仲間になりたいので
――帝国暦三二一年・秋初め
東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団庁舎・イリス私室――
夜だった仕事終わり、第七騎士団庁舎の一角にあるイリスの私室には、珍しく人が集められていた。
エリシア。
メリー。
リリア。
そして、イリス。
四人だけだった。
部屋の中は静かだった。
灯りは柔らかい。
窓の外には、第七騎士団本庁が見える。
まだ、いくつかの窓に明かりが残っていた。
多分、レオン達はまだ仕事をしている。
そう思うと、イリスは少しだけ胸の奥が重くなった。
「……珍しいですね」
リリアが小さく首を傾げる。
「イリス様が、こうして呼んでくださるの」
「相談です」
イリスは少し笑った。
いつものように。
けれど、その笑みは少しだけ弱かった。
リリアはそれに気づき、心配そうに見つめる。
エリシアは静かに姿勢を正した。
メリーも、小さく視線を上げる。
「相談、ですか」
「はい」
イリスは頷く。
そして、窓の外へ目を向けた。
「気づけば」
「もう、一年近くになるんですよね」
■騎士団庁舎イリス私室
リリアが少し目を丸くした。
「……早いですね」
「ええ」
イリスは小さく笑う。
「最初は、少しだけ様子を見るつもりだったんです」
「騎士団領という場所を見て」
「第七騎士団を見て」
「レオンを見て」
「それから、帝都へ戻る」
そういう予定だった。
少なくとも、最初は。
「でも」
「私は、この場所が好きになってしまいました」
静かな言葉だった。
大きな告白ではない。
けれど、イリスにとっては、とても正直な言葉だった。
「皆のことも」
少し迷う。
皇女として口にするには、少しだけ近すぎる言葉。
けれど、言いたかった。
「……もう、家族みたいに思ってしまっています」
部屋の空気が少し柔らかくなった。
リリアが嬉しそうに笑う。
「私も、イリス様のこと好きですよ?」
「ありがとうございます」
イリスも笑う。
少しだけ、本当に。
メリーは静かに目を伏せた。
エリシアも表情は変えない。
けれど、否定はしなかった。
それが嬉しかった。
だが嬉しいからこそ。
悲しくなることがある。
「だからこそ」
イリスは、もう一度窓を見る。
「少し、悲しくて」
空気が静かになる。
エリシアが、わずかに目を細めた。
「昨日」
イリスは続ける。
「皆が残業していたので」
「私も手伝いたいと、レオンへ言ったんです」
「ですが」
イリスは小さく笑った。
自分でも、少し情けない笑いだと思った。
「君は客人だから、と断られました」
とても静かだった。
リリアの顔が、少し困ったように揺れる。
メリーは目を閉じる。
エリシアは、静かに息を吐いた。
三人とも、想像できてしまった。
レオンは、悪気なく言う。
心底、当然のように。
それが、余計に刺さる。
「私は」
イリスはゆっくりと言葉を選ぶ。
「この場所の仲間だと思っていたんです」
「勝手に、ですけど」
「でも」
「レオンにとって、私はまだ客人なんですよね」
寂しそうだった。
リリアが慌てて身を乗り出す。
「そ、そんなことないと思います!」
「お兄様、言葉が足りないですし……!」
「それは知っています」
イリスは苦笑する。
「かなり足りないです。」
「はい、かなりです」
リリアは真剣に頷いた。
その必死さが少し可愛くて、イリスはほんの少し笑った。
だが、胸の重さは消えない。
「でも、少しだけ悲しかったんです」
部屋が静かになる。
その中で、エリシアが口を開いた。
「……レオン団長は」
静かな声だった。
「守る相手ほど、線を引きます」
イリスが顔を上げる。
「危険なこと」
「負担」
「責任」
「そういうものへ巻き込みたくない相手には、特に」
エリシアは淡々としている。
けれど、その声には理解があった。
「イリス様は皇女殿下です」
「客人という言葉も」
「おそらく、守るためです」
「……分かっています」
イリスは小さく答える。
分かっている。
レオンが突き放したわけではないことも。
見下したわけでもないことも。
むしろ、守ろうとしたのだろうということも。
分かる。
分かるから。
余計に難しい。
「でも」
「私は、一緒に頑張りたいんです」
小さな声だった。
「守られるだけではなくて」
「できることがあるなら、手伝いたい」
「同じ場所で、同じように疲れて」
「終わったあとに、皆でお茶を飲みたいんです」
言葉にしてから、少し恥ずかしくなった。
皇女の願いとしては、ずいぶん小さい。
けれど、今のイリスにとっては、とても大切な願いだった。
