クロトの街
抜けるような青い空が気持ちよかった。
海からの風が潮の香りを運びながら、時折ハルカの髪をふわりとなびかせる。
ハルカ達は草原の安全地帯を結んで造られた(獣道をいくぶんかマシにした程度の)細い道を抜け、今は街から海岸線に沿って延びている広い街道を歩いていた。手を繋いで一緒に歩いているヴェチカの話によれば、もうじき街が見えてくる距離まで来ているらしい。
街道からは綺麗にほぼ等間隔で道が枝分かれしており、その先には整備された農耕地が見渡す限り広がっている。作付されているのは大半が麦のようだ。街での主食はおそらくパンの類なのだろう。
ここまで来ると、アルゴ達以外の街の住人も見かけるようになった。農業を営んでいる者たちには比較的に人種族が多いようだったが、顔立ちや髪の色は多種多様だ。彼らが使っている荷馬車を引く動物も馬だけでなく、鳥と竜を合わせたようなものもいて、そこからもここがハルカの住んでいた地球の日本ではなく、異世界なのだという実感を湧かせていた。
出だしは少々ハードモードだったが、当面の心配事が無事解消されたハルカは高揚してくる気持ちを押さえられないでいた。きょろきょろと周りを見回しながらヴェチカにあれこれ尋ねる。
「え~…何がそんなに楽しいのかわかりませんが、あんまりはしゃぎすぎて街に帰り着く前に倒れたりしないでくださいね」
「あ…ごめんなさい。でも、もう大丈夫だから」
エナルセルはアルゴのパーティーの中ではメンバーの体調管理の役割も担っていた。何度かハルカの手当てもしていたから体調が心配だったのだろう。それがわかったハルカは少し申し訳なさそうに答えた。
「記憶が無いって事は、目に入るものすべてが初めて見るものって事だからな。まぁ、子供みてぇに浮かれるのもわからんでもねえ」
アルゴがニヤッと人の悪い笑みを浮かべながら言う。それにつられて無表情で黙々と歩いていたリューグとガストも笑いながら「違いない」と相槌を打った。
「そ…そんなに子供っぽかったかなぁ…」
「私がお姉ちゃんになったみたいでちょっと嬉しいかも」
ヴェチカにまでそう言われ、ハルカはさすがに恥ずかしくなって顔を赤らめた。
そうこうしているうちにハルカ達は街が見渡せる小高い丘までたどり着いた。
「ようやく帰り着いたな。あれが俺たちの街、クロトだよ」
そう言ってアルゴが指差した街はハルカが思っていたものよりずっと立派で大きかった。外周は砦で見たものよりもはるかに高く分厚い壁が距離を空けて二重に街を囲むように設置されている。その内側には最初から計画されて建てられたかのように、洋風の建物が整然と並んでいた。ほとんどの家屋は2階建て程度の大きさだったが、中には装飾を施された教会や大きな公共施設らしき建造物も見える。 海に面している部分からはいくつもの桟橋が突き出ており、大小たくさんの船が係留されていた。日本であれば、この広さがあれば数十万人は暮らせるだろう。これで真ん中にお城があれば、ファンタジーに登場する国の王都だと言われても違和感を感じない。そんな規模の街だった。
「すごい防壁だよね…こんなに大きな街だとは思わなかったよ」
丘を降り街に近づくにつれ、4~5階建てのビルぐらいはありそうな壁の巨大さに改めて圧倒される。ハルカは感心して呟いた。
「そうか?どこの街もこんなもんだろ。じゃねぇと魔獣の襲撃を防ぎきれねえ」
「そうなんだ。てっきりあの砦よりちょっと大きいくらいかと思ってた…」
確かにこの周辺には他にも幾つかの小さな集落が存在していた。しかし、そこはすべてクロトの街の庇護下にあり、この街からガーディアンやハンターが派遣され守られている。したがってアルゴ達この世界の住人にとっては、ハンターが定住する街というのはクロト程度の規模があるというのが常識となっていた。中途半端に大きな砦や集落は維持に手間がかかる事もあり、ハルカが想像していたような規模の街というのはほとんど存在しなかった。
「記憶と一緒にすっかり常識まで抜け落ちてるみたいですね。これは教育が大変そうだ…ヴェチカもお願いしますね」
「うん。まかせといて!エナルセル」
「え~!」
子供っぽいと言われた上に、今度は常識無しとの烙印を押されたハルカはその後、抗議と釈明をを試みたがあえなく玉砕する事になった。
