可憐な聖女フィルター
――失恋したからといって、世界が止まってくれるわけじゃない。
あの後。
寮に帰った私は一晩中泣いて――
翌日から、しっかりいつも通りのリリエルに戻った。
朝練はサボってしまったけれど、一日くらいは許してほしい。
この寝不足で走ったら死ぬ。
学園に向かう途中、またもや庭師のおじいさんに崇められた。
その間にライナーが通りがかって「お!今日はサボりか?明日から再開しろよ~」なんて言いながら肩を叩いて去っていく。
うん。大丈夫。
それに、私は何をしていても可憐な聖女なのだ。
「リリエル様、どうしたのかしら?少しお疲れみたい」
「確かに――いつもよりも目元が」
「きっと劇に入り込んでしまっているのね。可憐だわ」
「ええ、本当に。儚くて可憐だわ」
(――ほら、出た!)
ちょっと寝不足でテンションが低かろうが、周りが良い方向にとらえてくれる。聖女フィルターがこれほど嬉しいとは。
そうして私は特におかしく思われることもなく、無事放課後の練習に繰り出した。
けれど。
「『天の許しなど、とうに捨てております。たとえ永遠の宵闇に閉ざされようとも……ああ、貴方さえ……貴方さ、え……っ』」
涙がこみ上げそうになって鼻がツンと痛む。声が震えそうになって、思わずセリフを止めてしまった。
「――リリィ? 大丈夫?」
「う、うん、ごめん、なんかちょっと感情移入しすぎちゃって……」
目の前で心配そうに覗き込んでくるローザ様に、慌てて笑顔を作る。
やばい。
ただただ大げさだと思っていたセリフが、今の私に刺さり過ぎる。
「まぁ……リリエル様が本気に……っ!」
「可憐!ああ、リリエル様、そこで涙を一筋……!」
「いやそれは無理だから!!」
「きゃあ、可愛い!!」
思わず素で突っ込むけれど、やっぱりそれすら可憐らしい。
「――リリィ、何かあったの?」
ローザ様が心配そうに顔を寄せて、ふ、と目の下を親指でなぞった。
(あ……クマ……)
ローザ様だけが聖女フィルターに騙されてくれない。
一番、こんなところを見せたくない人なのに。
「ううん、ほんとに何でもないの。ちょっと練習してたら眠れなかっただけ」
「もう、リリエルは真面目すぎるのよ」
くすりと笑って、ローザ様はポンポンと私の頭を撫でてくれた。
ああ、ダメ。ただでさえ情緒が不安定なのに、至近距離でこんな極上の微笑みを向けられたら、張っていた気が緩んでしまう。
(わぁん!なんで今更失恋でこんなダメージ受けてるのよぉ!)
内心でジタバタと暴れる感情を必死に奥底へ押し込み、私はパンッと小さく両頬を叩いた。
とにかく今は、目の前の劇の練習に集中して余計なことは忘れてしまおう。そうやって強引に頭を切り替えようとした――その矢先だった。
「リリエル、ちょっといいかい?」
「で、殿下!?」
急に名前を呼ばれて、思わず声が裏返ってしまった。
昨日のテラスでの切ない告白が嘘みたいな、いつもの完璧な王太子の顔。
(この人も王太子フィルターがかかってるのかしら。
それとも素でこれなの?
っていやいや、役割で見ていたのは自分だったって、昨日反省してばっかじゃない!)
「少し、時間をもらえるかな。学園長室に来てほしい」
「学園長室……?」
「ああ。神殿から、君に正式な使いが来ている」
「げっ」
「――リリエル?」
「い、いえ、行きます!」
今まで、神殿からの呼び出しは「劇の練習で忙しい」と理由をつけて無視し続けていた。
けれど、今回は殿下と学園長を通している。
つまり、無視できない正規ルートで外堀を埋めてきたということだ。
(……嫌な予感しかしない)
私は小さく頷き、殿下の後を追った。
◆
学園長室には、厳しい顔つきの学園長と、いかにも高位とわかる神殿の使いが待っていた。
私が席につくなり、神官は恭しく頭を下げた。
「聖女様。折り入って、大神官閣下より正式なご要請がございます。王都から離れた南部の地方――フォーン男爵領の近郊にて、小規模な魔力異常と日照りが発生しております」
「実家の近くで!?」
思わず声が大きくなる。
「はい。幸いまだ被害は少ないのですが、これ以上長引けば作物の収穫に影響が出ます。つきましては、聖女様。どうか数日ほど地方の神殿へご足労いただき、民に恵みの光を与えてはいただけないでしょうか」
「それは――」
言葉に詰まる。
異端審問だの教義だのという政治的な要請なら、いくらでも断る理由はあった。けれど今回は違う。苦しむ民を救うこと。しかも、自分の実家近くの領民が困っていると聞いて、見捨てることなんてできるはずがない。
「――殿下。日照りの影響って、聖女の治癒で解決できますか?」
「うん、聖女の治癒は他の治癒魔法と違ってすべてを癒すからね。
枯れた土地や作物にも効果はあるはずだよ」
「なるほど。じゃあ・・・・・」
「けれど、一度回復したからと言って日照りが続けば結局意味がない。
かといって日照りの間中ずっと治癒を与え続けるわけにも行かないでしょう。
そのあたりは、神殿ではどう考えているのかな」
ジュリアン殿下が、冷静な顔で問いかける。神官は深く頭を下げた。
「一週間。一週間持ちこたえていただければ、あとは水がなくても育つのです。そのあとは学業に支障が出ないよう、神殿が責任をもって送り届けます」
なるほど。言っていることにおかしなところはない……ように感じる。
でもどうしてだろう。このタイミングでの聖女の仕事に言いようのない違和感が消えない。
「リリエル」
黙り込む私に、殿下がそっと声をかけた。
「王家からもすぐに、フォーン男爵領近郊へ支援物資と調査団を手配しよう。学園のことは心配しなくていい。君は、聖女の公務に専念してくるといい」
◆
学園長室を出た後、私は講堂に戻り、みんなに顛末を報告した。
「そう。それは大変ね」
ローザ様はパタンと扇を閉じ、静かに微笑んだ。
「こちらの事は気にせずに行ってきなさいな、リリィ。
聖女様が困っている民を放っておいて、お芝居にうつつを抜かしていたなんて噂が立ったら、それこそ劇の評判に関わるわ」
「でも、劇の練習が」
「大丈夫ですわリリエル様!さき程のセリフ回し、完璧でしたもの!
あとは立ち位置なんかはこちらでしっかり詰めて置きますわ!」
「あ、あれが再現できるかはわからないけど、みっちりしっかり練習しておくね」
自信に満ちたみんなの瞳と、先ほどの殿下の言葉に背中を押される。私の中にあったかすかな迷いが、綺麗に晴れていく。
「早速明日出発だから――今日出来るだけのことを教えてもらえる?」
「ええ、ビシバシ行きますわよ!」
この時の私は、これが「大義名分」という最も厄介な鎖であることを、まだ理解していなかった。
神殿の恐ろしくも完璧な包囲網が、音もなく私の背後に迫っていることなどつゆ知らず。 私は翌朝、ローザ様と殿下に見送られながら、地方の神殿へ向かう馬車に乗り込んだのだった。