メリーが小さく手を挙げた。
「個人的意見ですが」
「はい」
イリスが見る。
「お兄様は、既にかなりお姉様を信用していると思います」
「そうでしょうか?」
「はい」
メリーは頷く。
「機密も普通に話していますし」
「かなり危険な程度に」
エリシアが少しだけ目を閉じた。
心当たりがありすぎた。
リリアも困ったように笑う。
「お兄様、たまに大事なことを普通に言いますから……」
「たまにではありません」
メリーは冷静だった。
「ですが」
「信用していることと、仕事へ入れることは別問題です」
イリスは黙る。
「お兄様は、そこが妙に頑固です」
「頑固……」
「はい」
メリーは即答した。
「かなり」
全員が頷いた。
かなり心当たりがあった。
イリスは少しだけ笑う。
「……難しいですね」
そして、ぽつりと呟いた。
「どうすれば」
「本当の仲間になれるんでしょう?」
静かな問いだった。
誰かを責める声ではない。
ただ、自分の居場所を探す声だった。
リリアが少し考える。
そして、柔らかく笑った。
「もう、なっていると思いますよ?」
イリスが止まる。
「そう、でしょうか?」
「はい」
リリアは頷く。
「お兄様、信用していない人には、絶対にあんな話をしませんし」
「それに」
「本当に嫌な相手には、もっと距離を取ります」
かなり分かりやすかった。
イリスは思わず吹き出した。
「それ、嬉しいんですけど、嬉しくないですね」
「お兄様ですから」
リリアは苦笑した。
部屋の空気が、少しだけ柔らかくなる。
だが、その柔らかさの中で、メリーが静かに手を挙げた。
「……提案があります」
空気が止まった。
メリーの声が、先ほどまでとは少し違ったからだ。真面目な声だった。
イリスはメリーを見る。
「提案、ですか?」
「はい」
メリーは頷いた。
「この提案に乗れば」
「おそらく、お兄様はイリス様を本当の意味で仲間扱いすると思います」
イリスの目が、少しだけ開く。
「本当ですか?」
「はい」
メリーは静かに答える。
「少なくとも、客人とは呼べなくなります」
その言葉は、軽くなかった。
エリシアがわずかに眉を動かす。
何かを察したようだった。
リリアも、少し不安そうにメリーを見る。
「ですが」
メリーは続ける。
「引き返せなくなります」
部屋が静かになる。
「帝都側にも」
「お兄様側にも」
「騎士団領側にも」
「もう、中途半端ではいられなくなります」
イリスは、言葉を失った。
窓の外を見る。
第七騎士団本庁には、まだ灯りがある。
誰かが残っている。
誰かが働いている。
誰かが、自分の知らない責任を背負っている。
その場所へ入りたい。
そう願った。
けれど、入るということは、眺めることではない。
責任を負うということだ。
皇女としてでも。
客人としてでもなく。
自分の足で、そこに立つということだ。
「……その提案は」
イリスは静かに聞く。
「私に、何を求めるものですか」
メリーはまっすぐ見返した。
「客人の立場を捨てることです」
リリアが息を呑む。
エリシアは黙ったまま、メリーを見る。
メリーは続けた。
「騎士団領で、正式な職務を持つこと」
「責任範囲を持つこと」
「命令系統に入ること」
「帝都へ戻るだけの皇女ではなく」
「この場所の一員として、扱われることです」
イリスは黙っていた。
長い沈黙だった。
怖い、そう思った。
けれど。
その怖さの奥に、確かに熱があった。
「……それをすれば」
イリスは小さく言う。
「私は、仲間になれますか?」
メリーは少しだけ目を伏せる。
「形としては」
「ですが、本当に仲間になるかどうかは、イリス様次第です」
厳しい言葉だった。
でも、優しかった。
イリスは少しだけ笑う。
「メリーさんは、はっきり言いますね」
「必要ですので」
「そうですね」
イリスはもう一度、窓の外を見る。
灯りはまだ消えていない。
きっと、レオンはまだ仕事をしている。
客人だからと、自分を遠ざけた人。
信用していると、何でもない顔で言った人。
ずるい人。
困った人。
そして、自分が、この場所へ来た理由の一つになってしまった人。
「……少しだけ」
イリスは呟く。
「怖いです」
リリアが心配そうに見る。
エリシアも静かに視線を向ける。
メリーは何も言わなかった。
イリスは小さく息を吸う。
「でも」
「嬉しいとも、思ってしまいます」
その声は、少し震えていた。
けれど、確かに前を向いていた。
窓の外、第七騎士団庁舎の灯りは、まだ消えていなかった。
その光を見ながら、イリスは初めて、客人ではない自分を想像した。




