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書いていないだけです

――帝国暦三二一年・秋初め 東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・資料室――


 机の上に、二通の書類が置かれていた。

 一通は、先程皇太子アシュレイから届いた本物の書状。

 もう一通は、それを元にメリーが作成した報告書。


 帝都方面連絡要約。

 そう題されている。


 リリアは、その文字を見つめていた。

「……これを、お兄様に見せるんですか?」

 声が少し小さい。

 メリーは頷いた。


「はい」

「でも……」

 リリアは、本物の書状へ視線を落とす。

 そこには、イリスのことが書かれている。

 任官希望。

 客人の地位を捨てるという意思。

 帝都側の反対。

 皇帝の怒り。

 自室に留め置かれていること。

 皇太子でさえ会えないこと。


 それを。

 この要約には、書いていない。

「これ……嘘ではないんですよね?」

 リリアが不安そうに聞く。

 メリーは静かに答えた。

「嘘ではありません」


 エリシアが、横から淡々と言う。

「書いていないだけです」

 かなり真面目だった。


 だからこそ、余計に重かった。

 リリアは少しだけ顔を曇らせる。

「……書いていないだけ」

「はい」

 メリーは報告書を指差す。


「帝都側では現在、騎士団領の新体制について確認中」

「皇太子殿下より、総長交代および新役職整備に関する問い合わせあり」

「南方情勢の悪化に伴い、帝都と騎士団領間の連絡体制強化が必要」

「後日、総庁より正式返書予定」

「統括管理官は通常業務継続で問題なし」


 そこまで読み上げて。

 メリーは顔を上げる。

 すべて事実です」


 エリシアが静かに頷く。

「虚偽ではありません」


「ですが」

「重要事項の記載がありません」

 リリアは胸の前で手を握る。

「お兄様が、もしイリスさんのことを聞いたら……?」

「答えます」

 メリーは即答した。


「ただし、必要最小限に」

 リリアが不安そうに見る。

 エリシアも、少しだけ目を伏せる。

 このやり方が正しいのか。

 誰にも分からない。


 でも、今、レオンへすべてを渡せば。

 きっと動く、止めるために。


 イリスを守るために。

 自分の負担を増やしてでも。

 全部、元に戻そうとする。


「今のお兄様に必要なのは」

 メリーが静かに言う。

「お姉様が帝都で無事かどうか」

「そして、騎士団領として何を準備すべきか」

「それだけです」


「でも……」

 リリアは本物の書状を見る。

「お兄様は、イリスさんのことを心配しますよね」

「はい」

 メリーは答える。


「だからこそ、今は見せられません」

 その言葉に、リリアは黙った。


 ひどいことをしている気がした。

 でも、イリスのためでもある。

 兄のためでもある。

 たぶん、そう信じるしかなかった。


 ■第七騎士団 本庁・執務室


  レオンは報告書を読んでいた。

 短い紙面だった。

 帝都方面連絡要約。

 メリー作成。

 横には、エリシア。

 少し後ろに、リリア。

 リリアは落ち着かなかった。


「……帝都から確認か」

 レオンが呟く。

「はい」

 メリーが答える。

「南方情勢と新体制に伴う連絡調整です」

「総長交代も含むのか」

「含みます」

「新役職整備」

 レオンはそこで、少しだけ嫌そうな顔をした。


「またそれか」

「はい」

「嫌だな」

「承知しています」

 メリーの返答は早かった。


 リリアは、少しだけ肩の力が抜けた。

 いつものやり取り。

 いつもの兄。


 でも、今日だけはその普通が少し怖い。

 レオンはさらに報告書へ目を落とす。

「帝都との連絡体制強化……」


「イリスのことは、何か書いてあったか」

 リリアの心臓が跳ねた。

 エリシアも、ほんのわずかに動きを止める。

 メリーだけが、変わらない。

「お姉様は、帝都に滞在中です」

 嘘ではなかった。

 嘘では。


 レオンは少しだけ黙る。

「……そうか」

「無事ならいい」

 その言葉に。

 リリアは胸が痛くなった。


 兄は、本当に心配している。

 なのに。

 その兄に、今は隠している。

「何かあれば知らせろ」

 レオンが言う。

「承知しました」

