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まだ見せられない書状

――帝国暦三二一年・秋初め 東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・事務室――


 その書状が届いたのは、昼過ぎだった。

 帝都からの正式書簡。

 封蝋には、皇太子の印。

 宛名は。

「……お兄様宛」

 リリアは、小さく呟いた。

 手の中にある封筒が、いつもより重く感じる。


 そばにいたエリシアが視線を向けた。

「リリアさん?」

「……皇太子殿下からです」

 リリアは封筒を見せる。


 エリシアの表情が、わずかに変わった。

 ほんの少し、確かに。

「団長宛ですか」

「はい」

 沈黙か続いた。

 その静寂が妙に長く感じられる。


 帝都。

 皇太子。

 イリス様。

 その三つが並んだ時点で、嫌な予感がした。

「……お渡ししないと」

 リリアは言った。


 言葉は正しい。

 これは、兄宛の書状だ。

 自分が開けていいものではない。

 絶対に。

 なのに、手が動かなかった。


「これ……イリス様のことですよね」

 小さな声だった。

 エリシアは否定しなかった。

「可能性は高いです」

 静かな返答。

 それだけで、リリアの胸が少し苦しくなる。


「今、お兄様がこれを読んだら……」

 言いかけて、止まる。


 エリシアも、視線を落とした。

 たぶん、団長は気づく。

 何かが動いていることに。

 そして、止めようとする。

 逃げるかもしれない。

 全部、なかったことにしようとするかもしれない。


「……リリアさん」

 エリシアの声が、少しだけ低くなる。

「それは本来、許されません」

「……はい」

 リリアは頷く。

 分かっている、分かっているから、余計に怖い。


「ですが」

 エリシアは続けた。

「今すぐ団長へお渡しすべきではないことも、理解しています」

 リリアは顔を上げる。

 

