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やめたい騎士団長は、なぜか昇進し続ける  作者: サザルト
第1章 騎士団長編

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第160話 友人の話

――帝国暦三二一年・秋初め ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 グランフェルト家邸――


 グランフェルト家の屋敷へ戻るのは、久しぶりだった。


 エリシアは門の前で、少しだけ足を止める。


 高い塀。


 整えられた庭。


 無駄のない配置。


 華美ではない。


 だが、隙がない。


 父らしい屋敷だった。


 厳格で。


 静かで。


 少し息が詰まる。


 エリシアは今、一人暮らしをしている。


 第七騎士団副官として、職務を優先するため。


 そして、少しだけこの家から距離を置くため。


 嫌いなわけではない。


 ただ、父のいる家は、いつも背筋が伸びすぎる。


「……行きましょう」


 小さく呟き、門をくぐった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 グランフェルト家邸・玄関


「エリシア!」


 出迎えた母は、明るく笑った。


 エリシアの母。


 穏やかで、柔らかく。


 父とはまるで違う空気を持つ人だった。


「お帰りなさい。久しぶりね」


「ただいま戻りました、母上」


「まあ、そんな硬い挨拶をしなくてもいいのに」


 母は嬉しそうにエリシアの手を取る。


「ちゃんと食べている? 寝ている? 顔色は悪くない? お仕事は大変ではない?」


「順番に答えます」


「答えなくていいから、全部心配させて」


「それは難しいです」


 母は楽しそうに笑った。


 その笑い声だけで、屋敷の空気が少し柔らかくなる。


「今日は急にどうしたの?」


「父上に、話があります」


 一瞬、母は少しだけ目を細めた。


 何かを察したようだった。


「そう」


 そして、すぐに笑う。


「お父様なら書斎よ」


「ありがとうございます」


「その前にお茶を――」


「話が先です」


「相変わらずね」


 母は少し残念そうに笑った。


 それでも、止めなかった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 グランフェルト家邸・書斎


 父は、変わらなかった。


 グラナート・グランフェルト。


 第三騎士団団長。


 次期総長候補。


 厳格な実力主義者。


 書斎の机に向かう姿は、昔からほとんど変わらない。


 背筋はまっすぐ。


 資料の位置は整い。


 空気まで整列しているようだった。


「失礼します」


 エリシアは扉の前で頭を下げる。


 グラナートは顔を上げた。


「入れ」


 短い。


 いつも通りだった。


 エリシアは部屋へ入る。


 後ろで、母も自然に入ってきた。


 聞く気らしい。


 グラナートは何も言わなかった。


 止めないということは、同席を認めたということだった。


「まず」


 エリシアは姿勢を正す。


「総長就任の件、お祝い申し上げます」


 グラナートは少しだけ黙った。


「まだ正式就任前だ」


「ですが、ほぼ確定と伺っています」


「確定ではない」


「承知しております」


 父は変わらない。


 どこまでも正確。


 どこまでも硬い。


 母が横で小さく笑う。


「あなた、お祝いくらい受け取ればいいのに」


「正式でない」


「そういうところよ」


 グラナートは無言だった。


 エリシアは、少しだけ肩の力が抜けた。


 母がいるだけで、少し呼吸がしやすくなる。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 グランフェルト家邸・書斎


