嫌な予感しかしない
――帝国暦三二一年・秋初め 東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 本庁・執務室――
静かだった。
その原因は、メリーだった。
小柄な少女は、机の上に積んだ資料を一通り確認し終えると、ゆっくりと息を吐いた。
「……分かりました」
声はいつも通り落ち着いている。
だが、少しだけ、疲れていた。
その顔を見た瞬間、レオンは嫌そうに眉を寄せる。
「その顔やめろ」
「嫌な報告です」
即答だった。
かなり駄目だった。
室内には、レオン、エリシア、リリア、クリス、ヴァルト。
それから、なぜかフィアナとココもいた。
ニルは外で鍛練をしているらしい。
かなり事務向きではない新任書記官だった。
「まず」
メリーは資料を一枚、机に置く。
「お兄様」
「どうやら、今の場所から離れる可能性が高いです」
空気が止まった。
「……は?」
クリスが固まる。
リリアも顔を上げた。
「離れる……?」
その言葉だけで、室内の温度が少し下がった。
メリーは静かに頷く。
「建設中の中央区画大型施設」
「人員構成」
「運用予定」
「予算配分」
「資材の流れ」
「確認できる範囲で調べました」
「かなり怪しいです」
結論は雑だった。
だが。
怖かった。
■中央区画建設予定地
メリーが広げた資料には、中央区画の建設図が簡略化されていた。
総庁と第七本庁の間。
騎士団区画の中心。
そこに建てられている巨大な施設。
建設中にもかかわらず、すでに異様な存在感があった。
「現在、噂が錯綜しています」
メリーは淡々と続ける。
「総庁新館」
「新設騎士団の合同庁舎」
「中央指揮所」
「貴族対応施設」
「保養所」
「宿舎」
「どれも噂止まりです」
「結論は?」
エリシアが静かに聞く。
メリーは少しだけ間を置いた。
「分かりません」
正直だった。
「ただし」
小さな指が、図面の一部を示す。
「規模が大きすぎます」
「個人運用施設としては異常です」
「一個騎士団用としても過剰です」
「ですが、お兄様用施設の可能性は高いです」
沈黙、かなり嫌な沈黙だった。
「嫌だな……」
レオンが、本音を漏らした。
■第七騎士団 本庁・執務室
メリーはさらに資料をめくる。
「もう一つ」
「統括管理官についてです」
レオンの動きが止まった。
嫌な言葉だった、かなり。
「統括管理官は、元々総長兼任職です」
空気が変わる。
「……何?」
クリスの声が低くなった。
「現在が特殊です」
メリーは続ける。
「騎士団全体の運営権限に関わる職ですので」
「本来は総長が兼ねる形が基本です」
ヴァルトが資料を覗き込む。
「……待て」
「それじゃ、今のレオン団長はかなり変では?」
「変です」
メリーが即答した。
「かなり」
レオンは頭を押さえた。
嫌な予感しかしなかった。
「なぜ今それを知る」
「お兄様が調べろと仰ったので」
「そうだったな……」
自分で頼んだ結果だった。
かなりつらい。
「現在の流れから推測します」
メリーは淡々と続ける。
「ヴァルド総長の退任」
「次期総長候補としてのグラナート団長」
「統括管理官職の扱い」
「中央区画の大型施設」
「お兄様の複数騎士団運用実績」
言葉が一つずつ並べられていく。
並べられるほど。
嫌な形に繋がっていく。
「可能性が高いのは」
「グラナート総長」
「その上で、お兄様に新設役職」
「中央区画施設の運用」
「および、複数騎士団の実務統括」
室内が静かになった。
静かすぎた。
「新設役職?」
クリスが眉をひそめる。
「はい」
メリーは頷く。
「現在、そのような役職は存在しません」
「つまり」
「お兄様用です」
かなり嫌だった。
リリアが不安そうにレオンを見る。
「お兄様……本当に、ここから離れるんですか?」
「知らん」
レオンは即答した。
だが、表情は明らかに嫌そうだった。
「知らないが」
「嫌だ」
「まだ決まっていません」
エリシアが言う。
レオンが少しだけ希望を持つ。
だが。
「ただし、決まっていないものとして扱うには、状況が進みすぎています」
希望はすぐ消えた。
「言い方を考えろ」
「事実です」
かなり容赦がなかった。
「あと」
メリーが少しだけ止まる。
「可能性としては低いですが」
その前置きだけで、レオンは嫌そうな顔をした。
「聞きたくない」
「聞いてください」
「嫌だ」
「必要です」
勝てなかった。
「秋時点で、お兄様が総長になる可能性もゼロではありません」
静寂、完全に止まった。
「……は?」
レオンが固まる。
「いや待て」
「待て」
「それはおかしい」
珍しく本気で焦っていた。
クリスも顔をしかめる。
「いや、確かに低いだろ。若すぎるし」
「はい」
メリーは頷く。
「ですが、統括管理官としての実績が強すぎます」
「基準統一も、複数騎士団運用も、すでに結果が出ています」
「総長が推す可能性だけなら、否定できません」
エリシアは静かに考える。
父。
レオン。
どちらもあり得る。
そして、どちらになっても。
騎士団領は変わる。
それが一番怖かった。
「父が総長になる可能性が高いとしても」
エリシアは言う。
「団長に別の役職が用意されている可能性は高いです」
「両方来るということか」
レオンが低く言う。
「はい」
「最悪だな」
「否定はしません」
誰も否定しなかった。
■第七騎士団 本庁・廊下
数分後。
レオンは廊下の壁に寄りかかっていた。
資料を読んだせいで、余計に疲れている。
「……逃げるか」
小さく呟く。
その瞬間、エリシアが即答した。
「却下します」
「まだ何も決まってないだろ」
「おそらく、既にかなり決まっています」
かなり現実的だった。
「嫌なんだが……」
「知っています」
「辞めたい」
「知っています」
全部知られていた。
メリーが少しだけ困ったような顔をする。
「……個人的には」
「お祖父様の言うことを、もう少し信用していただきたいのですが」
レオンは即答した。
「あのジジいは信用できない」
かなり早かった。
クリスが吹き出す。
ヴァルトは苦笑し。
リリアも少し困ったように笑った。
「お兄様……」
「だって絶対ろくでもないぞ」
本気だった。
メリーは否定しなかった。
少しだけ目を逸らした。
「否定しろ」
「難しいです」
「ほら見ろ」
レオンは天井を見上げる。
最近、仕事が減った。
少し帰れるようになった。
なのに。
総長退任。
統括管理官。
中央区画の巨大施設。
新設役職。
全部、嫌な方向に繋がっている気がした。
「……あのジジい」
低い声だった。
かなり恨みがこもっていた。
■総庁・最上階
その頃、総庁最上階。
ヴァルド・エイゼンは、窓の外を見ていた。
中央区画の巨大な建設現場。
少しずつ形になる建物。
その先にある、新しい騎士団領の形。
そして、今ごろ嫌な顔をしているであろう男。
ヴァルドは静かに笑った。
かなり楽しそうだった。




