いないはずの相手
――帝国暦三二一年・春初め 東ロンバルディア帝国騎士団領 ヴァイス邸 客間――
静かな室内。
メリエラは、まだ座っていた。
向かいには、イリス。
先ほどの言葉が、残っている。
「――噂を、事実にしてしまいましょう」
メリエラは目を伏せる。
「……不可能です」
静かに言う。
「相手が、いません」
一瞬の沈黙。
イリスはわずかに頷く。
「形式ですので」
短く言う。
メリエラは何も言わない。
だが、考えている。
そして、一瞬ゆっくりと、息を吐く。
(……収めるため)
(……それだけ)
「……設定します」
小さく言う。
他にイリスは何も言わない。
ただ、待つ。
メリエラは顔を上げる。
「……レオンと」
一瞬の沈黙。
イリスの目が、わずかに細まる。
だが、何も言わない。
それで、十分だった。
■第七騎士団 本庁
「おめでとうございます!」
明るい声。
リリアだった。
メリエラは立っている。
その前で。
「……ありがとうございます」
短く返す。
リリアは微笑んだまま続ける。
「どのような方なのですか?」
メリエラは、ほんのわずかに間を置く。
そして。
「……レオンと」
それだけ、答える。
一瞬、リリアの表情が止まる。
「……え?」
視線が、わずかに揺れる。
一瞬の間。
「……お兄様、と同じお名前なのですね」
静かに言う。
メリエラは何も言わない。
暫くの沈黙。
リリアは、ほんのわずかに首を傾げる。
「……珍しい、ですね」
小さく呟く。
だが、それ以上は聞かない。
ただ。
「……そう、なのですね」
微笑む。
その笑みは、いつも通りだった。
けれど
ほんのわずかに。
思考が残っていた。
■廊下
足音が遠ざかる。
メリエラは、ゆっくりと息を吐く。
(……これで)
(……少しは、困るはずです)
ほんのわずかに。
口元が緩む。
(……成功、ですね)
一瞬の静寂。
だが、その違和感は。
確かに、残った。
名前だけの存在は。
語られ、信じられ。
そして、疑問もまた静かに生まれていた。
まだ小さい。
だが、それは確かに。
次へと、繋がっていた。