「それで」


 グラナートが言う。


「用件は何だ」


 来た。


 エリシアは一度、静かに息を吸う。


「イリス皇女殿下の件です」


 グラナートの表情は変わらない。


 母は少しだけ目を丸くした。


「皇女殿下の?」


「はい」


 エリシアは文案を取り出す。


 リリアとメリーと共にまとめたもの。


 イリスが騎士団領に戻るための理由。


 必要性。


 役割。


 責任範囲。


 それを、父へ差し出した。


「皇女殿下は、騎士団領で任官する意思を示されています」


「客人としてではなく、役職者として責任を負うおつもりです」


「帝都側からは、条件付きの返書が届いています」


「一年以内に成果を示すこと」


「失敗すれば帝都へ帰還し、以後の任官および長期滞在は認められないこと」


「皇女殿下は、それを受け入れました」


 グラナートは黙って聞いている。


 何も言わない。


 エリシアは続けた。


「皇女殿下は、騎士団領に一年近く滞在されました」


「内部の実情を理解しておられます」


「帝都の論理も理解し、騎士団領の現場も見ています」


「今後、総長交代と新体制移行に伴い、帝都との連絡調整は必ず増えます」


「その中で、帝都と騎士団領の双方を理解する人材は有用です」


「そして、皇女殿下は、レオンの周辺に不足している帝都視点を補えます」


 グラナートは、まだ何も言わない。


 ただ、娘を見ている。


 鋭く。


 静かに。


 見透かすように。


 エリシアは、視線を逸らさなかった。


「客人のままでは、行動範囲も責任も曖昧になります」


「しかし、正式に役職を与えれば、命令系統と報告経路を明確にできます」


「皇太子殿下を通じた定期報告も可能です」


「安全管理上も、職務上も、説明がつきます」


「皇女殿下は、ただ戻りたいと仰っているわけではありません」


「責任を持って、騎士団領に関わろうとされています」


 言い切る。


 部屋が静かになった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 グランフェルト家邸・書斎


 静寂が広がった。


 長い。


 かなり。


 母も、黙っていた。


 エリシアは立ったまま、父を見ている。


 グラナートは資料を見ていなかった。


 エリシアを見ていた。


 ただ、じっと。


 評価するように。


 探るように。


 そして。


 少しだけ、別のものを見るように。


「……父上?」


 エリシアが小さく呼ぶ。


 グラナートは、ようやく口を開いた。


「初めてだな」


 低い声だった。


 エリシアは瞬きをする。


「何が、でしょうか」


「お前が」


「友人のことを、そこまで話すのは」


 エリシアは固まった。


 完全に。


 予想していなかった。


 軍務上の判断。


 必要性。


 役割。


 責任。


 その話をしたつもりだった。


 だが。


 父が見ていたのは、そこではなかった。


「友人……」


 エリシアの声が、少しだけ小さくなる。


 母が、ぱっと顔を明るくした。


「まあ」


「エリシアに、お友達ができたのね」


「母上」


 エリシアは少しだけ慌てる。


「これは職務上の――」


「でも、皇女殿下のために来たのでしょう?」


「必要性があるためです」


「それだけ?」


 母はにこにこと笑っている。


 逃げ場がなかった。


 父よりも、ある意味で手強い。


「……必要性があります」


 エリシアは繰り返した。


 だが。


 少しだけ声が弱かった。


 母は嬉しそうに手を合わせる。


「そう。そうなのね」


「よかったわ」


「あなた、昔から何でも一人で抱える子だったから」


「母上」


「お友達のためにお父様にお願いしに来るなんて」


「お願いではありません」


「そういうことにしておきましょう」


 完全に母の勝ちだった。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 グランフェルト家邸・書斎


 グラナートは、母と娘のやり取りを黙って見ていた。


 表情は変わらない。


 だが、ほんのわずかに。


 空気が緩んだ気がした。


「エリシア」


「はい」


「お前の説明は、感情に寄りすぎてはいない」


 エリシアは姿勢を正す。


「ありがとうございます」


「皇女殿下の有用性については理解した」


「ただし、受け入れは軽くない」


「承知しています」


「皇族を騎士団領の命令系統に入れる」


「失敗すれば、帝都との関係にも影響する」


「レオンハルト・ヴァイス個人との距離も、問題視される」


「はい」


「その上で、必要だと言うのか」


 エリシアは迷わなかった。


「はい」


「必要です」


 グラナートは再び沈黙した。


 今度は、先ほどほど長くなかった。


「……分かった」


 短い。


 それだけだった。


 エリシアは、少しだけ目を見開く。


「認めていただけるのですか」


「認めるとは言っていない」


 即座に返ってきた。


 父らしい。


「検討する」


「父上」


「情ではない」


 グラナートは低く言う。


「必要性があるなら、検討する」


「それだけだ」


 厳しい。


 だが、扉は閉じられなかった。


