第13話 増える役職 減らない時間
――帝国暦三二〇年・春初め 東ロンバルディア帝国騎士団領 第七騎士団 執務室――
「団長」
エリシアのその呼び方で、レオンはだいたい察するようになっていた。
「増えたか」
「増えました」
やっぱりだ。
机の上に、新しい書類が置かれる。
見覚えのない紋章だった。
「……どこのだ、これ」
「第十騎士団です」
嫌な予感しかしない。
「現在、副騎士団長が代理を務めておりますが」
「が?」
「正式な団長が不在です」
「まさかとは思うけど」
「そのまさかです」
エリシアは迷いなく告げた。
「第七騎士団長、第二騎士団長に加え、第十騎士団の暫定指揮を命じられています」
「……三つ?」
「三つです」
「無理だろ」
「現時点では、問題なく運用されています、だからでしょう。」
「問題しかないだろ」
「少なくとも、上層部はそう判断しておりません」
レオンは深く息を吐いた。
「それに、あくまで暫定です」
「その暫定が一番信用できない」
「否定はしません」
否定してほしかった。
エリシアは書類を一枚めくる。
「当騎士団領では、上位騎士の選定基準が非常に厳格です」
「……ああ」
「剣の腕だけでは足りません。統率、判断、実績、書類処理能力。団長級の役職に就くには、そのすべてが求められます」
「面倒な国だな」
「騎士団を動かす立場ですので」
エリシアは淡々と続ける。
「その条件を満たす者が、極端に少ない状況です」
「だからって俺に回すなよ」
「加えて、団長は若い」
「……それ、関係あるか?」
「あります」
迷いのない返答だった。
「体力的にも、長期運用が可能であると判断されているのだと思われます」
「要するに」
レオンは目を細める。
「若いから、何とかなると思われてるってことか」
「……言い換えれば、そうなります」
「言い換えなくていい」
本音だった。
「模擬戦の結果も評価されています」
エリシアが資料を差し出す。
レオンは、数日前のことを思い出した。第二騎士団を相手に、ただ現場へ任せただけの指示。
細かい命令を出すのが面倒で、こう言った。好きに動け、と。
「各隊の自律性が向上し、柔軟な戦術運用が可能となったと評価されています」
「ただの放置だ」
「高度な指揮です」
「違う」
「上層部は、ならば他でも通用すると判断しました」
「やめてくれ」
やめてくれなかった。
■第十騎士団訓練場
第十騎士団の訓練場は、第七騎士団とも第二騎士団とも空気が違っていた。
見慣れない顔。
違う号令。
違う並び。
違う間合い。
(……もう考えたくない)
それでも、考えなければ仕事は終わらない。
「基本方針は同じだ」
レオンは並んだ騎士たちを見渡す。
「現場判断で動け。細かいことまで全部こちらに上げるな。必要なものだけ上げろ」
ざわめきが広がる。
困惑もある。
だが、否定の空気ではなかった。
数日後。
「団長、第十騎士団の運用が安定しています」
「なんで?」
執務室で報告を受けたレオンは、思わず顔を上げた。
「各隊の自主性が上がり、判断待ちが減っています」
「またそれか」
「第七、第二、第十。三騎士団すべてにおいて、効率が向上しています」
「最悪だな」
「よいことです」
「俺にとっては最悪だ」
机の上の書類は、さらに増えていた。
座る時間すら減っている。
「……これ、寝る時間あるか」
「最低限は確保しています」
「どこに」
「調整しています」
調整しているのは、エリシアだ。
レオンは横目で彼女を見る。
姿勢は崩れていない。
声もいつも通り。
けれど、机の端に置かれた指先が、ほんのわずかに強張っていた。
(……こいつがいなかったら終わってるな)
素直にそう思う。
「シア」
「はい」
返事は早かった。
ただ、エリシアの手元で、紙の端が小さく揺れた。
レオンはそこまでは気づかない。
「お前、限界じゃないか」
「問題ありません」
「問題あるやつの返事だろ、それ」
「問題ありません」
同じ言葉を繰り返す。
その声だけは乱れていなかった。
だからこそ、レオンは少しだけ眉を寄せる。
「……倒れるなよ」
「団長こそ」
「俺は逃げたいだけだ」
「存じております」
即答だった。
■ヴァイス邸
その夜。
「お兄様」
リリアが静かに声をかけた。
「さらにお忙しくなられたのですね」
「……まあな」
「三騎士団を同時に見られるなんて、すごいことです」
リリアは、きれいに微笑んだ。
悪意はない。
疑いもない。
ただ、兄を誇っている。
(遠いな)
レオンは、ほんの少しだけ思った。同じ食卓にいるのに、今の自分を見ている場所が違う気がした。
セレナが紅茶を置く。
「評判も上々のようですわ」
「……そうらしいです」
「それに伴い、責任も増えてまいりますわね」
やわらかな声だった。
逃げ道のない言葉でもあった。
「当然だ」
アルヴェルトが短く言う。
正しい。
すべてが正しい。
若く、実績があり、動かせる者がいるなら使う。それは組織として間違っていない。
(……だから嫌なんだよな)
間違っていないから、逃げづらい。
■騎士団庁執務室
夜遅く。
レオンは再び騎士団庁の執務室に戻っていた。
「……書類増えすぎだろ」
「はい」
エリシアも、そこは認めた。
「なあ」
「なんでしょう」
「やめたいって言ったらどうなる」
一瞬、空気が止まる。
「却下されます」
「だよな」
レオンは力なく笑った。
エリシアは、目の前の男を見る。
第七、第二、第十。
役職は増えた。
評価も上がった。
仕事は終わらない。
それでもこの人は、いつものように逃げたいと言いながら、必要な判断だけは間違えない。
(本当に、それでいいのですか)
初めて、強く思った。
止まらない。
止められない。
なら、自分は何のためにここにいるのか。
「団長」
「なんだ」
一瞬だけ迷う。
けれど、言い直した。
「……レオン」
名前を呼んだだけで、胸の奥が少しだけ震える。それでも、今は言わなければならない気がした。
「無理は、しないでください」
それだけだった。
レオンは少しだけ笑う。
「してない」
いつもの嘘だった。
エリシアは、それ以上言わない。
夜は続く。
役職は増える。
評価は上がる。
逃げ場は消える。
それでも、レオンの胸の奥には、消えない願いが残っていた。
(外に行きたい)
仕事ではなく。
役職でもなく。
誰かに求められる場所でもない、どこかへ。




