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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第163話 野心のない男

――帝国暦三二一年・秋終盤


 東ロンバルディア帝国騎士団領 総庁・総長執務室――


 朝は早かった。


 まだ総庁の廊下に人影も少ない時間。


 総長執務室の前には、数人の幹部が集まっていた。


 表情は、どれも硬い。


 怒り。


 不安。


 疑念。


 そして、焦り。


 理由は一つだった。


 総騎士団副長。


 新設される、巨大な権限を持つ役職。


 しかも、その下には総騎士団副長府という、ほとんど独立した機構に近い組織が置かれる。


 人事。


 工部との調整。


 輜重補給。


 統括管理部との連携。


 複数大隊の再編。


 部隊運用。


 それらを束ねるのが。


 レオンハルト・ヴァイス。


 若すぎる。


 有能すぎる。


 そして、任される権限が大きすぎる。


 幹部たちが不安になるには、十分だった。


■総庁・総長執務室


「総長」


 最初に口を開いたのは、年嵩の幹部だった。


「本件、再考いただきたい」


 ヴァルド・エイゼンは、机の向こうで茶を飲んでいた。


 早朝だというのに、いつも通りの顔だった。


 眠そうでもない。


 慌ててもいない。


 むしろ、こうなることを予想していたような目をしている。


「何をだ」


「総騎士団副長の人事です」


「ふむ」


「レオンハルト・ヴァイス殿の能力は認めます」


「それはよいことだ」


「ですが、権限が大きすぎます」


 別の幹部が続けた。


「総騎士団副長府は、実質的に総庁の中に置かれる独立組織です」


「その上、旧第七、旧第十、旧第十二の各部隊を再編し、総騎士団副長の下でまとめて扱うことになる」


「人事、補給、工部、情報、統括統合管理」


「それらへ直接影響を持つ立場です」


「危険です」


 室内が静かになる。


 ヴァルドは茶を置いた。


「何が危険だ」


「権力です」


 幹部の一人が言った。


「もし、レオンハルト殿が野心を持てば」


「騎士団領の均衡が崩れます」


「この国を」


 少し言葉を選び。


「この自治領を、自分の思う形へ変えようとすることもできる」


 ヴァルドは、少しだけ目を細めた。


「なるほど」


 それから、幹部たちを見た。


「皆、そう思っておるのか」


 幹部たちは黙った。


 否定はしなかった。


 それが答えだった。


 ヴァルドは椅子に背を預ける。


「レオンハルトが野心を持つ」


 ゆっくりと言った。


「それを心配して、早朝から押しかけてきたわけか」


「笑い事ではありません」


「笑ってはおらん」


 ヴァルドはそう言った。


 だが、口元は少しだけ笑っていた。


 幹部たちの表情が硬くなる。


「総長」


「我々は真剣です」


「そうじゃろうな」


 ヴァルドは頷いた。


「だから、こちらも真剣に答えよう」


 そして、静かに言った。


「あやつは、そういう人間ではない」


 その一言で、空気が少し変わった。


「総長は、レオンハルト殿を買いかぶっておられるのでは」


「逆だ」


 ヴァルドは即答した。


「わしは、あやつを散々働かせてきた」


 幹部たちが少しだけ黙る。


「第七騎士団」


「第十騎士団」


「第十二騎士団」


「騎士団統括統合管理官」


「調整」


「人員配置」


「面倒な案件」


「誰もやりたがらん仕事」


「全部、少しずつ与えた」


 かなり、ひどい話だった。


「その上で見た」


 ヴァルドは続ける。


「あやつは、有能だ」


「判断も早い」


「人を集める」


「人を動かす」


「必要な者を、必要な場所へ置く」


「文句を言いながら、仕事をする」


 そこで、ヴァルドは少しだけ笑った。


「そこがよい」


 幹部の一人が眉をひそめる。


「文句を言うところが、ですか」


「そうだ」


 ヴァルドは真顔だった。


「文句を言う者は、仕事を軽く見ておらん」


「面倒だと分かっている」


「重いと分かっている」


「自分一人で抱え込めば潰れることも分かっている」


「それでも、必要ならやる」


「そういう者は、権力を玩具にしにくい」


 幹部たちは、すぐには返せなかった。


 ヴァルドは静かに続ける。


「レオンハルトに野心はない」


「まったくですか」


「まったくと言ってよい」


「人は変わります」


「変わるかもしれん」


 ヴァルドはあっさり認めた。


「だが、今まであやつを見てきた限り、権力を握って何かをしたいという気配はない」


「それどころか」


 ヴァルドは、少し間を置いた。


「仕事をやめたがっておる」


 かなり長い沈黙だった。


 幹部の一人が、思わず聞き返す。


「……やめたがっている?」


「うむ」


「総騎士団副長にする男が、仕事をやめたがっているのですか」


「そうだ」


「それは、それで問題では?」


「問題じゃな」


 ヴァルドは普通に頷いた。


「しかし、野心家よりは扱いやすい」


 幹部たちは、なんとも言えない顔になった。


 納得していいのか。


 してはいけないのか。


 判断に困る話だった。


「ですが、やめたがっている者に巨大な権限を与えるのは……」


「だからよい」


 ヴァルドは言った。


「欲しくてたまらぬ者に与えるより、よほどましだ」