 メリーが頷く。

 エリシアも静かに頭を下げる。

 リリアだけが、少し遅れた。

「……はい」


 レオンは報告書を机に置く。

「では、通常業務でいいな」

「はい」

「分かった」

 それだけだった。

 レオンは、それ以上深く聞かなかった。

 信じているから、疑っていないから。


 余計に、リリアには、重かった。


 ■第七騎士団 本庁・資料室


 レオンが去ったあと。

 リリアは小さく息を吐いた。

「……怖かったです」

「私もです」

 エリシアが珍しく同意した。

 かなり本音だった。


 メリーは本物の書状を机に戻す。

「次です」

 リリアが顔を上げる。

「次?」

「お姉様を戻すための書状です」

 一瞬、空気が変わる。

 

 エリシアが真剣な顔になる。

「このままでは、皇女殿下は戻れません」

「はい」

 メリーは頷く。

「帝都側が反対している以上、騎士団領側が正式に受け入れる意思を示す必要があります」


「誰の名義で出しますか?」

 エリシアの声は硬い。

 メリーは少しだけ間を置いて。

「総長名義です」

 リリアが目を丸くする。


「総長……」

 ヴァルド・エイゼン。

 東ロンバルディア帝国騎士団領の総長。

 その名義なら。

 帝都も無視はできない。


 エリシアの眉が、少しだけ動いた。

「総長の許可は?」

「取ります」

 メリーは答えた。


「たぶん」

「メリー」

 エリシアの声が少し低くなった。

 メリーは目を逸らさない。


「返書の文案を急いで完成します」

「それを総長へ確認していただきます」

「押印されれば、正式書状です」

「押印されなければ?」

「その時は別案を考えます」

 かなり淡々としていた。


 けれど多分押印される。

 リリアにも、なんとなく分かった。

 ヴァルド総長なら。

 面白がる。

 そして、必要だと思えば、ためらわない。


「内容は?再度確認もしたいので」

 エリシアが聞く。


 メリーは新しい紙を取り出す。

「皇女殿下の騎士団領任官について、騎士団領側は受け入れ可能」

「新体制移行に伴い、帝都との連絡調整役が必要」

「皇女殿下は、既に騎士団領の実情を理解している」

「客人扱いを続けるより、正式な役職と責任を与えた方が、安全管理上も望ましい」


「そして」

 メリーは少しだけ筆を止める。

「統括管理官周辺の連絡補佐として、皇女殿下には適性あり」


 エリシアが目を細める。

「レオンの名前を前面には出さないのですね」

「出しすぎると、皇帝陛下の反発を招きます」

「でしょうね」

「なので、あくまで騎士団領の運用上必要な人材として書きます」

 リリアは、その言葉を聞いていた。


 イリスが必要な人。

 騎士団領にとって。

 レオンにとって。

 自分たちにとって。

「……それで、戻ってこられますか?」

 リリアが聞く。


 メリーは少しだけ考えた。

「分かりません」

 正直だった。

「ですが、戻るための道はできます」

 リリアは小さく頷く。

「お願いします」


 メリーは頷いた。

「はい」

「お姉様のために」


「そして、お兄様が後で困るために」

「メリーさん?」

「失礼しました」

 少しだけ本音が混じっていた。


 ■第七騎士団 本庁・資料室


 先程、三人で考えた文案を基に、メリーの筆が走る。言葉を選び練る。

 余計な感情は入れない。

 しかし、必要性は強く示す。

 帝都に対して失礼にならず。

 皇帝を刺激しすぎず。

 皇太子が動ける余地を残し。

 騎士団領側の意思を明確にする。

 かなり難しい文面だった。


 それでも、メリーは書いた。

 エリシアが確認する。

 リリアが横で見守る。

 何度も言葉を削り。

 何度も言い換え。

 ようやく。

 一通の文案が出来上がった。


「……これを、総長へ?」

 リリアが聞く。

「はい」

 メリーは出来た文案を折りたたむ。

「ここから先は」


「総長印が必要です」

 その言葉は、妙に重かった。

 そして、少しだけ。

 嫌な予感もした。


 その日、レオンに見せた報告書には、嘘は書かれていなかった。

 

 ただ、本当の全ては書かれていなかった。


 その紙は、本物の書状よりずっと薄くて。

 だからこそ、リリアには、重かった。

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