 エリシアは、真面目な顔のままだった。

 止めることもできる。

 叱ることもできる。

 取り上げることもできる。


 けれど、しない。

 それは、黙認だった。


 リリアは封筒を見る。

 そして。

「……ごめんなさい、お兄様」

 小さく呟いて、封を切った。


 ■第七騎士団 本庁・資料室


 メリーを呼んだ。

 理由は、すぐに分かった。

 書状の内容は、リリアとエリシアだけで抱えていいものではなかった。

 メリーは封書を受け取り、静かに読み進める。その表情が、少しだけ硬くなった。


「……お姉様、本当にやりましたね」

 小さな声だった。

 リリアは不安そうに見つめる。

「イリス様……大丈夫なんですか?」

 メリーは少し考える。

「危険ではありません」


「ですが、かなり怒られています」

 その言い方が、妙に現実的だった。

 エリシアが書状へ視線を落とす。


 そこには、皇太子アシュレイ・ヴェル=ヴェリアの整った筆跡があった。


『妹が述べた内容は事実か?』

『騎士団領で任官し、客人としての地位を捨てるという話を、そちらは承知しているのか』

『帝都側では当然ながら強い反対が出ている』


 そこまでは、予想できた。


 問題は、その先だった。

『父上は激怒している』

『現在、イリスは反省を命じられ、自室に留め置かれている』

『私でさえ、直接の面会を許されていない』

 リリアの顔から血の気が引いた。


「閉じ込められて……?」

 声が震える。

 イリス様が。

 いつも楽しそうに笑っていた人が。

 帝都で、たった一人で。


「皇族の扱いとしては、危険なものではありません」

 メリーは静かに言う。

「ですが、これはもう、ただのわがままでは済みません」

 エリシアも頷く。

「皇女殿下がここまでしているということは、本気です」


 リリアは書状を見る。

 胸が苦しい。

 同時に、少しだけ嬉しくもあった。

 イリス様が、本当に戻ろうとしている。

 客人ではなく、仲間として。


「……団長に報告しますか?」

 エリシアが静かに言う。

 本来なら、答えは一つだ。

 すぐに報告すべき。

 皇太子からの正式な書状なのだから。

 リリアは首を振った。


「今言ったら……お兄様、止めに行きませんか?」


 エリシアは答えない。

 メリーが代わりに言う。

「または、全部なかったことにしようとします」

 淡々としていた。

 否定できなかった。


 兄、レオンならやる。

 イリス様のためと言いながら。

 自分が困るからではなく。

 皇女殿下を巻き込みたくないから。

 その名目で、全部を止めようとする。


「……それは」

 リリアは書状を握る。

「嫌です」

 小さな声。

 はっきりしていた。


「イリス様が、ここまでしてくれているなら」

「せめて」

「戻ってこられるようにしたいです」

 エリシアはしばらく黙っていた。

 それから、静かに頷く。


「分かりました」

「ただし、これは隠蔽ではありません」

「正式辞令と同時に報告するための、時間調整です」

 真面目だった。

 リリアは少しだけ救われた気がした。

 そう言ってもらわないと、手の中の紙が重すぎた。

 メリーが小さく頷く。


「返書を作成します」

「皇太子殿下には、こちらでも承知していること」

「お姉様ご本人の意思を尊重したいこと」

「団長への事前通達は極力控えるべきこと」

「そのあたりを、慎重に書きます」

 リリアはほっとしたように息を吐く。


 罪悪感は消えない。

 兄宛の書状を、自分が開けた。

 隠すことにした。

 それは、たしかに事実だった。


 ■第七騎士団 本庁・事務室


「何をしている」

 不意に、声がした。

 三人が止まる。

 扉のところに、レオンが立っていた。

 リリアはびくっと肩を跳ねさせる。


「な、何もしていません!」

 あまりにも不自然だった。

 背中に書状を隠している時点で、ほぼ何かしていた。


 エリシアは静かに目を閉じる。

 メリーは表情を変えない。

 レオンは少しだけ三人を見る。


「……そうか」

 それだけだった。

 気づいていない。

 あるいは、深く考えていない。


「メリー」

「はい、お兄様」

「あとで南方関連の資料を確認したい」

「承知しました」


「エリシア」

「はい、団長」

「午後の会議、少し遅れる」

「分かりました」


「リリア」

「は、はいっ」

「顔色が悪い。休め」


 リリアは固まる。

 悪いことをしたのに。

 兄は、普通に心配してくる。

 それが少しだけ苦しかった。

「……大丈夫です」

「そうか」

 レオンは短く返し、そのまま出ていった。

 足音が遠ざかる。


 リリアは、隠していた書状を見下ろした。

「……私、悪いことをしていますよね」

 小さく言う。

 エリシアはすぐに答えた。

「はい」

 正直だった。

 リリアが少しだけ肩を落とす。


「ですが」

 エリシアは続ける。

「理由は、分かります」

 リリアは顔を上げる。

 メリーも静かに頷いた。


「お姉様のためにも」

「お兄様のためにも」

「今は、少しだけ時間が必要です」


 リリアは書状を抱きしめるように持った。

 その紙は、やはり重かった。


 ■第七騎士団 本庁・資料室


 その後、三人は返書の文案を作った。

 宛先は、皇太子アシュレイ・ヴェル=ヴェリア。


 内容は短く、けれど、曖昧にはできない。

 皇女殿下の意思について、騎士団領側でも一部承知していること。

 ただし、正式受け入れには帝都側の許可と、騎士団領側の手続きが必要であること。

 皇女殿下ご本人の意思を尊重したいこと。

 団長への事前通達は、現時点では慎重に扱うべきであること。


 理由は書けない。

 書けば、それ自体が証拠になる。

 だから言葉を削る。

 必要なことだけを書く。


 エリシアが静かに言う。

「ですが、嘘は最小限にしてください」

「はい」

「あとで団長に説明できる形に残す必要があります」


「……怒られますよね」

 リリアが小さく聞く。

 エリシアは少しだけ黙る。

「怒られると思います」

「ですよね……」

「それでも」


「今渡せば、殿下の道を閉ざす可能性があります」


 リリアは頷いて、手の中の書状を見る。

 今は、兄に怒られることより、イリス様が戻れなくなることの方が、ずっと怖かった。


 

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