「権限を欲しがる者は、権限のために人を動かす」


「レオンハルトは違う」


「あやつは、仕事を減らすために人を動かす」


「結果として、組織が回る」


 幹部の一人が、額に手を当てた。


「理屈は分かりますが……」


「納得はしにくいか」


「はい」


「ならば、もう一つ言おう」


 ヴァルドは机の上の資料を軽く叩いた。


「総騎士団副長府は、レオンハルト一人のための組織ではない」


「次の戦に備えるための形だ」


 部屋の空気が、少し変わった。


 南方。


 サルヴァディア方面。


 その言葉を出さずとも、全員が理解した。


「旧来の一騎士団単位では限界がある」


「大隊を動かす」


「大隊同士を連動させる」


「工兵、輜重補給、資源、情報をまとめて運用する」


「前へ出る部隊があれば、支える部隊がいる」


「傷ついた部隊があれば、交代する部隊がいる」


「下がった部隊があれば、補給を受けて戻す」


「それを一つの生き物のように動かす」


 ヴァルドは幹部たちを見た。


「そのための実験台として、最も動かせる者がレオンハルトだ」


「有能で」


「野心がなく」


「文句を言いながらも仕事をする」


「そして」


 ヴァルドは少しだけ笑った。


「なぜか、人が集まる」


「本人は嫌そうだがな」


 幹部たちは黙っていた。


 反対の言葉は、最初よりも弱くなっている。


 まだ不安はある。


 当然だ。


 巨大な役職を作るのだ。


 不安がなくなる方がおかしい。


 だが、ヴァルドの言葉には、長く見てきた者の重みがあった。


「総長」


 年嵩の幹部が、ゆっくりと言った。


「そこまで見ておられたのですか?」


「見ておった」


「試してもいたのですか?」


「当然だ」


 ヴァルドは悪びれない。


「嫌がる仕事を与え」


「無茶な兼任をさせ」


「人を押しつけ」


「書類を押しつけ」


「面倒な者も押しつけた」


「それは……」


 幹部が少し引いた。


「かなりひどいのでは」


「ひどいな」


 ヴァルドは認めた。


「だが、あやつは文句を言いながら全部やった」


「逃げようとはしたが」


「逃げようとはしたのですか?」


「した」


「では、やはり不安では?」


「逃げきれなかった」


 ヴァルドは淡々と言った。


「そこもよい」


 幹部たちは、いよいよ何とも言えない顔になった。


 この総長は、本当に退任前まで面倒なことを言う。


「よいか」


 ヴァルドは静かに言った。


「権力は、欲しがる者に渡すと重くなる」


「嫌がる者に渡しても、軽くはならん」


「だが、扱い方は変わる」


「レオンハルトは、権力を飾りにしない」


「自分を大きく見せるためにも使わん」


「ただの道具として使う」


「仕事を終わらせるためにな」


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 やがて、年嵩の幹部が静かに息を吐く。


「総長のお考えは分かりました」


「納得したか」


「完全には」


「それでよい」


 ヴァルドは頷いた。


「組織は、信頼だけで動かすものではない」


「疑いも必要だ」


「だが、疑うなら相手をよく見ろ」


「野心がある者を見逃すな」


「そして」


「野心のない者を、野心家として扱うな」


 幹部たちは静かに頭を下げた。


「承知しました」


「引き続き、注視させていただきます」


「それでよい」


 ヴァルドは茶を手に取った。


「見ておけ」


「あやつは面倒がる」


「嫌がる」


「文句も言う」


「逃げ道も探す」


「だが、必要なものは作る」


 幹部たちは、もう一度頭を下げた。


 そして、部屋を出ていく。


 扉が閉じる。


 総長執務室に静けさが戻った。


 ヴァルドは、ゆっくり茶を口に運ぶ。


 もう冷めている。


 それでも、気にせず口をつけた。


「……野心か」


 小さく呟く。


 レオンハルト・ヴァイスに野心。


 想像してみる。


 帝国を握るレオン。


 騎士団領を支配するレオン。


 権力を欲しがるレオン。


 そのどれも、いまいち形にならなかった。


 代わりに浮かぶのは。


 嫌そうな顔で書類を見ている姿。


 帰りたそうに天井を見る姿。


 仕事が増えると低く恨み言を言う姿。


 ヴァルドは、堪えきれずに少し笑った。


「ないな」


 窓の外が、少し明るくなっていた。


 朝が来る。


 総長としての時間は、もう長くない。


 だが、最後に置くものは決めてある。


 総騎士団副長府。


 複数大隊を束ねる新しい運用体制。


 軍団運用の実験。


 南方へ向けた布石。


 そして、レオンハルト・ヴァイス。


 本人は嫌がるだろう。


 文句も言うだろう。


 逃げようともするだろう。


 だが、必要ならやる。


 そういう男だ。


 だからこそ、置いていける。


 ヴァルドは机の上の書類へ視線を落とした。


 総騎士団副長。


 レオンハルト・ヴァイス。


 その名の横に、すでに総長印が押されていた。


「さて」


 ヴァルドは静かに笑う。


「文句を言いながら、働いてもらうか」


 その朝。


 幹部たちは不安を抱えたまま、総長執務室を去った。


 ヴァルド・エイゼンは、楽しそうにその背中を見送った。


 そして、レオンハルト本人だけが、まだ知らなかった。


 自分の名が、どれほど重い席に置かれたのかを。

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