 エリシアは深く頭を下げる。


「ありがとうございます」


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 グランフェルト家邸・書斎


 その時だった。


 控えめに扉が鳴る。


 家人が入ってきた。


「旦那様」


「何だ」


「お客様がお見えです」


 グラナートの眉が、わずかに動く。


「予定はない」


「はい。ですが……第七騎士団より」


 エリシアが、嫌な予感を覚えた。


 かなり。


 家人は少し困ったように続ける。


「リリア・ヴァイス様と、メリエラ・エイゼン様がお越しです」


 静寂。


 かなり。


 エリシアは目を閉じた。


「……二人とも」


 来た。


 来てしまった。


 母は一瞬驚き、それから嬉しそうに笑った。


「まあ」


「エリシアのお友達?」


「母上」


「お通しして。すぐに」


 グラナートは静かに母を見る。


「まだ許可していない」


「でも、来てしまったのでしょう?」


 母は満面の笑みだった。


「それなら、お茶を出さないと」


「……」


 グラナートは少しだけ沈黙した。


「通せ」


 短く言った。


 家人が頭を下げて下がる。


 エリシアは額に手を当てたくなった。


 父は変わらない。


 母も変わらない。


 そして。


 どうやら第七の人間も。


 あまり変わらないらしい。


■ヴェリア帝国・東ロンバルディア 帝国騎士団領 グランフェルト家邸・書斎前


 少しして。


 廊下の向こうから、足音が聞こえた。


 緊張した足音。


 そして、妙に整った足音。


 リリアとメリーだ。


 エリシアは、深く息を吐いた。


 父が見る。


 母が期待に満ちた顔で見る。


 扉が開く。


「し、失礼します」


 リリアが丁寧に頭を下げた。


 その隣で、メリーも静かに礼をする。


「突然の訪問、失礼いたします」


 グラナートは二人を見た。


 鋭く。


 静かに。


 まず、メリーを見る。


 小柄な少女。


 だが、礼も姿勢も崩れていない。


 次に、リリアを見る。


 少し緊張している。


 だが、逃げる気配はない。


「……ヴァルドの孫娘と」


「アルヴェルトの娘か」


 低い声だった。


 それだけで、二人が何者なのかを把握していることが分かった。


 リリアは少しだけ肩を震わせたが、顔を上げた。


 メリーは静かに視線を受け止めている。


「何用だ」


 グラナートが問う。


 低い声。


 リリアは一度、エリシアを見た。


 それから。


 グラナートへ向き直る。


「イリス様のことで、お願いがあります」


「皇女殿下の件は聞いた」


 グラナートは短く言う。


「エリシアからな」


 リリアは少しだけ頷いた。


「はい」


「ですが、私たちからもお願いしたくて来ました」


「私たち?」


 グラナートの視線がメリーへ向く。


 メリーは静かに頷いた。


「はい」


「お姉様のためでもあります」


「ですが、それだけではありません」


 リリアが続ける。


「エリシアさんが、私たちのために話してくれたからです」


 エリシアが止まる。


「リリアさん」


「エリシアさんは」


 リリアは少しだけ緊張しながら、それでもはっきりと言った。


「大切な友人なので」


 一瞬、書斎が静かになった。


 メリーも、静かに頷く。


「私にとっても、エリシアさんは大切な方です」


「友人、と言ってよいのなら」


 少しの間。


「そう思っています」


 エリシアは完全に固まった。


 父の前で。


 母の前で。


 そんなことを言われるとは、思っていなかった。


「……二人とも」


 声が少しだけ小さくなる。


 母が、ぱっと顔を輝かせた。


「まあ」


「まあまあまあ」


 かなり嬉しそうだった。


「エリシアに、こんなに可愛いお友達が二人も……!」


「母上」


「あなた、聞きました?」


 母はグラナートを見る。


「エリシアのお友達ですって」


「聞こえている」


 グラナートは静かに答えた。


 表情は変わらない。


 だが、先ほどよりも、ほんの少しだけ沈黙が長かった。


「こんなに一生懸命来てくださったのよ」


 母は楽しそうに、けれど少しだけ真剣に言う。


「まずは、ちゃんとお話を聞いてあげてくださいな」


「私は話を聞かないとは言っていない」


「そういう顔をしているもの」


「……」


 グラナートは黙った。


 エリシアは、少しだけ目を閉じる。


 母は強かった。


 かなり。


「それで」


 グラナートは改めて、リリアとメリーを見る。


「皇女殿下を戻すために、お前たちは何を示せる」


 問いは厳しい。


 だが、扉は閉じられていなかった。


 リリアは、震える指を握りしめる。


 メリーは、小さく息を整える。


 二人とも、逃げなかった。


 エリシアはその横顔を見る。


 役職でも、政治でもなく。


 ただ、戻ってきてほしい人のために立っている二人。


 そして、自分のことを、友人だと言ってくれた二人。


 そのことが。


 少しだけ、眩しかった。

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