事です。統括管理部は、騎士団全体を見ます」


「全体……」


「はい。現場から離れた確認作業も多いです。書類を作るという点では同じですが」


「見ている範囲と、動かせるものが違います」


 リリアは、静かに頷いた。


 入りたいと言った。


 お兄様の近くにいたいから。


 メリーさんが羨ましかったから。


 でも、ここは、近くにいたいだけで入れる場所ではない。


 それが、少し分かってしまった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・統括管理部


 中へ入ると、数人の書記官が顔を上げた。


「メリエラさん」


「お疲れ様です」


 メリーが軽く礼をする。


 そのうちの一人が、リリアを見て少し驚いた。


「そちらは……」


「第七騎士団書記官、リリアさんです。今日は見学です」


「なるほど」


 書記官は丁寧に頭を下げた。


「ようこそ、統括管理部へ」


「よ、よろしくお願いします」


 リリアも慌てて頭を下げる。


 別の書記官が、机の上の資料をまとめながら言った。


「メリエラさん、移転準備の件ですが」


「進捗は?」


「統括管理部の保管台帳のうち、現行分は八割ほど移管準備済みです」


「過年度分は?」


「総庁保管に残す予定です」


「副長府側に写しを」


「承知しました」


 やり取りが早い。


 かなり。


 リリアは、また半分ほどしか追えなかった。


 その書記官が、少しだけ苦笑する。


「しかし、本当に私たち副長府へ行くのですね」


「はい」


 メリーは頷いた。


「こちらの実務は、基本的に総騎士団副長府の新庁舎へ移ります」


「所属は総庁のまま、ですよね?」


「はい。所属は総庁です」


「ですが、実務場所は副長府」


「はい」


 別の書記官が小さく息をついた。


「また書類の宛名が面倒になりますね」


「面倒です」


 メリーは即答した。


「ですが、必要です」


「分かっています」


 そのやり取りに、リリアは少しだけ胸が落ち着かなくなった。


 ここにいる人たちは。


 みんな行く。


 新しい副長府へ。


 メリーも行く。


 統括管理部も行く。


 レオンの近くへ。


 でも、自分は。


 メリーは、リリアを資料机のそばへ案内した。


「ここでは、基準の確認資料を作ります」


 並べられた紙には、各騎士団の運用記録が書かれていた。


 第七。


 第十。


 第十二。


 そして、今後のヴァイス騎士団。


 リリアは、一つの紙をそっと見る。


「これは、訓練場の使用記録ですか?」


「はい」


「これも確認するんですか?」


「はい」


「どうしてですか?」


「基準通りに運用されているか。どの時間帯に集中しているか。どこで不整合が出ているか。新しい運用基準を作る必要があるか。それを見るためです」


「……細かいですね」


「細かいです」


 メリーは頷いた。


「ですが、こういう細かいものが揃わないと、お兄様が全体を判断できません」


「お兄様が……」


「はい」


 リリアは資料を見る。


 膨大な数値。


 記録。


 日付。


 印。


 それらが整えられて、ようやくレオンのところへ行く。


 そしてレオンは、それを見て判断する。


 時には、基準そのものを変える。


 それができてしまう立場にいる。


 リリアは、改めてそのことが怖くなった。


 自分が普段見ている第七の仕事とは、少し違う。


 近いようで、遠い。


「リリアさん」


「はい」


「統括管理部は、レオン様の近くに行くための場所ではありません」


 メリーの声は静かだった。


「レオン様が全体を見るために、必要なものを整える場所です」


 リリアは、少しだけ息を呑んだ。


 厳しい言葉ではない。


 でも、真っ直ぐだった。


「……はい」


「もし来るなら、理由が必要です」


「お兄様と一緒にいたい、だけでは駄目ですか?」


「駄目ではありません」


 メリーは少し考えた。


「ですが、それだけでは続きません」


 その言葉は、重かった。


 リリアは、机の上の資料に目を落とした。


 そこにあるのは、誰かの近くにいるための紙ではない。


 誰かが全体を見るために、整えられた紙だった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 総庁・廊下


 見学を終えて、二人は廊下へ出た。


 総庁の窓から、遠くに第七騎士団本庁が見える。


 そして、その向こうに、建設中の総騎士団副庁舎があった。


 リリアはしばらく、それを見ていた。


「メリーさん」


「はい」


「皆さん、副長府へ行くんですね」


「はい」


「統括管理部の方々も」


「はい」


「メリーさんも」


「はい」


 答えは短い。


 けれど、確かだった。


 リリアは少しだけ手を握る。


「私は……行けるんでしょうか」


 小さな声だった。


 メリーはすぐには答えなかった。


 ただ、同じように窓の外を見る。


「分かりません」


 正直だった。


 メリーらしい答えだった。


「ですが」


「リリアさんには、第七で必要とされている仕事があります」


「第七で……」


「はい」


「今のあなたの仕事は、統括管理部とは違います」


 メリーはリリアを見る。


「だから、劣っているという意味ではありません」


 リリアは目を伏せた。


「はい」


「場所が違うだけです」


 その言葉は、少しだけ優しかった。


 リリアは、小さく頷く。


 それでも。


 胸の奥には、不安が残った。


 メリーが行く。


 統括管理部が行く。


 レオンも行く。


 皆が、新しい庁舎へ向かっている。


 自分だけが、今いる場所に残るかもしれない。


 それが怖い。


 とても。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・事務室


 第七へ戻ると、ココがすぐに反応した。


「リリアさん」


「はい」


「統括管理部に取り込まれていませんか」


「取り込まれていません」


「本当ですか」


「本当です」


 フィアナも近づいてくる。


「補給不足では……?」


「大丈夫です」


「総庁のお茶は渋いので……」


「そこまで把握しているんですか?」


「補給情報です……」


 よく分からなかった。


 そこへ、レオンが顔を出した。


「戻ったか」


「はい、お兄様」


「どうだった」


 リリアは少し考えた。


 総庁の各部。


 人事。


 輜重補給。


 資源。


 情報。


 財務。


 工部。


 そして、統括管理部。


 そこは、人が少ないのに。


 思っていたより、ずっと大きな権限を持つ場所だった。


 皆が向かう副長府。


 自分が行けるか分からない場所。


「……すごく大変でした」


「そうか」


「でも、メリーさんはすごかったです」


「そうだな」


 レオンは普通に頷いた。


 その言葉に、メリーが少しだけ目を伏せる。


 リリアは笑おうとして。


 少しだけ、笑いきれなかった。


「私も、第七で頑張ります」


 レオンは少しだけ不思議そうに見る。


「今も頑張っているだろう」


 一瞬で、リリアは止まった。


 そして、ふわりと笑う。


「はい」


 今も。


 その言葉が、少し嬉しかった。


「もっと、頑張ります」


「無理はするな」


「はい」


「無理をすると、仕事が増える」


「そこなんですか?」


「大事だ」


 レオンは真顔だった。


 ココが小さく頷き、フィアナもなぜか真剣な顔をした。


 メリーだけが、少しだけ目を伏せていた。


 その日、リリアは統括管理部を見に行った。


 お兄様の近くに行く道は、思っていたよりずっと難しかった。


 その道を通る人たちはもう、新しい庁舎へ向かう準備を始めていた。


 自分がそこへ行けるのかは、まだ分からない。


 今日のリリアには、なぜか第七騎士団の事務室がいつもより少しだけ、遠くに見えた。

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