これも一つの舞台裏
「……ええい、皆様静粛に! 魂を抜かれている場合ではありませんわ!」
演出担当の令嬢が、鼻息を荒くしてパンパンと手を叩いた。
いけないいけない。
みんなが一斉に正気を取り戻すと同時に、私も気を引き締める。
「リリエル様、ローザ様! その素晴らしいお姿のまま、第一幕のラストシーンを合わせてみましょう!」
(そうよ!練習の成果を見せるんだから!)
ローザ様がスッと片膝をつき、私の手を取った。その所作だけで、周囲から「ひゅっ」と息を呑む音が聞こえる。
「『私の光よ。神がお許しにならなくとも、私は貴方を守り抜く』」
「『ええ。私も、ずっと貴方の傍に』」
台本通りのセリフを交わす。
それにしてもローザ様の声は無駄に甘くて心臓に悪い。
でも、私だって悪くはないはずだ。
毎日のトレーニングのお陰で私の発声も活舌も、かなり向上している。
けれど――。
「だーめーでーすーわ!!」
演出担当が、台本を丸めて机をバンッと叩きつけた。
「お二人の並びの完成度が高すぎて、元のセリフが完全に負けています! もっとこう……世界全体を敵に回すような、背徳感のあるセリフにしましょう!」
「ええっと、たとえば?」
私が引きつった笑顔で聞くと、彼女たちはその場で台本にガリガリとペンを入れ始めた。
「ローザ様のセリフ、最初は『私の光よ、神がお許しにならなくとも〜』でしたけれど、ここを変えましょう!『ああ、我が唯一の光よ!たとえ天の神々が引き裂こうとも、この魂は汝と共にあり!』……これですわ!」
「そのセリフいいですわね! ローザ様、いかがです!?」
ローザ様は顎に手を当てて、ふふっと楽しげに微笑んだ。
「悪くないわ。なら、リリィの返しももっと劇的にしないと」
「ロ、ローザ様……?」
ローザ様はわざと切実な響きを持たせた声音を作って言った。
「『天の許しなど、とうに捨てております。たとえ永遠の宵闇に閉ざされようとも……ああ、貴方さえ、貴方さえ傍にいてくださるのなら!』
……どうかしら?」
「「「きゃあああああああああっ!!!!」」」
「尊い!! 尊すぎますわ!!」
「ちょっと待って!?」
私は慌てて割って入る。
「い、いくらなんでも『天を捨てて永遠の宵闇に』はやりすぎなんじゃ……」
「あら、リリィ。悲恋劇の主人公は、これくらい世界を敵に回す覚悟がないと」
「そうですわリリエル様!
じゃあそれを受けたローザ様のトドメのセリフはこうしましょう!『汝が冥府の闇を恐れるというなら、私自身がその闇を飲み尽くそう!』」
「いいわね。
『私自身が、その闇を飲み尽くそう……』
うふふ、魂が震えるわね」
ローザ様が完璧な発声でそのセリフを口にした瞬間、講堂が再び揺れるほどの歓声が上がる。
「うわぁ……」
私はドン引きして、新しく書き加えられた本番用のセリフから目を逸らした。
いくら古典的な悲恋のテンプレとはいえ、現職の聖女が公衆の面前で「神様なんかいらねえ!」と叫ぶのだ。
しかもローザ様のセリフ。闇を飲みつくすって、普通にリアルで笑えなくない?
ちらりと横目で伺うと、ローザ様の紅玉の瞳は、明らかな愉悦に細められていた。
(楽しんでる―――――!!!!てかローザ様って結構好戦的よね!??
気付いてたけど!!)
私自身、断罪劇の一件以来、神殿に対しては腹に据えかねるものがあった。再三の呼び出しも「劇の練習で忙しいので!」と理由をつけて絶賛ストライキ中である。
だから、ちょっとくらい神殿の教義をコケにするような劇をやってもいいかな、というささやかな反抗心は――正直なところ、私にも、あった。
でも、これは流石に「ちょっと」のラインを超えすぎじゃないだろうか。
大丈夫?私、消されない?