分厚い第一の防壁に設けられた巨大な門を潜り抜けて市街へ入ると、そこはたくさんの人と喧騒に包まれていた。両脇にはずらりと簡素だが色とりどりの雑多なものを販売する店舗が並ぶ。見たところ食材を扱う店や軽食を売る屋台のようなものが目立っていた。夕方という時刻のせいかずいぶんと賑わっている。
「わ!あれ何?ちょっと見てきていい?」
これぞ異世界の情緒あふれる街の風景、とでも形容されそうな光景をまざまざと見せつけられたハルカは再び浮足立った。
「おいおい、まてまて。…この調子だとお前は絶対迷子になる。だから今日はヴェチカの家へこのまま真っ直ぐ行け。いいな」
アルゴが強い口調で命令する。
「そんな~…」
「あのな…俺たちも疲れてるし、ヴェチカもお前もだ。いいから帰って飯食ってゆっくり寝ろ」
「そ、そうだね」
言われてみるとその通りだ。自分の事しか考えてなかったが、ヴェチカに目をやると確かに少し疲れているようにも見える。
「ヴェチカちゃん、ごめんね」
「ううん…いいよ、明日は私がこの街を案内してあげるね」
「お願いね」
ハルカはしゃがんでヴェチカに目線を合わせると、そう答えた。
「よし、俺たちはギルドに少々報告しなけりゃならない事がある。まぁ、ここでひとまずお別れだ。諸々の話は明後日だな。そっちに行くから出かけず待ってろ」
「うん。色々ありがとう」
「ま、いいって事よ。…じゃあな。ヴェチカくれぐれも頼んだぞ」
「まかせて!」
「そ、そんなに信用無いの?」
アルゴにエナルセル、そしてリューグとガストは笑いながら手を振り、大きな十字路を曲がっていった。残されたヴェチカとハルカはそのまま真っ直ぐと第二の防壁へ向かう。ヴェチカ達の住む家はその内側にあるとの事だった。
「どう思いますか?」
ハルカ達と別れてギルドへと向かう道すがら、エナルセルはアルゴに尋ねた。
「さて…な」
アルゴもエナルセルの言いたいことは分かる。驚くほどの剣の腕とちぐはぐな言動、ハルカは少々不自然すぎる。本当に記憶が無いのか…はたまた何かの訳ありか…正直な所、アルゴにも簡単には判断が付かない。
「どちらにせよ明後日だ。俺はヴェチカが元気になりゃ、それでいいんだよ」
「また厄介ごとが降りかかってくる気がするんですけどねぇ…」
エナルセルは大げさにため息をつくと、頭を軽く振った。アルゴは昔から面倒見が良い。だがそのためにちょくちょく面倒なことに頭を突っ込む羽目になりがちだった。ただ、銀の咆哮はそんな彼の人柄に惹かれた者たちが集まって出来たクランなので、エナルセル達も強くは言えなかった。
ハルカに関してもこの二日間の間に人となりはなんとなくわかってきている。良い人物だと思う。単純に今までのアルゴとの付き合いからの経験上、嫌な予感がするというだけだ。
「彼女がトラブルメーカーじゃない事を祈っておきますよ」
「俺達にはアルゴだけで十分、お腹いっぱいだしな」
「…彼女からはアルゴと同じ匂いを感じる」
「お前らなぁ…ガストも珍しく喋ったと思えば、それかよ」
アルゴは口では色々言いつつも、いつもフォローしてくれる仲間たちに心の中で感謝した。
(だがなぁ…俺も厄介な事に巻き込まれそうな気がしてんだよなぁ…)
このあたりの魔獣の支配者と言われているブレイズドラゴンが姿を見せなくなってからほぼ3年になる。その間、砦といくつかの小さな集落が魔獣のテリトリーに呑まれてしまった。さらに、数日前には海上を恐ろしい勢いで飛ぶストームドラゴンが目撃されている。
(ギルドのお偉いさんの話を信じるなら、ブレイズドラゴンが戻ってくるのは2年後…それまでは何が起こってもおかしくはないと云う話だ………彼女は何かに関係してるのか、はたまた単なる偶然か。…ま、砦での件も含めて、判断はギルドマスターに任せるさ)
アルゴは乱暴に頭を掻きむしると、放っておくと堂々巡りとなる思考を放り投げた。
「まぁ、あれだ…ギルドでの報告が終わったらいつもの場所で宴会だ。厄払いは酒に限るからな!エナルセル、連絡は頼む」
「今回は自覚有りなんですね……まあいいです。わかりました。で、時間もいつもの通りですか?」
「ああ、報告なんぞすぐ終わるさ(今日のところは…だろうがな)だが、早いに越したことはないな。…おら、急ぐぞ!」
アルゴはそう声をあげると、先頭を切ってギルドへと駆け出した。




