失恋
月の光を反射する、見覚えのある美しい金の髪。
(……殿下?)
「……今日は月が綺麗だね」
振り返りもせず、穏やかな声が響いた。
「こんなに遅くまで、何を……」
「まぁ、色々とね。リリエルこそ、こんな時間まで練習かい?
さすがに指導を入れないといけないかなぁ」
そう言いながらゆっくり振り向く殿下は、いつも通り穏やかな笑みを浮かべている。
けれどどことなく疲れが滲む表情。
あの、誘拐事件の後処理の時みたいだ。
気づけば私は聖女の治癒を降らせていた。
月夜の中、柔らかな光に包まれる殿下は、相変わらずとても美しい。
「――ありがとう。ちょっと疲れが溜まっていたんだ」
「大丈夫なんですか。その、色々と」
そう言うと、ふ、と殿下が口元だけで微笑む。
「そうだなぁ。リリエルとは話さなきゃって思ってたんだけど、どこから話せばいいのか」
「殿下はーー」
「うん?」
「―—殿下は、ローザ様が修道院に行ってしまっても、良かったんですか?」
「あれ?修道院に送る予定だったって言ったっけ?」
素で驚いたような口調。
殿下のこんな姿初めて見るな、という思いと、やってしまった!という思いが頭の中で交差する。
「そ、それは―—―でも、糾弾された後に行くところと言えば―—」
しどろもどろになる私を深くは追及せずに、殿下はほんのり笑みを浮かべた。
「―—うん、貴族用の修道院があるんだよ。
実質王家の管轄なんだ。
そこにしばらくいてもらうつもりだった」
「しばらく――」
「うん、しばらく。一年くらいしてほとぼりが冷めたら、理由をつけて戻そうと思っていた」
「―—どうして、話してくださらなかったんですか」
「君は光だからね。
まっすぐでいてもらわないと、困る」
「そんなの……!!!」
私が聖女だから。結局、私もそういう役割でしかないというのか。
言葉が続かない私をじっと見つめて、殿下が口を開く。
「―—もし計画を聞いていたら、君は納得するしかなかっただろう。
でも、納得した自分を許せない。違う?」
「それは―—」
「私も――今となってはあれが最善だったのか、正直自信はないよ。
魔女疑惑なんて、本当は取るに足らないものだったのかもしれない。
だって、君のあの言葉一つで、神殿はこれまでの規律を覆したんだ」
「殿下……」
「はは、君があの断罪を覆して、あっさり解決してしまってから散々考えたんだよ。
それで気づいたんだ。
ローザリアと共に戦う手もあったのに、私はローザリアから翼をもぎ取ろうとした。
それなのに、ローザリアを救うつもりだった、なんて」
「で、でも、あの時の流れじゃ……」
――仕方がなかった?
おかしい。私は確かに怒っていたはずなのに。
私は何を言おうとしているんだろう。
「違うんだ、リリエル」
いつも爽やかな蒼の瞳が揺らいだ。
「きっと、やろうと思えば他の手段もあったんだ。
何を置いてでも、彼女を守る手段が」
「殿下……」
「それなのに、それしかないと思い込んだ。
思い込みたかったのかもしれない。
そうすれば―—翼をもぎ取ってしまえば、閉じ込められるから。私に頼るしかない世界に」
ぞわり、と背筋が粟立った。
これは、誰?
―—恐ろしい程の執着。そんな言葉が、脳裏をよぎる。
「君のおかげで気づいた」
そう言う殿下の表情は、吹っ切れたように清々しくも、何かを諦めたようにも見える。
「――リリエル。
ローザリアを救ってくれて、ありがとう。」
光を受けて輝く金のまつ毛が、殿下の頬に影を作る。
ふわりと笑う殿下は、どこか寂しそうだった。
「いえ、私こそ―—」
―—言葉が、出ない。
自分が、恥ずかしくなった。
私はあの時どう思っていた?
殿下を……クラヴァ―ル先輩を、ライナーを。
わかってはいた。最悪の事態から守ろうとしていたってことは。
でもどこかで―—
”強制力”に囚われたせいでローザ様を悪役にしようとしていると、思っていなかった??
結局、そういう役割に過ぎないんだって。
(さっきだって―—
のけ者にされたのは聖女だからだって、無意識で―—)
『人は、見たいように世界をみるものよ』
ローザ様の言葉が頭にこだまする。
―—見たいように世界を見ていたのは、誰?
『そういう役割なだけの、つまらない男』
……そう思わないと、行動できなかった。
殿下を、私の中の”悪役”にしなければ、動けなかった。
でも、殿下は……
(つまらないどころじゃないわ、こんなの)
『ローザ様にこそぴったりなのに』
殿下と初めて二人でいった視察を思い出す。
あの時もそう思っていたけれど、あの時とは、違う。
「やだ、これ――失恋じゃない?」
殿下に聞こえないくらいの声で、小さく呟く。
そうでないと、自分のみじめさを、きちんと受け止められない。
(”恋を選ばないことはできる”だなんて……思い上がりも甚だしいわね)
きちんと認めなくては。殿下がつまらない男なんかじゃないってことも、私が――どうしようもないくらい、惹かれていたことも。
(ゲームの強制力に逆らえないことに絶望していた時期もあったけれど。思えはそれに救われていたこともあったんだわ。すべてをそのせいにしてしまえたんだから)
”抵抗したいものがある”というのは、もしかしたら何もない所から活路を見出すよりも楽なのかもしれない。
あの時の選択は後悔していない。ああしなければ止まらなかったのは確かだから。
だからこれは、後悔じゃない。自分の未熟さが、あまりにつらいだけ。
必死で物語を生きていながら、外側からの視点もある自分。
そういう位置づけが、自分で自分を特別なところに追いやっていたと、気付いてしまっただけ。
(本当に、傲慢だわ)
ーー涙が一筋、こぼれた。
「リリエル!?」
「い、いえ、すみません、何でもないんです」
「……」
ごしごしと涙をふいて、笑顔を作る。
失恋と、自分への絶望。でも、浸ってる場合じゃない。
私の事情を他人に背負わせるなんて、きっと、もっと自分が嫌いになってしまう。
「―—私たち、どうやらライバルみたいですね?」
「唐突だな。どういうこと?」
殿下は少し心配そうに、けれど私に合わせてくれる。
そうだ、殿下はこういう人だ。
きっとそれは、役割だからなんかじゃない。
小さく息を吸い込む。そう。ちゃんと、けりをつけなくてはいけない。
「私はローザ様の『恋人』ですからね。中途半端な覚悟じゃ、譲りませんから!」
殿下が目をほんの少し見開いて―—
ふっと笑った。
「うん。そうか……はは、そうか」
(あ、この表情)
私はまた、失恋をかみしめる。
「殿下」
「うん?」
「ちゃんと、して下さいね」
「――うん」
「ローザ様ってちょっと色々すっとぼけてるんで、結構強引に行かないとわからないと思いますよ」
「それは、そうだろうね」
「それから――」
「リリエル」
「――はい」
「ありがとう」
今度は、殿下が私に治癒魔法をかける。
ほんの少しの光を含んだ、優しい魔法。
聖女の治癒とは違うのに、なぜかほんの少しだけ心が癒されて。
また溢れそうになる涙を、必死で堪えた。
殿下との視察回は《ep.33 始まりの予感》です。リリエルは殿下への小さな恋心を自覚して、「でもそれを選ばないことはできる(ローザ様を選ぶ)」と思った――というエピソード。
次回は5月2日に更新予定。