そんな私の真っ当な危機感は、周囲の異様な熱狂の前に、あっさりと掻き消されてしまった。
◇
その日の夕刻。大神殿の最奥、塵一つ落ちていない完璧に整頓された執務室で、一人の男が報告書を広げていた。
豪奢な法衣に身を包んだ初老の男――大神官は、机上の紙片に冷ややかな視線を落としている。
そこに記されているのは、学園に潜り込ませた間者から届いた、例の劇の『最新の台本』の写しだった。
『天の許しなど、とうに捨てております』
『私自身が、その闇を飲み尽くそう』
「……不愉快な」
感情の抜け落ちた声が、ひんやりとした部屋に響く。
大神官は、汚物でもつまむかのようにその紙片を持ち上げると、傍らの蝋燭の火にくべた。
チリチリと燃え上がる紙を見つめる彼の瞳には、怒りよりも深い『嫌悪』が渦巻いている。
「学生の道楽と捨て置けば、どこまでもつけ上がる。
聖女が闇に惹かれ、神を否定するだと?
我々が寛大な心で『聖女の特例』を認めて教義変更までしてやったというのに……あろうことか神を否定し、冥府を賛美するとは。これ以上、大衆の認識を汚させてはならん」
彼にとって、この世界は神殿の教義という『完璧な秩序』によって保たれるべきものだった。
光は崇められ、闇は畏怖され、異端は排除される。
何が正しく、何が異端かを決めるのは神殿であり、神殿が認めたものこそが絶対の教義となる。その明確な権威の線引きこそが、大衆を統治するための最も強固なシステムだ。
(忌々しい、あの規格外の魔力を持つクロイツの娘は、ことごとくそのルールを破壊する)
かつての魔力暴走。
あの時点で魔女として神殿が捕らえておくべきだった。
クラヴァ―ルなどという小賢しい研究者が、闇の魔力の有用性などと学術的に証明してしまったせいで、今や「闇属性を持つ」というだけでは真っ当な弾圧が出来ない。
「閣下。神官長からは、状況を静観すべきとの意見が届いておりますが」
影の中から現れた部下が、控えめに口を開く。
大神官は鼻で笑った。
「あの男は清廉すぎて使い物にならん。
そもそも聖女を学園に預ける決断をしたのが間違いだったのだ。
まったく、最初から神殿のものとして神殿で教育しておけばこのような事態にならなかったものを」
我ら神殿が『光』の教えで民を導き、王家がその群れを管理する。それがこの国の安寧を保つ唯一の理だというのに。
最近の王家は愚かな羊どもに無用な自由を許し、統治者の手綱を自ら手放そうとしている。
大神官は、机の引き出しから古い羊皮紙を取り出した。
そこには、神殿が長らく封印していた『異端審問』の執行命令書が、既に彼のサインと共に用意されている。
「学園長宛てに勧告書を送れ。あの劇は神殿が禁忌とする邪教の信仰を煽るものだ。直ちに上演を中止し、聖女を神殿へ回収せよ、とな」
「よろしいのですか? 後援に回っている王家やクロイツ公爵家との、真っ向からの対立を意味しますが」
大神官の口元が、わずかに歪な弧を描く。
「かまわん。王家が異端を庇い、大衆に迎合するというのなら……もはや奴らに、この光の国を統治する資格はない」
大神官は立ち上がり、窓の下に広がる王都の街並みを見下ろした。
この愚かな民衆を正しく導けるのは、王家ではない。神の代行者である自分たちだけだ。
「教義を穢し、聖女をたぶらかす『魔女』を抹消する。そして同時に――王家に、誰がこの国の真の支配者であるかを教え直してやろう」
静かな執務室に、権力者の冷徹な宣告が響く。
長きにわたる王家と神殿の均衡を破り、国家の覇権を握るための争いが始まろうとしていた。
20時にも更新します。




